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みすず
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ザーメンズマンション
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哲遠
忘れ物。
カーテンの隙間から差し込む朝日が頬にあたる頃、遠夜はぴちゅっ♡むちゅっ♡という小鳥の鳴き声に意識を浮上させる。
春の終わりを感じ始めるこの頃であるが、それにしても遠夜は温もりを強く実感する。というのも、遠夜の体にはしっかりと哲彦の腕が回っているのだ。警察官らしく鍛えられてがっしりとした腕に、背中へ感じる厚みのある胸。安心するけれど朝からどきどきして、遠夜はいつも表情をむずむずと落ち着かないものにさせる。哲彦といる日々はいつだって鮮やかで、当たり前のものにならない。
「起きてる?」
不意に聞こえた哲彦の声。ほろりとした吐息。
「お、起きてる。なんで分かったの?」
「呼吸が変わったから」
ふわ、と欠伸をする気配。
遠夜がもぞもぞと身動ぎして哲彦のほうへ体を向ければ、彼は眠たげな目でしぱしぱとまばたきを繰り返している。遠夜はその気の抜けたような顔が可愛くてくすくすと笑った。
「なあに笑ってんの」
「んーん、なんでもない」
「なんでもないならなんで笑ってんのさ」
大した隠しごとをしているとは思っていないだろう、にやりと笑う哲彦が脇腹を擽ってくるので遠夜はきゃらきゃらと声を上げながら身を捩った。危うくベッドから落ちそうになれば哲彦が引き上げてくれて、遠夜は再び彼の腕のなかにすっぽりと収まる。騒いだからか、互いの体温は随分と上がっていて春も過ぎようという季節ではほかほかと熱いほどだった。
「
……
いま何時?」
「えっとね」
時計を確認すればいつも起き出す頃だ。
「じゃあ、無理か」
「なにが?」
「セックス」
「お
……
ちょっと、無理だね
……
遅刻しちゃうよ」
直球で言われて遠夜は目をうろうろと泳がせる。
哲彦はちぇーっと不貞腐れた顔をしつつもゆっくり身を起こし、遠夜の頭をくしゃくしゃと撫でた。その手が心地良くて目を細めながら遠夜も起き上がり、哲彦の頬へちゅっとキスをする。照れる間もなく唇へ噛み付くようなキスをされてあたふたしたのだが、好きなだけ口内を舐っていった舌が離れれば寂しい。
「遅刻しちゃだめかな」
「
……
お巡りさんが不良になっちゃだめだよ」
「だよなあ
……
」
もう一度ちぇっと言う哲彦に遠夜は声を上げて笑った。
──そんな賑やかな朝から暫く、無事に哲彦を送り出して仮眠を摂ろうとした遠夜は台所に置かれたままの弁当箱に気づく。
「ありゃ。哲くん、忘れて行っちゃったんだ」
遠夜は哲彦に弁当を作っている。料理は好きだし、哲彦が喜んでくれるので毎日の弁当作りは全く苦ではなく、今日も三つ葉の入った卵焼きやきんぴら、豆腐入りミニハンバーグなどを詰めた弁当を作っておいたのだが、うっかり哲彦は持っていくのを忘れたらしい。
時間を確認すればまだ昼前だ。いまから向かえば哲彦の昼休憩には間に合うだろう。
そうと決めたら遠夜は出かける支度を手早く済ませて弁当箱片手に玄関へ向かう。ドアを開ければ上着もいらない暖かい陽気。広場の桜はとっくに葉桜だ。
然して離れてはいない哲彦の職場まで歩いて行った遠夜は、表に哲彦の姿が見えないことでどうしたものかな、と立ち止まる。哲彦が見回りになど行っていたとしたら弁当は果たして預かってもらえるものだろうか。怪しまれたりはしないかしら。悪いことをなにもしていないとしても、お巡りさんに声をかけるのは少しだけ緊張する。
だが、遠夜が意を決するより早く、立ち止まる彼に気づいたのはお巡りさんのほうだった。
「どうかしましたか?」
表に出てきて遠夜に声をかけたお巡りさんは哲彦より随分年上で、遠夜は「えっと」と言葉に迷いながらそうっと弁当箱を取り出す。
「櫻井さんの同居人なのですが、忘れ物を持ってきまして
……
」
「櫻井の
……
ああ、お嫁さん!」
合点がいったという調子の大声に、遠夜はその場でぴょん、と飛び上がった。
「およ、え
……
っ?」
「話によく聞いてますよ。話し出すと止まらないんだ、これが。櫻井なら奥にいますから入ってください」
「は、はい
……
!」
促されるまま交番のなかに入れば、お巡りさんは「ちょっと待ってて」と言って奥に向かう。微かな話し声のあと、すぐにばたばたと聞こえた足音。
「遠夜!」
現れた哲彦は当たり前だが警察官の制服を着ていて、仕事中でなければ見られない姿に遠夜はときめく。
「哲くん
……
これね、忘れてたから届けに来たんだけど」
「助かるー! ありがとう。え、いまの時間っていつも寝てたよな? マジごめん」
笑顔かと思えば眉を下げて手を合わせる哲彦のくるくる変わる表情に遠夜は微笑みながら「大丈夫だよお」とひらひら手を振り、改めて弁当箱を両手で彼へ差し出す。哲彦は礼を繰り返しながら受け取って、横でにやにやしながら見ていたお巡りさんに「良いでしょ」とこどもっぽく見せびらかした。気恥ずかしくて遠夜はすすっと後退りしながら「それじゃあ、俺はもう行くね」と辞去を告げる。
「もう行くの?」
「お仕事のお邪魔になっちゃうから。あと、流石に寝ないと仕事に響いちゃう」
遠夜の仕事は夜からで体を使うものだ。睡眠をしっかり摂っておかないと怪我をしてしまいかねない。哲彦もそれを分かってくれているのだろう、しょげた風情ではあるが強く引き留めることはしなかった。
「櫻井、早めの休憩入ってもいいぞ。送るくらいはできるだろ」
しょんぼりした恋人たちをおかしく思ったのか、お巡りさんがそう言った。ぱっと輝く哲彦の顔。遠夜も期待に彼を見る。
「休憩頂きます!」
「ああ。時間通り戻って来いよ」
「はい」
びしっとした敬礼は様になっていて格好いい。
準備を終えた哲彦に手を引かれ、遠夜はマンションまでの道を歩く。
「今日はさ、難しいけど」
「うん」
「次の休み、一緒に昼飯食お。俺も一緒に作るから、弁当持って広場とかでさ」
「うん!」
楽しみ、と顔を綻ばせて遠夜は通りがかった広場を見やる。桜はやはりもう散っていたけれど、ハナミズキが随分ときれいだった。
休みの日が待ち遠しくて、はしゃぐ気持ちを繋いだ手に込める。ぎゅっと握り返された手が嬉しくて哲彦を見上げれば、彼とばちっと視線が合った。
「
……
さぼっちゃ駄目だよな?」
「
……
だめ」
春も終わり、初夏も間近。三度目の「ちぇ」に青々と晴れ渡った空へ笑い声が響いた。
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