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生炭
2026-04-22 19:23:10
11816文字
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ずっとここにいる。
思いつきのパッションで書きました、相棒のロキグレです。🚀🪐
時間軸はエリドで暮らし始めて5年ほど経った頃。
グレースの寿命について思うところがあるロッキーと、それにアンサーをくれるグレースのお話です。
原作と映画の設定が混ざっています。
エンディング後のお話なので、一部捏造を含みますのであしからず🙇♀️
エリドで暮らし始めて、もうすぐ五年になる。
問題だらけだった異星での生活にも慣れて、身の回りのあらゆることが地球に居る頃と遜色なくなってきている。天気も、陽の流れも、海の温度もすべてが完璧だ。ロッキーをはじめとしたエリディアンたちも、この大きなバイオドームに一人の異星人が住んでいることが当たり前になって、生活も仕事もすべてが普遍の日常になっている。全くもって、快適な生活といえるだろう。
トン、トン、トン。と、ノックする音が聞こえる。ロッキーだ。彼はいつも予定通りの時間にやってくる。ぼくが「はーい、今行く!」と声を上げると、再びドアを数回叩く音が響いた。
ぼくはせっかちにドアを叩く彼を迎えて、靴先をトントン、と地面で突ついては靴を履く。
「グレース、約束の時間を過ぎている!」
「悪かったよ。でも、ほんの数分だろ?」
「遅刻は遅刻だ」
ちょっと怒っている異星人(正確にはぼくの方が異星人だけれど)にあまり反省のない謝罪を吐いて、ぼくは両手を小さく合わせた。一応、「ごめんなさい」を表しておくべきだろう。
「時間を無駄にするのは君の悪い癖だ。直すべき」
「これでも気をつけてる方なんだけどな
……
」
説教ではじまった日課に出かけて、ぼくたちは浜辺に向かった。高台に建つぼくの家からすぐの浜辺を歩いて、なんでもない話をしながら過ごすのがぼくたちの日課だ。会話の内容は多岐に渡る。身のあるものから間抜けなことまで、それこそなんでもだ。そうして浜辺を歩いて、波打ち際に二人で腰を下ろす。
心地いい波の音を聞きながら、二人で時間を忘れてゆっくり過ごすのだ。
「グレース、君は今いくつになった?」
ロッキーがふと、そんなことを聞いてくる。なんでもないような質問だけれど、彼の問いかけは少しだけ低めの音だった。
「正確に数えてはないけど
……
、あと二、三年で五十歳になるんじゃないかな」
ぼくは少し考えてからそう答えた。
地球を発った時の年齢は覚えているけれど、そこから今日まで何年経ったのかはぼんやりとしか把握していない。きちんと計算すれば正確に分かることではあるが、ぼくは敢えて計算をしなかった。
ある程度の歳を重ねると、自分の年齢を考えることが面倒になる。一つ歳をとったとて大きな変化はないし、そんなに楽しいものではないのだ。
「人間の寿命は何年と言った?」
ロッキーはさっきよりもまた少し低いトーンで聞く。
「大体、八十年くらいかなぁ。というか、君はちゃんと覚えているだろう? なんでまたそんなこと」
エリディアンは物忘れをしない。人間と違って、記憶は覚えるものではなく、記憶媒体に貯蔵されるものだからだ。エリディアンの脳はコンピュータみたいなもので、物事を記録することにとても強い。
だから、ロッキーの質問には少し違和感を覚えた。
わざわざ聞くことでもないだろうに。
「グレースが間もなく五十歳になるということは、君はあと三十年ほど生きるということ」
「そうだね。平均寿命を考えたらそうなる。もっと長生きかもしれないし、ちょっと短いかもしれない」
ぼくの返答にロッキーは何も言わなかった。
もしかしたらぼくに聞こえていないだけで何かを言ったのかもしれないが、とにかくぼくの耳には何も聞こえなかった。
砂浜に打ち寄せる波の音が静かに響く。霧を纏う少し冷たい風が吹いて、頬をなでていった。
ぼくは羽織っているカーディガンの襟元を少し閉じて、じっとしているロッキーを見る。
「なぁ、ロッキー。ちょっとぼくの家に寄っていかないか?」
「良い。寄っていく」
ぼくの誘いにロッキーは短くそう答えた。
ぼくもロッキーもお互いの言語はネイティブレベルで理解できるようになったけれど、ロッキーは時折わざとカタコトのように喋る。ぼくはそれが好きだから、彼がそういう話し方をしたときは少しだけくすりと微笑む。
「何がおかしい?」
「いや、別に。君は変わらないな、と思ってさ」
ぼくの微笑みを聞き逃さなかったロッキーはトントン、と砂浜を突つく。ぼくはただなんでもないと返して、ゆっくり立ち上がってはズボンについた砂を払った。
色々な茶色が混ざった少し荒い砂を踏みしめて、「ほら、行くぞ」とロッキーに促す。
「グレース、足の調子はどう?」
「あぁ、大丈夫だよ。前ほど軽やかではないけど、まだ全然歩ける」
「それなら良い」
「うん」
歩幅を合わせるように隣を歩くロッキーは、ぼくの膝を心配していた。
ひと月ほど前、ぼくが足を痛めてちょっとした騒ぎになったのだ。本当に大したことではなかったのだけれど、エリドに住む唯一の人間を保護することに勤しんでいるエリディアンたちからすると、大きな事態だったのだとは思う。
ぼくは単純に少し膝と靭帯を痛めただけで、人間にはよくある怪我だと説明するのに必死だった。
結局、数日安静にすれば治ることを理解してもらって、騒ぎは落ち着いた。何年も異星で暮らしていると、こういうことは時々起こる。人間はエリディアンよりも脆弱な生き物だと認識されているからね。
「グレースは相変わらずに整頓が下手くそだ」
「
……
散らかってて悪かったよ」
友人を自宅に招待して文句を言われたのは、これで何度目だろうか。ぼくなりに整頓しているつもりでも、ロッキーからすると物で溢れかえっているように感じるのかもしれない。
遠慮のない彼の小言にぼくは不満を返して、アルマンドにコーヒーを頼んだ。
「グレースはコーヒーばかりを飲む。カフェインの摂り過ぎは良くない」
「一日にコーヒーを二、三杯飲むくらい問題ないよ。それに、ぼくはカフェインが好きなんだ」
「コーヒー以外もちゃんと飲むべきだ。水分は人間にとってとても重要」
「分かってるよ。一日二リットルだろ? ちゃんと飲んでるから」
ロッキーの忠告に、健康診断を受けたときの古い記憶が蘇る。
「コーヒーやエナジードリンクなどをよく飲まれますか?」
「えぇ、まぁ
……
コーヒーをよく。仕事中は特に」
「教師をされている方にも多いんですよね。胃酸過多や頭痛の原因にもなりますし、少しカフェインを控えるようにしてください。できるだけ水分を取って。そうですね
……
一日二リットルを目安にすると良いです」
研究室に勤めていたときが一番カフェインに依存していたと思うけれど、教師になったばかりの頃もそれなりにコーヒーに頼っていたかな、とは思う。
それを考えれば、今はかなり控えている方だろう。ロッキーやぼくの体調を診てくれるエリディアンの目が光るようになってからは(目というのは
言葉の綾
だ)、更に控えるようになった。
だから、実を言うと今のぼくは地球にいる頃よりもずっと健康に気を使っていると思う。うん、かなり健康体のはずだ。
「そういえば。この間食べた試食品、かなり良かったよ。君も開発に関わってるんだって?」
「君の生活に関わることには、大方関わっている」
「ワオ。まさしく責任者って感じだね」
数日前に、新しく開発中の肉製品を食べたことを思い出した。ぼくの筋肉を培養して開発されたその肉は、ミーバーガーのものとは違った風味を目指して作られているのだそう。ミーバーガーの肉が牛肉風味とするならば、この前食べた試食品は豚肉といった風味だった気がする。
エリディアンたちは、人間が食を大切にしていることを尊重してあらゆる努力をしてくれる。彼らにとって食事が単調なものだとしても、人間であるぼくが食に喜びを見出していることをきちんと分かってくれているのだ。
あらゆる野菜、あらゆる肉、あらゆる味付け。全てに意味があって、価値がある。
まぁ、どれもぼくの好み次第ではあるから、彼らの努力がすべての人間に好まれるかはなんとも言えないところだが、それでもぼくにはどんぴしゃりなのだ。
とても、ありがたいことだと思う。
「君には自分の仕事もあるだろう? そんなにぼくのことに関わっていたら忙しくて大変じゃないか?」
「問題ない。ぼくはぼくの意思で君のことに関わっている」
いくらエリディアンがマルチタスクが得意とはいえ、そんなにたくさんのことをこなすのは大変なのでは、と思ってしまう。ロッキーのことを信じていないわけではないけれど、ぼくはちょっと心配だったりするのだ。
「君が大丈夫って言うんならそうなんだろうな。ありがとう、助かってるよ」
「礼はいらない。君はエリドの恩人だ。当然のことをしているだけ」
ぼくは「それを言うなら、ぼくだってそうだ」と、言おうとした。しかし、ロッキーはぼくの言葉を受け取る前に背中(と、ぼくが捉えている面)を向けてしまって、つい口を噤んでしまった。
今日のロッキーは、ちょっとだけクールな様子だ。怒っているわけではないけれど、どこか冷めたような感じがする。
「エイドリアンは元気か?」
ぼくは噤んだ口でコーヒーを飲んで、ソファにぼすん、と腰掛けた。ロッキーお手製のカフェテーブルにマグカップを置いて、柔らかい背凭れに上体を預ける。
「元気だ。今日は新しいライトの開発をしている」
「前に言ってたライトか。完全に遠隔操作になるんだろ? すごいなぁ」
「エイドリアンは素晴らしいエンジニアだから」
エイドリアンのことを誇らしげに語るロッキーに、ぼくはつい頬を緩める。クールな様子も、エイドリアンの話の前では綻んでしまうのだろう。ロッキーは本当にエイドリアンのことが大切なのだな、と感じられてぼくまで温かな気持ちになる。
「君はどうなんだ? 仕事は順調かい?」
「ロッキーの仕事も順調だ。何も問題ない」
ロッキーの今の仕事はバイオドームの管理と、新しい宇宙船の開発だ。
エリドは地球の科学を知って、急激に宇宙工学が進んでいる。母星を救うべく急拵えで未知の宇宙へ旅立った彼らが、今では知的好奇心と種の発展の為に宇宙を知ろうとしている。本当に素晴らしいことだ。
ぼくも微力ながら手伝ったりしているけれど、大して入る隙はない。人類の叡智を詰め込んだラップトップがあるし、彼らの集合知は一人の人間が太刀打ちできるようなものではないから、ぼくはちょっとした過程や結果の確認をする程度。要するに、名誉監督みたいなものだ。
「グレースの仕事も順調か?」
「もちろん。楽しくやってるよ」
「君の授業を受けられる子どもたちは幸運だ」
「そうだと嬉しいね」
ロッキーの言葉に、ぼくは鼻を擦った。
ぼくは、教師という仕事が本当に好きだ。自分の持ちうる知識を子どもたちに教えて、そこから子どもたちが新しく考えた素晴らしい結果をぼくが受け取る。柔軟で、斬新な子どもならではの発想が本当に面白いのだ。
エリディアンの新しい世代は光を知ったから、この先何十年後かにはエリドでも光が当たり前になるかもしれない。音よりも速く長く進んで届く光を、彼らはすでに聞いているのだからね。
「そうだ、この前授業参観をしたんだ。子どもたちよりも親の方が授業に熱心でさ。かつてないくらいに白熱した授業だったなぁ」
「それについては同僚から話を聞いた。ロッキーも参加したかった
……
」
「あー、あれは授業を受ける子どもを親が見守る会だからね
……
」
授業参観に参加できなかったことを、ロッキーはかなり悔やんでいるようだった。別に親でなくても参加してはいけない決まりはなかったけれど、「ある程度の制限を設けないと参加希望者が多くなってしまってキリがないから」と、授業を受ける子どもの親だけに参加権利が与えられていたのだ。ロッキーは責任者として参加しようとして、却下されたと聞いている。
「職権濫用って止められたんだろ?」
「ロッキーはその言葉が嫌いだ」
ロッキーが周りに言われた言葉を持ち出すと、彼は非常に不満なときに鳴らす鈍い音を不機嫌に鳴らした。
「ぼくの授業なんて大したもんじゃないよ。君にとっては知ってることばかりだろうし」
「そんなことはない。グレースの授業はとても価値がある。ぼくはそれを聞きたかった」
ロッキーは少し、ぼくを過大評価している節がある。
確かにぼくはそれなりに良い先生だとは思うけれど、ロッキーがぼくの授業を聞いて楽しめる保証はどこにもない。ロッキーが知らないぼくが持ちうる知識は、大抵〈ヘイル・メアリー〉号の中で話してしまったから。
「まぁ、君にはいつでも授業をするけど
……
。今更聞きたい授業なんてないだろ?」
「ある! 大いにある! 君の話は面白い。とても興味深い。ロッキーはグレースの授業を受けたい!」
「ワオ。そんなに? うーん、じゃあ
……
何か授業をしてみる?」
驚くことに、とんでもない需要があったらしい。
ぼくは少し引き気味にコーヒーを啜って、頭の中でいくつかの授業内容を組み立ててみる。ロッキーに教えられることなんて、もうあまりないのだけれども。
「何についてがいいかな?」
「君の論文の解説がいい。あの論文のテーマはとても興味深い!」
「あー
……
、オーケイ。ちょっと気乗りしないけど、君がそう言うなら
……
」
ロッキーの希望は、まさかまさかのぼくの論文についてだった。ぼくにとっては、かなり黒歴史に近いものだ。今でもあの論文内容を否定するつもりはないけれど、今のところは間違いを示す結果ばかりに出会っているからあまり誇れる論文ではない。
「まず、何から始めようか」
「水素と酸素が必ず必要ではないと考えた根拠を聞きたい!」
「おっと、どこかで聞いたような質問だなぁ」
ロッキーの鋭い質問に、学会での嫌な記憶が蘇る。
気難しい偉い学者の、嫌な質問だ。
「根拠は簡単だ。地球の生命に水が必須なのは、大まかに言えば地球が水の惑星だから。でも、宇宙には水のない惑星がたくさんある。つまり、地球外生命体がいるとしたら、水基盤生物ではない可能性もあるのでは、と考えたんだ」
「それはロッキーも思う。水がない惑星にも生命の可能性がある」
「うん。そこでぼくは考えた。水素、または酸素を必要としない生物モデルが存在できるのかってね」
「理論的には可能?」
「ぼくの理論でいけばね。でもまぁ、今のところは否定する事象ばかりだ。君も水は必要な生物だから」
ロッキーと出会ったときは、かなり興奮した。宇宙で孤独だった最中に出会ったから、というのもあるが、彼が岩石と金属で構成された生物だったから、というのも大きい。結果としてエリディアンにも水は必要だから、ぼくの理論には当てはまらないのだけれども。
「エリディアンは君の理論に当てはまらない
……
」
「うーん、まぁ、大抵の生物はその筈だからな。君が落ち込むことじゃない」
ロッキーはがっくりと身体を低くして、あからさまにトーンの低い音を出した。
ぼくはアストロファージが水基盤生物だった時点でかなり論破された気分だったから、エリディアンが水を必要としていることにそこまで大きなショックは受けなかった。けれども、立て続けに出会った異星生物が尽く水基盤生物だったことはまぁ、残念ではあったと思う。
やはり、生物には水素と酸素は必須なのだろうか?
「でも、タウ・セチ星系の生命発展の仮説がある。パンスペルミア説だ。ぼくたちもタウ・セチ星系で発生した生命基盤を継いでいる可能性が高い。だから、もし他の生命基盤があるとすれば、それは本当に水基盤生物ではないかもしれない」
ぼくは希望を語った。この理論には、かなり希望を見ているのだ。
恐らく、アストロファージはタウ・セチ星系で生まれた生物だ。そのアストロファージは宇宙空間を移動できる。八光年もの距離だ。恒星から恒星へ移って、その恒星からまた惑星へと移動する。だから、タウ・セチ星系で発展した生命基盤は惑星間を移動して生命の種を撒いていったのだろう。
地球が属するソル星系も、エリドが属するエリダニ星系も、宇宙の規模で見たらかなり近い距離にある。しかも、タウ・セチ星系を真ん中に据えたような距離間だ。
だから、タウ・セチ星系から発生した生命基盤がぼくたちの星系にそれぞれ種を撒いた可能性はゼロではないと思う。
「つまり、他の生命基盤を発見できたらグレースの理論を裏付ける可能性がある?」
「そう、そういうことだ。その生命基盤が水基盤でなければ、ぼくの理論は実証される」
「素晴らしい!」
ぼくの希望的観測に、ロッキーは二本の腕を高く上げて鉤爪をくるくる回した。
その新しい生命基盤が発見されなければ夢物語でしかないけれど、仮説理論とはそういうものだから、ぼくはただじっと頷くことにする。本当に、そんな発見が出来たらとんでもないことだろう。
「グレースは、またその研究を続ける?」
「え、あー
……
どうだろう。それについては、あんまり考えたことなかったな
……
」
ロッキーの質問に、ぼくは傾けていたコーヒーマグをゆっくりと下ろした。
本当に、そんなこと考えもしなかった。
「いつかまたなにか論文を書いてみるのもいいな」と思ったことはあるけれど、自分が打ち立てたかつての理論を再検証する選択肢は持ち合わせていなかったのだ。
それはきっと、初めてアストロファージを解明したときに諦めてしまったことなのかもしれない。
「君がまた研究をするのなら、ロッキーは協力を惜しまない」
「君が? それは心強いな」
ぼくの背中を押すようなロッキーの申し出に眉尻を下げる。
きっとロッキーは、なんであれぼくが何かを始めることに肯定的な態度を見せてくれるのだと思う。態度だけでなく、言葉通りに惜しみなく協力もしてくれるのだろう。彼の献身は、ぼくが想像するよりもずっと芯を持ったものだから。
「本当に研究はしない?」
「今は
……
いいかな。教師をしているのが楽しいんだ。ぼくの理論を突き詰めるのは、もう少し先でもいいと思う」
「もう少し先
……
」
ぼくの言葉に、ロッキーは奏でる音を小さくした。
尻つぼみに小さくして、鉤爪をカタカタと閉じたり開いたりさせる。これは、考えごとをしている時のジェスチャーだ。
「そんなにぼくに研究をしてほしいのか?」
ぼくは思わず、ロッキーに問いかけた。
ぼくの行動にロッキーがここまで意見を出すことは、今では珍しいことだと感じたのだ。
もうすっかりエリドでの生活に馴染んで、ぼくの生活習慣やぼくの癖、ぼくの好みも理解しているロッキーは、以前ほどあれこれ聞いたり意見したりしなくなった。小言は言うけれど、ぼくの決定に食い下がることはあまりない。
ロッキーは、そんなにぼくに研究を続けてほしいのだろうか?
「人間の寿命は約八十年。グレースは、あまり時間がない」
「いや、あと三十年も
……
」
「あと三十年もあるじゃないか」と言おうとして、ぼくはハッと理解した。ロッキーが今、何を考えているのか分かる。
ぼくは、ロッキーよりも早く死ぬ。エリディアンの感覚でいえば、三十年なんて数年後みたいなものだろう。ロッキーからすると、ぼくは数年後に死ぬことになるのだ。
だから、彼は
ぼくにはあまり時間がない
と言ったのだ。
「ロッキー、ぼくは今の生活にとても満足している。やりたいことは全部できて、何不自由なく生きている」
ぼくはソファから立ち上がり、ロッキーの側にしゃがみこんだ。
「君が全部そうしてくれてるだろう?」
キセノナイト製のスーツ越しにロッキーに触れて、ほんのりと彼の温度を感じる。二百度を超える温度の、ほんの一部だけれど。
「ぼくはなんでもする。グレースの望むことは、すべて叶える。エリドに迎えるとき、約束をした」
「うん、そうだね」
「ロッキーは、グレースの為にできることをすべてしたい」
彼は低く保っていた甲羅を少し持ち上げて、クルル、と音を鳴らした。これは、頼みごとをするときによく聞く音だ。
ロッキーは、ぼくにお願いをしている。
「ありがとう、ロッキー。ぼくは君にすべてを貰ってるよ。今ぼくがこうして生きているのは、全部君のお陰だからね」
ぼくは本来、寿命を全うせずに死ぬはずだったのだ。
けれども、ロッキーと出会えたことでその運命を回避できた。何度も喉元に忍び寄る死の影を、ロッキーに幾度となく救われているのだ。だから、ぼくはもう充分にロッキーからすべてを貰っている。
「ロッキーは、グレースに与えられている? 不足はない? もっとできることがあると思う」
「それはノーだ。充分すぎるくらいだよ。今も生きて、こうして君といられるだけで充分満足だ」
本当は過分なくらいだけれど、過不足はないと真っ直ぐに彼を見つめて伝える。
「もし地球に帰りたいのなら
……
」
「ロッキー、ぼくは地球には帰らない」
エリドに着いて、二年ほど経った頃。ロッキーから
「地球に帰りたいか?」
と問われたことがある。ぼくはその問いに「しばらく考えさせてほしい」と答えた。それは、地球に帰ることがぼくの望みなのか分からなかったからだ。
でも、今ならハッキリと分かる。
ぼくは、地球には帰らない。ぼくの居場所はここにあるから。
「グレースは、地球には帰らない?」
「そう。ぼくは地球に帰らない」
ロッキーは少し拍子抜けしたような顔をした。彼に顔はないが、そんな様子に見えたのだ。
ぼくは彼の問いに深く頷いて、自分の意思を再度示す。
「帰りたくない? 時間を気にしているのなら
……
」
「物理的な時間は問題じゃない。ぼくはもう、ここに骨を埋めるつもりなんだ。死ぬまでここで暮らす。エリドで生きて死んだ最初の人間になるつもりだ」
ロッキーは甲羅を少し小刻みに傾けて、また鉤爪をカタカタと開閉した。二つの鉤爪をトントン、と小さくぶつけて、それからぼくの方へ甲羅を持ち上げる。
「君は、グレースは、残りの時間をすべてエリドで過ごすのが望み?」
「そう。ぼくは残りの人生を全部ここで過ごしたい。だってそうだろう? こんなに理想の場所はない。素敵な家があって、心地いい霧に包まれていて、大好きな仕事ができて、最高の相棒がいる。他に選択肢なんてあるか?」
ぼくはしゃんとした声でロッキーに伝えた。
ぼくの望みは、
ここで生きて死ぬこと
だ。
「君は、ここで生きる。ここでずっと
……
、ずっと生きる!」
「あぁ、ぼくはずっとここにいるよ」
五つの脚をすべて伸ばして甲羅をこちらへ傾けるロッキーに、ぼくはそっとハグをした。甲羅へ両腕を回すと、ロッキーも二本の腕をぼくの胴へ回してギュッと抱き締め返してくれる。ちょっと硬くて、ちょっと力強いハグだ。
子どもの頃、犬を飼っていたことがある。
親の知人に頼まれて数年飼っていただけだけれど、その数年間のことはよく覚えている。
ラブラドールのジョージは、ぼくと同い年だった。八歳の大きな男の子だ。
ぼくは双子の兄弟ができたみたいで嬉しかったが、ある時、親に「犬は人間と同じように歳を重ねるわけではない」と教えられた。ジョージは八歳だけれど、人間にするとうんと大人なのだと知ったのだ。ぼくが大人になる頃には、ジョージはおじいちゃんになって死んでしまうのだ、と。
まだ幼かったぼくは、その事実にとても悲しくなってジョージを抱き締めては「ずっと生きていてほしい」と泣きついたことを鮮明に覚えている。寿命の差は、とてつもなく残酷なのだと初めて知った日だ。
ジョージはぼくの濡れた頬を舐めて、「ワン!」とひとつ吠えては優しく頭突きをしてくれた。
あれはきっと、「大丈夫、ずっといるよ」と言ってくれていたのだと思う。
ぼくは、ロッキーにとってあのジョージと同じなのだ。
約七百年生きるエリディアンからすれば、人間の八十年という寿命はあまりにも短い。
「ずっと生きる」のは難しいけれど、それでも「ずっとここにいる」ことはできる。
ロッキーの「君はずっとここで生きる」という言葉に、ぼくは敢えて言及をするつもりはない。ロッキーも分かっていることだと思うから。
すべて分かったうえで、ただ、「
そうであったらいいのに
」と願っているだけなのだ。
だからぼくは、あの時のジョージと同じように「大丈夫、ずっといるよ」と、そっとロッキーを抱き締める。
「ぼくがまた研究を続けたくなったら、手伝ってくれるか?」
「もちろん! ロッキーはグレースの為になんでもする!」
「そっか。助かるよ、相棒」
「イエス。ロッキーはグレースの相棒!」
そう高らかに繰り返すと、ロッキーはまた一段とキツくハグをした。ぼくは「ぐぅ」と少し唸って、仕返しにとロッキーを強く抱き返す。
キセノナイト製のスーツ越しに彼の体温がより伝わる。耳を澄ますと甲羅の通気口から微かな空気の排出音が聞こえた。初めてロッキーの生体音を聞けた気がして、なんだかちょっと嬉しくなる。
「グレース、嬉しい?」
「うーん、ちょっと新しい発見ができて嬉しいかな。空気の音だ」
ロッキーは少しハグを弱めて、ぼくに問いかけた。
「空気? 室内に風は吹いていない」
「君だよ、君の音だ」
「あぁ、換気音。エリディアンの呼吸だ」
「そう、君の呼吸音。初めて聞いたな」
エリディアンの呼吸音はとても規則的で、本当にラジエーターみたいだと感じる。なにひとつ乱れることなく繰り返されて、排熱と換気を行っているのだ。
「ぼくはいつもグレースの呼吸音を聞いている。心臓の音も、瞬きの音も、全部聞いている」
「人間はたくさん音が鳴るからね。生きている証拠だ」
「今、君の音がよく聞こえる。とても良い音。心臓の鼓動は、とても良い」
ロッキーは甲羅をぼくの胸に押し付けて、聞き入っているようだった。
ぼくも目を瞑ってゆっくりと呼吸だけに集中してみる。トクン、トクン、と身体の内から響く鼓動が聞こえて、まさしく生を感じる。
ぼくの心臓は、あと何回拍動するのだろうか?
生物の生涯においての拍動数は決まっているという説がある。身体の大きさとその寿命によって拍動できる回数が決まるという説だ。
ぼくはもう、生涯の折り返しを超えているから、多分残りはそんなに多くはないのだと思う。毎日ゆっくり拍動を重ねて、徐々に残存回数を減らしていく。もっと健康に気を使えば、少し増えたりするのかもしれない。
コーヒーや高カロリーのものは、もう少しだけ控えようと思う。できることなら、ぼくも長生きをしたい。
「なぁ、ロッキー。明日から日課の散歩をジョギングにするのはどうかな?」
「ジョギングは走ること。グレースは運動をする?」
「うん、今からでも遅くないと思うんだよな」
「君は走ることが下手くそだと思う」
「うーん、得意ではないけど。でも、健康になるのはいいことだろう?」
「健康の為、それはとても良いこと。明日からジョギングをする!」
ちょっとした思いつきだけれど、なかなか悪くないと思う。ぼくたちは長かったハグを終わらせて、新たな決定にフィストバンプをした。
「君が歩いていたら、ぼくは怒る」
「厳しいなぁ。慣れるまでは優しく頼むよ」
「健康の為だ。ロッキーは鬼になる」
「あ〜、もうやめたくなってきた」
ぼくの泣き言にロッキーは拳を作って、ぼくの肩をずん、と突いた。「文句を言わずに頑張れ」という合図に少し項垂れて、それからぼくは立ち上がる。
「そろそろ夕飯の時間だ。ロッキーはどうする?」
「グレースと一緒に食べていく!」
「了解。エイドリアンも呼ぶか?」
「それはいい提案。エイドリアンに連絡をする!」
腰を解すように少し身体を捻って、急遽決まった夕食会の準備をするべくぼくはキッチンに向かった。料理は得意ではないけれど、友人と囲む食卓を彩るくらいのことはできるだろう。
「エイドリアンが食事を持ってきてくれる。君は何を作る?」
「そうだなぁ、ベーコンと
……
卵がいいかな。トーストにそれをのっけて食べるんだ。うん、悪くないかも」
お気に入りのダイナーで食べていた、好きだった朝食を思い出してメニューを構想してみる。カリカリに焼いたベーコンエッグを焼きたてのトーストにのせて、それを頬張るイメージだ。かなり、美味いと思う。エリド産の人工食料でもうまく再現できそうだ。
「グレースは本当に食事が好き」
「食べることはいいことだからね。ぼくは卵とベーコンが何よりも好きだ」
「エイドリアンが来る前に作る。グレースは多分、何かを焦がす」
ロッキーの嫌な予測に唸るが、自分でもそんな気はするのであまり言い返せないと文句を飲んだ。エリディアンたちが作ってくれたベーコンと卵を焦がさないように、細心の注意を払おう。
「まあ、実験みたいなものだ。最悪、他のものを食べるよ」
「爆発しないことを祈る」
「そんなに酷いことにはならない!
……
と、思う」
ぼくは少し自信に欠けた返事をして、フライパンを火にかけた。今日の夕食が、上手く出来上がることを祈るのみだ────。
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