【スタゼノ】トレーラー・パーク

スタゼノワンドロワンライ 第251回お題「バター」「メープルシロップ」「パンケーキ」
スタンリーが作ってくれたパンケーキを見て、昔の友人を思い出すゼノの話。

 スプーンで掬われたバターと、たっぷりのメープルシロップが乗ったパンケーキ――それを昼時のキッチンでスタンから差し出された時、僕は無作法にも恋人のことじゃなく、かつての友人のことを思い出していた。
 トレーラー・パークで暮らしていた、離婚家庭の女の子。僕がまだ大学に進む前に出会った、もしかしたらスタンより古いかもしれない友人。
 でも、その子は僕が飛び級をした夏に、あの小さなコミュニティからいなくなってしまった。トレーラー・トラッシュとからかわれていたあの子は、いつの間にかいなくなってしまった。それからは、僕とその子は一度も会っていない。たった数ヶ月だけ友人だった女の子。もしかしたら、僕のイマジナリーフレンドかもしれない女の子(だって、僕はその子と遊んでいたことを親にも言わなかった。だから行方は探しようがない)。時折僕はその子と遊んだ季節を思い出し、そして郷愁にかられる。あの子と遊んだ季節だけが、自分の子供らしい日々だったのではないかと、そんなふうに思って。
「どうしたん? メープルシロップかけすぎだった?」
 スタンはぼんやりとしている僕にそう言って、用意したナイフとフォークをパンケーキに添える。
 僕達は昨日散々ファックして、そして今ようやく朝食をとっていたところだった。久しぶりに休暇が合って、離れていた日々を埋めるように抱き合ったのは、今じゃあ遠い昔のことのように思えるけれど。
「いや、初めて女の子の家に招かれた時のことを思い出して……
「へぇ、妬けんね。俺以外にも恋人がいたん? 初耳だ」
「スタン、君面白がってるだろう。僕にだって異性の友人くらいいるさ。君ほどじゃあないが」
 スタンは大きな口を開けてパンケーキを食べ(僕に差し出したっていうのに!)、そのメープルシロップよりずっと澄んだ色の瞳をいたずらっぽく細める。僕はそれになんと言っていいのか分からなくなり、遠い思い出を探る。
 あの子の名前は何だったっけ? というか、どうして僕はトレーラー・パークに住んでいた子と仲良くなったんだろう? もう容姿も思い出せない。ただ、細い腕に、プラスチックビーズの腕輪をしていたことだけが、何となくの記憶として残っている。
「どんな女だったん? いけてた? あんたの好み教えてよ」
「残念ながら覚えてないんだ。名前も、髪が何色だったのかも。ただ、トレーラー・パークで暮らしていたことしか」
「へぇ、よくウィングフィールド夫妻が、そんな場所に住んでた奴と遊ぶのを許したね」
「君、うちの親を偏見の塊だと思ってないかい?」
 僕はスタンからフォークを奪い取り、シロップの染みたパンケーキを食べる。――そう、そうだ、あの子は僕をトレーラー・ハウスに誘った時、初めて学校の友達を家に招くの、と言って、小さなキッチンでシロップをたっぷりかけたパンケーキを作ってくれたのだった。僕はそれを食べて、その子が持っていた日本製のゲーム機に夢中になった。小さな配管工が、お姫様を助けにゆく物語に夢中になった。ベッドで寝転がって、きゃあきゃあとはしゃいだ。
 でも、なのにまだあの子の容姿は思い出せない。こんなに端々ははっきりしているのに、どうしてなんだろう。まるで、都合のいい思い出で、都合のいい夢で、スタンにこうやって話聞かせているのも、都合のいい友人のそれでしかない。
「そのトレーラー・パークってどこなん?」
「それが、思い出せないんだ。家から近かった気もするけど、バスを乗り継いで行った気もするし……
「イマジナリーフレンドだったりする?」
「その可能性も捨てきれないね」
 そう言ってしまうと、なんとなくうら寂しかった。僕は友人が多い方ではなかったのに、どうして大切だったろう友達のことを忘れてしまったんだろう? 長い時間一緒にいなかったから? それとも、その後すぐに出会ったスタンに、全て上書きされてしまったからだろうか?
……俺より先にあんたと出会ってた奴か。やっぱ嫉妬すんね」
「何もなかったのに? 名前も覚えてないのに?」
 スタンが僕の手のひらに指を添え、フォークを奪い取って、大きな口にパンケーキを放り込む。黄金色の瞳が伏せられ、昼の太陽に輝く金髪が、きらきらとテーブルの上に光を落とす。
「名前を忘れても、あんたの記憶に残ってるってことがさ、すっげぇムカつくよ」
「そういうものかい?」
「そういうもん。……ていうか長いことあんたと一緒にいるのに、初めてその話聞いて驚いてんのもあんね」
 トレーラー・パークで暮らしていた女の子。懐かしい思い出。あの子が焼いてくれた優しい味のパンケーキは、スタンが差し出してくれたものに少し似ている気がする。もう、それすらもあやふやなのだけれど。
「ほら、口開けて、ダーリン」
 いつの間にか最後の一切れになったパンケーキにフォークを刺し、スタンはそう言った。僕はただそれを受け入れ、そして何度か咀嚼してコーヒーで流し込む。そして、僕たちはまるで示し合わせたようにそっとキスをする。
 ねぇ、スタン。僕はいつかのあの子がそうだったように、君のことを忘れちゃうんだろうか? そういう日が来るんだろうか? 君より圧倒的なものに出会って、記憶を上書きされちゃうんだろうか? 例えば、未曾有の大災害が起こったりして、世界が書きかわっちゃったら、僕はそれに夢中になって君のことを忘れるんだろうか? いや、これじゃああの子が僕の普通の日々の象徴で、君が災害みたいだな。確かに君は災害なんだけどね。僕の全部を書き換えた、そんな災害なんだけどね。
「さぁ、ベッドに行くか、バスルームに行くか、どっちがいい、ゼノ」
「することは一緒なのに、そういう質問をするんだね。実に君らしい」
 僕のからかいに、スタンが肩をすくめる。僕は期待した通りの反応に小さく笑う。テーブルの上に置いた皿の上には、パンケーキはもうない。あの子の思い出につながるものは、もう消えてしまった。
 僕はそれを寂しく思い、でもスタンに手を伸ばしてもう一度キスをした。儚い思い出の中の女の子を思い出すように、スタンをそれに重ねるように、静かに、ただ静かに。トレーラー・パークでの季節は、僕のささやかな子供時代のそれだった。今はもうない、もしかしたら、一番自分らしかった時代のそれだった。


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