紫よか
2026-04-20 09:51:20
3395文字
Public FE蒼炎暁
 

凍星をとかす

セネリオ×ラティ 暁の女神第四部の話。ちゅーする

 はっきり言ってしまえば彼らには今起きている物事のほとんどがどうでもよく、ただ自身の大切なひとが傷つくことだけが怖かったのだ。

「セネリオ、手を出して?」
「なぜ」
「良いから」
……

 凍てつくベグニオン帝国の夜空の下、降り積もった雪の上にさらに雪が降り固まって氷となった地面の上で、拠点を構えたグレイル傭兵団率いる部隊は、他の部隊がここにたどり着くのを待っていた。正の女神の裁きにより地上のほとんどの人間が石と化した今、帝国が北国である以上に冷え切った空気で残った選ばれし人々を襲った。
 セネリオは軍の大将であるアイクに仮眠を取ることを命じられていた。
 軍師である彼は部隊の損傷が最低限になるような策を巡らせ、結果本当にこの部隊の戦死者はいなかった。傷を負う者は多少いたが、杖使いたちに任せれば治療できる程度であった。おかげで、将をアイク、ミカヤ、ティバーンと分けた三部隊の中で、アイクの部隊が一番早く目的地にまでたどり着いたのである。

 帝国にそびえ立つ導きの塔、そこに、正の女神がいる。彼女を倒さなければ、世界の時は止まったままだ。大きな戦いに挑む。だからアイクは隊の者たち全員に一時休息を命じた。セネリオは内心、もう少し頭を動かしていた方が落ち着くのであったが、アイクの言うこともけして間違っているとは言えない。だから休むことにしようと自身の天幕へ向かう道中で、彼女──ラティと偶然出会った。彼女は両手を胸のあたりで揉みながら、その目でセネリオをじっと見つめ、そして、手を出してと……言った。

「何か渡したいものでも?」
「そういうわけではないのだけれど。とにかく、手を出して、セネリオ」
「はあ……

 セネリオにとって、この少女の存在はちらちらと視界の端に飛ぶ虫のような春の花びらのような、そんな存在で──煩わしいような、嬉しいような、もっと知りたいような、近寄ってほしくないような。
 ラティは、セネリオと出会って、話して、共に生きて、そして数年ですっかり、セネリオの心をかき乱す存在になっていたのだ。そう、賢い彼にもどう彼女に接するのが正解なのかわからなかったのだ。
 セネリオは白いため息を吐き、ラティに向けて手を差し出した。利き手とは逆の手。何をされても良いように、利き手はいつでも自由にしておけるようにしておいた。すると、ラティはそっとその手を両手で包み込み、やわやわとさすった。彼女のその手は、雪も解けるほどあたたかかった。

……酒でも飲んできたのですか?」
「ああ、それもよかったかも。でも違うわ、焚き火に当たってきたの。……セネリオの手、冷たい……あなたの手、絶対冷たいと思ったの、だからこうしたくて探してたのよ」
「探す……わざわざこれだけのために?」
「ええ」
……はあ」
「またため息」
「ため息も出ます、呆れた。アイクが言っていたでしょう、休息を取れと」
「大丈夫、ちゃんとわかってるわよ。でも……あなたの顔が見たくて。あなたが凍えていないか、心配で」

 元々、彼女の体温も高い方ではないのだろう。冷え切った風がびゅうと吹いたのと、セネリオの手に体温を移したのとで、ラティの手はすぐに温度を失っていった。

……ふふ、寒い」
「中に入りなさい」
「私の寝床、向こうよ」
…………僕の天幕に」
「まあ……。手、繋いだままでいてくれる?」
……それくらいなら」
「ありがとう」

 自然と、指と指を絡める繋ぎ方をして、ふたりは天幕の中へ入った。ふたり以外誰もいないそこは、外よりもさらにしんと静まりかえっていた。点した灯りも、遠い星の光のように小さい。

 まったく、どうして。

 セネリオはそう思っていた。ラティは自分の心をかき乱す。そして、かき乱された己の心がどんな形になってしまったのか、聡い彼はわかってしまっていた。だからこそ、やはりどう彼女に接すれば良いかわからない。

 ──あらゆる事象は言葉にしなければ伝わらないし、言葉にしてしまうと物足りないのだ。

「ラティ、あなたは……
「なあに?」
……いえ。…………
……
 
 ラティは特に追及せず、セネリオの手を握る力を強めた。離れたくないと言いたげに、ラティもラティで、よく舌が回るくせに肝心なところでは無口になってしまう。そのことをセネリオは、理解していた。

……ラティ」
「ん」
「こちらに」
……え、それは……あまり良くないんじゃないかしら」
 
 セネリオは自身の寝床をぽんぽんと叩き、ラティにそこにいるように促した。そして場所を譲るように半分に詰めて座る。グレイル傭兵団は貧乏傭兵団だ、仕事で遠征をした時は全員で寝床を共にしたこともよくあることだが、こうしてふたりきりでそれをするのは初めてであった。

「どうせ帰るために外に出たらあなたは冷えてしまう」
「そうだけど……
……早く寝ましょう。この季節は夜は長いとはいえ、他の部隊が到着したら寝ていられなくなります」
……ええ」

 薄くて心許ない掛け布を共有して、ふたりは座って寄り添う。ラティの胸の内はすっかり熱くなっていて、もうずっと繋いだままの手は再び焚き火にかざしたように熱を帯びていた。それがセネリオに……愛しいひとにしっかり伝わっている気がして。ずっと繋いでいてくれるのが嬉しくて。セネリオがふうと息を吹きかけて灯りを消したのを見て、闇の中ラティはセネリオの体温を感じていた。

「あなたは横になってください」
「いや。あなたと一緒にいたい」
……仕方のない人だ」
…………ねえ、セネリオ。セネリオって星詠みはできる?」
「何ですか、いきなり」
「こういう寒い季節の夜……月の光も頼りない頃にはね、一晩中赤い星がひとつ見えるのよ」
「そういえば…………それが何か?」
「私ね、あの星はあなたによく似ていると思うの」
「僕に……?」
「ええ、月がアイクなら、その赤い星はあなた。月がいなくて心細い夜も……あの星を探せば寂しくないのよ」
……相変わらず、よく口の回る……
「伝えておきたいの。この戦いでいつ死ぬかわからないもの」

 その言葉をラティが発してから、しばし静寂がふたりの間を渡った。言ってはいけないことを言ってしまったかもしれないとラティは後悔した。ラティもまた、セネリオにどう接すれば良いかわからなかったのだ。心の答えは見つけていた。──愛しているという答えを。けれど、それをはっきりと伝えて良いのかわからない。だからラティは、いつだって回りくどい言い方しかできなかった。

 ふと、ラティの頬に細く冷たいものが触れた。それがセネリオのもう片方の指だということに気づいた彼女は、きゅっと身をこわばらせた。その指に導かれるまま、彼女は彼と顔を合わせた。互いに目が慣れてきた暗闇の中、彼の赤い瞳が星のように瞬く。

……
…………セネ、」
「口を閉じて」

 その声はいつもより幾分かやわらかかった。言われるがままに閉じたラティの唇に、ふわりと声と同じくらいやわらかなものが押しつけられる。それが何であるのか理解しきる前に、ラティは無理やり体を押し倒される。されるがままに寝転がる彼女に、セネリオは"言葉"を投げかけた。それはほんの少し、震えていた。

……やはり僕には向いていませんね。こういうのは」
「あの、セネリオ。今の……
「もう寝なさい。僕も休みますから」
「わ、たし、まだあなたに何も伝えてないわ、それなのに、あなた……
……あたたかいですね、ラティは。嫌になるほど、あなたは生きている」
…………
「僕からすれば、星はあなたのような人を指す。……三年前から」
……同じね」
「そうですね」

 それからは、セネリオもラティも言葉を交わさなかった。繋いだ手のぬくもりだけをよすがに、ふたりは目を閉じた。
 相手に渡すべき最も冴えた言葉も行動も、彼らにはまだわからなかった。ただわかっているのは、自身に芽生えた感情の名前のみ。

 何よりも冴え渡る夜の冷たい空気も、ふたりの答えは教えてくれなかった。流れる血のように、燃えさかる焚き火のように赤い星が、ふたりを見下ろしていた。