かなざわ
2026-04-18 22:03:32
6604文字
Public
 

大は小を兼ねるっていうよね

よだつかワンライ第5回お題「独占欲」で参加&投稿作品。作成時間4h50min。一時間とは?っていう作成時間になってますけれども…
よだつか未満で、夜鷹(恋心自覚あり)→→→司(恋心無自覚)。慎一郎は純に相談されていて、後押ししてる。
前に投稿した「そもそもサイズが違いますけど」の純視点ですが、多分これだけでも読めます。

 明浦路司を貸し切り枠に呼ぶようになったのは、慎一郎に提案されたからだった。
 純が秘密裏に携わっていた狼嵜光のコーチという立場から降りた後、詳細は割愛するが色々あってコーチ復帰とまでは行かずともアドバイザーのような立ち位置に至るまでに、司が色々と関わっていた。功労者とまでは行かないが、純から見ても結構巻き込んだなと思えるほどには。
 純は再び名古屋に住まいを戻し、以前よりは少ない頻度でリンクの貸し切り枠を取っていた。たまに慎一郎も誘い、思い思いに氷上で時を過ごす、そんな日々。
 その中でふとした時に、慎一郎に「明浦路司に借りを返したいが、どうすればいいのか」と問いかけたのが発端だった。
 驚いた顔をした慎一郎に幾つか質問をされ、最終的に「純くんは明浦路先生と親しくなりたいってことだね」と結論付けられた。その時の慎一郎が至極嬉しそうな笑顔だったことを、純はハッキリと覚えている。司と親しくなりたい、その言葉を自身が否定しなかったことも。
 そうして慎一郎に「明浦路先生を貸し切り枠に招待するのはどうかな」と提案され、純はそれに頷いた。司の連絡先を知らない純は、司への誘いに関しては慎一郎に一任することになったが。
 最初こそ緊張した面持ちで純の様子を伺っていた司が、意を決したように直接純に話しかけてきたのは貸し切り枠に誘い始めて数回目の時だ。
「夜鷹さんはどうして、俺を貸し切りに呼んでくださるんですか」
「君は乗りたくないの」
 口に出してから、この言い方は狡いかな、と思った。
 一度氷上に魅せられた者は、本質的にはどこまで行っても『ここ』から逃れることは出来ない。純が今もってそうであるように。
 氷に乗りたいか乗りたくないかで問われれば、乗りたいに天秤が傾くに決まっている。
「それは……乗りたいです」
 司は純の言葉に何やら諸々言いたそうな顔を見せたものの、その殆どを飲み込むことにしたらしかった。全てを削ぎ落としたシンプルな答えは、純を満足させた。
 氷に乗りたい、氷の上にいたい。建前も世間体も立場も思惑も、衝動の前ではどれもこれもが無力だ。
「なら、好きにすればいい。僕は君に強制しない」
 乗るのも、乗らないのも。好きに決めていい。

 純がそう告げた後から、司の様子が変わった。
 司はコーチとして働いていたり、その他の面でも純に比べれば世間との関わりが多い。だがその合間を縫って、出来る限り貸し切り枠の誘いに参加するようになった。
 与えられた時間を有効に使おうという姿勢は変わらない。純や慎一郎のスケーティングから一つでも多くを学ぼうとしているのも分かる。ただ、それ以上に司自身がこの時間を楽しむようになっていると感じられた。
 高峰匠に師事を受け、司が育んでいったスケーティング。一度観ただけで純の記憶に残るほどの美しいそれを、惜しげもなく披露している。
「明浦路先生、楽しそうだね」
……そうだね」
 ゆっくりと滑りながら司のスケーティングを眺めていると、慎一郎が近づいてきた。純と並走しながら、声を潜めて話しかけてくる。楽しそうだ、と言った慎一郎自身もどこか嬉しそうな様子だった。
 司の長身がよく映えるジャンプも目を引くが、アイスダンス仕込みのステップは特に圧巻だった。基礎に忠実に丁寧で、時には大胆に魅せる力強さもある。深く傾いたブレードが照明を反射し、ピカピカと光が跳ねた。星の瞬きにも、灯台の灯りのようにも見える、光の煌めき。
 普段は表情がくるくると変わる司だが、氷上で滑っている際は別人を疑うほどに静かだ。ゆっくりと、この時間を噛み締めるように、司のブレードが氷に円を描く。
 ここにいるのが楽しくて、嬉しくて、幸せなのだと。司は派手な表現はしていないのに、見ている方にまで感情が伝わってくる。
 君だけじゃないよ、と。内心でそう呟いて、純はぐんとスピードを上げた。冷たい風が頬を撫でていくのが、心地いい。
 高揚する気分に乗って、そのまま体勢を整え踏み切った。重力を振り切る一瞬の浮遊感、回る視界の中でチカチカと瞬く光、降りた脚にかかる負荷を耐え、着氷する。
 視線を感じた。純と慎一郎と司。三人しかいない空間で、純の意識を引っ掻くような、それでいていっそ不躾なほどにまっすぐな視線の持ち主は、一人しかいない。
 競技中は数多の人間に見られていたし、特に審査員にアピールするのは当然だった。視線を奪い、引き込み、夢中にさせる。それは純にとっては技術であり、特別なことでも何でもなかった。
 なのに、競技から離れた今になって。たった一人の視線が、どうにも純の意識を掻き立てる。向けられる視線がチリチリと、純の心の端を焦がしている気がした。
 司の近くにいけば、慎一郎が言っていたように彼と親しくなれば、この焦燥感にも似た心地に折り合いがつくのだろうか。
 跳ぶ。司の視線はその間も、純に向けられたままだった。追いかけてくる視線が不快になるどころか、心地よく感じられる。
 そうだ、僕から目を外すな。
 ブレードを傾ける。司の視線を纏ったまま、純は再び氷を蹴って跳んだ。
 高速で回る視界の中、司の眼差しが見えるわけもないのに。照明の光よりも彼の視線の方がずっと眩しいな、と。そんなことを考えた。

 貸し切り枠の終わりは、氷の穴埋めをする。作業自体にはそう長くかからないが、その間に慎一郎と司がぽつぽつと交わす会話を聞くのが好きだった。
 いわゆる雑談というやつなのだろう。競技に関係のない話題に純が参加することはなかったが、他愛ない話で司の新たな一面を知れるのは収穫と言えた。読書と筋トレが好きなこと。居候先の親子と仲が良いこと。料理を作ること。日課のランニングで季節の移り変わりを目にしていること。
 この日がいつもと違ったのは、二人の雑談に初めて純が参加したことだろう。穴埋めの終盤、司が切り出したのがベッドの話題だった。ベッドの買い換えを目論んでいるという言葉を聞きながら、この話題なら話せる、と判断したのだ。
「寝具は相応の値段のものにした方がいい。パフォーマンスが変わるから」
 純の言葉を聞いた司が、ぱっと振り返る。その顔にはありありと驚きが見て取れて、そういえばこの雑談で発言するのは初めてだったな、と思い至った。
 いつもだんまりの純が急に話に入ってきたのが、司にとっては相当意外だったらしい。
「ええと……?」
「明浦路先生、純くんは睡眠時間が長いので、寝具に関しては私より詳しいですよ」
 何を言われたんだろう、と言いたげな表情の司を見かねてか、慎一郎が補足を入れてくれた。
 司は慎一郎を見て、その後純に視線を戻し、きょとんとしたまま一つ頷いた。頷きはしたが聞いた言葉の意味は理解しきれていない、そんな顔ではあったが。
「そうなんですか」
「バケツ、お預かりしますね」
 慎一郎が司の持っていたバケツを受け取り、リンクサイドへ出ていく。純の気持ちを知ってからの慎一郎は、不自然にならない頻度で二人きりになれる機会を作ってくれることが増えた。
 司はどこか呆然とした様子で空になった手を見つめている。どこか所在なさげな様子を見て手を差しのべたくなり、純は司の隣に並んだ。
 こんな時には、何を言うのが正解か。少し考え、純が出した結論と発言はというと。
「見に来る?」
……え?」
「ベッド。見に来たら」
 新調を考えているなら、実物を見に来ればいい。今は通販で色々購入が出来るが、参考として実物を見るのは悪くない話のはずだ。
 純としては親切心からの申し出であり、他意はなかった。純が住むマンションはリンクから近く、貸し切りで散々滑った後でも司の体力なら平気だろうと踏んだのだ。
 ここ最近の司は、貸し切りに参加し始めた初期の頃に比べればずいぶんとリラックスした様子を見せているから、少し自宅に上げるくらいなら問題ないだろう、と。
 氷の上が世界の中心である純にとって、貸し切り枠で何度か時間を共有した司とは十分に距離が縮まっているという認識だった。

 司との間にズレがあるのだと気付いたのは、純の住む部屋に辿り着いた時だ。司は玄関に入ってすぐ、上がり框の前で靴を脱がずに立ち尽くしていた。
「どうかしたの」
「ぁ、の……俺、その」
 言い淀む司の顔を見る。眉が下がり、落ち着かなさげに視線が揺れている。それは、今まで見たことのない表情だった。
 純に真っ向から挑んできた時とも、貸し切りに誘われて緊張していた時とも、違う。迷子の子供のように、ただただ「どうしたらいいのか分からない」という感情が前面に出ている。
 司の様子を見てふと思い出したのは、以前慎一郎が言っていた「明浦路先生は、純くんのファンだったみたいだよ」という言葉だ。
 何度かの貸し切り枠の中で、司から浮ついたファンめいた目を向けられたと感じたことは一度もない。リンクにいる際に司が純に視線を向けてくるのは珍しくなかったが、そこにあるのは自身の学びや確認の為がほとんどで、時折混ざる賞賛も必要以上の熱を帯びていたりはしなかった。
 けれど今ここは、リンクの上ではない。氷上ではスケーター同士でしかなかった関係性が、場所を陸上に移したと自覚したことで変化したのだろう。少なくとも、司の中では。
 靴を脱ぎ室内にいる純と、靴を履いたまま三和土に立っている司と。距離としては1メートルほどしかないのに、明確な境界線が引かれている。
 純は司の腕を掴もうとしたが、ふと思い至り動きを止める。純には見えない境界線が司に見えているというのなら、それを越えるのは司の意思でなければ意味がない。
「前にも言ったはずだけど」
 言いながら上がり框の端ギリギリに立つ。
 いつもは見上げている顔が、今は純から僅かに見下ろす位置にあった。顔を近づけ、その瞳を覗き込んだ。司は表情を固くしたが、動こうとはしなかった。
「僕は君に強制しない。君が決めることだよ」
 司の瞳を覗き込んだまま、そう告げた。
 境界線を越えるのも、超えないのも。どちらに進むにしても、司自身が望み、選び、決めたのだと自覚して貰わなければ。
 純の言葉を聞いた司が、ひゅっと息を呑んだ。間近にある瞳が戦きと戸惑いに揺れる。それでも、目は逸らされないままだった。
 暫しの間を置いた後。司が小さな小さな声で絞り出した「……お邪魔します」という言葉に、純はほんの僅かに目を細めた。
 司がぎくしゃくした動きで靴を脱ぎ、恐る恐る足を踏み入れる様を眺める。司を招き入れる為に半歩下がった純は、どこか芝居がかった仕草で手を差しのべた。
「どうぞ」
「え……
 一歩足を踏み入れるだけで相当な気力を使ったと言わんばかりの表情の司が、純が差し出した手を呆然と見つめている。手を見て、純の顔を見て、それからもう一度差し出されたままの手を見つめた。
 純に引く気がないと悟ったのだろう、司は何やら唸ってはいたがやがて諦めた様子で純が差し出した手にそっと手のひらを重ねてきた。
 触れた手は、驚くほどに暖かかった。暖かいを通り越して、熱いと感じるほどに。司は随分と体温が高いらしい。
「熱いね」
「すいません、俺体温高くて……っ」
「悪いとは言ってない」
 単に感想を述べただけなのに慌てた様子で手を引っこめようとするから、つい強く握ってしまった。司が小さく悲鳴をあげるが、構わずに手を引いて奥の部屋へ向かって歩きだす。
 辿り着いた寝室のドアを開け、部屋に入った。
「うわ、でっか」
 思わずと言った口調で、司がそう口にした。ぽかんと口を開けてる様はどこか無防備で、純の前でしたことのない表情だった。
「寝心地試してみたら」
「ぇ、ちょ、っと!」
 司の返事を待たずに、繋いだままの手をぐっと引いた。腕を支点にくるりと半回転、そのまま肩を押してベッドに腰掛けさせる。ぼふ、と音を立てて座り込んだ司は、突然の出来事に目を白黒させていた。
 混乱しながらも予告なしの動きに合わせてくるのは、流石と評価するべきか。
「寝てみていいよ」
「さ、流石にそこまでは……
「試さないと分からないだろ」
 司を座らせた際に、繋いでいた手は離されていた。熱すぎると思ったはずなのに、空いた手に物足りなさを感じてしまう。
 離れた体温を求めるように司の肩に手を置いて、軽く押した。触れたことで問答を続ける気はないと示したのが効いたのか、司は困惑した顔のままやがて頷いた。
「ええと……そ、れじゃあ、失礼します……?」
「うん」
……あ、すごい。柔らかいのに沈み込み過ぎないというか、ちゃんと体を支えてくれてる……腰と背中に良さそうだな」
 恐々と寝転んだ司だったが、すぐに表情が変わった。真剣な様子で、睡眠時の体勢や負担について呟いている。
 切り替えの早さに感心しつつ、純は部屋を出るべく踵を返した。
「え、あの、夜鷹さん?」
「ストレッチしてくる。好きにしてて」
「好きにって、ここで……?」
 司の呆然とした声の呟きを背中で聞きながら、純は寝室を後にした。

 純が再び寝室を訪れたのは数十分後だ。来客があるからと言っても、自身の調整に妥協はしない。
 果たして司の様子はどうだったかと言うと。
……寝てる」
 半ば強引に座らせた場所にそのまま寝転んだ体勢で、司は寝息をたてていた。座り込んだ状態から体を倒した為、膝から下はベッドの縁から下りたままだ。仰向けで、顔の横に置かれた自身の左手に頬をくっつけるようにしている。右の頬がわずかに上向いていて、特徴的な黒子がよく見えた。
 寝にくくないのかな、と近づいて顔を覗き込んだが、司は存外に穏やかな寝顔をしていた。
 いつも感情がたっぷり湛えられた瞳が閉ざされていると、印象が随分と変わる。控えめな寝息も相俟って、今の司は実年齢よりもどこか幼く見えた。
「今日は初めて見る顔ばかりだな」
 司の表情筋は純より多彩に動くようで、その語彙の多さもあってか感情表現がとても豊かだった。司と共にする時間が短い純が知っている顔など、ほんのわずかしかない自覚はある。
 だからこそ、見たことのない顔が見てみたかった。困惑する司の腕を引いたのも、玄関で躊躇する司に選ばせたのも、それだけが理由だった。
 純は司の寝顔を見ながら少し考えた後に一度寝室を出て、タブレット片手に再度戻ってきた。日課であるスケート動画鑑賞をするためだ。いつもならもっと大きな画面で見るのだが、今は司の隣にいたかった。
 一人で使うにはサイズの大きいベッドには、いくらでもスペースがあった。けれど純は敢えて司の顔が見られる隣に腰を下ろした。
 電源に指を置き、しかし手を離すと膝の上にタブレットを放ってしまう。純は暫し司の寝顔を眺めていたが、やがてそろりと手を上げてその頬に指の背で触れた。司の輪郭に触れて、存在を確かめるように。
「君の寝顔を見るのが、僕だけならいいのに」
 ぽつりと落とされた言葉は、拗ねた子供のような響きをしていた。純は自身から溢れた声音に苦笑し、そんな感情を引き出した司を軽く睨む。眠る司は、勿論純の恨みがましい視線には気付かないままだ。
 司の頬は、手のひら同様に熱かった。元来体温が高いのだろう。触れている指を少しだけ押し付けて、頬をむに、と挟む。
……ん」
 くすぐったかったのか、司が少し肩を動かした。吐息と寝言の中間のような声が洩れ、純は司が起きたのかと様子を伺った。
 しかし結局、司は目を開けることなく。
 純は安堵と残念さを同時に感じながら、司の頬に指を押し当てたままでいた。
……あついな」
 吐息のような呟きが、誰の耳にも届かないまま部屋に溶けていった。

 数時間後、目を覚ました司は隣で動画を見ている純を視認するとベッドから転げ落ちた。司はそのまま、土下座もかくやという勢いで謝り倒した。
 一頻り謝罪の言葉を口にし終えた後、げっそりとした様子で司が「シングルベッドの話してたんですけど、聞いてました?」と溢したのに対して。
 純は悪びれもせず、口を開いたのだった。