tokanon
2026-04-23 21:10:21
2194文字
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雨の日ろささ


 あかんなーどないしましょ。
 いつものごとく盧笙んちに向かう途中、駅近のスーパーでたんまりアルコールを買い込んだ俺を待ち受けていたのは突然の豪雨だった。
 道理でなんとなく頭が痛いと思ったんや。そういえば予報は雨だとマネージャーが昼に言っていた気がする。普段は車移動が多くて傘を持ち歩く習慣がないから、雨が降っていればコンビニで適当にビニール傘を買うことで凌いでいた。おかげで盧笙の部屋の玄関には俺の買ったビニール傘が大量に溜まってしまって、何度かプリプリと怒られた。今は盧笙の学校で貸し出し用の予備の傘として役に立っているらしい。

 このスーパーに傘は売ってないよなあ、コンビニで済ませとったら良かった。やって盧笙が怒るんやもん、スーパーまで歩いたら三割は安う買えるのにコンビニで買うなって。
 屋根の下から駅の方を伺うと、大きくはない駅の出口が雨で霞んで見えた。横断歩道ひとつ挟んで50mも走れば駅に戻れる。構内のコンビニで傘は買えるだろうが、その数秒程度でもこの雨ではびしょ濡れになることは想像に難くない。雨の勢いが弱まるタイミングをはかって飛び出そうと構えるも一向にそんな気配はなく、むしろ強くなる風で屋根の下でもパンツの裾あたりが濡れて来た。ならもういっそ盧笙の部屋まで駆けていくのもアリかもしれない。
 盧笙んちまで走ればほんの数分。やるか、と足を軽く曲げ伸ばしする。ふと顔を上げると駅の方から、できたての水溜まりをバシャバシャと蹴って、すごい勢いで走ってくる長身の男が見えた。
「ろしょー! 仕事終わったん? むっちゃ偶然……
「ささら! お前傘、ちゃんと天気予報見ろっていつも言うとるやろが!」
 息を弾ませた盧笙の前髪からぽたぽたと水が落ちて、屋根の下に小さな水溜まりをつくる。いやお前かて傘忘れ仲間やんと言おうとした俺の前に、盧笙がヌッと黒い雨傘を差し出した。
「ほら、使えや」
「はへ……? て、傘持っとんのになんでお前濡れて来てん?」
「たまたまお前が突っ立っとんの見えてん。どうせ傘持ってへんと思うたから」
 メガネキャラに似合わない両眼2.0の視力は健在らしい。押し付けられた傘をぼんやりと眺める。
……いや、せめてコンビニでもう一本買うて来たら良かったやん」
「その前にお前が走り出したら濡れるやろが、嫌いなんやろ、雨」
 盧笙が白く曇ってしまった眼鏡を外して服の裾で拭った。びしょ濡れの服ではうまく拭けなかったようで、ため息をついてカバンの中をゴソゴソと探り出す。
 DRBに参加する前、中王区のアンケートに雨が嫌いだと回答したことに大した意味なんてなかった。盧笙はそれを見た時、意外そうな顔をして『簓、雨嫌いやったん?』と聞いた。『おん、濡れるやん』と軽く答えた俺に、盧笙は何も言わなかった。だから覚えているとも思わなかった。
 メガネをケースにしまって、盧笙が頭を上げた。無造作にかき上げた前髪が、昔の髪型に重なる。あの日も雨が降っていて、濡れた盧笙はメガネをかけていなかった。
 盧笙は俺が雨を嫌いな理由を知らない。なのに、俺が濡れないように傘をさしかけてくれる。嬉しくて、それ以上に今もあの日を忘れられない自分が情けなくなる。盧笙といる時だけ、俺は自分の弱さを自覚する。

「おしっ! 帰ろうや!」
 渡された傘を開かずに、そのまま舗道へ飛び出した。どしゃ降りの雨が一瞬で前髪を顔に貼り付ける。
「おいっ! 傘させや、なんのために俺が」
「ええやん、二人で濡れて走ろうや! ろしょーの家まで競争な、はい、よーいドン!」
「なっ、おま、ちょお待てや! 勝手に始めんな!」
 濡れたアスファルトを蹴って走り出す。ザンザカ降る雨の音で、後ろで怒鳴っている声がかき消される。握った傘の柄が温かいのは盧笙の体温だろうか。顔にバチバチと大きな雨粒が当たる。首を伝って胸元にも生ぬるい雨水が垂れる。あそこに見える曲がり角を折れたら盧笙のアパートだ。スピードを上げようと振り上げた腕が急に掴まれ、体のバランスを崩す。
「待て言うとろうが! って、わ、危なっ……
「ひっ……な、なに」
 ビールがたくさん入ったビニール袋がアスファルトに落ちる。はみ出した缶がゴロゴロ転がっていって、排水口の溝にハマって止まった。俺はそれをがっしりした腕の中でぼんやり眺めていた。
……かけっこは俺の勝ちでええか?」
「なは、相変わらず、足はっやいな」
 冷たい雨から護ろうとでもするように、盧笙が俺を強く抱きしめる。濡れたシャツ越しにじっとり体温が伝わる。早よ拾わんとビール汚れるやん、そう言おうとして声が出ずに、盧笙の胸に濡れた額を擦り付けた。どうせこんな天気だ。誰も外なんか歩いてないし、どこの窓から覗いても、俺たちの姿は雨でけぶって見えない。
「俺は」
 頭の上から盧笙の声が降る。雨の中でも、触れた胸から発する声は、はっきりと耳に届いた。
「俺はもう、離す気はないからな」
 何も知らないはずの盧笙は、本当は全部知っているのかもしれない。信頼できるようにしたると通天閣の上で誓った言葉を、今でも盧笙は守ってくれている。
「おん……
 心の中の弱さの全てを見せるのはまだ怖い。それでも盧笙が隣にいてくれるなら、もう雨の日に頭が痛むことはないだろうと思った。