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ポほ
2026-04-19 15:40:11
9979文字
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跡取り息子、やめました!?
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温泉へ行こう
没エピソードだけどまあまあ字数書いたので。時系列的には八木山デート回と光のページェント回の間ぐらい。
この後真冬が宗真に接触するシーンを入れたかったのですが、今はいいかなとなってお蔵入り
この裏で嵐士と吉田がなぜか宗二の宅飲みに付き合わされるみたいな話も途中まで書いていたはず
温泉へ行こう
それは、すっかり冬めいてきた土曜日の朝のことだった。静まり返った洗面所に、静乃の低い声が落ちた。
「き、給湯器が壊れた
……
」
歯を磨いていた宗真は、思わず泡を吹きそうになった。
「えっ!?お風呂はどうしたら
……
!?風呂キャンはナシだからな!」
「幸い、明日にはもう修理に来てくれるんだって。だから今日は銭湯に行けば
……
って、あんたはちょっと行きづらいか」
静乃の視線が宗真のほうへ流れる。
いまの自分は確かに“女の子の身体”だ。だが、それがいつまで続くかはわからない。銭湯の暖簾をくぐるという行為は、以前よりもずっと重い意味を持つようになっていた。宿泊学習の時に、一瞬だけ男に戻ってしまったことも気がかりだった。
響が、キッチンからひょいと顔を出す。
「
……
友達の家でお風呂だけ借りるとか?嵐士くんは一人暮らしだし、ハードル低くない?」
「や、やだよっ!」
宗真は即座に否定した。
「あいつの覗きは冤罪みたいなもんだったけど
……
借りを作りたくないんだよ!てか友達じゃねえよ」
静乃が両手を上げる。
「わかったわかった」
響は小さく目を細めた。
(冤罪か。宗真
……
試合した日から、嵐士くんのことをちょっと認めたのかな?)
ふと、宗真が首をかしげる。
「あれ、父ちゃんは?」
そのとき、リビングの奥から、ひどく神妙な声が聞こえてきた。
「は、はい
……
承知しました
……
」
宗二は電話中だった。背筋を伸ばし、やけにかしこまった様子で受話器を握っている。やがて電話を切ると、わざとらしく咳払いをした。
「父さんな、今日は休日出勤になったから」
「あぁ、お疲れ様。修理代は今日のお父さんの出勤でまかなうとして
……
」
静乃は即座に現実的な話へと移る。
「と、父さんのことをもっと労ってくれても
……
!」
情けない声が響いた。しかし静乃は構わず続ける。
「せっかくだから山の方のいい温泉に行かない?部屋に立派なお風呂が付いてるみたいなさ。大浴場じゃなかったら、宗真も入れるでしょ」
宗真の目が丸くなる。
「う、嬉しいけど
……
そんなお金あるの?嵐士から貰ったお金は回収されちゃったし」
「私のバイト代と、あとお父さんの
軍資金
へそくり
をちょーっと足せば行けるかな。ボーナス入ったでしょ?」
「なにっ!?何を勝手に
……
!」
宗二が素っ頓狂な声を上げる。
「どーせ競馬でスっちゃうんだから、たまには家族サービスに使ってくれてもいいじゃない」
長女の厳しい一言に、宗二は何も言い返せなかった。それにここ数年は宗真への稽古を理由に、家族旅行へ出かけたことは数えるほどしかない。宗二からすれば、言い訳の余地は少なかった。
「
……
わかった。三人で行ってきなさい」
観念したように宗二はため息をついた。
そして。当日の朝だというのに、奇跡的にキャンセルが出たのか、山あいの温泉宿の一室
――
温泉付き客室を予約することができたのである。
静乃はプリントアウトした用紙を宗二の前に差し出した。
「じゃ、同意書書いて?」
未成年者だけでホテルに泊まる場合、保護者による同意書が必要になることが多い。
宗二はしばし天井を仰いだのち、黙ってペンを取った。こうして月城家三姉妹(厳密には三姉弟)の、少しばかり特別な土曜日が始まったのであった。
宗二を見送った三人は、早速それぞれの部屋へ散って荷造りを始めた。
「チェックイン15時からだし、そんな焦んなくてもいいよね?」
響がクローゼットを開けながら言う。
「そうねー。10時くらいに出ればいいかな。駅からは宿の送迎バスも出てるみたいだし」
静乃はスマートフォンで予約確認の画面を見ながら、落ち着いた口調で答えた。そのとき、隣の部屋から元気な声が飛んでくる。
「静姉ー!髪可愛くしてっ」
「はいはい」
呼ばれるままに宗真の後ろへ立ち、手早くブラシを通す。巻き髪にし、下のほうで結ったツインテールに整えてやる。鏡をのぞき込んだ宗真の顔がぱっと明るくなった。
「おっ、今日もすごいかわいー!ありがと、静姉っ」
「どういたしまして。はい、動かない」
嬉しそうに体を揺らす宗真の肩を軽く押さえ、最後の仕上げを整える。
すると、少し離れたところで見ていた響が、気まずそうに口を開いた。
「あのさ、お姉。あたしも今日はちょっとやってもらっていい?」
「えー、響も? 珍しいわねー」
「たまの旅行だから、ちょっと気分上げたくて!」
響の声はどこか照れくさそうだった。
「響はショートだから、髪の長さ的には
……
よし、ちょっとイメチェンで外ハネにしよっか」
アイロンを器用に滑らせ、毛先を軽く跳ねさせる。
仕上げにワックスをなじませると、いつもより少し大人びた雰囲気になった。
「わー、いい感じ!やっぱお姉はお洒落だなー」
「
……
今日はいいけど、あんた達、もうちょっと自分でできるようになんなさいよ?いつまでも私がやってくれると思わないこと」
そう言いながらも、静乃の口元はわずかに緩んでいる。頼られることがまんざらでもないのは明らかだった。
やがて荷造りを終え、三人は市営バスで駅前のバスターミナルに移動し、そこから宿の送迎バスに乗り込んだ。冬の空気は澄んでいて、吐く息が白い。
「旅行って夏休み以来か。ワクワクすんなぁ」
窓の外を眺めながら宗真が言う。
「そっか。お姉と宗真は東京の方行ってたもんね。いいなー」
「ほんとは宗真じゃなくてあんたを誘おうとしたんだけど、宿坊行ってたんだもん
……
」
「あ、その時か!」
響が思い出したように声を上げる。
「え、ちょっと待てよ!静姉の中でオレって響姉よりも優先度低いってこと?」
「年齢順よ、年齢順。
……
それにあんたぐらいの年頃の子って、家族と出かけるの嫌がったりするかもって思ってたし」
「えー、オレそういうハンコーキってタイプじゃないじゃんか」
不満そうに頬を膨らませる宗真に、響が肩をすくめる。
「まあまあ、結局お姉と一緒に旅行できたんだしいいじゃない」
「ま、そーだな。東京も結構楽しかったしな。パンダ
……
はいなかったけど、ハシビロコウ見たり、ピザ食べたり」
「え?動物園行ったとは聞いてたけど、ピザ
……
?」
「ほ、ホテルでピザ頼んで食べるの、憧れだったのよ!
……
悪い?」
静乃がむっとしたように言う。
「ううん、悪くないけど
……
なんか、お姉にも可愛いとこあるんだなって」
「だよなー!ずっと憧れてた〜とか言ってたぜ」
「もう、からかわないでよ
……
」
二人に挟まれ、静乃は顔を赤くする。窓の外では、街並みが少しずつ山の景色へと変わっていく。三人の笑い声を乗せたバスは、ゆっくりと冬の温泉街へ向かっていた。
昼食を済ませた三人は、その足で宿へと向かった。チェックインの時間には少し早かったが、ちょうどキャンセルの影響もあって部屋の準備は整っているらしく、そのまま案内してもらえることになった。
「お、ほんとに部屋に温泉あるー!すげー!」
客室に入るなり、宗真が真っ先に風呂場をのぞき込み、声を弾ませる。硝子越しに見える湯気に、旅館の格のようなものまで感じてしまう。
「寒いし、今日はもう部屋でのんびりしてよっか?」
静乃はコートを脱ぎながら提案した。
「えー?お姉は外出たくないのー?じゃあ宗真、ちょっと散歩して
磊
らい
々
らい
峡
きょう
とか行かない?こっから歩いて十五分くらいみたいだよ」
響がスマートフォンの地図を見せる。
「お、いいねー!」
即答する宗真を横目に、静乃は小さくため息をついた。
(まったく、これだからアウトドア系中坊は
……
)
「そう。じゃあお姉ちゃんは部屋で休んでるから、ふたりで行ってきな。足元とか気をつけなさいよ」
「はーい!」
声を揃えて返事をし、宗真と響は意気揚々と客室を飛び出していった。ドアが閉まると、部屋は途端に静かになる。
静乃は上着を脱ぎ、荷物を置くと、そのまま風呂場へ向かった。
服を脱ぎ、ゆっくりと湯に身を沈める。
「ふー
……
気持ちいい
……
」
冷えた体に、やわらかな温かさが染み込んでいく。
(まさか、この三人で温泉に来られるなんてね
……
)
湯気の向こうに、さっきまでの騒がしいふたりの姿がぼんやりと浮かぶ。
(給湯器が壊れたのは困ったけど
……
結果的には、妹達と旅行ができてよかったかも)
静乃は目を閉じ、小さく息を吐いた。山あいの静かな午後が、部屋の中までゆっくりと流れ込んできていた。
一方その頃。磊々峡へ向かう遊歩道を、宗真と響は並んで歩いていた。
冬の空気は冷たいが、空は高く澄んでいる。川のせせらぎが、静かな山あいに響いていた。
「磊々峡って、ハート型の岩の窪みがあって、恋人の聖地、なんて言われてるらしいよ」
響が、さりげない調子で言う。
「こ、恋人!?」
宗真は思わず声を裏返らせた。
「響姉がそういう話するの、なんか意外だな
……
」
「ホテルに置いてあった案内の受け売りね。あたしはまだそういうのは
……
」
少し視線を逸らしながら、響は言葉を濁す。
「
……
あんたこそ、吉田くんとこないだいい感じだったんでしょ」
「でもなんか恋人って言われるとなんかハズいっていうか
……
!」
反射的に否定しながらも、宗真の胸の奥に、わずかな引っかかりが生まれる。
頭を振って、余計な思考を追い払う。
「ひ、響姉こそ色んな人と手合わせしてんだろ?男だったら嵐士とか
……
案外お似合いなんじゃねえの?」
(って、よくわからんけどそれっぽいこと言ってみたりして)
軽い冗談のつもりだった。
――
だが。
「え、あたしが嵐士くんと
……
?」
響の顔が、みるみるうちに赤くなる。
「そ、そんなわけないじゃん!?確かに太刀筋は今まで会った人の中では
……
」
そこまで言って、もごもごと口ごもる。
「え、なにそれ」
「ち、違うって!ただ、実力の話で
……
!」
あからさまに動揺する姉を見て、宗真はふっと笑みを浮かべた。
(よく姉ちゃんズやちなゆきが、オレとヨツダと海成のことでからかってたけど
……
確かに、こういう話振るのって面白いかも)
わざとらしくにやりとする。
「へぇー?太刀筋がどうしたって?」
「うるさいな!もう!」
響は顔を背け、足早に前を歩き出した。その背中を追いながら、宗真はどこか軽い気持ちになる。川の流れの向こう、岩肌の一角に、小さな窪みが見えてきた。
「
……
あれじゃないか?」
「ほんとだ。あれが“ハート”か」
ふたりは並んで立ち止まる。岩に刻まれた、自然がつくった小さな形。
……
それが本当にハートかどうかは見る者次第だったが、確かにどこか愛嬌があった。
「恋人の聖地、ねぇ」
響がぽつりとつぶやく。宗真は、その横顔をちらりと見る。
(恋人、とか
……
あたしにはまだ早いっていうか)
誰かと並んで歩く未来など、想像する余裕はまだなかった。
「ま、とりあえず写真撮っとくか!」
重くなりかけた空気を振り払うように、宗真がスマートフォンを構える。
冬の光の下、ふたりの笑い声が渓谷に溶けていった。
渓谷をあとにしたころ、空から白いものがちらつき始めた。
「あれ、雪降ってきた!」
宗真が手のひらを空に向ける。小さな結晶は、触れた途端にすぐ溶けた。
「ほんとだ。山の方はやっぱ降るんだねー。
……
身体冷えるし、もう戻ろっか」
「うん。早く温泉であったまりたいなー」
足早に宿へ引き返す。吐く息は白く、頬もじんわりと冷えていた。
部屋に戻ると、すでに静乃は浴衣に着替え、ソファでくつろいでいた。髪はほどかれ、どこか柔らかい表情をしている。
「わ、静姉
……
もう温泉入ったのかよ!?ずりいぞっ」
「いいじゃないの、入り放題なんだから。むしろ入らなきゃ損でしょ。で、磊々峡はどうだったの?」
「うん、恋人の聖地って言われてるハート型の窪みとかあったよ」
「へー。あとは?」
「
……
なんか景色がすごかった!」「うん、すごかった!」
声を揃えるふたり。
静乃は一瞬きょとんとし、それから小さく肩をすくめた。
(まあ、脳筋コンビの感想はそんなものか
……
)
「ありがとう。だいたいわかったわ」
そう言って湯飲みに口をつける。
「響姉、先入っていいよ!」
宗真が不意に言った。
「え?温泉であったまりたいってさっき言ってたし、あんた先入りなよ」
「こういうのはレディファーストだからな」
「
……
あんたも一応女の子じゃない」
「いいの!たまには姉ちゃん孝行させてよ」
素直な物言いに、静乃が眉を上げる。
「妙に素直ねー。なんか企んでる?」
「オ、オレはいつもいい子だよっ!」
(そうか
……
?)
響と静乃の心の声が、きれいに重なった。ともあれ、宗真の言葉に押される形で、響が先に入浴することになった。
響が湯に身を沈めると、冷えた体がじわりとほどけていく。
「はぁ
……
」
思わず吐息がこぼれる。
(嵐士くんかあ
……
)
湯気の向こうに、剣を構える少年の姿が浮かぶ。
(稽古相手にはちょうど良かったんだけどな。たまにうちにおいでって、宗真、声掛けてくれないかなー)
先程は動揺はしたが、嵐士に対して宗真の言うような恋愛感情があるわけではない。
ただ
――
どうしても気がかりなことがあった。
(嵐士くんが、うちを出る時に言ってたのって
……
なんだったんだろ)
耳の奥に、あの時の声がよみがえる。
「呪いが解けてないかを、どうしても確認せなあかんかった人がおってな」
「大体想像つくやろ?宗真くんのことを大事に思ってる人や」
(
……
嵐士くんが、「かあさん」って呼んでる人が、その人
……
?)
中学の体育祭。そして静乃の高校の文化祭。
――
そのたびに姿を現した、狐の面の女。
宗真を見つめ、自分たち姉妹のことも気にかけているらしい、あの人。
(あの人が
……
嵐士くんの言う「かあさん」?)
湯の温かさとは裏腹に、胸の奥に小さな冷たさが残る。雪は、まだ静かに降り続いていた。
雪見風呂の余韻を残したまま、響はそっと息を吐いた。
「
……
いいお湯だった」
「オレも入ってこよっ!雪で服濡れてさみーし」
そう言って、宗真はぱたぱたと脱衣所へ消えていく。襖が閉まる音を確かめてから、響は意を決したように静乃へ向き直った。
「
……
あのさ、お姉。話があるんだけど」
「なーに?改まって。まさかの恋バナとかー?」
「違う違う。例の
……
狐のお面の女の人のことなんだけど」
「あー、文化祭の時の。あの時は手がかりが燃えちゃって、なんだかうやむやになってたけど
……
」
響は一瞬、言葉を選ぶように視線を落とした。
「あの人、やっぱり
……
あたし達のお母さんなんじゃないかって思うんだ」
「え
……
?」
「嵐士くんがうちを出る時に言ってたの。『宗真のことを大事に思っているある人が、呪いが解けてないか確認したがってる』って
……
」
静乃はゆっくりと背もたれに体を預ける。
「
……
確かにそうかもね。お母さん、お父さんが宗真を跡継ぎにしようとするの、ずっと反対してたし」
「まあ、それで赤星の家に転がり込んでるなら、それはそれで極端だけどね
……
」
「でも、うちの跡継ぎがいなくなるのは赤星流にとっても都合はいいはずよ」
「切り出しといてなんだけど、呪いなんてそんなわけのわからないことをしてまで、宗真を女の子にするような人が私達のお母さんなんて、あんまり信じたくないかも
……
」
「その辺の事情は本人に聞くしかない
……
のよね。なんか、聞きたいような、聞きたくないような」
「連絡先も今は知らないしね
……
」
「証拠がないうちは、宗真に言っても混乱させるだけだと思って黙ってたけど。ねえ
……
ほんとは、宗真とあの人とちゃんと話して、元に戻してもらった方がいいのかな」
「『ほんとは』ってことは、話したくないの?」
「
…………
」
静乃は少しだけ目を伏せ、静かに問い返した。
「あのさ、響。私がなんで宗真のおしゃれに付き合ってあげてるか、わかる?」
「お姉ってファッションとか好きだし、単純に楽しいから
……
じゃなくて?」
「
……
それもあるけど」
小さく笑ってから、静乃は続ける。
「いつかは、宗真が男の子に戻る日が来るかもしれないから」
「それって
……
」
「だから、せめて『女の子』でいるうちは、可愛くしてあげたいなって思ってたんだ」
その言葉は、冗談めかした調子とは裏腹に、どこまでも真剣だった。
「最初はね、呪いはそのうち解ける
……
いや解かないといけないってなんとなく思ってた。でもさ
……
宗真が男の子として今まで過ごしてきた時間も、今の姿で笑ってる毎日も、どっちも本人にとっては大事なんだよね」
静乃は言葉を区切り、髪をいじり始める。
「
……
って、最近は思ってる。文化祭の時にお母さん(仮)に『あの子が幸せなら、何が問題なの?』って言われて、響は言い返せなかったでしょ?私も同じ。
……
今だって、反論できないし」
響はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「
……
そっか。呪いを解きたいかどうかは、本人が決めることだもんね」
「うん。あの子が本気でそれを願うんだったら、協力するけどね」
「
……
にしてもお姉、色々考えてるんだね」
「まあね。これでもあんた達のお姉ちゃんなんだから」
ふたりは顔を見合わせ、苦笑する。
浴室の方から、宗真の「うわっ、あっつ!」という声が聞こえた。
「ま、相変わらずはっきりしないことも多いし
……
今すぐ動く必要は、ないかもね」
「ええ。もし本当にお母さんなら、きっとまた現れるわ。その時までは
――
」
「あたし達で、あの子の『今』を守る」
「そういうこと」
湯気に包まれた浴室で、宗真はひとり、のんびりと肩まで湯に浸かっていた。
「へー、この温泉の効果は疲労回復・神経痛
……
」
壁に掛けられた効能書きを読み上げながら、ふう、と息を吐く。
「二週間の稽古の時と、
嵐士
あいつ
にやられた時の傷も、だいぶ良くなってきたな」
腕を軽く回し、脚を伸ばす。確かに、以前より動きが軽い気がする。湯から上がり、洗い場の鏡の前に立つ。
湯気でぼんやりと曇った鏡を手で拭い、映った自分の姿をじっと見つめた。
(ムネはまだまだ物足りないけど
……
もっと育たないかな)
少しだけ唇を尖らせる。そんなことを考える自分に、もう戸惑いはなかった。
女として育っていくこと。その未来を思い描くこと。
――
それが、いつの間にか宗真の中で自然なものになっていることに、本人は気づかない。
(「恋人の聖地」かー
……
)
磊々峡のことを思い出す。
(いつかオレも、誰かとここに来たりするのかな?)
雪の遊歩道。白い息。並んで歩く影。その時、隣に立つのは
――
(やっぱり、新倉さんかな
……
?)
今度は男の時の自分を思い描く。新倉よりも背が伸びていて、手を繋いで、静かに雪道を歩く。
ちょっと照れくさくて、でもどこか誇らしい。そんな光景が、ふっと頭に浮かぶ。
(でも、海成と来てたら、磊々峡についてもっと色々教えてくれそうで、それも楽しそうだよな)
「ここはね
――
」
なんて得意げに説明する姿が、ありありと想像できて、思わず笑みがこぼれる。そして、海成といる時の自分は女の子として想像してしまう。
(ヨツダは
……
)
そこで、不意に胸の奥がちくりと痛んだ。
(好きな人いるって言ってたし)
湯の温かさとは裏腹に、胸の内側だけがひやりとする。
(
……
オレじゃない女の子と来るのかな)
想像した瞬間、喉の奥が少しだけ詰まった。湯船に戻り、ぶくぶくと肩まで沈む。
「
……
なんだよ、それ」
自分でもうまく説明できない感情。
羨ましさなのか、悔しさなのか、それとも
――
。
湯面に映る天井をぼんやりと見つめながら、宗真は小さく息を吐いた。
外では雪が静かに降り続いている。白く染まる世界のどこかに、自分の未来もあるのだろうか。
湯のぬくもりの中で、宗真はまだ名前のつかない想いを、そっと胸に抱えていた。
湯船の縁に肘をかけながら、宗真は天井を見上げる。
(ヨツダの好きな人って、誰なんだろうな?)
付き合いは長い。休み時間も放課後も、何かと顔を合わせてきた。
けれど
――
。
(そんな素振り、全然
……
)
そこまで考えて、ふと胸の奥がざわりと揺れた。
(まさか、オレだったりするのか
……
?)
次の瞬間、自分で自分の考えを打ち消す。
(いや、それはねえだろ!?)
宿泊学習の夜、ヨツダははっきり言っていた。「友達」だと。
(でも
……
)
記憶の奥から、別の言葉が浮かび上がる。
「『練習』か。まあ、お前とじゃ、ある意味本番みたいなもんだけど
……
」
あの時は、軽口だと思った。からかわれているのだと、そう受け取った。
(これって
……
オレが“可愛い女の子”だから、本番並みに緊張するって意味だと思ってたけど
……
)
心臓が、どくんと大きく鳴る。
(あいつの好きな人=オレって意味か
……
?)
思わず、ざばっと湯を跳ね上げて立ち上がる。鏡に映る自分の顔は、真っ赤だった。
長湯のせいか。それとも、今よぎった想像のせいか。
(まさかな
……
?)
けれど、否定しきれない。もし本当にそうだったとしたら。胸の奥が、さっきとは違う意味で熱を帯びる。
(でも、次にあいつに会った時
……
どんな顔したらいいんだろ)
今まで通りでいられるのか。それとも、何かが変わってしまうのか。湯気の向こうで、視界がぼやける。
宗真はそっと額に手を当て、小さくうめいた。
「
……
もう一回、頭冷やしてから出るか」
そう言いながらも、心臓の高鳴りはなかなか収まらなかった。
脱衣所の向こうから、静乃の声がした。
「宗真ー、まだ入ってるー?」
「う、うん
……
もう出たほうがいい?そろそろ夕飯だっけ」
「ううん。ちょっとね、私たちももう一回入ろうかなーって」
「いや、ダメだろ!?オレに姉ちゃんたちの裸見られるのはまずいでしょ!」
「まあ、あんたが『今』女の子なら、別にいいんじゃない?ねえ、響?」
「うん、あたしはまあいいけど
……
まさか、今ちょうど男に戻ったとか?」
「いや、そうじゃないけどさ
……
姉ちゃんズがよくても、オレのほうが
……
!」
「あんたと一緒にお風呂入るなんて、子どもの頃以来だしさ。せっかくだから、女の子のうちに久々に“裸の付き合い”ってのも、どうかなーって思ったんだけど
……
嫌だった?」
その言葉に、宗真は一瞬黙り込む。
(そっか
……
言われてみれば、こういう機会でもないと
……
)
姉たちと一緒に風呂に入るなんて、もう何年も前の話だ。今の自分は女の子で、しかも“期限付き”かもしれない。
(まあ
……
姉ちゃんたちがいいって言うなら
……
いいのか?)
少し迷ってから、宗真は意を決したように口を開く。
「
……
わ、わかったよ。
……
入っていいよ」
その声は、いつもよりほんの少しだけ小さかった。
三人は並んで湯船に浸かった。
(やっぱ静姉は
……
でっかいな
……
)
何がとは言わないが。
(
……
あれ? 響姉もオレ側だと思ってたけど、思ってたより着痩せしてるじゃねえか!?)
「
……
響姉の裏切り者」
「は?あたしがいつ何を裏切ったっていうのよ
……
」
「ていうか、見すぎ」
そう言って、静乃は湯船のお湯を手ですくい、宗真の顔に軽くかけた。
「わっ!ごめんごめん
……
!」
「身内とか相手の性別とか関係なく、人の身体をジロジロ見るのはダメだからね」
「うん
……
プール行った時も、そのことでゆきに怒られたっけ」
「しかも友達に対して前科あり?
――
最低ね」
もう一度、ぴしゃっとお湯が飛んでくる。
「ご、ごめんって〜!」
「あんた、嵐士くんのこと言えないじゃん。そういうの、ダブスタって言うんだよ」
「うぅ
……
ごめんなさい
……
」
「嵐士くん、今頃なにしてるのかしらね」
「やめようよ、あいつの話なんて
……
。あ、響姉は興味あるのか?」
「なになに?響って、まさかの嵐士くん派だったわけ?」
「ち、違うって!宗真が話を逸らしたいだけでしょ〜」
そんな他愛ないやり取りをしながら、湯気の向こうで笑い声が弾む。
三姉妹(?)の賑やかな時間が、ゆっくりと過ぎていく。
ただ
――
この時間が、いつまでも続くものではないことを。三人とも、心のどこかでわかっていた。
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