あることに気付いた瞬間、穹は自室から飛び出すように駆け出していた。廊下を許される最高速で歩き、目指すのは資料室である。日付が変わるまで数時間あるのでたぶんまだ起きてくれている。そう願いたい。
扉を適当にノックし返事も待たず入室した。そのぐらい気が急いているのは、フォトウォールを編集していて気付いた事があるからだ。そしたら日付が変わる前に何としてでも丹恒に会わなければと思い、資料室までやって来たのである。
扉の向こう側には思った通り丹恒がいた。夕食後の自由時間でもアーカイブすべき資料があれば彼はそちらを優先させる。そういう性分である事を穹はよく知っていた。だから今この時間帯は資料室にいるだろうと思っていたのだが、電子端末の前に立つ丹恒の後ろ姿を確認した瞬間、胸の奥底から溢れだしてくる高揚感に押されるまま彼の元へと小走りで駆け寄った。
「穹。訪ねてくるのは構わないがもう少し静かに――」
「丹恒!! 今日は記念日だった!!」
「お前が列車に乗車した日のことか?」
丹恒のすぐ隣まで近づいてから、穹はその手を取ってブンブンと振った。
直ぐ様なんの日かを答えてくれる丹恒を抱きしめたくなるが、今回はそちらではない。もう一歩踏み込んだ記念日の存在をうっかり見落としていたのだ。気付いた瞬間、いてもたってもいられなくなって行動してしまった。
「それもそうなんだけど、丹恒と出会った日でもあるじゃん」
「成程。そうとも受け取れるな」
「あと人工呼吸未遂の日」
「……そんな記念日はない」
言いながら咳払いをする丹恒は視線を逸らしているが、その仕草が恥ずかしさを誤魔化すためのものだと穹は知っている。乗車記念日を三回も経ていれば、読み取りにくいと言われる丹恒の表情の変化くらい分かるようになるというものだ。
だから穹はこうして時々丹恒をからかってしまう。時々やり返されて泣きを見ることもあるけれど、それはそれで刺激的なのでやり返され待ちをしている節もあったりする。丹恒には言えないが。
「俺にとっては記念日なの。でさ、そんな大事な記念日なのに何にもしてないなってさっき気付いたから来た」
「そうか。流石の行動力だな」
「でさー、ちょっと提案なんだけどー……日付が変わるまで一緒にいたいんだけど、駄目? 今忙しい? 忙しいなら手伝うから居ていい?」
こんな提案をするのは正直恥ずかしいのだが、せっかくの記念日なのだからというのもあって、丹恒と一緒にいたい気持ちの方が勝っていた。言い切るまでまともに丹恒の顔を見れず、振り回した時に繋いでそれきりの手をマッサージするように握ったりして丹恒の回答を待っていたのだが、彼は何も言わない。
伺うようにちら、と視線を向けると、丹恒は笑っていた。通常時の硬い表情から僅かに緩んだ目元と、持ち上がった口角。慈しまれているように優しく微笑まれていたと分かって、穹は驚いた。
「お前が俺の予定を尋ねるようになったのも、三年の経験があってこそなんだろうな」
「……それって褒めてる?」
「勿論」
握った手はそのままに。空いてる手で丹恒は穹の頬に触れる。親指が肌の上をなぞっていくその動きが気持ちよくて、穹は自分から丹恒の手にすり寄った。
「出会った頃のお前はどこか……遠くを眺めている事が多かった。記憶喪失というのもあって不安定だったんだろうが、心ここにあらずだったように思う」
それまで好きなように撫でていただけの丹恒が、穹のこめかみへ唇を寄せた。何が丹恒をそうさせたのか分からないが、なんだかくすぐったいような感情が湧き上がってきて笑ってしまう。
「開拓の旅を経た今のお前は、とても"お前らしい"と感じる。感情のままに動いて、ころころと表情を変える様はとても好ましい」
「ふふっ、改まって言われるとなんか恥ずかしいな」
「お前の場面行動に振り回された日々も懐かしく感じる。悪癖にもだいぶ慣れたしな」
「あれは宝探しであってゴミ漁りじゃないから」
「その言い訳も何度聞いたことか」
思い出話をしながら笑う、何とも記念日らしいやりとりだ。その最中に視線が絡んだのをきっかけに、どちらともなく唇を寄せ合った。言ってしまえばただ肌を合わせるだけの行為なのだが、それがこんなにも心を満たしていく。相手が丹恒だからそう思うのだろうかなんて些細なことを思うも、他の誰かとキスするなんて絶対にあり得ないのでこの疑問が解消されることは一生ないだろう。
キスが終わる瞬間を寂しく思うものの、満たされるのは確かな事実なのだから。
「……手伝ってくれるならそう時間はかからず作業は終わる。そしたらお前の部屋へ移動しよう。この狭い布団よりお前のベッドの方が寝やすい」
「俺、丹恒の布団も好きだよ。狭いから合法的にくっついて寝られるし」
「広いベッドでも変わらないだろう、お前は。なら寝やすい方がいい」
多少横道にそれたものの、最終的に丹恒はお願いを聞いてくれるようだった。穹の分の作業スペースを空けたそこに滑り込み、二人肩を並べて資料と向き合う。
衝動に任せた願いだったのだが、記念すべき日が終わる瞬間と目覚め迎える朝の両方に丹恒がいてくれると確定した。穹は、ただのアーカイブ作業ですらかけがえのない思い出になっていくのだとして、上機嫌で作業を手伝うのだった。
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