ふと感じた空腹に一報を入れて獅子神邸にきた黎明を迎えたのは奇妙な光景だった。夕食時だったので、すでに居座っている村雨と真経津のため、獅子神はいつものように台所に立ち忙しく調理に手を動かしている。
その背後にぴったりとくっついて、獅子神が動くたびについていく姿があった。
「……ユミピコ、何してんの、あれ」
「お手伝いだよ。最近、獅子神さんお菓子作りにハマってるんだけどね、今日作ったキャラメルケーキがものすごく美味しかったんだって。天堂さん喜びすぎて光って見えたよ」
「あのマヌケはその礼を押し付けがましく、この神が何でも手伝ってやろうなどと偉そうに述べて獅子神へ強要しているのだ」
確かによくみれば、獅子神が渡した台拭きで天堂はテーブルを拭いたり、皿や箸を並べている。それからまた後ろに戻っていく。獅子神、他はなんだ? 神は何でも出来るぞ。あーじゃあ味見してくれ。幼児の扱いである。
「……なんか敬一くん、怯えてない?」
「殺人鬼に背後を取られっぱなしなんて普通に怖いよ」
「無自覚だろうが本能的に体が拒絶しているようだな」
「獅子神さんなんて臆病で警戒心の塊なんだから特に嫌だろうね。天堂さん、気配もないし。ご飯の匂いにつられて後ろにいた天堂さんにこの間叫んでたよ」
びくびくした獅子神と意気揚々とついて回る天堂。なんだか間が抜けていて面白い。ユミピコ、嫌がられてんじゃん。
にやにやと眺めているうちに夕食が出来たようで獅子神から席につけと声がかかる。
湯気の立つ数種類の料理が並ぶ。そのうちのひとつであるスープにはクルトンを天堂が振りかけたらしい。神に感謝して有り難く口にしろと尊大に言っていた。
一度や二度くらいは確かに面白おかしく天堂の奇行を楽しんでいた。しかし、それがいつものこと、になってくると黎明の中で不快感が勝る。
どうやら訪れる度にキャラメルの菓子を強請っては、獅子神にぴったりとくっついて礼と称するお手伝いをしているらしい。そのせいで獅子神邸にいる時は黎明の方に天堂が寄ってくることもないし、全然、黎明を見ない。距離も近いし。二人を見かけるたびに苛々する。いつも自然と黎明が座っている隣にいたのに、最近、ずっと獅子神にべったりだ。
今だって村雨風に言えばまぐわった後なのに、隣の神さまは延々と獅子神の菓子の話をしている。
この間獅子神が作ったシュークリームも中々のものだった。お前は獅子神の。最近獅子神に。
ずっと満面の笑みである。黎明を見ているのにそれが向けられているのは、自分ではない。むかつくので黎明はスマホを操作しながら聞き流していた。
「おい、黎明、神の声を聞いているのか?」
不満そうに尖らせた唇を睨む。なんでこいつの方が機嫌が悪いのだ。
「…………聞いてるわけないだろ、オレの前で他のヤツの話すんなよ」
「はあ? 菓子の話をしているだけだろう? 何を妬いている?」
舌を打つ。そんなの同じことである。獅子神の、という単語が絶対最中に黎明の名前を読んだ回数より多い。さっきまであんなに黎明だけを見て、愛おしそうに身を寄せて、甘い表情を浮かべていたのに。
近頃の、黎明以外を視界に入れる天堂の態度から積りに積もった苛立ちも、あれだけ一心に見てもらえたから、幾分か緩和されていたはずで、しかし、再びぶり返してくる。せっかく久しぶりの二人きりなのに。そう思ったから怒りを飲み込んでスマホで天堂の好きそうな店を検索する。今日は休みだと言っていたはずだ。一日あるなら色々なところにいけるだろう。他のことに興味が移れば菓子の話も聞かなくて済む。すこし上がってきた気分に口元を緩める。
「ユミピコ、今日ここ――」
顔を上げても天堂はいなかった。寝台から降りた先で服をとっくに身につけていて、今にも部屋から出て行こうとしていた。慌てて駆け寄って、腕を掴む。
「え、ユミピコ、なんで帰んの。今日何もないって言ってたじゃん」
「お前は神の話に興味がないのだろう。まだあの愚かものの方が話せる」
「は? 礼二くんとこ行くの? オレとのデートは!?」
「…………別にお前と約束していたわけでもないだろう」
低い声。目が合わない。沸点間際のキレる寸前である。どうして天堂の方が怒っているのだろうか。おかしいだろ。
そのまま呆気なく振り払われた手が空に浮く。機嫌の悪さをぶつけるように音を立てて扉が閉められて、呆然とした黎明だけが後には残された。
『予定がある』
天堂を遊びに誘ってこの言葉が届くのは何度目だろうか。
教会のイベントが詰まっているのを知っている。今の天堂は忙しい。しかし空いている日があるのは確かで、それを把握している黎明はその隙間を誘っているはずだった。それなのに断られる。
理由は明白で天堂の予定も居場所も特定するまでもない。また獅子神の家にいるのだ。天堂から毎回菓子の写真が送られてくる。クッキー、カップケーキ、クレープ、シュークリーム。
美味しかったという自慢だろうが、黎明にとっては嫌がらせのようだった。黎明とは全然遊んでくれないくせに、別の男の前でお茶しているのだ。腹が立つ。
このまま獅子神邸に突撃したら絶対喧嘩になるし、二人して出禁にでもなった時の天堂の怒りは計り知れない。ぶつける先のない苛立ちだけが募る。
通知が来た。また天堂からの写真である。ワンホールのケーキだった。
スマホを壁に投げつけたくなるのを堪えて、遠くに滑らせる。気を紛らそうとまだ終わってない編集作業に手をつける。テラリウムなんて見てたらうっかり人数を減らしそうだった。
あまり集中できないまま作業を進める。時折脳裏を掠める白い神さまに邪魔されて、結局半分も終わらない。本物に会いたい。観測が足りない。
見たい見たい見てよ。
「ユミピコ……」
「なんだ」
振り返ると頭に浮かんでいた姿がある。いつからいたのだろうか。紅茶を飲んでいるから随分前から家に来ていたのかもしれない。
「呼んでくれたらよかったのに」
「作業中だっただろう」
会いにきてくれた嬉しさでさっきまで燻ってたものが和らぐ。黎明が椅子から立ち上がる前にカップを置いた天堂が近づいてくる。手に切り分けられたケーキが乗った皿を持っていた。
「これはお前の分だ」
天堂はフォークと皿を差し出して、やけに機嫌良く笑っている。キャラメルの匂いがした。きっとこれが天堂が絶賛していたケーキだろう。神さまはたまに自分の気に入ったものを恵んでくれるから持ってきたのだろう。しかし、こいつのせいで天堂が相手をしてくれなくなったと思えば全く食指が動かなかった。どうせ作ったの敬一くんだし。
せっかく気分が良くなりかけていたのに、一気に落ち込んで不愉快さだけが迫り上がってくる。
「……ユミピコ、オレ今、あんまり」
「さっさと食べろ」
断る前に小さく切ったものを口に突っ込んできたので咀嚼せざるを得ない。べたべたとした甘さが広がった。
「美味しいだろう?」
獅子神が作ったものが不味いわけがなかったので、肯首すれば面が輝く。
「そうだろう! これは――」
むかむかする。どうせまた獅子神の話をするのだろう。他の男を褒めるとこなんて聞きたくない。気づけば顔を近づけて唇を塞いでいた。同じものを食べてたのかもしれない。天堂からも甘ったるいキャラメルの味がした。
天堂の話を遮ったので殴られるかと腹に力を込めたが衝撃はこない。
唇を離して眼前にあるのは綺麗に微笑んだ顔だった。赤い舌先が黎明に移った紅を舐めとる。
「そんなに嬉しかったのか、黎明」
何か勘違いしているようだったが、もうこれ以上獅子神の話を聞かなくていいなら何でも良くて、やけにご機嫌な神さまが黎明の膝に乗り上げてくるのを離れないように強く抱きしめた。
真経津に強請られてかホットケーキを焼いている獅子神を頬杖をつきながら眺めていた黎明は、スマホにきていたメッセージに顔を顰める。
『ケーキはぜんぶ食べたか?』
『うん』
嘘だ。あの日、天堂は冷蔵庫にケーキの残りを置いて帰った。当然、食べる気なんてしなくて、大量のエナドリで奥に押しやられたままだ。
「……敬一くんさー、ユミピコに餌付けすんのやめてくんね? ヤッた後にベッドの上でずっと敬一くんの話聞かされてるオレの気持ちわかる?」
「あー」
ばつの悪そうな顔が浮かぶ。獅子神だって作ったものを褒められたら嬉しいだろうし、強請られるのも悪くない気分だったに違いない。調子に乗って次々に披露していたに決まっている。その自覚はあるのか、悪かったな、なんて返ってくる。
「……しかもユミピコ、最近、全然遊んでくれないし。どうせここに来てるんだろ」
「……まあ、……でももうそんなに来ねーよ。オレも菓子ばっか作るの飽きたし、天堂もずっと練習してたけど一回全部作ったら満足しただろ」
耳を疑った。獅子神を見る。当然、嘘なんかつくわけがない。
「……え、ユミピコもなんか作ったの」
「は? オメーのとこ持ってっただろ。食ってねーの、キャラメルケーキ」
押し込まれ、口の中でべたついた甘さが蘇る。それと天堂のきらきらとした華やいだ笑顔が過ぎって口端を噛んだ。
「……食べた、けど」
「なんだよ、んな微妙な顔して。上手くできてただろ、口に合わなかったのか? オメーに作るからって天堂が好きなもん訊いてんのに無視するからだろ、神の声を聞かないってキレてたぞ」
記憶にない。あの、聞き流していた時だろうか。
そういえば、楽しみにしておけ、だとか言っていたような気がする。
「最初はトッピングの粉とかしか振ってなかったけど、だんだん生地混ぜたりして頑張ってたよ。あ、でもさすが天堂さん、捌くのは上手だったね」
「…………捌くとか言うなよ、フルーツだぞ」
二人の会話が遠くに聞こえた。
冷蔵庫の奥で冷えているままのケーキのことが気になって、居ても立っても居られず、長椅子から立ち上がって黎明は部屋から飛び出した。
自宅に入った瞬間、ひやりとした。天堂の靴がある。
大抵黎明の家に来ると天堂はまず冷蔵庫を確認する。明言したことはないけれどさりげなく黎明が天堂のために適当に甘いものを買ってきて詰めているのをわかっているからだ。
案の定、ちょうど冷蔵庫に前に天堂はいた。振り向いた手には取り出されたケーキ。と切り分けるための刃物がその手にはある。喉が鳴る。思わず息を詰めた。
天堂の動きは早く黎明が口を開くより先にその姿は眼前へ迫る。床へ体が強かに叩きつけられて全身が軋んだ。
引き倒された顔の横を銀色の光が煌めいていた。
「…………黎明、神に嘘をついたな」
「違っ、待って待って! 敬一くん! 敬一くんが作ったんだと思ってたんだって!!」
「は」
じ、と覗き込まれて、言葉の中身を咀嚼したのか舌打ちが散る。
「……愚かものめ」
「……ユミピコが敬一くんの話ばっかするからだろ」
「獅子神の菓子の話だ」
「それでも嫌だ」
起き上がった天堂は席につけ、と指で示す。痛みに呻きながら腰を下ろすと切り分けられたケーキが卓上に二つ並ぶ。
「……神は頑張った。お前に食べさせるために」
「…………聞いた」
「わかるな」
わかる。ずっと黎明のことを考えてくれていたのだろう。口にしていることよりもきっと黎明で天堂の頭の中はいっぱいだった。
フォークを手に取る。しかし小さく分けたまま中々口に運ぼうとしない黎明を胡乱な視線が突き刺さる。
「早く食べろ」
「…………この間みたいにユミピコが食べさせてくれたらもっと美味しいかも」
天堂の腕が伸びて、ケーキをすくう。餌を待つ雛のように開いた唇に差し込まれた甘さに双眸を細めてから、咀嚼して飲み込んで。自然とその唇から美味しいとこぼれた。
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