kanaco
2026-04-19 08:56:50
3300文字
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【四信】カスミソウ

《四信》未成立の四信。よそ行きの信を見てモヤモヤした四仔が、思わず手をのばして、自分の感情を自覚するおはなし。

 四仔が信一を見かけたのは偶然であった。

 陽が傾いてきた頃だ。注文していた漢方を馴染みの店で受け取り、バイクに跨った時だった。真っすぐ数メートル先の歩道に、妙な雰囲気を放つ車が止まった。装飾が派手であったり、異様な動きをしているわけではない。しかしカタギじゃない、という判断は四仔にとっては難しくなかった。

 四仔は嘆息した。

 ───黒社会は嫌いだ。
 関わらないに越したことはない。

 目が合って変に絡まれても困る、とすぐにその場を立ち去ろうとした。

 しかし、思わず動きを止める。
 なぜなら……車から降りてきたのが、見知った男だったからだ。


 四仔がよく知る男。
 
 九龍城砦のNO2──、藍信一であった。


 車から出てきたのは彼一人。ただし車から降りたものの、ドアを開けたまま中にいる人物と喋っている。

 四仔は動きを止めたままだった。車と信一の関係が気になったのではない。信一の立ち姿に、どうしてか目が離せなくなったからだった。

 日頃のパンク・デニムスタイルや、シャツとネクタイを崩すラフな着こなしとは一風違う。商談場などの隙がない、冷たい印象のフォーマルとも違っていた。

 春らしいアイボリーのカットソーは、シルエットが緩く柔らかな雰囲気を纏っていた。一方で、袖を通さず肩にかけられた、きっちりとしたグレージュのトレンチが信一を少し大人びさせる。

 ちゃんとしている。けれど、甘い”隙”もある。
 誰もが思わず手を触れたくなるような魅力……四仔からすれば”危うさ”を、信一は自然に纏っていた。

 服装だけではない。信一が車にいる人物に対し、穏やかかつ丁寧に受け答えをしているのが分かる。いつもはふざけて調子の良い青年が、凛と背筋を伸ばしながらも、まろやかかつ慎ましやかに見えた。

 信一が車のドアを閉め、お辞儀をする。車が静かに走り去ると、信一は振り返って四仔を見つけた。正面から瞳を交わす。

 四仔の目に、信一が胸に抱えている花束が映った。胸元に白い小花がふわりと広がっている。ホワイトレースフラワーに、カスミソウ。そこにユーカリの緑が混ざり、シンプルな彩りに深さを出す。

 清楚さと可憐さ——、それが今の信一に妙に似合いすぎていた。
 少しやりすぎでは、と思うほどに。
 
 信一が四仔を見て、静かに美しく笑んだ。
 穏やかな表情の中に、芯のある強い瞳。
 目を引くような光が、その奥にある。

 やはりいつもとは違う空気に呑まれそうになった四仔は、まるで作り物のような信一の微笑みを受けて、ムッとして我に返った。

 どうにも、自分にまで”よそ行き”の対応をしているように見える。
 それがやけに腹立たしかった。理由は分からない。でも腑に落ちない。
 
 四仔の気持ちを知ってか知らずか、信一が颯爽とこちらに向かって歩いてきた。

 その堂々たる歩き姿も気品や清冽さが滲んでいる。淡いベージュのテーパードからシックなローファー。軽やかだが、落ち着いた足取りだった。
 
 きっと今の信一は龍捲風の右腕のモードに入っているのだ、と四仔は思った。好戦的な感じはしない。車の主とは親しい仲なのかもしれない、と考える。一方で振る舞いからは、かなり気を遣っているようにも見えた。

「四仔、奇遇だな」
 
 近寄ってきた信一は、人形のような端正さを崩さない。しかし待っても四仔が返事をしないので、やっと目に不思議そうな色を宿した。少しだけ、いつもの間抜けた表情に戻った気がしたが、四仔はもの足りなかった。

「おい?」
 
 信一が四仔に疑問を投げかける。
 今や信一の瞳は四仔しかみていない。
 
 でも……

 面白くない気分は残ったまま。
 ──こんな澄ました顔をするヤツだったか。
 誰に向かってその顔をしてるんだ、というツマラナイ感。
 
 四仔は不審がる信一の疑問は無視した。その代わり、おもむろに両手を出す。

 それから無表情と無言のまま。
 信一の頬をしっかり摘まんで、揉みしだくようにムニムニと引っ張った。

「ふぁぁぁあぁ????」

 信一が素っ頓狂な声を上げた。四仔は相変わらず気にしない。何を考えているのか分からない表情のまま、信一の頬を理不尽に動かすだけだ。そんなにひっぱったら頬が伸びちまう!と信一が焦ったように聞く。

「ひゃひひゃってんほ、しぇいしゃい?」

 無理に喋ろうとするから、何を言っているか分からない。信一は動揺したままだったが大きな抵抗はしなかった。好きにされつつも、眉間に皺だけが寄っていく。

 やがて……四仔はパッと両手を離した。

 信一は怒りたいのか、安心したのか、困惑しているのか……。色々な感情がこもった複雑な表情で、反対にやけにスッキリした顔をする四仔にムッと声をかけた。
 
「なんだよ、もう!」
 拗ねたような子供染みた顔をして、キャンキャンと吠える。
「俺のイケメンが変形したらどーしてくれの!」

 両頬を手のひらで抑えながら涙目になって抗議する信一を、四仔はジッと見つめた。
 
 満足と安心が、じわじわと広がっていく。

 四仔はフッと息をつくように微笑んだ。

「はぁぁぁ?」

 それを見た信一が、目を点にして間の抜けた顔をする。クルクルと変わる表情は大振りで思考が分かりやすい。四仔はずっと感じていたモヤが晴れたような気分になった。

「やっぱり、お前は顔がうるさいな」
「マジ、四仔さっきからケンカ売ってる!?」
 
 それなら買いますけど!?と信一が目くじらを立てたのを、やっぱり無視した四仔はポン、と取り出したものを放った。条件反射で手をのばした信一は見事にキャッチすると、その物が何か知って目を丸くした。

 ヘルメットだった。

「もう用事がないなら、乗っていくか?」
「え!」
「他用があるなら、別にいいが」
「ないないない!乗る乗る乗る!!」

 先ほどまでの不機嫌が嘘のように、今度は嬉しそうにニコニコと笑う。四仔よりも先にバイクへ跨りそうなテンションに、四仔は呆れたような顔をしながら、バイクに跨るとヘルメットを準備する。喜々とした信一が後ろに乗り、準備をすると四仔の腰に手を回した。

 気安い。調子がいい。遠慮がない。

 顔を見ないのに、信一の屈託ない笑顔が見えるようだった。

 四仔は自分の気持ちが完全に晴れているのに気がついた。
 
 さすがにここまでくると、気持ちの陰りと晴れの変化が、何からきているのかが分かってしまったような気がする。子供が友人を取られて機嫌を損ねたか。馬鹿らしい。そんな年でもないだろう。それに似ているかもしれないが、一方で同じとは思えなかった。


 好き、という感情が芽生えている。嫉妬するほどに。


 その感情への気づきは、癪に障る気もするが、認めてしまえばしっくりとくる。

「でもどういう風の吹き回しなんだ?機嫌がいいわけ?さっきはそう見えなかったけど」
「機嫌は……今良くなったところだ」
「ふーん、よく分かんないけど、変なヤツ」

 すっかりいつも通りのノンキな男は、何も気がつかず、無防備に背中にひっついたままだ。服の柔らかい感触が四仔に伝わる。それから背中に、あのブーケ。自分の腹と四仔の背の間に挟んでいるらしい。なんて横着な……と思いつつ、四仔はふと、花言葉を思い出した。

(カスミソウ……無邪気、だったか)

 無垢、という方の花言葉はさすがに幻想すぎると思うが。

 飾り気のない、自然体の信一の方が似合っている。

 そっちの方が……らしい、と四仔は思った。

「っていうかさぁ、お前バイク乗れるなら言えよぉ!しかも持ってるのかよ。今度一緒にツーリングしようぜ」
 
 信一が声を張り上げて言う。
 四仔は信一に気がつかれないよう、静かにそっと笑った。
 
………………気が向いたらな」
 
 そう返すと、四仔はバイクのハンドルを握り、スタンドを外すとエンジンをかけた。