千代里
2026-04-28 12:57:04
8521文字
Public 千影とシリルの話
 

【オリジナル創作】ネモフィラの話・6話【千影とシリルの話】


「結局、こんなものしか用意できなかったんだが」
どこか申し訳なさげに切り出しながら、シリルは箱の中に入っていたものをメアリーの掌の上に乗せる。
妖精と出会ったあの晩から二日後。メアリーは予定どおり、荷物をまとめて、ハウスメイドの職を辞した。
一介の使用人を屋敷の主人がわざわざ見送る必要はないと、スポット夫人は不満げだった。だが、シリルはお構いなしに、使用人用の通用口に顔を見せたメアリーを捕まえ、先日のサムシングブルーの続きをしていたのだった。
「もしよかったら、これ、受け取ってくれるか?」
「もちろん、喜んで。ありがとうございます、シリル様。とても綺麗な『青いもの』ね!」
シリルが渡したのは、外の国からやってきたという目の覚めるような青の花で作った髪飾りだ。それを数輪摘み取り、簡素な紐でまとめて、小さな髪飾りとしたのである。
妖精との邂逅の後、シリルは丸一日寝込んでいたので、凝ったものを作る時間がなく、結局ひどく質素な出来になったのだが、メアリーは全く気にしていないようだった。
「ねえ、シリル様。どうかしら、似合ってる?」
早速髪飾りを自分のブロンドに差し込んだメアリー。シリルの傍に控えていた千影が何か言うまでもなく、シリルは「とってもよく似合ってる」と頷いてみせた。
「式まで花が保ってくれるといいんだが、流石に無理か」
「大丈夫よ、シリル様。家に戻ったら水をあげておくから。それに、もし萎れても押し花にしておくわ。こっそり忍ばせておけば、花嫁の持ち物になるでしょう?」
話しながらも、メアリーの視線は花ではなくシリルが今も身につけている深い青のコートへと揺れていた。彼が青の色を好んで身につけることを、メアリーはよく知っている。
サムシングブルー。それは、花嫁の幸せを祈るために捧げられるおまじないの一つだ。
そのために、何か青いものを用意するのが通例ではあるが、
(私に幸せであれと祈るシリル様こそが、私にとっては一番の青ね)
にっこりと二人の少年へ笑いかけてから、二、三の別れの言葉を告げる。
これからの暮らしを思うと、メアリーがシリルたちと再び会う機会はなかなか訪れないだろう。
だからといって、湿っぽくいつまでも言葉を交わすのは、メアリーの性には合わない。
「シリル様、体に気をつけて過ごしてね。千影様、シリル様のことをよろしくね」
月並みな挨拶に万感の思いを込める。最後に、とびきりの礼をしてから、メアリーは荷物を乗せた馬車へと足をかけた。
シリルが手配してくれた馬車の御者に手を借り、席に腰を下ろすと、いよいよここを去るのだという気持ちで胸がいっぱいになる。
「またどこかで、メアリー」
「メアリーさん。次に会うときは、スミス夫人になったあなたに挨拶させて下さい」
簡素であっても再会への希望を乗せたシリルの言葉。そして、常と変わらぬ礼儀正しい態度の千影。
二人の言葉に頷きと笑顔を再び返して、メアリーは今度こそ前を向く。
通り過ぎていく春風は、いつもより少し名残惜しく感じた。



馬車は、邸から出て近くの村を通り、さらにメアリーの故郷に続く道をゆっくりと進んで行った。
馬車の振動に身を任せながら、メアリーは見るものも無しに道中の草原を見つめながら、これまでの日々とこれから続く未来へと思いを馳せていた。
ハウスキーパーのお使いで、村に向かったこともある。休暇を使って、買い物を楽しんだこともあっただろうか。小さな村と農場以外はとりたてて目立ったものはないものの、メアリーにとっては懐かしい故郷の一部だ。
この近辺の邸にシリルが移ると聞いたときは、不思議な縁に驚いたものである。
(でも、シリル様に仕える日々はもう終わってしまった。これからは、私が私自身のために、前に向かって歩いていかなくちゃ)
メアリーを見守っているのは、両親や夫のように目に見える人ばかりではない。
きっと今も、目には見えないものの、あの心配性の妖精がメアリーの行く末に一喜一憂しているのだろう。
(そういえば、あの妖精さんは、やっぱり私と少し似ていたのよね。もしかしたら、私は彼女と何か縁があったのかしら)
不思議に思うものの、「また会った時に聞けばいいわね」とあっさりとメアリーは疑問を棚上げした。なにしろ、花嫁は多忙なのだ。
家についたら、両親と共に相手の親戚へと挨拶をして、式場の準備の手伝いもしなければならない。近所の人も手伝ってくれるだろうが、何もかもを人任せというわけにもいかない。
だが、それも自分の式のためと思えば胸が躍る。髪に結わえたサムシングブルーの花にそっと手を添えて、これからの予定にメアリーが胸を弾ませていると、
「おやぁ。変だな。あんなところに、花畑なんざなかったような……?」
「どうかしたの?」
馬車の御者は、メアリーにも伝えんとある方角を指差した。
彼の指差す先にあったものを目にして、メアリーは目を丸くする。見覚えのある鬱蒼と茂る森ーーその手前に、小さな湖ができていたからだ。
(いいえ、違うわ。あれは、湖じゃない)
曲がりくねった馬車道は、ちょうど花畑の横を通り過ぎていく。おかげで、メアリーは突如草原に現れた湖の正体に気がつけた。
「こりゃ驚いた。こんなところに、青の花ばかりがこんなにもたくさん咲いてるなんてな」
「ええ、本当に……! まるで、青空が地上へと落ちてきたみたい」
さながら、気まぐれな妖精が美しい昼の空を切り取って、地面へと広げたような光景が、そこにはあった。
空色の花は、風と踊るようにゆらゆらと揺れている。無数に咲くそれらは、まるで絨毯のように辺り一面に広がっている。風と共に揺れる花たちが、先ほどは湖面の波紋に見えたのだ。
「しっかしまあ、一体どこの誰が手入れをしてるんだか。俺は最近もここを通ったが、花なんか咲いてなかったのに」
「そうね。本当に不思議」
だが、メアリーはうっすらと察していた。彼女の目を楽しませる無数の青の花は、まるで自分の来訪を待っていたように思えたのだ。
そして、このような素敵で不思議な贈り物をする者に心当たりはあった。
……ありがとう。貴方の気持ち、確かに受け取ったわ」
先日の別れの際、どこか申し訳なさげに佇んでいた妖精の顔がありありと浮かび上がる。
きっと、これは彼女なりの謝罪と、そして精一杯の祝福だ。
誰になにを言われずとも、メアリーには分かった。
「私は幸せな花嫁ね。こんなにも、私を見守ってくれる人に恵まれているのだから」
妖精が贈るとびきりのサムシングブルー。ありったけの祝いと祈りを受けて、新たな生活へと旅立つのだ。きっとこの先も、祝福の青にふさわしい日々が続くだろう。
いつからだろうか。メアリーを巣食う不安は跡形もなく消え去っていた。代わりに彼女の心を満たすのは、今も風に揺れる空と同じ色をした青。すがすがしさに満ちたその色を抱えて、彼女は姿の見えない友人へと微笑みを送った。

***

「行っちゃったな、メアリーさん」
「ああ。今日はいい天気だし、向こうには問題なく着くだろうよ」
「うん。それに、明日は式なんだっけ。だったら、明日も晴れるといいな」
「雲は見えないし、きっと明日も快晴だろうさ」
踵を返すシリルの横について、千影も歩き出す。屋敷の中へと戻り、二階へと続く階段の途中まで、二人は無言だった。中途半端な沈黙の理由を互いに了解していたものの、気まずさばかりはどうにもならない。ついに痺れを切らしたといった様子で、千影が口火を切った。
「メアリーを送り出したら説明するって言ってくれたよな。この前の晩のこと」
「ああ。そうだったっけ」
しかし、応じるシリルの声は硬い。
あの晩、千影はシリルを連れて自室に戻り、草で切った彼の足の手当てをしている最中に、どうしてあの場所に来られたのか、一体何が起きたのかと尋ねた。
だが、シリルは「疲れたから、後で話す」の一点張りで、足の治療が終わると早々に寝ついてしまった。
その後も、無理が祟ったからか、珍しく一日中熱を出して寝込み、快復したと思うや否や、旅立つメアリーのためにサムシングブルーの準備を初めてしまった。「メアリーを送り出したら」という期限の条件を突きつけられてしまった以上、千影も今まで沈黙を守っていたのだ。
「俺も、全部を説明できるほど、何もかもを知っているわけじゃないんだ。でも、千影の質問のいくつかには答えられると思う」
「それは、俺にとってはありがたいけれど、シリルはそれでいいのか?」
「説明してほしいって頼んだのは千影じゃないか」
自室に到着したシリルは、長椅子へと腰を下ろす。何から尋ねようかと惑う千影へと笑いかける姿は、しかしいつもに比べるとぎこちなさが残る。
「答えたくないことを無理やり聞き出すのは、俺は正しいことだって思えないんだ。だから、俺への義理とか責任とかで、答えないといけないとは、思わないでほしい」
「千影って、時々すごく面倒なことを考えるよな。まあ……そういう譲歩をしてもらえるのは、俺としては助かるけども」
そこで一息ついたシリルは、質問をどうぞと言わんばかりに掌を差し向ける。
「じゃあ、あの晩にも聞いたけれど。シリルは、どうやって歩いてあそこまで来たんだ? 誰かに連れてきてもらったのか?」
「その質問は、イエスでもあるし、ノーでもある。確かに、俺はメアリーたちがいる場所に行きたいとは思っていた。だけど、俺だけでは足のこともあって、どうにもならなかった。だから、『彼女』の手を借りたんだ」
「俺は鈴を鳴らしたわけでもないのに、どうして俺たちが外にいるって分かったんだ?」
まだ二つ目の質問だというのに、シリルの回答を受けて、すでに幾つかの疑問が千影の中で噴き出る。
疑問の渦に取り巻かれた様子を察してか、シリルが「順を追って話すと」と告げた。
「俺は、確かに千影がどこに行ったかも知らずに寝てしまっていた。その夢の中で、あいつに言われたんだ。『このままだと、あの娘もあなたの召使も、全部向こう側へと渡ってしまうかもしれない。それでもいいの?』って」
それが誰の発言なのか、大いに気になるところだったが、千影はひとまず続きを促した。
「俺は、ああいう連中に、これ以上大事なものを奪われたくなかった。だから、二人がいるところに駆けつけたいと思った。だけど、目を覚ましても、この足だろ。思うように動けないうえに、ベッドから滑り落ちたせいでステッキがどこにあるかもわからなくて、途方に暮れていたんだ」
シリルの指先が、首にかけられたネックレスに触れる。青い石が、陽の光を受けて今日も変わりなく淡く輝いていた。
……そのとき、あいつが言ったんだ。『少しの間なら、手を貸してあげようか』って。あいつにとっても、あの女の妖精が好き放題に振る舞うのは、嬉しいことじゃなかったらしい。だから、俺は……あいつの手を借りることにした」
シリルの手指がネックレスから、力無く膝の上へと落ちる。
「あとは、千影が見た通りだ。あいつは俺の体をあの場所まで運んで行った。俺が歩いていたのも……腹が立つけれど、あいつのおかげなんだろうな」
「さっきから気になっていたんだが、その『あいつ』とか『彼女』って誰のことなんだ?」
聴きながらも、千影は薄々回答を察していた。
いみじくも、自分が『その者』に尋ねたではないか。「あなたは誰だ」と。
シリルは、すぐには答えなかった。音が聞こえるぐらいの吐息を数度吐き出してから、

……俺の中に妖精がいるって言ったら、千影は信じるか?」

すぐには答えられなかった。
だが、シリルの瞳に昏い影がさっと走りかけたことに気づいた瞬間、言葉は口から飛び出ていた。
「信じるよ。だって、そうじゃないと説明がつかないことを、俺は見てきたんだから」
次に聞こえた吐息は、不安から生まれたものだけではなかった。シリルの口からこぼれたそれは、幾ばくかの期待の気配が混じっていた。
「信じているなら、俺が怖くないのか? 悪魔の手先とか、魂が穢れているとか、そんな風には思わないのか?」
「別に思わないよ。俺の故郷でも狐憑きとか、鬼が憑いたとか、そういう風に言われる人がいた。それと似たようなものだろうって思っただけさ」
千影のその回答に、シリルの瞳にかつてないほど大きな安堵の気配が滲む。彼にとって、この打ち明け話は、それだけ大きな不安として彼を蝕んできたものだったようだ。
「それで、その妖精がシリルを歩けるように力を貸してくれたのか?」
「いいや、その逆だ。……そいつに出会ってから、俺の左足は自分のものとして動かなくなった。少し長くなるが、聞いてくれるか」
「もちろん」
シリルの語る話は、彼が足を悪くする直前にまで時を遡っていた。
それによると、彼はその妖精を今まで目で見たわけではないらしい。4年ほど前、シリルがまだ家族と暮らしていた頃のことだ。本家の人間が、とあるものを両親に預けにやってきたことがあった。それが、すべての始まりだった。
「それが、俺が今つけているコレなんだ」
話しながら、シリルはネックレスを指先でつつく。
「俺は、興味本位でこれが置かれていた父上の書斎に忍び込んで、本家の持ってきたものがどんなものか、見ようとした。それで、こいつに指が触れた時、何か強い光を見たように目の前が真っ白になった。そのとき、初めて聞いたんだ。……妖精の声を」
意識を取り戻したときには、すでにシリルの片足は思うように動かなくなっていた。おまけに、今まで健康そのものだった彼は突如激しい高熱に襲われ、ろくに寝台から動けない日々を送った。
一年近く、熱が下がったり上がったりを繰り返していたが、寝込んでいる間にシリルは何度も自分の内側にいる、自分ではない何者かの声を聞いていた。
「そいつがなにを言っているかは、最初はわからなかった。だけど少しずつ、あいつがなにを望んでいるかが感じられるようになったんだ」
それを口にするのは、よほど、シリルには勇気がいることだったらしい。ステッキを握る手に、手袋に皺が寄るほどキツく力が込められている。
「妖精は、何をシリルにしてほしいって言ったんだ?」
シリルが話しやすいように、千影の方から質問を投げかける。
……自由が欲しいって、ずっと俺の中であいつは訴えていた。自由になる体が欲しいって」
「自由になる体って……まさか」
千影が思い出したのは、あの晩のシリルの様子だ。
彼のものとは思えない笑い方、話し方、その仕草。それは、妖精がシリルの体を通して『自由』になったと言えるのではないか。
シリルの不自由な左足と、妖精が束の間自由を得た瞬間、足もまた自由を取り戻したという不気味な一致。
歩けていたのもあいつのおかげ、というシリルの言葉。
それが、最も嫌な形で千影の中で一つの推測となる。
「まさか……シリルの左足が不自由なのは、その妖精のせいなのか?」
果たしてシリルは、無言で頷いた。
「そんな、なんでそんなことを……
千影の言葉に応えられるものはいない。いたとしたら当の妖精本人だろうが、彼女が再びシリルの体を奪うようなことは起きなかった。
「あいつは自由になるために、俺の体が欲しかったみたいだ。でも、あいつが自由にできたのは俺の片足だけ。だから、俺の体なのに、こっちの足は俺の思うようには動かなくなった」
それはまるで、故郷で遊んだ陣地取りの遊戯のようだと千影は思う。
それは、白と黒の石を格子の中に並べて、どれだけ自分の陣地とできるかを競う遊びだった。様々なルールがあったが、最終的に自分の色の石が多い方が勝ちとなる。
妖精とシリルは、シリルの体という盤面の上で、主導権という名の領地を取り合っているというわけだ。
「それがわかった時、ぞっとしたよ。もし今眠ってしまったら、夜の間にこいつに何もかもを奪われて、俺が俺として戻ってこなくなるんじゃないかって、何度も眠れない夜が続いた」
……それを、ご両親は知ってるのか?」
今は疎遠になっている両親の話題に触れた瞬間、シリルは大きく目を見開き、声を震わせた」
「言えるわけがないだろ! こんなこと、誰にだって言えるものか!!」
触れてはならない傷に無造作に触れられた手負の獣のように、彼は吼える。
「俺は、俺の中にいるこいつのことを妖精だって思っている。でも……もしかしたら、もっと違うものかもしれない! 誰かの声が頭の中から聞こえるなんて言ったら、気が触れたと思われるに決まってる。悪魔が取り憑いたって、思われるかもしれない! だからーーっ」
「でも、その何かは妖精だった。この前のことで、それがはっきりしたじゃないか」
当時の不安にせき立てられるように、シリルの言葉に焦りと緊張が混じる。それを宥めようと、千影は膝を折り、跪くようにして友人の手をとった。
「俺は、あの妖精に尋ねたよ。彼女は、自分たちが妖精や精霊と呼ばれるものだとはっきり言った。シリルの中にいる誰かさんが彼女と話している時の口ぶりは、自分の知り合いと話している感じだった。俺が、この耳で聞いたんだから間違いない」
だから、シリルが恐れているような邪悪なものが彼の中にいるわけではないのだと、彼は言い含める。
「シリルの中にいる妖精は、シリルにとって良いものじゃないことも分かった。なら、次はそれをなんとかしよう」
「なんとかって……そんな、簡単に言えるものじゃないだろ」
「だけど、何もしなかったらこのままだ」
千影のキッパリとした物言いに、シリルは言葉に詰まる。
反論をしたくても、自分が今までこの内側の妖精に対して何か行動を起こしたわけではないことは確かだからだ。
「シリルは、あの妖精がシリルの全部を奪うかもしれないのが怖いんだろう。なのに、俺たちを助けるために力を借りた。シリルが来なかったら、俺もメアリーもここにはいなかっただろう」
いまだ震えている友人の手を、千影はそっと包み込む。
「あのとき助けてくれた礼を、俺にもさせてくれ」
シリルの手から感じていた震えを、指先で宥めながら、千影は続ける。
「その妖精は、この前は、シリルにすぐ体を返してくれた。本当に、今すぐシリルの体を自分のものにできるなら、あのまま返さなきゃよかったんだ。それって、つまり、妖精側にも何か理由があって、シリルの体に留まっているってことじゃないか?」
真っ先に思いついた考えをぶつけてみると、シリルは驚いた顔で何度も瞬きをしていた。
故国では、このような顔のことを鳩が豆鉄砲を食ったような、と表現していたっけと、千影は口元を緩める。
「それに、妖精が自分勝手な悪人ばかりじゃないってことは、この前会った彼女が証明してくれただろ」
「メアリーを連れて行こうとしたのにか?」
「彼女なりにメアリーを案じていたからだよ。誰かを心配する人が悪人とは言えないだろう?」
話をしながらも、千影はシリルがいつもの調子を取り戻したことに気がついていた。先ほどまでの焦りと不安で己自身を追い詰めていくような気配は、今は感じられない。
「今までは、シリル一人でこのことを考えていたんだろう。だったら、これからは俺と考えていこう。俺はこの国の流儀はまだ知らないけれど、この国の人では思いつかないことに気がつけるかもしれない」
きっと、このために自分はここにいるのだと千影は確信する。内側に巣食う謎の存在に怯える友人を励まし、彼を助けるために。
「この邸にも妖精の名前が冠してある。手始めに、前の主人が置いて行ったっていう書斎の本を見てみたらどうだろう。それに、メアリーを案じていた妖精は、メアリーとは小さい頃にも出会っていたみたいだった。そうなると、もしかしたら、この土地そのものが妖精に深い関係があるのかもしれない」
思いつくままに、千影はぽんぽんと自分の案を口にしていく。最初は呆気に取られていた様子のシリルの瞳にも、やがてうっすらと期待の色が浮かび上がる。それは長らく彼の目には宿らなかった色ではないかと千影は思う。
……こいつを、なんとかできるのか」
「何とかしてみせるさ。友人が困っているのに、放っておけるわけないじゃないか」
千影が何の屈託もなく口にした言葉は、確かにシリルの胸を打ったらしい。彼は、一瞬震えかけた唇をギュッと引き締め直すと、
「ありがとう、千影。お前がいたら、本当に何とかできそうな気がする」
「気がするで終わらせるつもりはないよ。もうしばらく、シリルはここで休んでるか?」
「いや、せっかく手掛かりを探すって話になったんだ。書斎にでも何でも言ってみるさ」
希望と期待を胸に抱いて、シリルは千影の手を取る。
硬く結ばれた二人の少年の手は、目に見えない深い絆の証となり、彼らの心を一つの目標に向けてしっかりと繋ぎ合わせていた。