tokanon
2026-02-17 18:25:59
3753文字
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簓くん(24)と左馬刻の話(非CP) ろささ未満

生産ラインろささ注意

「シにきれてへんねんな〜俺」
「あ?」

 見るともなしに眺めていたニュース番組は終わり、テレビの画面は古い洋画に変わっていた。荒い画質のなか、どこの国だかわからない暖炉の部屋で夫を亡くした女性が黒い喪服を着て嘆いているらしい。
 辛気臭い映画だ。こんな深夜の衛星局、どうせ誰も見ちゃいないことを前提に組まれたプログラム。字幕を追う気もなくタバコに火をつけた。隣でカラリと氷が転がる音がする。細い喉に吸い込まれていく琥珀色の液体は、面倒を見てやっているクラブの雇われ店長から手土産に渡されたウイスキーだ。大して高価なものでもないのに、店で出せば原価の何倍もの価格で消費されていく。

「未亡人ってさあ、未だ亡くなってない人って書くやん。あれな、むかーし昔夫に先立たれた妻は、後を追うべきみたいな時代があったんやて。死ぬべきなのに死んでへんから未亡人」
「はっ、時代錯誤も極まってんな」

 少し前にヒプノシスマイクなんて兵器を使って、言の葉党とかいう団体が起こしたクーデターは、たちまちにこの日本を支配した。H法が成立し、男の税金は女の十倍なんてイカれたルールまで制定された。女が作った女のための法律に基づいて国が運営される。法律ができたってこの世から暴力が消えるわけもない。くだらねぇ悪法は、それでも法として男を締め付ける。

「なー、やからこんな時代になる前からテレビやと禁止ワードやねん。ナマ放送でポロッと言おうもんなら次から出禁やわ」
……めんどくせぇもんだな、テレビってのは」
「にゃはは、アイツとおんなじこと言うとる、やっぱ似とるわ」

 一人しか思い当たるところのない『アイツ』だかと比較されたことに僅かな苛つきを感じながらタバコを咥え、ウイスキーのボトルを開けた。溶けかけた氷だけになっていた自分のグラスに酒を注ぎ、ついでに隣のグラスに残りを流し込めば、半分以上はあったはずのボトルはすっかりカラになっていた。普段は飲みすぎることのない簓が今日はもうずいぶん飲んでいる。理由はきっと昼間の一件だ。

 対立するチームとのいざこざに巻き込まれて、舎弟の一人が怪我をした。アバラを二、三本折っただけで命に関わるような怪我ではない。マイク片手に乗り込んで行ってしっかりカタもつけた。それでも簓はこうした荒事の後にはアルコールの量が増える。
 ひとたびマイクを握れば軽妙なリリックで敵を正確に撃ち落とす痩躯は、俺と組むようになった今でも、あくまで争いごとを好まない。人の痛みを他人の事として切り離せないから、心の痛みに麻酔をかけるように酒を飲むのだろう。そういうところに今更ながらに生きてきた環境の違いを思う。

「“どついたれ本舗”がのうなったときにな、コンビ漫才師としての俺もシぬべきやったんかもしれんて最近思うねん」
 グラスの中の氷をカラカラ転がしながら簓が呟く。
「いろんな奴らに声かけられたけどな、結局盧笙以外に組みたいやつなんかおらへんかったし」
「一人でも充分やれてたんだろ、おめーならよ」
「どっきーん! サマトキサマがそんなに俺のお笑いのこと買うてくれてたやなんて、ササラサン感動して涙ちょちょぎれてまうわ、ビールもう一缶どう? なんて、感動だけに」
「調子乗んなダボが、つまんねーんだよ」
 ケタケタ笑いながら簓はまたグラスを傾けた。小さくなってしまった氷まで口に含み、ガリガリと音を立てて噛み下す。
「実際結構頑張ってんで? ネタ作りからベシャリの間ぁからコンビとピンでは全然ちゃうし。まあ簓さんは天才芸人やからなんてことはなかったけどな!」

 俺の生きてきた世界に、笑いの要素なんてなかった。テレビに夢中になるのは暇な奴だけだと思ってきたし、くだらねぇと今も思っている。こいつが真剣に戦ってきた世界のことを俺はひとつも知らない。簓もただ喋りたいだけで、俺に口を出して欲しいわけではないだろう。黙ったまま短くなってきたタバコを捨て、新しいタバコに火をつける。

「ヌルサラもコンビの時は良かったけどピンになったら全然あかんなってなったら盧笙が気にするやん? ピンで優勝したからな、あれで盧笙も安心したやろ」
……ロショーとは連絡とってねえのかよ」
「ピンで優勝した日にな、おめでとうってLINE来てたわ」

 よかったじゃねえか、そう言おうとした唇が動かなかったのは、簓の顔がひどく硬く見えたからだ。

「ほんでその日にブロックした」

 一瞬だけ強張った顔は、すぐにまたヘラヘラとした笑みを浮かべる。間接照明だけが暖色に光る部屋で、テレビのチカチカと切り替わる画面に生白い頬と、ソファの背に打ち捨てられた真っ青なスーツがぼんやり照らされて浮いていた。

「あかんかってんな〜なんやそのままにしとったらいらんこと言う気しかせえへんかった。なんやねんおめでとうって、他人事かいって、そらもう盧笙にとって俺は当然他人やのにな」
 饒舌なのは普段と変わらないが、簓がこんなふうに自分の心の裡を話すのはひどく珍しい。アルコールに気が緩んだのか、俺に気を許したのか、その両方なのか。

「嫌われとうなくて解散の理由も聞かへんかったのに、嫌われとりもせんくて凹んでんな、勝手なもんやわ。嫌いな奴のことって忘れられへんやん、何ならそっちの方が良かったのに」
 ふひひ、と笑いながらまた琥珀色の液体が喉に吸い込まれていく。結露したグラスから雫がひとつ、ソファの革に落ちた。
「せやから死にきれんかった俺は相方探してはるばる東京まで来てまったいうわけやな、未亡人やで、エロいやろコンビ漫才の未亡人」
「どこにエロの要素あんだてめえのニヤケヅラによ」
「なはは、おっしゃるとーり!」
 テーブルの上に投げ出されていた箱を簓が手に取った。俺は吸わない細身のメンソールは、女とも違う骨ばった指に妙にしっくり映える。ライターを探して迷った右手は、すぐに諦めてソファに戻る。
「わるい、火ぃ貸して」
……ん」
 いつのまにかぶら下がっていた灰をトレイに落とし、指先でタバコを挟んで顔を近づける。軽く息を吹いてやれば、触れ合ったタバコの先端で赤い火がぱちりと爆ぜた。決して触れない10cmばかりの距離で、二人の息が混ざる。

「ふはー、ありがとさん。お前から火ぃ貰うとなんやタバコ苦なるんよな、なんでやろ」
「知らねえわ、オマエのダイガクセーのお友達にでも聞けや」
「おん、ブロック解除して聞くか? ええな、大阪から飛んできてぶん殴られそうやわ。手ぇ早いとこもオマエと一緒」

 簓が笑うと、空気が揺れる。吐いた息からきついメンソールの混ざったタールの匂いが鼻をつく。
「左馬刻見つけた時はコイツや〜って思うてんけどな」
「やんねえぞ、漫才は」
「へーへー、もう諦めたわ。まあサマトキサマが相方引き受けてくれんねやったらいつでもコンビ漫才師で復帰しますけど」
 二人分の煙で画面がぼやける。テレビの中でさっきまで泣いていたはずの未亡人は、いつしか別の男とまた辛気臭いベッドシーンを繰り広げていた。
「相方は見つからんかったけど、左馬刻らに会えてオモロい経験いっぱいさせてもろたからな! もっとオモロなってな、無敵の簓さんになって、そしたらちゃんと未亡人の俺も成仏できる気ぃする」

 いつの間にかするりと懐に潜り込んできたこの男の目は、俺と同じ未来を見てはいない。この時間も、昼間のケンカも、ヒプノシスマイクでのバトルだっていつか勝手に自分の中で昇華して、全てを笑いに変えてしまうのだろう。そのとき隣にいるのはもう、俺ではない。

「コンビ芸人の俺が死んでも、芸人白膠木簓は死なへんで! パワーアップしすぎてそのうちコンビ通り越してトリオでも組んどるかもしれんわ」
「はっ、相方一人見つかんねえのにどっから二人調達してくんだよ」
「それはアレやん、何かの縁があるかもしれんやん! 俺の人生を変えられんのは俺だけや! まだまだ諦めへんで〜」

 半分ほど残ったタバコを灰皿に押し付けて、簓は俺の右肩に寄りかかるように頭を乗せた。緑の髪からはタールとアルコールの匂いに混ざって安物のシャンプーがふわりと香る。ひよひよ揺れるアホ毛を焦がさないように俺も左手を伸ばしてタバコをトレイに載せた。

 顔すら知らないロショーとかいう奴のことを、俺に似ていると簓は言う。生まれた場所や環境が違えば、隣に並んでこいつと夢なんてモンを追いかける世界もどこかにあったのだろうか。派手なスーツを着て舞台に立ち、簓の隣で客の笑いを取る。一瞬だけその姿を想像して、くだらなさに肺から息が漏れた。
 Life is not fair. 考えるまでもねえ。俺は俺としてしか生きられない。別の場所から来て、別の場所に向かう二人の道が、たまたま一瞬交わっただけだ。残された方が後を追うような時代でもない。いずれ離れる二人の道は、それでも縁があればまた交わることだってあるだろう。

 いつの間にか肩に乗った小さな頭は静かな寝息を立て始めていた。起こさぬようにつまらねぇテレビの電源を切って、グラスに残ったウイスキーを煽った。