tokanon
2026-03-11 16:20:08
6209文字
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変わらないもの

ろささ未満 盧笙のスマホにGPS仕込んだ日のこと

「ろしょー! おーいろしょ! えーもうオチたん、早よない?」
 部屋で飲むとき、盧笙の限界は外のときよりだいぶ早い。自分の部屋だからリラックスしていると言えばそうなのだが、一応他人である俺と零がいることも気にならないかのように、ちゃぶ台に突っ伏して気持ちよくイビキをかかれてしまえばチョロさが心配にはなる。
「まぁいいじゃねえか、疲れてんだろ」
「最近心配やねん、こないだも変なんに絡まれた言うてたやん。ラップでなら負けんでも物理的にユーカイでもされたら敵わんし」
 酔っ払いの頭の上に追いやられたメガネは、フレームにかかるレンズの縁がわずかに欠けている。先日学校からの帰り道、違法マイクを片手に野良バトルを仕掛けてきた輩を撃退する際についたものらしい。直しに行く暇がなくて、とそのままになっている傷を見るたびに胸がツキリと痛んだ。
 芸人をしていたといっても、あの頃の大阪では若手芸人が街で声を掛けられることもさほどなかった。早々に芸能界をやめてしまった盧笙は、以来一般人として平穏な生活を送ってきたはずだ。そんな盧笙を、DRBという全国からの注目が集まるイベントに引きずり込んだのは自分だ。
 盧笙は強い。誰にも負けない信念を持っていて、それをリリックに叩き込む熱は時に爆発的な力を発揮する。ただそのまっすぐさは、歪んでしまった世界の隙間に住む連中には目障りに映ることもあるだろう。

「なら良い方法があるぜえ? おいちゃん最近面白いアプリ開発したんだよ」
「相変わらず手広くやっとんな〜。で、どんなアプリ?」
「位置情報共有アプリってんだ、まあ単純な作りだがな、アプリ入れてログイン共有したモン同士、GPSで相手の居場所がわかるって奴よ」
「ほーん、それでそのアプリ、どうやって悪用しとるん?」
「ははは、ササラくんは疑り深いなぁ? これは純粋な収入目的だ。おいちゃんはこんなアプリ使わなくても全世界のスマホの位置情報特定できるからな」
「こっわ! こっわいわ〜サブイボ立った! ほらほらみてこれ」
 袖を捲り上げて見せながら、零に教えてもらったアプリの説明ページを流し読む。登録者同士でお互いの居場所がマップに表示される、いわゆるカップル向けのアプリだが、レビューには親子での使用報告が多い。

「まあ俺も気を付けてはおくが、なんか会った時にいつでも動けるわけじゃねえ。お前さん方だけで管理できるコイツも役には立つだろ。安全のために入れといてもいいかもな」
 盧笙のイビキは穏やかな寝息に変わっていた。こちらに向いた端正な顔は瞳を閉じただけでキツさが半減し、整った美貌はどこか危うさを感じさせる。これからまだ続くDRB、ひいては混乱する政治事情の中、不安を消す要素はすこしでもあったほうがいいだろう。
……いうてなぁ、盧笙は嫌やろ。そんなアプリ入れて〜とか、めんどくさいカノジョか嫁やん。どう説得するか」
「黙って入れちまえばいいんじゃねえの? おいちゃんならアイコン消すこともできるけど、まあ使ってなさそうなフォルダに入れときゃセンセーは気づかねえだろ」
 零はこともなげに言って、ちゃぶ台に置かれた盧笙のスマホを俺に投げてよこした。
「ひひひ、お主も悪よのぉ」
 悪ノリしながらスマホの電源ボタンに触れる。シンプルなロック画面には、ありがちな10個の数字が並ぶパスワード入力画面が表示されていた。
「あーあかん、ロックかかってるわ、そらそうか。顔認証〜は寝とったらあかんか……指紋認証ないねんなコレ」
「ロック解析はおいちゃんでもこの場じゃできねぇな。どうせセンセのパスなんか1234か誕生日くらいじゃねえの?」
「なんぼ騙されやすいいうてもそんなアホちゃうやろ、1234、0301……ほら、開かへん」
 数字を打ち込む度、画面は軽く揺れて打ち直しの文字が表示される。
「はは、1234の次に多いのは1111。後は推理ゲームだ。ササラくんの方がセンセのことに関しちゃ詳しいだろ」
「1111……もちゃうなあ、パスワード、パスワードなあ」
「知らねえの?」
 何度かパスを間違えたスマホの画面は一旦黒く変わって、一分間のロックがかかってしまった。打ち直せるのもあと数回か。そんなん知るわけないやろ、そう言おうとしてふと過去のことを思い出した。盧笙とスマホを買いに行った日のことだ。



 盧笙と出会った十八の頃、今から八年前ではあるが、すでに世間では大半の人間がスマートフォンを所持していた。ガラケーは古い、ダサいという感覚が一般的になり、俺ですら高校時代のバイトでチマチマ稼いだ金で買った初期のiPhoneを便利に使っていた。
 コンビを組むことになって連絡先を交換しようとしたところで、俺は驚愕の事実を知ることとなる。
「え、なにこれ、ケータイ、では、ない?」
「ポケベルや、知らんのか?」
 なぜかドヤ顔で盧笙が、キーホルダーのような小さな機械のボタンを押す。モノクロの画面に、アナログ時計みたいな日付の文字が表示された。ポケベル、聞いたことはあるが旧時代の遺物としてテレビなどで見ただけだ。この世代で実物を見たことがあるやつの方が少ないに決まっている。親だって持っていなかった。

「いや〜初めて見るわ、これどうやってメール送るん?」
「送るんは電話や、連絡きたらこっちから電話したらええやろ」
 数個しかないボタンをぽちぽち操作して表示されたカタカナは「アシタ カラオケ」なんていう暗号めいた文字列で、ぽかんとする俺に盧笙は「これ卒業式の打ち上げの誘いのやつやな」なんて懐かしげに笑いながら画面を見せてきた。
「なんか、これは理由があって使うとるやつ?」
 念のために聞いてみると、盧笙が心底不思議げに小首をかしげた。いやそのキョーアク面でしてもかわいないでその仕草。
「カッコええやろ? みんなが持っとるもん持っとってもおもんないし。電話持ち歩くとかなんやハンカ臭いやん」
 あかん、やっぱりコイツおもろすぎる。それから白膠木簓は三日三晩飲まず食わずで笑い転げ、息を引き取った時には腹筋がバキバキに割れていたという。まあそれは言い過ぎたが、俺はずいぶん大笑いをしたらしい。気がついたときには盧笙は恥ずかしげにムスッと黙り込んでしまっていた。まあまあと宥め、その日はポケベルを題材にしたネタを一本書き上げた。本当に盧笙は、俺がこれまで会った誰よりもオモロくて特別だと思った。

 とはいえ時代の当然の変化に人は逆らえない。NOCからの連絡も全てメール連絡になっていたし、街でも公衆電話を見かけることもほとんどなくなっていた。バイトに必要なこともあるし、お笑いの仕事を貰うようになれば家電だけというわけにもいかないだろう。
 スマホを契約しに行くとき、俺も盧笙に同行していた。お金のかかることではあるし、口を出すつもりはなかったけれど、ケータイショップのお姉さんの進める有料プランに目を輝かせ全て加入しようとする盧笙に危機感を覚えて結局俺が全て契約を済ませた。いや毎日占いが届くサービス誰が必要とするねん。

 料金をケチって初期設定サービスを断り、俺の部屋でピカピカのスマホをPCに繋ぐ。ネタ作りのために買った中古PCは立ち上がりが遅くて、慣れないキーボードではメールアドレスひとつ作るのも大変だった。
「大体これでええと思うんやけど、まあ後は使いながら慣れるしかないな」
「おん、ありがとうな何から何まで。とりあえずメールと電話ができればええわ」
 最後の確認のためにホームボタンを押す。表示されるパスワードは購入時のデフォルトのまま1234だ。
「あ、パス変えとかなあかんで、えーと設定から、変更っと、ほいどーぞ」
「そのままでええやろ、覚えられる気せえへんわ」
「いやあかんやろ。バイト中とかロッカー置きっぱになるんやから危ないで、なんでもええから、あ、誕生日以外な」
……やる前に封じてくんなや」
 スマホを受け取った盧笙が眉間にシワを寄せながら画面を睨みつける。デジタルと和解できていない男にはタッチの動作もまだ難しいらしい。そら昨日までポケベルやもんな、時代いっこ飛ばしとんねん。また腹の底から笑いが込み上がってきたところで、不意に盧笙が俺の目を見た。
「オマエ誕生日いつ?」
「へ? 10月31日やで。ハロウィ〜ンで葛飾北斎と一緒」
「なんのプチ情報やねんいらんわ」
「スマホではウィキペディアっちゅー便利なサイトが見られんねん! 北斎が生まれた日だけにアホくさい、て誰がアホやねん〜って、え、なに?」
 盧笙の指がたどたどしく画面を数度タップした。確認画面でもう一度入力した数値は1.0.3.1。俺の誕生日を入れてピカピカのスマホは設定を完了する。
「これでええやろ」
「え、ええけど、なんで俺の誕生日? てか俺に見せてええんそれ?」
「? やってもし忘れてもお前に聞けるやん。便利やろ」
 盧笙がまたドヤ顔で満足げに笑う。パスワードってそういうものやったっけ。盧笙はいつでも俺の常識の外側にいて、ぶっ飛んだ視点は他にない宝物だ。この簓さんを沈黙させるなんて中々の男やで、ほんま。
「俺な、お前と組んでほんま良かったわ」
「おん? おお、そうか」
 食いつなぐためのバイトの隙間でネタを作るような不安定な生活だ。盧笙は親との約束とかで大学にも通っているので、合わせられる時間も限られている。一生懸命やったネタもNOCの講師にはけちょんけちょんに貶されて、未来なんて全然見えない。だけど盧笙と二人ならこの厳しいお笑い業界のテッペンに登ることができる。確かにそんな予感がしていた。
「よっしゃ! なあ、ちゃんと覚えとるかテストや、もっかいパス入れて」
「さすがに覚えとるわ、1.0.3.1……あ」
「ええやんええやん、ちなみに誕生日プレゼントは高級車でええで?」
「いや免許持ってへんやろ! やなくてこれ、お前の誕生日」
 盧笙がせっかくロック解除したスマホを投げ出して、目の前にあったチラシの裏にサラサラと数字を書きつける。俺の書き殴りのギャグと落書きの横に、整った数字が四つ並んだ。
「ほら、テン、サ、イで天才の日やん。ホクサイの日よりテンサイの日て言うた方がオモロない? 笑いの天才ですーって、マクラにも使えるかもやし」
 1 0 3 1 、これまでの18年で何度も見てきたはずの数字だ。だけど紙の上に並ぶ数字は、昨日より少しだけ特別な意味を持った。
「言い過ぎやろ、まだひよっこのNOC生が」
「ふは、確かに。お前は災害の方の天災のが合うとるかもな」
「なに〜!? 天災の天才は今年でTEN歳になります〜甜菜食うて転載しとけ〜いうて」
「いや何言うとるかわからんねん、漢字で喋んなや」
「うはは、なにそのツッコミ、はじめましてや!」

 そして日が暮れるまでくだらない話をしながらネタを考えた。あの頃は当たり前だった日常の、ほんのひとコマのことだ。後にガッコのセンセーになるような男が、毎日使うスマホの、ほんの四桁しかないパスを忘れるわけもなく、それから解散するまで一度もその数字を聞かれることはなかった。



 ロック画面はいつの間にか真っ暗に戻っている。もう一度電源ボタンを押した指には笑えるくらい力が入らなかった。手の中にあるスマホは、当然八年前に買ったものではない。無骨な革のケースに収められた画面はあの頃よりひと回り大きくて、盧笙の手にちょうどいいサイズになった。PCのひとつも持っていなかった盧笙は、今では毎日のように画面とにらめっこしながら仕事の準備をしている。
 だからそんなわけはない、心の中で呟きながら冷たくなった指先で1.0.3.1のナンバーを入力する。
「あ……
 何度も後ろから覗き込んだことのあるシンプルなホーム画面が6インチのガラスに映る。肺の奥から息が漏れ、引き攣ったような笑いに変わった。なんでやねん、なんやねんコイツ。
「開いたかい?」
「おん……ま、たまたまな」
 零は俺の様子がおかしくなったことを詳しくは聞かず、日本酒の入ったグラスを傾けた。
 盧笙とコンビを組んでいたのは、たった三年くらいのことだ。解散してからもう五年も経った。隣にいない男の誕生日をスマホに打ち込むたびに、盧笙が何を思っていたのかなんて俺にはわからない。ただ慣れた数字を変えたくなかっただけかもしれないし、そう考える方が自然だろう。
 最低限の荷物だけを貸し倉庫に残して大阪を発った朝、使う予定もない鍵をリュックのポケットに忍ばせた俺と同じ気持ちであるはずはないのだ。わかっていてなお、胸のいちばん底のところに押し込めたはずの思いのカケラがざわつき始める。盧笙の隣にいるために押し殺していくと決めたソレが、出してくれと悲鳴を上げる。

 ちゃぶ台に突っ伏してスピスピと平和な寝息をたてる盧笙に目をやる。頭の上に追いやられている大きな丸眼鏡、二人で何度も打ち合わせをしたこの部屋、そしてスマホのパスワード。何もかもが変わってしまった世界で、変わらなかったものがここにはまだ残っている。ひとつ息を吐いて、零のスマホからQRコードを読み取った。
「これバレたら盧笙怒るんかな」
「怒るだろうな、三秒怒ってまあええわって言うだろ」
「うわっ、まんまソーゾーできるわ、見てきた気ぃする」
 零の開発したアプリは数秒でダウンロードを終え、ホーム画面に地味なアイコンが一つ増えた。教えてもらいながら、俺のスマホとの連携もほんの数分で完了する。
 インストールしたアプリのアイコンを、使ってなさそうなフォルダの奥にまたフォルダを作って何重にも封じていった。そう、モノを隠すのはヌルサラの得意とするところなのだ。

「よっしゃできた! なあ零も入れようや、ワルモノに攫われても俺らが迎えに行ってやんで?」
「はっはっは、入れるのはいいけどよぉ、おいちゃんのスマホのGPS物理的に破壊してあっから使えねえんだわ」
「なんそれこっわ、てかマップ使えんくて不便やん」
「そらもうおいちゃんの頭の中には日本地図がインストールされてっからな」
「にゃはは、逆にめっちゃアナログや! 大変でんな〜詐欺師っちゅう仕事も」
 大笑いしながら、ぬるくなってきたビールの缶を持ち上げて零のグラスにガチンと打ち付けた。音に反応したのか盧笙がむにゃむにゃとわけのわからない寝言を発して、また二人で笑った。
 飲み干したビールの炭酸は悪さをしている間にとっくに抜けて、ただの苦い水のようになっていた。弾け飛んだ炭酸は元には戻らない。だけどこれから新しく紡いでいけばいい。今度は消えない、強い絆を、零と盧笙と三人で。だからこの思いのカケラは、胸のフォルダの一番奥に隠したままでいよう。
「ありがとな、零」
「いいってことよ、おいちゃんは広告収入で儲けさせてもらうからよ」
「いやそこは課金させろや、ヌルサラさんのリンゴカードが火ぃ吹くで!」

 それぞれの想いを包み込んでオオサカの夜は更けていく。気持ちを閉じ込めたはずの胸の奥が、盧笙の馬鹿力でこじ開けられることになるのは、まだ先の話だ。