高塔について調べることは上からの命令だ。内情に詳しい、かつて叢雲だった俺のことを買われている。けれど、今はもう特別な情報源があるわけではない。俺が居た頃に出入りしていた業者から情報を引き出すのが精一杯で、あとは自分で稼ぐだけだ。
高塔と取引の多い呉服屋が、新しく祝い事用のスーツを複数仕立てていた。体格からして、戴天のチームの新人のものだ。つまり、専務である戴天に近々パーティをする予定がある。
――昇進、だろう。
俺はクローゼットに向かい、できるだけサラリーマンらしい服装を選ぶ。向かうところは、経済誌を作っている出版社だった。
高塔のライバル企業のフリをして、出版社と裏の取引をする。彼らの欲しがる情報を対価としてチラつかせると、まだ記事にされていない情報を手に入れることができた。俺は止めたタクシーに乗ると、頭の中で反芻する。
絶空が社長の座を退くにあたり、戴天ともう一人が争っている。中でも戴天は、高塔の血族として世襲制、一族経営を支持する派閥から人気が高い。
「……戴天。お前が一族経営を良しとするか」
口の中でだけ呟く。叢雲に、妾の血が入っていると知った時に、上層部と戦おうと言っていた戴天。血ではなく、優秀さで継ぐべきだと説得していた戴天。
あれは、嘘だったのか?
ウィズダムの営業を終える。客として出入りしている高塔の社員も、今夜はいなかった。むしろカオスイズムの繋がりが怪しまれる、気がかりな客が多い。五期生の解放と伴って、大幹部たちの動きは激化していた。この情勢の変化も、高塔とのバランスの変動なのかもしれない。
グラスを片付ける手が、硬直した。グラスは落とさず、割ることもない。けれど、腕まで人形になったかのように固まっている。最悪な想像が頭を支配した。
雨竜がカオスアカデミーから帰ってきた。
絶空が引退し、情勢が変わった。
カオスイズムの動きが激化している。
これらの出来事の根幹を辿ると、蜘蛛の巣の中央に居るのは――戴天なのではないか。
浄がちらりと俺の顔を盗み見る。俺は軽く首を振り、拒絶する。おそらくカオスイズムとダブルスパイをしている最中の浄に聞かせるべき話ではなかった。
店を閉め、嫌な予感に駆り立てられるように帰宅する。部屋の中に隠したオフラインの情報を取り出し、並べる。
本来、正統後継者である雨竜をカオスアカデミーに送る理由がわからない。しかし、戴天が雨竜が成人した後に起きる政治闘争で、担ぎ上げられる雨竜を消そうとしたら? あるいは、俺に行った記憶のトリミングのように雨竜の記憶を奪い、戴天にとって都合の良い記憶だけ刷り込もうとしているとしたら?
絶空が病気で退陣するというのも、戴天との裏取引があったとしたら。絶空は槍の名手であり、身体も鍛えられている。病気の情報はなかった。更に言えば、高塔は個人の病気程度で進退を決めるような会社ではない。まだ若い戴天が実権を握るために、絶空を退かせたとしたら?
カオスイズムもそうだ。高塔ほどの一族と大企業ともなると、清濁併せ呑む人間が現れる。実際、資金提供や情報提供している親族の存在はわかっている。まだ泳がせている段階だが、上層部にも食い込んでいる。戴天が、それを知らないはずはない。では、俺と同じように大物を釣り上げるために泳がせているか、導いているか。
「……くだらない。全て仮定の話だ」
嫌な汗を背中に感じる。お客様の香水と混ざり、強い匂いになった。
服を脱ぎ、シャワーを浴びる。湯を張るまでの気力はなかった。熱い湯のおかげで、身体の緊張がほぐれていく。
戴天は何を考えているのか。冷静になった脳で、思索を巡らせる。戴天は野心家の男だ。上に行けるタイミングがあれば逃さないだろう。しかし、あの雨の夜の戴天は、俺を引き止めた。俺を蹴落とすことができるタイミングで。友情だったはずだ。なにより戴天は、俺が勝負で手を抜けば怒るような、高潔な男だった。カオスイズムと組むなど考えられない。
――では、なぜ雨竜をカオスアカデミーに送ることを止めなかった?
脳の中の悪魔が言う。天使はいない。雨竜を頼むと言った俺を裏切って、戴天は何をしていた? 雨竜からの信頼を裏切って、危険な場所へ送ったのか? 雨竜を操るために記憶を消したのか? 仲が良かったというのは幻想か?
「……クソッ」
握りこぶしを壁に打ち付ける。思考は堂々巡りで、逃れることはできなかった。
ベッドに入る。最悪な想像が過っても、眠らなければいけない。睡眠不足はパフォーマンスの低下に繋がる。俺は目を閉じ、呼吸を整える。眠らなければ。
――こんな夢を見た。
闇の中に白い顔が浮かんでいる。目を凝らすと、亜麻色の髪と、白い着物が見える。戴天の姿だった。あの頃の髪が短い戴天ではなく、長い髪を下ろした姿。俺を見ると、指で唇を隠し、くつくつと笑った。細めた目元と、しなやかな仕草。どこか昔話の狐を思わせる妖艶さがある。
夢の中の俺は動けない。だから戴天を問い詰めることも、捕らえることもできない。ただ戴天は、闇にしなだれかかる。闇だと思われたのは、玉座に座った絶空の姿だった。生気を失った顔の絶空が、虚空を見つめている。戴天は嬉しそうに絶空の身体に擦り寄り、赤い唇を笑みの形に変える。
まるで紂王と妲己。王を誑かし、破滅へ連れて行く妖魔。俺は叫び声をあげたかった。けれど戴天は、俺に見せつけるように絶空を抱きしめる。絶空の身体は小さく縮んでいく。
「……ッ、雨竜!」
辛うじてか細い声が出せる。絶空の身体はもうない。代わりに、玉座に座った戴天は、その長く白い腕ですっぽりと、十に満たない雨竜を抱きしめていた。戴天は、穏やかに眠っている雨竜の頬を、指で撫でる。まるで果実が熟すのを待つように、欲望の視線で舐めている。笑んだ戴天の口元に、獣のような牙が見えた。雨竜の耳に、柔らかい唇が近づけられる。赤い舌が、雨竜を。
「やめろ!」
俺はベッドから起き上がる。脳に血が巡り、視界が回る。汗にまみれた俺は、何もない空間に手を伸ばしていた。
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