碑硫竜紀
2026-04-24 01:54:32
2241文字
Public R1999:donriveryaoi
 

半白昼夢

イヴァンゴール donriveryaoi 小さい頃の記憶をふと思い出す

 遠くに見える山々の麓まで広がる景色は一帯が小麦畑だった。どこまでも広く続く畑と、身を寄せ合って立っている木々、川に寄り添うようにある池と、池の水を求めるように生い茂る木立と、そこに住む動物たち。父に連れられて馬で駆け回る故郷はそういうところだった。
 俺たちは同じコサックで、村も隣同士だった。隣といっても馬を走らせる距離だが、イヴァンとは同い年なこともあって、小さいときから仲が良かった。
 森での訓練を終えて、父は釣りに行くとのことだったが、俺は一人で村に戻った。川沿いを通り過ぎるとイヴァンがいた。隣に、暇そうに草を食んでいる馬もいる。
「釣り?」
 川岸に座っているイヴァンの手には長い木の棒があり、その先から糸が川に垂れていた。即席のものだが、釣れるのだろうか。
「真似事だよ。ここいらの魚たちはやっぱり騙せないね」
 はは、と笑ってみせたイヴァンは、糸を引きあげて棒から外し、適当に小さくしてポケットに突っ込んだ。
「母さんがシチュー作ってくれてる。食べるだろ?」
 タイミングよく風が身体を吹き抜けていく。既に冬の到来を予感させるような冷たさで、一瞬身震いがしたが、バレないように全身に力を込めた。
「ああ、楽しみだ」
 笑って返すと、イヴァンも嬉しそうに笑った。馬に跨り、イヴァンの馬に並走する。急がない帰り道は馬もゆったりと歩いてくれる。
「イゴールは釣り、教わったのか」
「まだだよ。お前にはまだ早いってさ」
「俺もだ。こないだ横で見てるだけだからって連れてってもらったんだけど、俺が両手を広げたくらいの魚と親父が引き合っててさ。逃げられたけど。いいよなあ、俺も一度池の主と戦ってみたいよ」
 不貞腐れた顔を見せるイヴァンに続いて、俺も不満をぶちまけた。
「俺の親父は、むしろ連れて行ってはくれるんだ。釣りに行くときは、お前も行くか? って聞いてくるんだ。ついていってたけど、横で指を咥えて見てるだけだろ。それがもう嫌で、今日もイヴァンと約束があるからって、逃げてきた」
「俺と会うのは逃げる口実かよ」
 更に不貞腐れた顔をされて、俺は笑って訂正した。
「イヴァンと会いたいのはもちろんだよ。今日は約束もあったし、親父に誘われるだろうなって思ってたから、ちょうど良かった」
 むす、とむくれていたイヴァンの顔が少し赤く見える。
「そうかよ」
 こころなしか嬉しそうな声の返事だった。馬に乗ってなければ脇腹を小突いたのに。
 川を渡ってしばらく行くとイヴァンの村に着いた。村の中心より少し北寄りのところに家がある。小脇の木に馬を繋いで家に入ろうとしたところで、腕を掴まれて家の陰に引き戻された。
「イゴール」
 小声で名前を呼んだイヴァンの顔は少し照れくさそうで、何かを訴えていた。ちょうど木陰になっていて、馬たちの間で、周囲に人影はない。俺もイヴァンに一歩近付き、イヴァンも俺に近付いた。
 少し肌寒いはずなのに、互いの息が妙に熱っぽく、寒さなど感じない。掴まれたままの腕はイヴァンの手の熱を伝えてきて、それが気恥ずかしさと興奮を呼んでいた。
 イヴァンの真っ直ぐで余裕がない青い瞳に吸い込まれそうになる。そのまま近付いた顔は鼻先がぶつかりそうだった。
「イヴァン」
 同じくらい小さい声で名前を呼んだのが合図だった。緊張からか少し乾燥して、お互いに不器用で、まだ一度しかしたことがなくてキスというものがよく分からないまま、それでも衝動のまま欲しい相手を貪るように唇を合わせた。



 カシャン、とスプーンが皿に落ちて大きな音が鳴った。その音で俺は記憶のフラッシュバックで意識が逸れていたことに気付いた。
……大丈夫か?」
 向かいに座るイヴァンが、怪訝そうに伺ってくる。俺を見つめる瞳がさっきの思い出と混ざって、唇に感覚が戻ったみたいだった。思わず触れそうになる手をぐっと握って、衝動をやり過ごした。
「ああ、大丈夫だ。少し昔を思い出しただけだ」
「故郷に帰ってくるのも久しぶりだからな。感傷の時間は必要だな」
 妙に理解を示すような態度だ。さっきまで俺の思いでの中では俺にあの頃の年齢らしく必死だったくせに。余裕を見せる姿が妙におかしく思えて、俺はからかい混じりに言ってやった。
「お前との思い出だよ」
 黒パンをシチューに浸して柔らかくして、それを一口。イヴァンは驚いたあと視線を彷徨わせて、ようやく口を開いた。
……遠出しすぎて帰れなかったやつか? 徴兵に行く前にこっそり飲んで怒られたやつ? それとも……
「どれでも無い。……まあ、当てられないな」
「まさか……
 ちらちらと周囲を見渡したあと、唇を尖らせたイヴァンの言いたいことはさすがの俺でもわかった。
「それも違う」
 いつの間にかクイズのようになったやり取りの間に、俺はパンもシチューも食べ切ってしまった。
「シチューがヒントだ」
 スプーンを皿に乗せて、俺は空いた食器を片付けるために立ち上がった。イヴァンはすっかりクイズに夢中になっていたからか、まだシチューも幾分か残っている。
「せいぜい頑張れ」
 悔しそうに見上げるイヴァンの額に軽くキスをする。周囲の部下たちの話し声が一瞬消えたあと、イヴァンの大声が木霊した。
 口を開けて俺を見る係に食べ終えた食器を渡したあと、俺はそのままテントを出た。すぐに話し声でまたテント下が満ちたのを、俺は愉快に思いながら司令室に戻った。