朝の風景シリーズ S▲▽ver.
※捏造過多(特に幼少期)(過去の▲に恋愛経験があったような匂わせも含みます)
※無自覚にお互いを世界一好き合ってる▲▽(付き合ってない)
友情出演:ホワイトちゃん社長
おそろいのたんこぶ作ったり焦げた方の目玉焼き押し付けたりシャンデラが生気吸ってたり。
休み明けの朝、双子の弟が起きてこない。これまでに何度もあったトラブルだ。対処法ならマニュアルを読まずとも分かる。別にまだそこまで焦る時間ではないが、弟が焦らないぶん自分が焦らないといけないような気がしてくる。同じ職場で働いている以上どんな理由があったとしても弟を置いていくわけにいかないので、ノボリは意を決して弟・クダリの寝室へと繋がるドアをノックた。
「クダリ、もう朝ですよ。まだ寝ているのですか?」
案の定ドアの向こうから返事は返ってこなかった。困った弟だ。溜息を吐いて、ノボリがドアを開ける。寝室は静まり返っていて、その中央に位置しているベッドまで近づくとクダリがスヤスヤと寝息を立てていた。二人で決めた起床時間から、もう10分は経過してしまっている。アラームをかけ忘れたのだろうか? いや、クダリのことだから、アラームを止めてそのまま二度寝を決め込んでいる可能性も否定出来ない。
「クダ──」
布団を肩まで被り、憎たらしいほどよく眠っているクダリの顔を、ノボリが上から覗き込んで起こそうとしたその時だった。眠っていたはずのクダリが突然目をかっ開いた。ノボリの気配に気付いたのか、実はちょっと前から起きていたのかはクダリ本人にしか分からないが、とにかくクダリはノボリと目が合っているのにも拘わらず、目が覚めたのと同時に上半身を起こしたのだ。あまりに突然だったので、それを避ける術をノボリは持たなかった。ゴツンッ! 鈍い音が響く。二人の額はぶち当たった。一瞬暗くなったノボリの目の前でバチッと星が弾け飛ぶ。ノボリは目を固く閉じたままクダリのベッドに両手をついて、体を支える。痛い。どこの世界に朝から弟に頭突きをされる兄がいると言うのか。これが朝の挨拶代わりだと言うのなら物騒すぎる。この石頭がと文句を言いそうになるのをノボリは堪えた。悪気はなく、タイミングだけが悪く、結果的にノボリへ渾身の頭突きをお見舞いしてしまったクダリは、真っ赤になった額を擦りながらノボリへ痛みを訴えた。
「あのねノボリ、痛い」
「……それはこっちのセリフです……」
「ここぼくの部屋だけど、なにしてるの」
「何してるも何も……クダリが全く起きてこないので、起こしに来たんですよ」
「あのね、もうちょっとしたら起きようと思ってたし、ノボリが来なかったらおでこぶつけることもなかったよ」
「はあ、そうですか。では早く起きてください」
ベッドの上でうだうだしているクダリに慣れた様子で、ノボリは朝の支度を促す。クダリはやれば何でも出来る天才肌の人間なのに、何事もスイッチが入るまでが遅い。そのスイッチを押すのが昔からノボリの役目でもあった。朝っぱらから一悶着ありつつ、微妙な空気にもなりつつ、なんとか喧嘩までは行かずに二人で洗面所まで向かう。
ピカピカに磨かれた鏡を見ると、額を赤くした同じ顔が映っていた。二人で同じ位置にたんこぶを作って出勤したら、ギアステーションの駅員たちに笑われるに決まっている。ボスたち、いくら仲が良いからってたんこぶまでお揃いにしなくたって良いじゃないですか! そんなふうに言われる。絶対に言われる。想像すると額だけじゃなくて頭まで痛くなってきた。確かに双子揃って同じ家に住んで、同じところに就職して、しかも同じ役職に就くのは、何も事情を知らない人たちから見たら仲が良すぎるのかもしれない。
夜も光り輝く娯楽の街・ライモンシティに出来たばかりの新しい商業施設、バトルサブウェイ。地元ではバトル狂いの双子としてちょっとした有名人だった二人の元へ、ライモンシティの市長から突然手紙が届いたのが三年前。そこからあれよあれよという間に新しい施設への就職が決まり、実家を出て二人暮らしすることも決まり、施設の最高責任者である“サブウェイマスター”として毎日電車に乗り込んでは、車掌の業務をこなしたり挑戦者とポケモン勝負をして過ごしている。ただノボリが言いたいのは、仲が良いから、二人揃って今も同じ職場で働いているというわけではない。たまたまあの辺の誰よりポケモン勝負が強かったから、二人揃ってライモンシティの市長の目に留まって選ばれただけの話だ。そうに決まっている。自分はともかく、小さい頃から突拍子もない行動ばかり取る宇宙人みたいな弟が、双子の間にある絆とやらを感じ取っているわけがないのだから。
(万が一、クダリがわたくしのことを“仲の良い兄弟”だと思っているとするのなら、先程の件について謝罪の一つや二つあったって良いでしょう)
さっきクダリに思い切り頭をぶつけられた衝撃が長引いているのか、いつもならいちいち考え込まないようなくだらないことまで、ノボリの頭の中を占拠していた。べつにノボリはクダリに謝罪してほしいわけではないのに。ただ、その赤くなった額を素直に心配させてくれないクダリの生意気な言動に、ほんの少し腹を立てているのだ。確かに、もう社会人三年目になるのだから寝坊なんてしないだろうとクダリを信じて、先にノボリ一人で朝の支度を進めていれば、二人が額をぶつけ合うこともなかっただろう。でも、だからって、なんだか腑に落ちない。信じると言えば聞こえは良いが、それはつまり、どこかで関わることを諦めているのと一緒ではないのか? ノボリはいつも以上に仏頂面で洗顔を終える。隣では既にクダリが歯磨きをしていた。なぜか異常に口元を泡でモコモコさせていたので、ノボリは二度見する。
「おぉ!?」
「みてのほり、はふるこうへん」
なにがどうしてこうなった。原因を確かめようとノボリが洗面所のあちこちに視線を向けると、蓋が開いた洗顔料が転がっていた。それを素早く手に取って蓋をしながらノボリがクダリに問い詰める。
「クダリ! 歯磨き粉ではなく洗顔料を使いましたね!?」
「そうはも、にあい」
「お前らしくないヘマをして! 早く口を濯ぎなさい!」
急いでコップに水を入れて差し出してやると、クダリがそれでブクブクと口の中を洗ってから洗面台にぺっと吐き出す。うがいを一回だけで済ませようとしていたので、ノボリが何回か繰り返させた。まるで幼児の面倒を見ている気分になるのは、何もこれが初めてではない。気まぐれで、小生意気で、人を振り回すことに何の抵抗もないクダリは、子供よりも厄介な存在だ。しかしクダリはポケモンバトルにおいても日常生活においても、些細な失敗をするようなタイプではないので、ちょっとした違和感をノボリは覚える。単純に頭の回転が早く、視野が広いのだ。シングルバトルよりも臨機応変な対応を求められる場面が多い、複雑なダブルバトルを得意としているのは、その為でもある。
「はー、しぬかと思った」
泡を全部吐き出して口の中がスッキリしたクダリは、ノボリの心情なんて知らんぷりで濡れた口元をタオルでごしごし拭いている。洗顔料の泡を飲み込んでいないことを祈るばかりだ。これでやっと落ち着いて自分も歯磨きが出来ると、ノボリは自分の歯ブラシを手に取った。
「朝から驚かせないでくださいまし……」
「あのね、ごめんねノボリ」
「本当にそう思っているのなら普段からもっと……」
そう途中まで口にして、ノボリは目を見開いて動きを止める。信じられない単語が聞こえた気がする。いま、弟はなんと? 勢いよくノボリが隣に顔を向けるが、用が済んだクダリはさっさと洗面所を後にしていた。ドアを開けっ放しにしたまま、スタスタと廊下を突き進む背中をノボリが呼び止める暇もなかった。
(もしかして、ずっと私に謝ろうと……?)
歯磨き粉と洗顔料を間違えるなんてクダリらしくもない間抜けなヘマをしたのは、今朝の頭突きの件をクダリなりに気にしていたからかもしれない。ノボリが顔を洗いながら悶々と考え込んでいたように、その隣でクダリもまた悶々と考え込んでいたとするならば。
(……あのクダリが?)
兄のことなど、生まれた時から一緒にいる自分に顔のよく似た男くらいにしか思っていなさそうな、良く言えば自由奔放、悪く言えば傍若無人を地で行くような弟が?
にわかには信じ難いが、クダリの心にも少しずつ変化が起きているのかもしれない。なんせ二人でサブウェイマスターになってからというもの、昔より遥かに関わる人が増えた。その分周囲に迷惑をかけることも増えたし、クダリの歯に衣着せぬ物言いが原因で起こった揉め事の尻拭いに、ノボリが走らされることも増えたけれど。毎日やって来る知らない人とのポケモン勝負が、クダリに何かしら影響を与えているのは確かだ。クダリだけではなく、これまで狭い世界にいたノボリにとっても新たな刺激となった。
ノボリはどこか夢心地で歯を磨きながら、鏡に映る自分の顔をジッと見つめる。額はまだ赤いし、何ならちょっと腫れてきた気もするが、悪くない。むしろ痛みさえ愛おしく思えてきた。どうせ勤務中は制帽を深く被ることだし、よく考えたら誰にもバレないではないか。たんこぶまでお揃いで仲良いですね、なんて駅員に笑われることもない。たとえバレて笑われたとて、それがどうしたと言うのだろう。不快に思わないし、胸を張ってそうだろうと自慢してやれば良い。さっきまで後ろ向きな思考だったのが、どんどん前向きに変わっていって、ノボリは早くクダリの為に朝食を作ってやろうと口を濯いだ。
キッチンで朝食を作るノボリの後ろでは、未だパジャマ姿のクダリが床に座り込みながらポケモンたちと戯れていた。家を出るまであと1時間もない。クダリは一度何かに集中すると時間を忘れる傾向にあった。いつもならもう着替えまでは済ませていると言うのに、今日のクダリはやっぱり、どこか少しおかしい気がする。クダリに関するノボリの予感は8割当たる。流石に注意しないとまずい。目玉焼きを焼いている最中だったノボリは、フライパンに蓋をしてからクダリのもとへ向かった。一体この短い時間の中で何があったのか、アイアントに伸し掛られて仰向けに倒れているクダリを見下ろしながら、エプロン姿のノボリが言葉を落とす。
「……何をしているんです、お前は」
「あのね、見て分からない? 遊んでる」
「見て分かるから訊いているんです。着替えもしないで遊んでばかりで何をしているんですか。今日は出勤日ですよ。早く着替えていらっしゃい」
ノボリの強めの語気に、このままふざけていてはいけないと先に察したアイアントが、クダリの上から退いて自らボールの中に戻った。ポケモンたちの方が実の弟より聞き分けが良いとはどういうことだ。クダリは上からアイアントが居なくなってからも床の上に大の字で寝っ転びながら、逆さの視界でノボリを見上げていた。そしてたった今思ったことをそのまま口にする。
「ノボリ、昔のお母さんみたいなこと言うね」
「…………」
クダリの悪気ゼロの言葉に、ノボリが分かりやすく顔を顰めた。未だにノボリの脳裏にこびり付いている、ある意味一種のトラウマのようなものが呼び起こされる。クダリが“昔の”と言ったのには理由がある。家で母がクダリを注意しなくなったのは、もうずっとずっと前の話だ。そっくりの双子を産んだはずなのに、母にとってクダリはノボリの数倍手のかかる子供だった。一秒でも目を離すと何処かへ消え、食べ物や物事に対する好き嫌いは激しく、誰に対してもクダリは好き勝手に振る舞う。父は元から仕事ばかりで育児に非協力的な人だったので当にならず、そのくせクダリがスクールで何か問題を起こすと母を叱った。最初の方こそ母は自由気ままなクダリと真正面から向き合っていたが、ある日を境にクダリと関わることをしなくなった。
ノボリは今でもしっかりと覚えている。怖い顔をした両親と、大粒の雨と、地面に投げ出された傘。そして、泥塗れのクダリ。どうして言うことを聞かないの、どうしていつも勝手なことばかりするの、どうして私の気持ちを分かってくれないの。まだ幼いクダリに向かって泣きじゃくる母のヒステリックな声が、このときノボリには酷く耳障りに聞こえた。クダリの将来を心配する気持ちよりも、クダリに対する不安や怒りが勝って、母もいっぱいいっぱいだったのだろう。叫び疲れた母は、大雨の中二人の息子を置いて、先に家へと帰って行った。父もそれを追い掛けた。突っ立ったままのクダリと目が合ったノボリは、このとき生まれて初めて、クダリが涙を流しているように見えた。それがただの雨だと分かっていても、ノボリはクダリのもとへ駆け寄らずにはいられなかった。いつもなら落ち着きなく、何か気になるものを見つけてすぐどこかへ行くクダリが、いつまで経ってもその場から動こうとしなかった。だからノボリがクダリの手を掴んで、強引に引っ張って、やっとの思いで家へと連れて帰ったのだ。繋いだクダリの手は機械みたいに冷たかった。もしかするとこの弟は、こうやって手を繋いでいなければ、いつか本当に手が届かないほど遠くへ行ってしまうかもしれない。そんな言いようのない恐怖に襲われた夜の静けさを、ノボリは大人になった今でも鮮明に思い出せる。
それから母はクダリの分の食事も用意するし、着る服やスクールへ通う為の学費も用意するものの、それ以外は何もしなくなった。会話も必要最低限のものだけ。まるでクダリのことなど見えていないみたいに、母はノボリにばかり目線を向けて話し掛ける。完全な放置まではいかなくとも、それは情緒的ネグレクトなのではないかと、成長するにつれてノボリはクダリが置かれている状況に危機感を持ち始めた。
早く弟を連れてこの家を出なければ。次第に大きくなっていくノボリのクダリへ対する様々な感情を後押しするかのように、例の新しいバトル施設開業の話が飛び込んできたわけだ。ライモンシティの市長からの誘いは、まさに千載一遇の好機だった。両親から怪しまれずに、兄弟だけで一緒に暮らす真っ当な理由を与えられたノボリの行動は早かった。
「あーあ、ノボリが黙り込んじゃった。ぼくのせいだね」
眉間に皺を寄せて難しい顔をするノボリを見上げていたクダリは、また今朝みたいに勢いをつけて上半身を起こした。本当に、全部お前のせいだ。そしてそんなお前のことがどうしようもなく大切で愛しくて仕方のない、自分のせいだ。ノボリは誰にも心の中を読まれないように、今日も無表情を貫いたまま背筋を伸ばす。対するクダリは床の上で座ったまま無駄に長い足を伸ばすと、身体を捻って振り返り、楽しげな笑みを浮かべながらノボリの背後を指差した。
「あのね、シャンデラがまたノボリの生気吸いに行ってるよ」
それを聞いてノボリは納得する。通りで寒気がすると思ったのだ。思考もどんよりと暗くなるわけである。振り返って確認すると、クダリが勝手にボールから出していたシャンデラが、まるで求愛行動みたいにノボリの背後で両腕の炎を怪しく揺らしていた。
「そこから見えていたのなら止めてください。お前もシャンデラのトレーナーでしょう。シャンデラ、わたくしから吸っても構いませんがその分クダリからも吸ってきなさい」
ノボリの的確且つ容赦のないな指示に、シャンデラは律儀に返事をすると今度はクダリのもとへフワフワと近付いた。優雅な鳴き声を上げながらやってきたシャンデラのことを一切嫌がらなかったクダリが、ノボリには威嚇するチョロネコみたいな表情を見せる。
「うわ。なんてこと言うの。ノボリさいてい」
「最低で結構。仮に私の寿命が5分減るとするのならば、クダリの寿命も5分減るべきでしょう。私どもは同じ日に産まれ、同じ時間を共に歩んでいるのですから、そうでないと不公平では?」
「あのね、ノボリ何言ってるのか全然わかんない。もっと分かりやすく言って」
「面倒になると思考を放棄するのはクダリの悪い癖ですよ」
「わかった、なんとかハラスメントだ」
「ハラ……、どこでそんな言葉を覚えてきたんです?」
この前ぼくのとこまで来たオタクっぽい見た目の挑戦者が言ってた、とクダリはケラケラ笑ってノボリに教えた。物凄い偏見に満ちた失礼な発言だが、クダリは思ったことをそのまま言っているだけで、そこには他意は無い。そして大抵の場合それは当たっている。だからこそ厄介ではあった。というか、一体この弟は挑戦者とどんな無駄話をしてるのだろう。それがノボリは無性に気になった。一応バトルサブウェイ用に運行している全列車の全車両に防犯用のカメラを設置してあるので、ギアステーション内にある管理室からリアルタイムで確認できるのだが、基本的にはITシステムに精通している駅員がそこの担当している。カメラの映像や音声に何か明確な問題があったときだけ、ノボリとクダリに報告が行くようになっていた。
(これからは私も手が空いたときに監視カメラの映像と音声を確認するようにしましょうか)
せめてクダリがポケモン勝負をする為にダブルトレインに乗っているときだけでも、この目で確認しておきたい。駅員の温情で見逃されている、クダリのあまりよろしくない行動が見つかるかもしれない。ひっそりと決意したノボリは、再びクダリに視線を落とした。どうやらクダリは、本当にノボリから吸い取った分と同じだけの生気をシャンデラにあげようとしてるのか、その場に座ったままで1ミリも移動していなかった。
「あのね、なんか手伝うことある?」
上目遣いのクダリがいつになく可愛らしいことを訊ねてくるので、ノボリは真顔のまま鼓動だけを速めた。ドキドキか、キュンキュンか、或いはハラハラ、ひょっとしてゾクゾク、もしかしたらそれらの擬態語全てが一つになった忙しい感情が、ノボリの胸の真ん中を支配する。そのことにこの白い生き物は気付いているのか、それが分かれば苦労しない。
「……そのパジャマを脱いで、洗濯機の中に入れて、いつでも出れるように着替えて、すぐに戻ってくるだけで良いです」
「そんなことでいいの」
「そんなことで良いんです。もう時間もあまりありませんから、急いでください。サブウェイマスターが遅刻なんて、周りに示しがつきませんよ」
ポケモンたちはわたくしがボールに戻しておきますので、とノボリが言葉を付け加える。漸くやる気が出たのか立ち上がってリビングを出て行こうとするクダリが、突然目を細めて鼻をスンと鳴らした。
「あのねノボリ」
「今度はなんですか」
「なんか焦げ臭い」
自分の鼻を摘むクダリの指摘でノボリは思い出した。そうだ、目玉焼きを焼いている途中だった。ついうっかり、クダリと話し込んでいるうちに忘れていた。どうしていつも自分は肝心なところでヘマをするのか。ノボリは焦りに身を任せて走り出す。慌ててキッチンへと戻るノボリについて行って、その背中から顔を出すようにして手元を覗き込んだクダリが一言。
「焦げた方ノボリにしてね」
「ぐっ……」
ノボリもクダリも、目玉焼きは半熟派だ。真ん中のトロトロでプルプルな黄身が崩れないように注意しながら、周りの白身を食べ進めていくのが良い。だけどノボリはお兄ちゃんなので、上手く焼けた方を弟のクダリにあげるしかないのだった。
▲▽
クダリは焼けたトーストの上に半熟の目玉焼きを乗せて、更にそこにマヨネーズをかけて食べるのが好きだ。ノボリにはまったくもって理解出来ない食べ方だが、何かこだわりでもあるのか、絶対にこれが良いらしい。今日も今日とてトーストの上に目玉焼きを乗せると、大きな口を開けてそれにかぶりつく。そのすぐそばには、もはや牛乳と呼んでも差し支えないミルクコーヒーがある。コーヒーの自我など既に消滅しているであろうほぼ白い液体に、トドメを刺すみたいにして、クダリはこれでもかと角砂糖をボトボト落としていた。見兼ねたノボリが角砂糖5つ目あたりでやめさせた。さらに猫舌なので、出来上がった熱々のミルクコーヒーに氷を入れてぬるくするのがクダリ流の飲み方だった。一度熱々の飲み物で舌を火傷したことがあるので、それが若干トラウマになっているのだろう。ノボリはと言うと、こっちはこっちでミルクの自我など始めから存在していない、苦味が癖になるブラックコーヒーを飲む。ノボリもクダリと同じく猫舌だけれど、流石に氷で味を薄めてまで冷ましたいとは思わない。いつ見ても理解し難いクダリの朝食の風景を眺めながら、ノボリは焼き過ぎて白身の部分がちょっと茶色く焦げてしまった目玉焼きにソースを垂らした。朝食を食べる前にクダリが電源をつけたテレビから、何やら楽しげな声と音楽が聞こえてくる。
『私は今、ライモンシティの観光名所、ミュージカルホールまで来ています! どこを見ても素敵なお洋服を着たポケモンたちでいっぱいです! それでは早速来場者10万人目となる、ラッキーなお客様にインタビューしてみましょう!』
口元を目玉焼きの黄身とマヨネーズで汚すクダリがテレビの方に顔を向けると、画面にはマイクを向けられている少女の姿があった。どうやらこのミュージカルホールの舞台に自分のポケモンを立たせたくて、遥々カロス地方からやって来たらしい。
「じゅうまんにんめだって、すごいね」
テレビを見ながらクダリが言う。珍しくクダリがポケモン勝負以外のことに興味を示した上に毒を吐かなかったので、ノボリは軽く目を見張った。雨が降ったらどうしようかと、しなくても良い心配もする。
「そうですね。バトル一筋の私どもとは縁のない世界ですが、人々を惹き付けてやまない魅力があるのでしょう」
記念すべき10万人目の来場者となった少女へのインタビューが終わると、今度はどこかで見覚えのある少女の顔が画面に映し出された。すぐそばのテロップには“BWエージェンシー”と文字が表示されている。
「あ!」
「む」
テレビを見ていたノボリとクダリが、食べる手を止めて同時に短い声を発する。かつてバトルサブウェイが施設として正式にオープンする前、試運転中に列車の中で戦ったポニーテールの少女の姿が今、ハッキリと二人の脳裏に浮かび上がったからだ。脳内の共有でもしているのかと思うくらい同時だった。
「あのね、覚えてる。バトルがびっくりするくらい弱かったけど、最後はノボリを出し抜いた面白いトレーナー!」
「クダリが人の顔を覚えているなんて珍しい。確かにホワイトさんですね。お元気そうで何よりです」
「いいな、楽しそう。ぼくもテレビ出たい。バトルサブウェイにもテレビのひと呼んだら来てくれるかな」
「うちはうち、よそはよそです。どうせろくなことになりませんから、絶対に呼びません」
「ノボリのケチ」
「何とでもどうぞ」
口も悪ければ足癖も悪いクダリがテーブルの下で脛を蹴ってきたが、痛くも痒くもないノボリは涼しげな表情を変えずにブラックコーヒーに口をつける。生まれたときから一緒にいるのだから、クダリの毒舌にも慣れたものだ。そんなノボリの余裕な態度に内心ムッとしたのか、クダリは笑みを作ったままの口を結んで数秒黙った後、やり口を変えた。
「ノボリの初恋のひとはエレメンタリースクールにいた年上の……」
「クダリ。クダリお前。言って良いことと悪いことがありますよ」
割と大声であまり掘り返したくない過去をベラベラと喋り出そうとするクダリを、ノボリはすかさず止める。ノボリがクダリのことを(考えていること以外)なんでも知っているように、クダリもまたノボリの趣味嗜好、好みのタイプから恋愛遍歴までなんでも知っている。幼少期から今に至るまで、ほとんど片時も離れずに一緒にいた弊害だ。クダリはケロッとした笑顔でわざとらしく首を傾げた。勝利の笑みのつもりか、まったく小憎たらしい。
「何とでもどーぞって言ったのノボリだよ」
「その愛らしい減らず口、今日こそ縫い合わせて差し上げます」
「あのね、痛そうだからやだ。暴力はんたーい」
なんとも言えない双子の不毛なやり取りが繰り広げられるそばでは、テレビに映っている大人びた表情のホワイトが、来場者10万人目の少女に何やら特別な記念グッズを手渡していた。これ以上クダリにペースを狂わされたくないノボリは、つけっぱなしのテレビの方に視線をやった。そういえばあのポケモンミュージカルを生み出したのも彼女だったかと、カミツレから聞いた話をノボリが振り返る。若くして会社を立ち上げ、どんな困難が待ち受けていようと自分の夢に向かって突き進み、やがて彼女はそれを立派に叶えたのだ。晴れやかな笑顔がそれを物語っている。地下鉄で働く自分たちも負けてはいられないなと、ノボリは闘志を燃やす。勝利の先にある、まだ見ぬ終点へ、いつか兄弟二人で辿り着く為に。
クダリが手に持っていたトーストから、すっかり形が崩れてどろどろになった黄身が、重力に従ってボトリと落ちた。それが視界の端に映ったノボリは再びクダリに視線を向ける。真っ白な皿が黄色く汚れている。余所見をしたまま食べるからだ。クダリはいつも、限りなく良い言い方をすれば芸術的な食べ方をするので、後片付けをする方は本当に大変だった。出勤前に着替えたばかりの服に飛ばないことだけを、ひとまずノボリは願いながら自分も食べ進める。妙にクダリが静かになったかと思えば、タチワキシティのポケウッドで撮影されたらしい映画のCMが流れていた。それが気になるのか、クダリは瞬きもしないでテレビを凝視している。たまごの黄身が皿の上にまた零れ落ちる。今のクダリには、もう映画のCMしか見えていない。さっきの不毛なやり取りだって、既にクダリの頭の中から抜け落ちていることだろう。
窮屈な実家を飛び出して、ライモンシティでサブウェイマスターになって、クダリが少しずつ良い方向に変わってきているのは事実だ。しかし幼い頃から周囲の人間を振り回してばかりいたクダリの本質は、きっと一生変わらない。それでも良いと、根元から変わる必要は全くないとノボリは思っている。何色にも染まることなく、いっそ残酷なまでに真っ白のままでいれば良い。いつもクダリが白い服を着てくれたから、いつだってノボリは黒い服を着ていられた。白は汚れが目立つからノボリはなるべく着たくないのだ。その点、黒はなんでも隠してくれる。汚れを気にする必要のないクダリは、白を纏ったまま笑っていてほしい。
「次の休日、映画でも見に行きますか」
本当に、無意識に。気が付けばノボリはそんなことを口走っていた。クダリはこっちを向いた。その双眸には、今度はノボリしか映っていない。さて、この気紛れな宇宙人みたいな弟はなんて答えるだろう。素直に行きたいと言うか、いきなり誘った理由を聞き出してくるか。一卵性の双子として二人で生まれたのに、ノボリはクダリの考えていることを完全には理解出来ないことの方が多い。だがそんなことは些細な問題だ。クダリはポケモン勝負が大好きで、特にダブルバトルが得意で、ノボリにとって唯一無二のこの世で最も大切な魂の片割れ。その揺るぎない事実さえあれば、ノボリがクダリを生涯愛することに、具体的で革命的で倫理的な理由など必要ない。後ろ指を指されようが、自分たちが納得して幸せなら、それ以上に望むことはない。
「あのね、ノボリ。ぼく遊園地の方がいい」
ノボリからのデートのお誘いに、クダリは相変わらず人を狂わせる笑顔で予想外の返事をした。成程、そう来たか。さっきまで映画のCMを食い入るように見てたのは何だったのか。またクダリの思考を読み取れず、潔く負けを認めたノボリは、今日の仕事終わりに遊園地のチケットを予約することをクダリに約束するのだった。
実際のところ、クダリはノボリと一緒ならどこだって良かった。だからこそクダリはノボリと共にサブウェイマスターをしているわけだが、それをノボリが知るのはもう少し先の話になる。
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