バーテンダーは常時深夜、不規則な勤務、きつい立ち仕事、不特定多数と接する職業。故に、恋愛や結婚では避けておいた方がいい職種と言われる仕事。
それでも従事する奴がいなきゃ成り立たない世の中って言うんだから。勝手に言ってろとも悪態を吐きたくなる。美味い酒が飲みたいんだろう。
生きる為に夜行性を選んだ野生動物がいるんなら、昼行性の野生動物がそいつを笑うなんてことはお門違いだ。
「龍さんが長期休暇ですか?珍しい」
「いわゆる何年か勤めたら貰えるご褒美みたいなものだよ。ちょうど私もそれの年でね」
ノー残業デーの日にビールをせびりにやってきた龍さんは、明日から長期休暇に入ることを私に伝えて来たのだ。
しばらくは典ちゃんと山の方に帰ってのんびり過ごすらしく。店に入って来た時から上機嫌の表情であった。
だから今日はいつもの銘柄よりもちょっとお高めのビールを要求してきたんだな。
「ゆっくりしてきてください。いい酒があったらお土産大歓迎ですよ」
「わかった。なんかいいのあったら持ってくよ」
龍さんはそう言ってちょっといい銘柄のビールを美味しそうに飲み始めた。うまく褒め散らかしてもっと飲ませりゃ儲けになるだろうか。
休暇に入る前に素寒貧になっちまったら、家でじっとするしかない悲劇しかないが。
「それにしても龍さんがまとまった休暇なんてほんとう久しぶりな気がしますね」
「仕事も落ち着いたし、部下に思い切ってぶん投げてやるのが今のご時世ってわけだ」
いつまでも自分が前に出張っていると部下たちが成長しないから、と言われ。龍さんもそれに従ったようだが最前線で修羅場見まくった人にとっちゃ不本意だろうな。
ビールをぐいぐい飲みながら陽気に笑ってはいるけど。
「そういえばさ。この店はあんまり臨時休業とかないよね」
予定より早く閉まっちゃうときがあるけど、と付け加えられて一瞬ぎくりとしたが。龍さんは私の店のSNSの投稿を見て珍しかったから覚えていただけらしい。
うちの店は定休日はあるが臨時休業にしたことはあまりない。龍さんの言う通り予定より早く閉店させたことはあるが、あれはまあ、許される方だろう。
定休日以外に休みにしたことはないってことだ。旅行などはしてもせいぜい日帰りか一泊程度。有給なんてものも聞いた事しかない。
「ビルの工事とかで仕方なく、はあるかもしれないですが。できるだけカレンダー通りに営業したいとは思ってます」
「勤勉で結構。お陰で美味しいビールにありつけるってわけだし」
勤勉なんて私には一番かけ離れた言葉だろうが。金を貰っている以上、出すものは出す。金を払ってない奴が食い逃げしたら詐欺の罪になるのなら、金を払って何も出さないのも、詐欺になるんじゃないかという理屈だ。法律は詳しくないが。
ビールを半分くらい飲んだ後に龍さんは頬杖をついて私を見た。
「従業員を雇えば留守は任せられるんじゃない?」
射命丸達に仕事を任せて来た龍さんとしては、同じようにそういう部下みたいなやつがいればと考えるのは自然だ。
「あー……龍さんの言う通りなんですが今の所誰かを雇う気はないですねえ」
たまにうちで働きたい、と言って来る客もいるが。下心が明らかにある奴は龍さんたちにシバいてもらうし、熱意はあっても技術的には難しいというのもいる。
私のやり方で私のやりやすいように創り上げてしまった以上。それを他の奴にやって貰うと言うのは難しい事なのである。
客が多くて猫の手も借りたい時もあるんだが。猫の方が寝っ転がってるだけで周囲をメロメロにさせちまうんだから猫の方が強いかもしれない。
「雇うだけの金も必要ですしね」
単純に、従業員を増やせば出ていく金も増えるだろう。経営は安定はしてはいても明日どうなるかは分からない。
この店は私が倒れたり怪我をすれば、そこでおしまいだ。脆弱な砦だというのは理解している。店を失った私はまた、誰かに拾われて惨めに生きていくしかないかもしれない。
龍さんの酔い覚まし用の水を入れていたコップに新たにミネラルウォーターを注ぐ。少しでも水を入れ過ぎれば零れ、落とせば割れて元に戻らない。
何だって本当、一瞬で簡単に壊れる。変化のないものなんてありゃしない。この店の雰囲気は昔からのものを守って来た証だから、素敵だとユイマンは言っていたが。その中には変化して消えていったものだってあるのだ。
この店がなくなろうが、居抜きとして新たな奴がきっとこのテナントに入って来るだろう。ここはバーを経営するにはかなりの好条件だ。
「……」
その時、あの窓際に置いてある間抜け面の置物達も割られて捨てられるのだろうか。別にあれが価値があるものだなんて思ってないが、袿姫に言って返してやるくらいはしたほうがいいだろうな。折角作ったものを粉砕機の中でバラバラにされるのは辛かろう。
そしたらこのネックレスも魅須丸に返したほうがいいのかもしれない。何もかもを失った私を魅須丸はどう思うかなんて、分かり切ったことだ。
身の回りを世話をするから一緒に住まわせてくれなんて言いたくもないし。もしも、本当にもしも阿梨夜達の様に暮らすとしたら。お互い対等でなければいけない。
魅須丸から結婚の話なんて出るとは思えないが。この先どうしたいのかを言ってくる事もない。今の状況を楽しんでいると言えばそれまでだが、それでもいつかは選択をしなければいけない時だってあるだろう。
捨てられるのも捨てるのも、いつだって突然だ。でも後から考えれば必然だった。
他の客だってそうだ。この店がなくなると龍さんに告げた時。龍さんは、呆気なく見切りをつけるだろうか。それとも私の力になってやると言ってくれるだろうか。
やっぱり龍さんはそういう部分にはドライだろうから。下手に期待はしない。
「仕事が落ち着いたんなら喜ばしいですが、暇っていうのも新聞記者としては寂しいですね。何か新しい事件はないんです?」
くさくさした気分になって来たので龍さんに話題の主導権を振ってみる。前話していた炎上企業の件は結局どうなったのだろうか。
「勿論あちこちで事故とかは起きてるけどさ。あの企業の炎上に比べればどれもいまいちだな」
ビールのおかわりが欲しいと言うので私は空のグラスを受け取った。
冷蔵庫を開けて新しいビール瓶を探しながら会話を続ける。
「その企業の炎上ももう燃えカスどころか真っ白になってね。被害に遭った連中が叩きたくても色々根回しされたみたいで大人しくなったみたいだ」
龍さんはとある企業の名前を知っているか私に尋ねる。そこは、建築や山林やらで財を成した大企業で私ですら知ってる。CMだって見たこともあるし、その辺の建物の工事をやっている施工業者だってこの会社の系列じゃなかったか。
「勿論、あの企業なら知らない奴の方が少ないんじゃないですかね」
「そこの大企業が、炎上した企業と提携したってニュースになってただろう」
申し訳ないが、そのニュースは知らなかった。大企業が提携とか合併なんてのはしょっちゅうあるからそんな珍しくもないが。
悪名高い企業と手を組むなんてよほどその企業の何かが欲しくなけりゃやらないと思うが。担当している分野もいまいちつながりがあるように見えないのだが。
「悪名高くてどうしようもなかったから拾ってくれって泣きついた、とかですか」
「そこの火消については新しい人事でかなりクリーンにしたらしい。おまけに大企業のご令嬢と提携した企業の重役を結婚させていたんだからな」
火消と同時に婚約についても秘密裏に事を進めており、龍さんも探ろうとしてSPクラスの連中に追い回されかけたらしいが。
膿を出し切るために、補償や賠償で相当の金額を使ったというのは事実らしい。
「つまり政略結婚?今時?」
結婚も象徴的な行為だから無い事はないだろうが。
「その辺はかなり情報遮断されて私たちも分からないのだけど……まあ、企業の規模は大企業の方が上でも血筋的には炎上したところの方が純血らしくてね」
つまりその血を入れる分。肩代わりをお願いしたということか。純血って何の血筋なのか。根無し草には到底理解できない考え方だ。
競馬なら血統が馬の強さの全てになるというから、まだわかるんだが。
「令嬢も夫になる方も美女と美男だから見栄えも良いだろう。実際、写真は見たがかなりのお似合いだったしね」
うちの典の方が百万倍可愛かったけど、と付け加えるのは聞き流して。そんな美人、と持て囃されるなら一目見てみたいものだ。
「なんか、昔話とか時代劇とかの話みたいですけど」
「戦国時代かって問われれば、ずっとこの世は戦国かもね」
くっくと可笑しそうに笑いながら龍さんは私が差し出したビールのお代わりを受け取った。その令嬢ってのは、本当にその相手が好きなのであれば良いとは思うが。
もし別に他に好きな奴がいたりしたら辛くはないのだろうか。
一人っ子ならそいつが選ばれてしまうのが分かる。だが、姉妹や兄弟がいたならそいつらと組み合わせる話もあるんじゃないか。龍さんが言うくらいなんだから、その令嬢が美人だから選ばれたのだろうか。
つくづく美人ってのは損だな。なんでも好きにできるように見えるなんて言われたって、本当は何一つ自由にもならないんだから。
Old Fashioned終
次回、XYZに続く
次回から最終章に入ります。1年も続けるのはきつい。
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