むかいえ
2026-04-18 19:49:43
4527文字
Public シャアム
 

チリトマトの誘惑

シャアムワンライ、お題「ハンバーガーショップ」。afterCCA和平生存if。地球でハンバーガー食べてる二人の話。

 かつて地球の重力に魂を引かれた人々を裁こうとした男と、それを食い止めようとした男。サイコ・フレームから溢れ出た未知なる光に包まれた彼らは、宇宙の塵となることもなく、最終的には錆びついたトタン屋根が並ぶ地方都市の雑踏に紛れていた。話し合いも殴り合いもして、互いにようやく収まるところに落ち着いたのである。
 
 午後の日差しが路地裏の湿り気を蒸発させ、気怠い空気が街を覆っていた。
 住み着いている古びたアパートからの買い出しの帰り道、アムロの半歩後ろを歩いていたシャアが、ふと足を止めた。立ち止まる気配に振り返ったアムロは、男の視線が真横に向いていることに気付く。辿れば、賑やかな街の中心地に相応しい、原色を多用した派手な看板のハンバーガーショップが見えた。
「アムロ、あれを見ろ」
 そう言いながらもアムロを置き去りにして、シャアがすたすたと店へと近寄る。彼が指差したのは、店舗のすぐそばに掲載された、期間限定のコラボレーション企画を告げる巨大なポスターだった。そこには、バンズから溢れんばかりの肉厚なパテと、これでもかと言わんばかりに、真っ赤なソースが塗りたくられたハンバーガーが鎮座している。
「『真紅の絶品・トリプルチリトマトバーガー』……か。妙に目を引く名前だな」
……また変なものに興味を持ったな、シャア」
 アムロは呆れたように溜息をついた。
 宇宙を騒がせた新生ネオ・ジオン軍の総帥も、地上での隠遁生活においては世間知らずな部分がある。特に贅の限りを尽くす必要もなかったが、こうした大衆向けの『ジャンクフード』には、軍人時代も含めて縁が薄かったのだ。
「フフ、これも一種の文化研究だ。今後も目立たないように馴染むには大衆のことも知らなければな。ほう、チェーン店か。ならば別の街でも巡り合うかもしれん。その時に不慣れでは目立ってしまう。……それに、この色が私を呼んでいる気がしてね」
「つまり食べたいんだろ。なんでそんなに赤色が好きなんだ……?」
 つらつらと理由を並べ立ててでも、シャアはこのハンバーガーを食べてみたいらしい。アムロは苦笑しながら、それでも彼の好奇心を否定することなく、自動ドアの向こうへと促した。
 店内は、学校帰りの学生や、一息つく労働者たちの喧騒で満ちていた。
 レジの前に立つシャアの姿は、どこか場違いだった。背が高く、身に纏う安物のシャツさえも着こなしてしまうその佇まいは、隠そうとしても溢れ出るカリスマ性を放っている。
「ご注文をどうぞ」
 愛想の良い店員の言葉に、シャアは迷うことなく指を指す。
「この、一番大きく写っているものを。……セット、というやつにしてくれ」
 彼はメニューを読み込むことすら、一つの作戦行動のように真剣な眼差しで行っていた。一方のアムロは、手慣れた様子で最も標準的なハンバーガーとコーヒーを注文する。はたから見れば慣れたように注文していても、時折迷うように視線を動かし、隣のレジで会計している客の動きをちらりと観察したりしているのがアムロにはわかった。わかるくらいには、彼との付き合いも長くなってしまった。
 店内で食べるかテイクアウトするか、という店員の問いは予想外だったのか、シャアが数秒まごつく。アムロは淡々と「店内で」と助け舟を出した。
 
 数分待てば、二人分のハンバーガーの乗ったトレイを渡される。提供の速さにも驚いているシャアを引っ張って、アムロは混み合う飲食スペースを進む。出来れば目立ちにくいような空いている席はないかと視線を巡らせ、辿り着いたのは、店内の奥、非常口に近い二人掛けの席だった。
 シャアが先に腰を下ろし、その向かいにアムロが座る。
……狭いな」
「まあ、多分……大の男二人が向き合って座るような場所じゃなさそうだな」
 小さなテーブルを挟んで椅子こそ二脚あるものの、恐らくは一人客の使用を想定しているような、壁に囲まれた窮屈なボックス席である。しかし座ってしまったのなら、また席を探して移動するのも面倒だ。大人しく二人は向き合う。
 長身で鍛えられたシャアの体躯には、安っぽいプラスチックの椅子は少しばかり小さい。アムロもまた、パイロットとしてのしなやかな筋肉を宿した男の体格だ。テーブルの下で、必然的に二人の膝がぶつかる。
「おっと……
「すまない」
 謝りながら足を引こうとするが、逃げ場がない。結局、互いの脹脛が重なり合い、体温がズボンの生地越しに伝わってくる状態で妥協することになった。
 かつて殺し合っていた相手にここまで近い距離を許すのも、奇妙な感覚だ。アムロの鼓動は密やかに早まる。
 
 包み紙を纏っている時点でもその大きさを察していたが、剥がして現れた実物の『トリプルチリトマトバーガー』は、店舗のポスターに違わぬ威容を誇っていた。
 高く積み上げられたレタス、厚みのあるパテ、そして溢れんばかりの真っ赤な特製ソース。
……さて、どう攻略したものか」
 シャアは真剣な面持ちで、ペーパーに包まれたハンバーガーを両手で保持した。
「かぶりつくしかないだろ。作法なんてないよ、こういうのは」
 アムロは自分の簡素なバーガーを器用に手に取り、一口。シャアはそれを見習うように、意を決して大きく口を開けた。
 ガブリ、という擬音が相応しい勢いで、彼はバーガーの頂点へと挑みかかる。濃厚な肉汁と、ピリ辛のソースが口内に広がる。
「ほう……悪くない。人工的な味だが、なかなか癖になる」
 だが、問題はその構造にあった。
「あ……シャア、後ろ!」
 アムロの指摘は、一歩遅かった。
 正面からプレッシャーをかけられたハンバーガーは、その背面において防衛線を突破されたのである。たっぷりと挟まれたマヨネーズと赤いソース、そして千切りレタスが、包み紙の隙間からシャアの指先、そして顎へと滑り落ちたのだ。
「むっ、これは……!」
 慌てて体勢を立て直そうとするシャアだったが、一度崩れたバランスを戻すのは、大気圏突入時の姿勢制御よりも難しい。せめて衣服を守ろうと動かした指先は肉汁に触れてベタつき、口端には鮮やかな赤色のソースが筋となって垂れている。
 かつて厳粛に人々の前に立った新生ネオ・ジオン総帥が、紙ナプキンを求めて視線を泳がせた。手に持ったバーガーをどう置くべきかと、戦場では見せたこともないような狼狽えを見せている。
「くっ……あはは、何やってるんだ、あなた」
 ついぞ見たことのない男の情けない有様に、アムロはこらえきれず噴き出した。
「笑い事ではないぞ、アムロ。このソースの粘性は想定外だ」
「欲張らずに少しずつ食べればいいのに。ああ……ほら、じっとしてて」
 アムロは自分のナプキンを手に取ると、身を乗り出した。
 狭いテーブルの下で互いの足が擦れ合う。アムロの顔が至近距離まで近付く。シャアは反射的に身を固くしたが、彼の瞳に敵意がないことを悟り、まな板の上の鯉のように動きを止めた。
……全く。総帥殿が……いや、元・総帥殿か。口元をソースまみれにしてさ。ハハ、こんなの部下には見せられないな?」
 アムロは優しく、しかし確実に、シャアの左側の口端についた汚れを拭った。薄いナプキン越しに伝わる指の感触。繊細に、シャアを気遣うように柔らかく触れていく温もり。
 拭き終えたアムロが、ふっと満足そうに微笑んだ。その微笑みは、軍人としての仮面を脱いだ一人の青年の、無防備で透明な表情だった。
 シャアはその光景に、胸の奥を射抜かれるような衝撃を覚える。アムロが手を引こうとした、その瞬間には彼の手首を掴んでしまうほどに。
「シャア……?」
 包み紙と共にトレイの上に置き去りにされたハンバーガーは無惨な様相である。しかしシャアは気にしていない。
 シャアは無言のまま、自分の唇を拭ったアムロの指先を見つめた。そこには、ナプキンで拭いきれなかった赤いソースが、ほんの少しだけ残っている。
 抗いがたい衝動が、男を突き動かす。彼はアムロの手首を自分の口元へと引き寄せた。
「な……っ」
 アムロが止める暇もなかった。シャアは、彼の指先に残ったソースを、自身の舌先でゆっくりと舐め取ったのだ。
 湿った熱。舌のざらつき。指先の皮一枚を隔てて伝わる、互いの鼓動――青い瞳が、至近距離でアムロを射抜く。情熱的で、独占的な、執着の色を宿している。
……っ、シャア……! 何をしてるんだ!」
 アムロは弾かれたように手を引いた。唾液に濡れた指先が外気に触れて僅かに冷える。
 顔は火が出るほど熱くなっていた。店内の喧騒が急に遠ざかったような気さえする。しかしここは壁に仕切られているとはいえ、公共の場だ。
「なに、勿体ないと思っただけだよ」
 シャアはこともなげに言い放つが、その表情には、アムロを動揺させたことへの隠しきれない優越感が浮かんでいる。
「勿体ないって……そういう問題じゃないだろ! ここがどこだと思ってるんだ、外だぞ、この……馬鹿!」
 アムロは頬を赤く染め、声を潜めながらも全力で彼を咎めた。
「外じゃなければしていいのか?」
「駄目に決まってるだろう!」
「そう怒るな。ああそうだ……君も、もし食べ方が下手でソースがついたら、遠慮なく私に言いなさい。同じように、私が拭ってやろう」
 自信満々に、かつての演説の時のような朗々とした声で宣うシャア。まさにこの場の主導権を自分が握っているのだと確信している声だ。
 しかし、アムロの表情は、怒りから呆れへと変わり……そして最後には再び、我慢できないといった様子でゆるゆると綻んでいく。
……シャア。そんな偉そうな顔して言われても、説得力ゼロだよ」
「何?」
「反対側。――右の口の端にも、まだべったり付いてる」
 アムロが指差した先。
 先ほどアムロが拭ったのは左側だけだった。シャアの右側の口角には、依然として真っ赤なソースが、勲章のように居座っている。
 そんな顔では何を言ったところで、格好がつかない。
……ええい!」
 先ほどまでの余裕はどこへやら、シャアは慌てて自分の口元をナプキンでこすり始めた。
「あ、待て、広げてるよ。もっと右だってば」
「ここか? ……それとも、ここか!?」
「ちょ、あ、……貸せよ、もう!」
 結局、アムロが再び手を伸ばし、ガシガシと乱暴に彼の口元を拭き取ることになった。
「あなたって、なんでもできる癖にハンバーガーを食べる才能はないのかもな」
……黙りたまえ。次はもっと上手くやってみせる」
 不貞腐れたようなシャアの言葉に、アムロは弾かれたように笑った。
 かつて地球を壊そうとした意志も、それを防ごうとした正義も、ここにはない。
 
 ただ、安っぽいテーブルを挟んで、ジャンクフードを下手くそに食べる二人の男がいるだけだ。――これはただ、それだけの話なのである。
……次は、もう少し食べやすい店にしよう」
「ああ。だが、ここの味も悪くなかった。……君の指の味も含めてね」
「まだ言うか、このっ……悪趣味が……!」