A4
2026-04-24 08:25:27
3920文字
Public 助手2号のお兄ちゃんのイトアキ
 

距離の問題

ちょっと時間軸を進められる話にできそうかな〜と想像がふくらんできたので、しばらく続きます

アンビーからもらったペーパーバックを読み終わった。映画本編を観た後に読むと、映画とは違う情景が脳内では繰り広げられていた。視覚情報を先に与えられているので、当然、そのように頭の中では再生されるのだが、映画は誰かのフィルターを通したものだったのだということがわかる。誰かというのは、脚本家であったり監督であったり、あるいは映画を観るときの自分であったかもしれない。俳優の演技や演出、音楽で表現されたそれらは原作とはまったく別物だった。ふだん、映像作品ばかりを観ることが多いため、これはとても刺激的で、わくわくする体験だった。
COFF CAFEにエスプレッソを買いにいくとちょうどアンビーがいたので、感想を簡単に述べた。アンビーはいつもの無表情をほんの少し緩ませた。
「もうひとりのプロキシ先生が気に入ってくれたのなら、何よりだわ」
「君は読まないと言っていたけれど、本を返すよ」
「ううん、あなたが持っていて。もし、私が読みたくなったら、借りに行く」
「わかった。……またあの映画が観たくなったよ」
「それはどうして? 答え合わせをするため?」
「答え合わせではないかな。なんといえばいいんだろう、知識が増えた、というのとも違うし……
アキラは腕を組んで考え込んだ。すっとティンが小さなカップを差し出す。それを受け取って、まるで酒を飲むように一気に飲んだ。コーヒーの苦みのあとに溶けきっていない砂糖が口の中に広がる。
「ちょっと、自分の世界が拡張された気がする。まあ、もう一度観ても、感想は変わらないかもしれないけれど」
「そうね。よく知ってると思っていても今日と明日は違う日だから、きっと、見えるものも違う。そんな感じかしら」
「たぶん、そんな感じだ」
アンビーと別れて店に戻る。リンの姿が見えず、カウンターには18号がいるだけだった。
「我が妹はバックヤードかな」
独り言のようにつぶやいて、ドアの前に立つと6がドアを開けてくれる。そこにも妹はいなかった。
「Fairy、リンはどこに行ったんだい」
《先ほどまで店内の掃除をされていましたが、スマホをつかんで一度駐車場に出て行ってしまいました。そこで誰かと通話しています》
「誰とだろう」
《プライバシー保護により答えることはできません》
僕は兄だぞ、と言おうとして、確かにこのAIの言うとおりであったので、アキラはバックヤードを出て裏口のドアをそっと開けて隙間から確認してみた。リンは社用車の前で話していたが、「じゃあ、また」などの通話を切るときのお決まりの文句が聞こえたので、アキラはドアを閉めてカウンターの中に入った。
「おかえり、お兄ちゃん」
「君のエスプレッソが冷めてしまった」
「ごめんね、ルーシーから連絡が入っちゃって」
リンはアキラからカップを受け取った。
「お兄ちゃん、しばらく郊外のホロウ探索に付き合ってほしいって」
「プロキシへの依頼かい」
「そんなとこなんだけど、お兄ちゃん名指しなの」
「僕が?」
アキラは目を丸くした。妹のサポートを自認しているので、単発で仕事の依頼を受けることはほとんどない。あるとすれば、リンのスケジュールがあいていないとき、簡単な仕事をするくらいだ。キャロットを生成したり、浅いところをナビゲートしたり。
「カリュドーンの子の仕事となると僕一人で大丈夫だろうか」
「何言ってるの、お兄ちゃんは優秀なプロキシでしょ」
「君が一番だ」
「お兄ちゃんがいないとそうならないって、知ってるくせに」
リンは詰るように言った。それは、妹を立てて自分の存在を見せないようにするアキラをほんの少し責めているようだった。
「できることしか、できない」
「あのね、短くて三日くらいだって。共生ホロウをいくつか調査しないとダメみたい。で、通話では話せないって言われちゃった。私も一緒に行くけど、探索に行くのはお兄ちゃんだけがいいんだって」
「難儀なことだ」
アキラはため息をついた。
依頼がルーシーだとしても、どうしても脳裏にはかの陣営のチャンピオンの姿がちらつく。
「しかし、仕事をえり好みできる立場でもない。行こうか、リン」
「その前に、18ちゃんにおうかがいをたてなくちゃ」
「そうだった。18ちゃん、また留守番をお願いできるかな」
「私はお兄ちゃんを送ったらすぐ戻ってくるから」
兄妹二人の手を合わせてのお願いに、会話を聞いている間、眉とおぼしきサインを吊り上げていた18号だったが、最後にはにっこり笑って承諾したのだった。



リンの運転で郊外に向かった。
社用車はとても、整備のされていない荒れ地を走るような仕様ではないのだが、兄妹はこの乗り物を手に入れてから、どこへでも行った。最近は澄輝坪へと行き来することも多いので、走行距離はかなりのものになっているはずだ。よほど造りがしっかりしているらしく、一度、エンゾウにメンテナンスをしてもらったところ、「ロストテクノロジーに近いパーツを使っている」と告げられた。しかし、よくよく聞けば、几帳面な設計者と品質管理のしっかりしたメーカーが製造したのだろうということで、ロストテクノロジーという言葉はエンゾウの最高の賛辞なのだった。
兄妹はブレイズウッドに着くまで喋らなかった。
話さなくても沈黙が心地よい。
ラジオもつけなかった。
二人でいる時間は貴重だった。
毎日一緒にいるが、独立した個人であるから、自由に行動している。
車の中という閉ざされた空間で時間を分かち合うことは、贅沢なことだった。
未来へ進めば進むほど、それぞれが外部で関係性を築けば築くほど、二人の間に隔たりが生まれることを、どちらもが知っていた。だから、ことあるごとに「二人でパエトーンである」ということを確かめ合った。
沈黙の時間はいつか、大切な宝物となって思い出されるだろう。
ブレイズウッドに着くと、パイパーが待ち構えていた。
「よお、プロキシ。元気かぁ」
「元気だよ! ずーっと運転してて疲れた!」
「僕が運転するって言っても聞かなかったじゃないか」
「だって、お兄ちゃんはこれから仕事なんだもん」
妹の心が全然わかってない!と詰られ、アキラは苦笑した。
「で、パイパー、ルーシーは?」
「事務所の方にいるぜぃ。ちっとばかし書類仕事があってこいつが来たんだ」
パイパーはちらりとアキラを見やった。
「プロキシはルーシーのとこに行ってやってくんな。で、あんたはこっちだ」
アキラとリンは顔を見合わせる。が、二人で頷いて、リンはチートピアのある方へ向かい、アキラはパイパーについていった。
ブレイズウッドの下層から、さらに下層へ行くと、大型トラックが停められていた。アイアンタスクに似ているが、あそこまでものものしくない。トラックの荷台には猪突猛進のロゴがあしらわれていた。
「かっこいいだろ」
「うん」
「対エーテル装甲だから長時間ホロウん中で活動できるし、防爆もスリーゲートのお墨付き、侵蝕が進む前にこんなかで休める」
「すごいな。軍用車みたいだ」
「ま、そんなもんだな。プロキシたちのおかげで、夏にファンタジィ・リゾートに行ったろ? 防衛軍と知り合いになったのがよかったぜぃ」
「オボルス小隊と?」
「ああ、青い髪の嬢ちゃんにもチェックしてもらった。匂いで、これはいい子だってわかったみたいだ」
「なるほど」
「中、上ってみるかぁ」
パイパーはアキラの返事も聞かずに運転席に上った。彼女の身長では乗り降りも苦労するはずだが、危なげなく、手すりをつかんで乗り込む。
「もうひとりのプロキシ〜、助手席から乗ってみな」
「わかった」
促されて、アキラも助手席に乗った。
思ったより天井が高く、なかなか快適である。
が、通常の車と違って、助手席の足元にもペダルがあった。
運転席に座ってごついハンドルを握っていたパイパーはにやりとした。
「そっちにもアクセルとブレーキがついてるから、いざとなったら使ってやってくれ」
「使う? 僕が?」
「ホロウレイダーに襲撃されてるとき、戦闘員は戦ってるだろぉ」
「ああ、そういう」
納得はしたが、飲み込めてはいない。
「で、後ろ、ここのレバーを倒したら、ほら、快適な寝床だ」
運転席と助手席のすぐ後ろにはパネルがあったが、このトラクター部分にはまだ後ろに空間があり、パネルが倒れると、仮眠が取れるようなスペースがあった。毛布や枕、水の入った荷箱が置かれている。
「トイレ、シャワーはついてない。ま、男二人だからどうとでもなるだろ」
「男二人?」
「なんだ、聞いてなかったのかぁ。ライトとあんたには共生ホロウの調査に向かってもらう。行って戻って三日くらいだな」
「任務かの内容はリンから聞いている。パートナーが誰か、知らなかっただけだ」
「やりにくいかい?」
「そんなことはない」
パイパーは何かしら知っているふうであったが、アキラは深く追求しなかった。
誰であろうと依頼は遂行する、なぜなら、プロだからだ……とは、アキラは言わなかった。パイパーたち相手に今さらであると思ったし、ライトと仕事をすることについても、問題はなかった。
「じゃ、説明終わり〜。上に戻ろう」
「うん」
降りてから去り際にアキラは振り返ってトラックを見た。牽引車の後ろにトレーラーがある。調査なのに、なぜ、このような巨大な荷台が必要なのかは今の時点では何も想像できなかった。
依頼主からしっかり話を聞けるだろう。もうリンが説明を受けているかもしれない。
アキラとパイパーはエレベーターに乗って上層部へ向かった。