nekosuimidori
2026-04-20 19:13:25
8337文字
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バンク・ホリデー


 カーテンの隙間から朝日が漏れて、部屋を漂う埃を優しく照らす。情事の跡が幾つも残る体を気怠げに起こしてカーテンを開ければ、窓から覗く大きな木にココガラが数羽とまっているのが見えた。棚に置いてある餌を手に取り窓を開け、木製の吊るしの餌場にざらざらと流し込む。寄ってくるココガラ達は、慣れた様子で足場にとまり美味しそうにきのみが混じった餌を啄ばんでいく。
「美味い?」
 少し掠れた声で問いかける。元気に鳴き返されるその声に、キバナは嬉しそうに微笑んだ。


 キバナの自宅は、ナックルシティ中心部より外れた自然の多い場所にある。都市部にはあまり見かけないヒメンカもよく訪れるぐらいの空気や水が美しい土地に建てられた、石造りの一軒家。築百年近く、歴史を感じさせる風貌の家は元々牧場を経営する一家が暮らしていたらしい。その名残を感じさせる広大すぎる庭は家を買い取る際に幾分も手放したが、それでもまだ残る広い庭には草花が生え、それの蜜を集めるためにアブリー達がよく集まる。家のすぐ横を流れる小川にはウパーやドジョッチが泳いでいて、穏やかな姿は忙しい都市部とは対照的なゆっくりとした時の流れを感じさせた。
 キバナはナックルジムひいてはナックルシティを預かるジムリーダーという身分なのだから、本来であるならば中心部に家を設けたほうがいい。だが、キバナの相棒であるポケモン達は育成の難しいドラゴンタイプが中心である。彼らの育成には広い土地が必要だし、さらにその中には飼育に特殊免許を必要とするバクガメスもいる。誓って起こさせやしないが、もし町中で万が一の事があればキバナ以外にも犠牲者が出る事だって想像に難くないのだ。
 人の多い土地で暮らすのに向かないならば、郊外に出ればいい。ジムリーダーに就任し数年経った頃、キバナはナックルシティ中心部から現在の家に居を移した。


 皺の寄った部屋着を上だけ羽織り、クローゼットからシャツとスキニー、下着を取り出す。ベッド周りに落ちているぐしゃぐしゃになった昨夜の服を回収していると、ベッドの上の膨らんだシーツから覗くすみれ色の髪が目に入る。まだ当分起きそうもないそれに笑みをこぼすと、スリッパを引っ掛けてシャワーを浴びるために部屋を出た。
 年季の入った階段を降り、ダイニングキッチンにある洗濯機に服を放り込む。羽織っていた上着も忘れずに入れて、洗剤も適量入れればこれで準備は万端。洗濯開始のスイッチを押し、裏庭に出る扉に近い場所に構えた浴室に向かう。庭で軽いトレーニングやコミュニケーションをとっていれば泥だらけになることも多い。室内を汚さないよう、かつ手早く汚れを洗い流せるように、移り住む前のリフォームの際に水場をここに移したのだ。
 この跡着る予定の服を脱衣所に置いてある籠に入れ、大柄な相棒達も入れるように大きくとった浴室に足を踏み入れる。朝方はまだ冷えるこの季節の気温を、足の裏に触れるタイルが伝えてくるようだった。しんとした空気に身震いをすると、蛇口を捻る。以前出張で行ったことのあるホウエン地方やカントー地方とは違い、ガラルの蛇口からはすぐに丁度いい温度のお湯が出るということはあまりない。水とお湯の蛇口を捻って調節しながら、どうにか向こうの技術をこっちにも持ってこれないものかと独り言ちた。
 お気に入りのソープやシャンプー、コンディショナーを使って体を清めれば昨夜の残り香は綺麗に消える。タオルで体を拭って服を身につければ体に残った朱い跡や噛み跡も無かったように隠される。それをどことなく残念な気持ちになりながら浴室を後にした。
 ダイニングに戻り洗濯機を覗くと丁度終わったところだった。雨の多いガラルの貴重な晴れの日なのに、家の中に干すのは勿体ない。傍に重ねてある籠に取り出すと、小さいテラスと庭に続く大きい折戸を開ける。大きく開いた扉から草木の香りが乗った風が家の中を吹き抜け、滞った空気が消えていくようで心地が良い。スリッパのまま外に出て、テラスに付けられた物干しロープに洗濯物を掛けていく。良い天気だからきっとすぐに乾くだろうと、風にはためく服を見て満足げに笑った。
 開いた扉はそのままに、キバナはキッチンへと戻る。隣接するパントリーからポケモンフードとパン、卵とベイクドビーンズの缶を取り出す。それらは一旦キッチンに置き、ポケモン達の皿を持ってダイニングに並べる。フードを皿に盛り付けると、テーブルの横にあるボール置き場に声を掛けた。
「おーい、お前ら飯だぞ!」
 待ってましたと言わんばかりに一斉に出てくる最愛のポケモン達にキスをする。コータス、バクガメス、サダイジャ、フライゴンにギガイアス、ヌメルゴンにジュラルドン。それぞれに朝の挨拶をすると、嬉しそうに自分の皿の前に移動していった。
「さて、次は……リザードン、おはよう」
 順番待ちをしていた彼の鼻先に挨拶のキスをすると、グルルとご機嫌に喉が鳴る。リザードンを始め、ドラパルトやオノノクス、愛しい恋人の手持ち全員にキスをする。初めは気恥ずかしそうにしていたのに、今ではこぞってキバナに朝の挨拶をねだるようになっているのだから可愛いものだ。ギルガルドは渋々といった体を装っているが、キスをしなかった時の凄まじいいじけ具合は記憶に新しい。
「お前らのご主人まだ寝てるから、先に食べちゃいな」
 わかったと同意のひと鳴きをしたリザードンをきっかけに、ポケモン達は朝食を食べ始める。楽しそうな様子の相棒達に安心して、朝食を作りに戻る。
 ベイクドビーンズの缶を開け、戸棚から取り出した小鍋に入れる。弱火で火を通している間に別のものも作ろうと、冷蔵庫から取り出したのはブラックプディングとトマト、ソーセージ。トマトとブラックプディングを厚めに切って、空いているコンロの口に大きめのフライパンを乗せ、火を付ける。温まったところでオリーブオイルを垂らして馴染ませ、そこに切ったプディングとソーセージを入れて焼く。
「くるる」
「んー?なんだ、もう食べ終わった?」
 いつの間にか覗き込んでいたフライゴンは、興味深げにキバナの手元を見つめる。じゅうじゅうと焼ける音と匂いは食欲を誘う物だが、これはポケモンが食べられるようにはできていないものだ。ごめんな、お前らには食べさせられないんだよと言うと、残念そうな顔で擦り寄られた。今度一緒に食べられる食材を取り寄せてみるかと、心のメモに残しておく。
「食べ終わった奴から庭に出ていいぞ。せっかく良い天気なんだし遊んできな。ただし遠くには行かないこと!」
 声を掛ければ我先にと庭に向かう彼らが微笑ましい。バトルとなれば喰らい尽くさんと言わんばかりの激しい戦いを魅せる彼らだが、普段の彼らは共に遊び、駆け回るのが大好きなのだ。
 楽しげな声を聞きながら、火が通ったプディングとソーセージをそれぞれ別の皿にあける。オイルを少しだけ足すと、切っておいたトマトを追加で焼く。これは軽くソテーするぐらいでよく、両面に少し焼き目がついたぐらいで皿に移す。最後に卵は、自分用にサニーサイドアップ、もうそろそろ起きるであろう恋人にはターンオーバーを焼いておく。十分に温まったビーンズの鍋は火から下ろし、こちらも皿に盛り付ける。
「んー美味そう」
 我ながら良い出来だと鼻歌でも歌いながら皿とカトラリーをテーブルに運び、パンを食卓の上のトースターにセットした。古めのポップアップトースターはそろそろ寿命のようで、結構長く焼かないとしっかり焼き目がついてくれない。買い替え時だなと少し寂しい気持ちだ。
 時計を見ると八時を回ったところで、そろそろ彼が起き出す時間だ。ほうろう製のケトルに水を入れて強火で沸騰させる。シュンシュンと音が鳴ればそれが合図で、ミトンを嵌めてティーポットとカップに注ぐ。十分に温めてお湯を切り、二人分の茶葉をポットに入れると低い位置からポットにお湯を注ぐ。あとは一分ほど待つだけといったところで階段の軋む音が聞こえ、ダイニングキッチンに続く扉が開かれた。寝癖のついた紫髮は、まだ少し眠そうに目を擦っている。
「おはようキバナ。すまない、寝坊した」
「おはようダンデ。大丈夫、寝坊じゃないぜ」
「ん?でも君、ジムは……ああそうか、今日は休みか」
「そ、だから朝飯食ったら外でゆっくり過ごそうぜ」
 ポットとカップをテーブルに運び席に着く。向かいの席に座ったダンデに蒸らし終わった紅茶を注いで手渡す。
……うん、やっぱり君が淹れた紅茶が一番美味いな」
「秘書さんの前では絶対に言うなよ、それ」
 紅茶を一口含んで笑うダンデに一応釘を刺すが、嬉しくて若干顔がにやける。たとえ惚れた欲目でも、そう言われれば嬉しいものなのだ。
……キバナ、そろそろトースター買い換えるか?」
「おっ奇遇だな。オレ様もそう思ってたと、んッふ!」
 ダンデが一向に出てこないパンを覗き込むと、タイミングが良いか悪いか丁度出てきた熱々のトーストが飛び出し顔面に勢いよく当たった。
「っ〜……!笑わないでくれキバナ……!」
「ング、ふふ……っ!そんな奇跡的なタイミング、あるかあ?」
「今起きただろ、君の目の前で!」
「起きたけどお……!」
 手拭きを渡し、顔を拭うダンデにまた笑いそうになる。
「笑ってないで早く食べようぜ。せっかくの朝食が冷めるだろ」
「ふふ、はいはいりょーかい。食べちまおう」
 恥ずかしさを紛らわすようにソーセージにフォークを刺すダンデに続いて、キバナもブラックプディングを切り分け口に運ぶ。
「うん、良い焼き具合。オレ様やっぱり天才だわ」
「ソーセージもいい感じだぞ」
 一瞬で機嫌が直ってニコニコと笑うダンデの皿にはソーセージとターンオーバー。キバナの皿にはブラックプディングとサニーサイドアップが乗っている。最初は互いの好みで喧嘩したよなと遠い昔のように思い出した。特にブラックプディングはダンデは本当に食べることが無理らしく、初めてダンデに朝食を作ったときはものすごく渋い顔をされたものだ。
「だぁんで、美味い?」
「ん!美味いぜ!」
「ふふ、そりゃよかった」
 作る手間が思い切り変わるほどのものではないし、わざわざ苦手な物を食べて互いに不機嫌になるよりも、好きなものを美味しく食べてくれるのが一番だ。嬉しそうに料理を口に運ぶダンデを見ながら、しっかりと焼き目のついたトーストを手に取った。

 朝食を終えて食器を片付けると、身支度を整えに洗面所へ向かったダンデを見送り、冷めた紅茶にミルクを入れる。少しだけ渋いそれを飲みながら開いた戸から遊ぶ相棒達を眺めていると、あまりの穏やかさに時間を忘れてしまいそうだった。
「キバナ、待たせた」
 声をかけられ振り向くと、カジュアルな服装で身を包んだダンデが立っていた。
「お、いい男になったな。こりゃモテるわ」
「モテても意味ないぜ、君だけのいい男だからな」
「ふふ、確かに……っと、おーい、そろそろ戻ってこーい」
 遊びを中断して寄ってくる彼らをボールに戻し、ダンデとキバナはそれぞれ一つずつボールを持つと、それ以外を置き場に設置する。今日はバトルをする訳ではないから留守番だ。
「今度は一緒に出掛けような」
 揺れる相棒達に笑いかけると、折戸を閉めしっかり鍵を掛けて玄関に向かう。スタンドに掛けてあるボディバッグを身に付け靴を履いていると、結んでいた髪がはらりと解かれた。
「ちょっとダンデさーん?何すんのよ」
 訝しげに見上げると、少し気まずそうな顔が目に入る。一体どうしたのか、視線で説明を促すとダンデは言いづらそうに口を開いた。
……痕が、見えていたんだ」
「あとぉ?……ッ!」
 キバナは自分の顔に一瞬で熱が集まるのがわかった。思わず項を手で触れると、申し訳なさそうにダンデに謝られた。
「すまない……見えるところにはつけないように気を付けてはいたんだが……本当にすまない」
 しょぼくれた顔はキバナには効果抜群で、一言言おうとした勢いは削がれ仕方ないと溜め息をつく。
……髪下ろしてたら見えない?」
「見えないぜ」
「じゃあいいよ。次は気を付けてくれな」
 パッと明るくなるダンデに、本当に自分は甘いなと苦笑した。以前見えるところにはつけないことと約束はしたが、結局つけられたところでキバナはダンデを許すのだ。約束を忘れるくらいには自分に夢中なのだという満足感が、キバナの心を埋めてしまうのだから。
「ほら行くぞ」
「ああ!」
 玄関のドアを開け外に出る。玄関だけはオートロック式に替えてあるから鍵を掛け忘れる心配はない。
「フライゴン、よろしくな」
「頼んだ、リザードン!」
 ボールから再び出てきたのは翼を持つ相棒達。ガラルでは免許を持つ限られた人間しかポケモンに乗っての移動はできないが、二人は当然のようにそれらを所持するための試験をクリアしている。彼らは相棒であると同時に、日々を支えてくれる大切な足でもあるのだ。
「目的地はいつものマーケット。頼んだぜ」
 頼もしげに鳴く砂漠の精霊の背に乗るとダンデを振り返る。準備はできてると親指を立てる姿にニヤリと笑った。
「ちゃんとついて来いよ!」
 言葉を合図に二匹は力強く羽ばたいた。


 降り立ったのはナックルシティ近くの市場だった。普段は週末にしか開催しないが、今日は祝日ともあっていつもより気合が入っているように見える。
「人が多いな……本当に変装しなくて大丈夫なのか?」
「ん、ここは大丈夫だよ」
 ソワソワと落ち着きのないダンデに笑いかける。普段はキバナも知名度故に変装を余儀なくされているが、ここはそれをする必要はない。躊躇なく人混みに足を踏み入れる。生鮮食品、チーズやパン、ジャム、紅茶などの食品や各地方の料理、バトルや旅に使うアイテムなど様々なものが売られている。
……誰も話しかけてこないな」
「な?そういうとこなんだよ、ここ」
 きっとすれ違う人は皆自分達がダンデとキバナということには気付いている。気付いてはいるが、話しかけることはしない。彼らの中で公私がしっかりと分かれているからだ。これがバトルタワーオーナーとナックルジムのジムリーダーとして訪れているのであれば、きっといつものように囲まれているに違いないだろう。だが今はあくまでただのダンデとキバナだ。だから話しかけない。キバナはこの場所のそういう雰囲気が好きだった。
「あ、ダンデ見てあれ」
「ん?なんだ?」
「ポケモンのもちもの売ってる」
「見ようぜ!」
「そっちじゃねえバカ!」
 逆方向に走り出そうとするダンデの腕を掴み、アイテムを売る店舗まで引きずって行く。ここではぐれたら一巻の終わりだと内心冷や汗をかいたのは秘密だ。

 市場を色々見て回って、休憩しようと市場近くの公園に出る。今晩の夕食の食材とバトルで使うアイテムが詰まった紙袋を木陰に置くと、自分達もどさりと芝生に座り込んだ。
「ちょっと疲れたな」
「散々見て歩いたもんな。あ、これ飲もうぜ」
 キバナはおもむろに紙袋を開けると、中から小さな瓶を二つ取り出す。中には薄ピンクの液体が詰まっていて、炭酸の気泡が瓶を登っていく。
「なんだそれ」
「モモンのみの手作りジュースだって。美味そうだから買ってみた」
「でもそれ、どうやって開けるんだ」
 瓶の蓋は王冠で、確かに素手では開けられない。
「ああ、こうやって開けるんだよ」
 キバナは財布の中から硬貨を取り出すと、瓶を握った手の親指を支柱に器用にテコの原理で蓋を外した。
「ほい、どうぞ」
「相変わらず器用だな!」
「慣れたらお前もできるようになるよ」
 自分の分も器用に王冠を飛ばすと、落ちたそれらを拾ってから瓶をあおる。少しの酸味とモモンの甘さ、それに強すぎない炭酸が乾いた喉に沁み渡る。
「美味いなこれ。少しナナシのみ入ってるか?」
「あ、酸味それか。よくわかったなお前」
「カレーに入れ過ぎた時にこの味は覚えたんだ」
「どんな覚え方だよ」
 しばらく他愛ない会話を続けていると、ふと訪れる一瞬の途切れ。耳に入るのは人々が行き交う音と声、木々のさざめき。心地よいそれらに耳を傾け、キバナは芝生の上に寝転んだ。視界に入るのは木漏れ日と愛しい恋人のみ、なんて贅沢な風景なのだろうか。
「『休息とは怠惰とは異なる。』……だったか」
 ダンデの視線の先には、きっと自分達と同じように穏やかな日々を過ごす人々がいる。静かに紡がれた言葉の先を、キバナは大切なものを抱えるように続けた。
「『時おり夏の日に、木々の下の草原に寝そべること、水のおしゃべりを聴くこと、空に浮かぶ雲を眺めることは、決して時間の無駄ではないのだ。』……今日という日を勝ち取った銀行家の言葉だな」
 今日訪れた祝日の名前は『バンク・ホリデー』。その昔、休日の少なかったガラルの銀行に勤めるハードワーカーが休むために作られた、年に数回訪れる祝日。今ではガラルの中央銀行が休業することにより、取引のできない多くの企業も休業となり、学校も休みになるというガラル地方全ての人間に適用される祝日となっていた。
「初めてこういう休暇を過ごしたんだ。チャンピオン時代はこうじゃなかった」
……ま、そうだろうな」
 テレビで見ない日はなかったダンデのチャンピオン時代。ガラルの様々な場所に飛び回り、プライベートでも人に囲まれていた彼には休みという休みなどほぼ無かったに等しい。常人ならすっかり身も心も擦り切れていたであろうそれをやり遂げたのがダンデという男なのだが、それは本来人間が行える限度を超しているのだ。ダンデもそれは承知しているようで、現チャンピオンである子には適切な仕事量がいくように調節をしているし、無理そうならダンデやジムリーダーがそれらの肩代わりをしていた。
「秘書さんが嘆いてたぜ。『オーナーは働き過ぎなんです!祝日くらいは休んでいただかないと私たちも休めません!』って」
「俺は休んでくれって言ってるんだがなあ」
「上がガンガン働いてるのに直近の部下が休めるわけないだろうよ」
 今日キバナがダンデをここに連れ出したのもそんな事情だった。チャンピオン時代と変わらないスピードで動き続けるダンデに、休むことを教えるため。お前も人なんだぞということを教えるため。彼がバトルタワーを立ち上げ、ようやく落ち着いてきた最初の祝日がバンク・ホリデーなのはきっとそういうことなのだ。
……だけどな、キバナ」
「んー?」
「俺は今、走り続けるのが楽しいんだ」
 遠くを見つめるダンデには、そろそろこの穏やかな時間が退屈に映っているのだろう。それを否定したりなどしない。それがダンデという生き物だ。バトルをしたい。ガラルのトレーナーを強くしたい。その願いが彼をひた走らせるのは決して悪いことではない。
「わかるよ。オレ様もお前をぶっ倒すために走り続けんの、めちゃくちゃ楽しいもん」
 キバナとて同じだ。ダンデを玉座から引きずり降ろさんと様々な戦略を立て、喰らい付き続けた年月はもうかれこれ十年を超える。その間に彼は別の人間に倒されてしまったが、自分はまだ彼を倒してなどいないのだ。走り続けることをやめることなどできやしない。
「でもさ、やっぱオレ様もお前も人間なんだよな」
 変わらない調子で告げた言葉に、ダンデの視線がキバナを向く。
「人間だから無理すりゃ体は壊すし、メンタルも崩れるんだよ。走り続けたくっても、心と体が追いつかなくなっちゃ意味がない」
……
「走るために休むんだよ、ダンデ」
 何か言いたげな彼に笑いかけると、少しだけ納得がいかなそうに頷かれる。きっとダンデはまだ分からないだろう。それでもいい。今はまだ分からなくていい。だがいつかきっと、ダンデにもわかる時は必ず訪れる。
……そろそろ帰るかあ」
 起き上がって伸びをする。スマホを確認すると時刻は午後二時を回ったところだった。
「帰って早めに夕飯の準備してさ、ちょっとイチャイチャしようぜ」
 紙袋を持って立ち上がるとダンデもそれに倣い、二人は木陰を出て歩き出す。
「イチャイチャは名案だが……ちょっとで済む自信がないな」
「はは、同感」
 愛しげに細められる琥珀色の目が眩しい。いつまでもこの目が輝いていられるように、キバナはそう願わずにはいられなかった。