ひよこ
2026-04-18 10:02:20
12496文字
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消せない想い

・サンルシ記憶喪失ネタ(今度はサンダルフォンの番)
・天司の機能について想像で書いているところあり(捏造注意)

 カナン。いつもは静寂に包まれている地であるのだが、今日は違っていた。

「サンダルフォン、妾達の準備は整った。いつでも行けるぞ」

魔力で紡がれた赤色の陣の上に立つミカエルが俺に合図を送る。俺はその声に頷きつつ辺りをみわます。俺を中心に赤の陣、青色の陣、茶色の陣、緑色の陣が形成がされている。それらの陣の上にはミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルがそれぞれ立っており、皆が俺を見つめている。遂にその時が来た。

「始めてくれ」

俺の言葉を皮切りに四大天司は各々の元素を一気に放出した。それに釣られて陣も輝きだす。陣は問題なく作用しているようだ。四大天司が放った膨大な元素が中央にいる俺に注がれていき、集めた元素を自らのコアに送り込む。コアには予めルシフェル様の御首級を取りこんでおいた。そして、集めた元素を使ってルシフェル様の身体を再構築していく。天司長の力を継承したとはいえ、天司長二人分に匹敵する元素を身体に取り込むのはかなり無謀な計画だった。成功する確率は低く、計画の要となる俺にも唯では済まない可能性が高かった。しかし、俺には一切の迷いはなかった。幾星霜も想い続けたあの御方と再び会える方法がこれしかないというのであればやらないという選択肢は俺にはなかったのである。

 意識が飛びそうになるのをどうにか耐える。俺のコアの中でルシフェル様の身体が徐々に再構築されていく。それとは対照的に俺の羽を構成するコアに徐々にヒビが入っていった。もう少し、あともう少しなんだ。だから、俺のコアよ……耐えてくれ。

 どうにか身体の再構築を終えた俺はルシフェル様の身体をコアから取り出し顕現させた。上手く呼吸ができない。四大天司がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。皆何か叫んでいるようだったが声が全く聞こえなかった。これではルシフェル様が目を覚まされてもそのお声が聞こえないではないか。徐々に意識が薄れていく。眠ってしまいそうだった。目を開けていられなくなり視界が狭まっていく。微かに見える視界にルシフェル様の身体が映る。まだ目を覚まされていないようだった。最期に、貴方の笑顔が……見たかった……

* * *

「サンダルフォン、おはよう」

暗闇の中、微かに声が聞こえてきた。とても穏やかな声だ。何だかとても懐かしい。段々とその声が鮮明になってくる。

「今日はとても良い天気なんだ。この空の中を君と飛べたらとても気持ちが良いだろうね」

ぼんやりとした意識の中で考える。この声の主は言う君とは俺のことだろうか?

「今日も君のために珈琲を入れたんだ。もう冷めてしまったため君の分まで飲んでしまったが……。君が起きたら直ぐにでも新しいものを入れよう。だから、どうか起きてくれないか?」

チュッという音と共に何か暖かいものが額に触れた感覚があった。今のは一体何だろうか。確かめるために目を開けると蒼く透き通った空が見えた。いや、これは……

「瞳?」
「サンダルフォン!起きたか!」

蒼が急速に遠ざかり、その全貌を把握する。寝ていた身体を起こしてその瞳の主を確かめる。とてもお美しいこのヒトは……

「貴方は天司長様……ですよね? ここはどこでしょう?」

その言葉を聞いたは天司長様は微かに哀しそうな顔をしたがすぐにその表情を引っ込めた。そうして、ここはカナンと呼ばれる地であると説明頂いた。

「想像の範囲内であったが、コアの損傷が君の記憶機能にも影響をもたらしていたようだ。だが、案ずる事はないよ。」

そう言ってベッドに腰をかける天司長様。俺の腰に手を回され優しく抱擁された。そして頭を撫でられる。この状況は一体何なんだろう。だが、不思議と気分が和らいでいく。それだけではない。このヒトの笑顔を見ていると無性に泣きなくなってしまう。見た事などないはずなのにとても懐かしいと感じる自分がいた。

「天司長様。貴方のお名前を教えて頂けますか?」

天司長様に抱擁されてから三十分程経過した。いくら気持ちが落ち着くとはいえずっとこのままなのはさすがにどうかと思い、俺は天司長様に問いかけた。すると天司長様は自身の名がルシフェルであると伝えてきたのである。ルシフェル様……。何て素敵な響きなんだろう。ルシフェル様、ルシフェル様と頭の中で何度も反芻する。

「サンダルフォン。君が落ち着いたようで良かった」
「はい。ありがとうございました。天司長様」
「ルシフェルと名で読んで欲しい」
「は、はい。ルシフェル様」

俺が名前で呼ぶとルシフェル様は笑顔を一際輝かせた。美の化身とも言っても過言でないルシフェル様の笑顔を浴びつつも、思ったより動揺しない自分が何だが不思議だった。先程からそうなのだが、むしろ妙に落ち着くのだ。もしかしたら美形にかなりの耐性があるのかもしれない。

「君は自身についてどれほど把握できているのだろうか。教えて欲しい」

そう問われて、俺は自身の状態についてチェックする事にした。そういえばルシフェル様がコアの損傷がどうとか言っていたが……。調べたところ損傷はないようだ。だが、防御機能を有する羽のコアが思ったように動かせない事に気付いた。これでは羽を出す事ができない。それだけでない。天司としての戦闘能力もろくに発揮できない状態であることが発覚した。

「ルシフェル様!天司としての機能が殆ど発揮できない状態のようです!これは一体どういう事なのでしょうか?」

その言葉を聞き、ルシフェル様の表情に影が落ちる。そして真剣な表情で俺の名を呼んだのだ。

「今から話す事をよく聞いて欲しい。君についての重要な話だから」

* * *

 そうして、俺はルシフェル様から教わった。俺が何故記憶を失ったのか。ルシフェル様が何故一度消滅してしまったのか。その原因を引き起こしたのは……

「俺はなんて事を……
「サンダルフォン。案ずる事はない……、とは言わないよ。その言葉で君を何度も傷つけた事を今は自覚している。それに過去の君が自身で罪を背負うと言っていたからね。だから、共に罪を背負いたい」

ルシフェル様は俺の手を両手で包み込むように握る。その真剣な表情を見るのが辛くなり目を背けた。俺が災厄を引き起こし、この御方を害そうとしたなんて事があるはずがない。と、一蹴できればどんなに良かっただろう。だが、俺には分かる。この御方がこのような嘘を付くはずがない。真実なのだ。ルシフェル様は共に罪を背負いたいとおっしゃってくださっている。だが、そんな言葉を掛けてもらえる資格が俺にあるのだろうか。いや、あるはずがない。

* * *

 俺が目を覚ました翌日の朝。俺はルシフェル様と珈琲を飲みながら、グランサイファーという艇がカナンの地に到着するのを待っていた。最初に入れていただいた珈琲を飲んだ時は泥水かと思ったが、不思議なもので二杯三杯と飲むうちにどんどんと舌が慣れていき、今ではその味や香りの奥深さに魅了されている。ルシフェル様が入れてくださる珈琲だからだろうか。……しまった。またルシフェル様のペースに飲まれてしまっている。俺がルシフェル様と距離を置こうとしてもルシフェル様の巧みな話術でいつの間にか共に行動してしまっているのだ。昨日は、ルシフェル様に横抱きにされて空を優雅に遊覧するというとても恐れ多い事を行って頂いた。先程はおはぎをご馳走になってしまった。カナンの地に寝台や珈琲セットなどを運んでくれた天司の郵便屋さんであるハールート・マールート。その天司達の付き添いで来たアズラエルという天司からおはぎを貰ったとの事だった。沢山貰ったから冷凍保存していたのだと保存場所を紹介頂いた。カナンの地は静寂且つ少し荒廃的な場所に見受けられたが、寝ている俺を見守るルシフェル様の手によって幾分か生活感の感じる場所へと変貌してしまっている。その事を俺達を迎えに来た特異点にも指摘されてしまった。

……それより、サンダルフォン。体調はどう?記憶喪失なんだって?」
「天司の能力が今は使えない状態ですが、体調そのものは問題ないです。記憶喪失についてはルシフェル様に見て頂いたところ一時的なもののようで、いずれ思い出せるだろうとの事でした」

そう返答したところ特異点が少し不気味そうにこちらを見てきた。何か返答がおかしかっただろうか。特異点の背中にいた赤き竜が俺の目の前に飛んでくる。

「お前が俺達に敬語使うなんて少し気味悪りぃな」
「ビ、ビィさん!そういう事は思ってても言っちゃダメですよ!」

蒼の少女、それはフォローのつもりなのだろうか……。まぁ良い。過去の俺は態度に問題があったようだ。今からでも印象を回復できるだろうか。そう思い特異点に声を掛けた。

「過去の俺は態度が悪かったようで本当に申し訳なかったです。今後は態度を改めますので今後もどうぞよろしくお願いします」
「サンダルフォン?」

ルシフェル様が俺の言葉に反応する。それもそうだろう。元々は世話になった特異点達に挨拶、ついでに騎空艇内にある俺の備品の回収するのが目的だったのだから。だが、俺は一刻も早くルシフェル様から離れたかった。これ以上側にいられると離れ難くなってしまうと本能で感じていたためだ。しかし、その思惑を特異点によって阻止されるとはつゆにも思っていなかった。

「うん!今後もよろしくね!実はサンダルフォンがまた艇に乗りたいって言ってくれると思って準備しておいたんだ。これからはルシフェルさんと一緒に過ごせるよう二人部屋を確保しておいたよ!」
……はい?」

その言葉にルシフェル様は目を輝かせた。

「特異点。私も君の艇に乗せてもらっても良いのだろうか」
「勿論です!サンダルフォン、今天司の力全く出せないんですよね?ならルシフェルさんのサポートが必要なんじゃないですか」
「そうだな。サンダルフォンのサポートは任せて欲しい」

俺が呆然としている間にあれよあれよと話が進んでしまった。俺はルシフェル様と離れたかったのにどうしてこんな結果になってしまったのだろう……

「特異点。用意してもらったところ大変申し訳ないのですがルシフェル様と部屋を分けてもらえないでしょうか。艇内で戦闘は起こらないでしょうから同室である必要はないと思います」

せめてもの抵抗を試みる。俺の言葉を聞いたルシフェル様は少ししょげていた。

「うーん。個室の空きがもうないんだよね。だからルシフェルさん一人で二人部屋使ってもらうしかないんだよなぁ。団員が増えたらその人と一緒になってもらうけど、それでも良いですか?」

団長がルシフェル様に尋ねた。ルシフェル様は俺を見つめながら話される。

「サンダルフォン……。私と同室になるのはどうしても難しいのだろうか」

瞳をうるうるとさせながら訴えてくるルシフェル様。そのお姿にいたたまれなくなり思わず即答してしまった。

「同室で問題ありません!」
「! そうか。ありがとう」

ルシフェル様は先程までと打って変わってニコニコと笑顔を綻ばせている。……またルシフェル様にしてやられてしまった。

* * *

 艇に入り団の面々に軽く挨拶した後、俺が元々いた個室から二人部屋へ荷物を移動する作業を行うことにした。ルシフェル様は手伝おうかと申し出てくださったのだが、丁寧にお断りさせて頂く。過去の俺の私物を見られるのが何となく躊躇われた為だ。今頃は団長達に連れられて艇内を見回っているはずである。

「後、一往復で終わりそうだな」

木製の引き出しを開けながら一人呟く。昔の俺はあまり私物を持たないタイプだったようだ。引き出しの中に入っていたものも直ぐに移動できそうな量だった。入っていたものを木箱に入れていく。引き出しの上段、中段に入っていたものがすんなり木箱に収まった。最後に下段の引き出しを開ける。そこに入っていたのは……

「箱?鍵が掛かっているな」

両手で支えられる程度の大きさの赤い箱があった。過去の俺にとって大切なものが入っているのだろうか。中身が気になった。そういえば別のところを片付けている時に鍵を見つけていた。それがこの箱の鍵なのかもしれない。

 引き出しが空になった為、二人部屋に移動し、木箱の中ものを再び収納棚に閉まっていく。赤い箱を残して。そして、収納が一通り終わった後、木箱から赤い箱を取り出した。そして別の所に仕舞っておいた鍵を取り出して赤い箱の鍵穴に入れてみた。やはりこの箱の鍵だったようだ。カチッと鍵が回転した。だが、俺は解錠した箱を開ける事なく、再び鍵を掛けた。あんなにお優しいルシフェル様を憎み、災厄を起こした自分が怖かった。昔の俺がルシフェル様をどう思っていたのか、それを知るのが何だかとても怖かった。だから、俺の記憶を呼び覚ます可能性がある箱の中身は見ないで封じて置くのが一番だと判断したのだ。

* * *

 ルシフェル様のとの同室生活が始まってニ週間経過した日の朝。ルシフェル様は俺にこう提案してきた。

「サンダルフォン。今から団長のところに行って君について相談しようと思うのだが、君も付いてくるか?」
「俺について相談……ですか?」
「ああ。そんなに時間は掛からないはずだ」

俺が聞きたかったのはそういうことではないのだが……。ルシフェル様はとても聡明な方であるが、たまにズレた発言をなされる。そのような抜けた一面を持つこの御方がとても愛おし……、いや、俺は今何を考えた。だめだ。またルシフェル様の事を考えてしまっている。高鳴るコアを落ち着ける為に深呼吸を行なった。

「どうした、サンダルフォン」
「すみません。考え事をしておりました。是非ご一緒させてください」
「良かった。では、行こうか」

 こうして、俺達は団長の部屋に向かったのである。ルシフェル様がノックをし、団長からの返事を聞いてから入室した。団長に手招きされて用意されていた木製の椅子に座る。

「団長。多忙の身でありながら私の相談に乗ってくれてありがとう」
「団員の悩みを聞くのも団長の勤めですからね!それで、何か悩みがあるって聞いたけどどうしたんですか?」
「今日はサンダルフォンから距離を置かれてしまっていることについて相談をしに来たのだ」
「「ええ?!」」

思わず声が出てしまった。団長も思うところがあったのか、俺とルシフェル様の顔を交互に見比べている。

「あのー。ルシフェルさん。サンダルフォンが聞いてるけど良いんですか」
「ああ」
「それ、直接本人に相談した方が良いんじゃないですか?」
「それも考えたのだが、サンダルフォンに苦手だからと言われてしまったら暫く立ち直れない可能性があった。だから一旦君に相談する事にしたのだ」
「それならサンダルフォンがいない所で相談した方が良いと思うんですが……
「過去にサンダルフォンについて友……ルシファーと話をしていたのを彼に聞かれてしまっていてね。それが私達の別離のきっかけになってしまった。だからなるべく彼には情報を開示したいと思っているのだ」
「「……」」

 ルシフェル様……。気持ちはありがたいのですが……。恥ずかしさからか顔が熱ってきた。

……あはは。状況は理解できました。それで、私は何をすれば良いんでしょうか」
「サンダルフォンが私と距離を置こうとする理由は、彼が私を通じて彼の記憶を取り戻すのを怖がっているのではないかと思っていてね。何か彼の恐怖を取り除く良い方法はないだろうか」

 これは新手の拷問か?俺の気持ちをルシフェル様に勝手に代弁されて団長に報告されてしまっている。恥ずかしさで死にそうだった。相手がルシフェル様でなければ今すぐ口を塞いでやったのだが……

「やっぱりサンダルフォン怖がってたんだ……

団長が哀れなものを見るがのごとく、こちらを見つめる。ルシフェル様を避けている理由はこの御方のお側にいる事が相応しくないと考えている点が大半ではあるが過去を思い出すのが怖い事も事実であった。ルシフェル様以外にもバレていたなんて。露骨にルシフェル様を避け過ぎたかもしれない。恥ずかしさのあまり手で顔を覆った。

「記憶を取り戻す方法かー。やっぱり本人が記憶を取り戻したいと思うのが重要なんじゃないですか?」
「成程。どうしたらサンダルフォンがその気になってくれるだろうか」
「うーん、サンダルフォンが怖がっている理由って過去の自分に向き合うのが怖い、とかルシフェルさんの事どう思ってたんだろうとかで不安を感じてるとかですかね?」

団長がちらりとこちらを見てくる。図星を突かれて耳を塞ぎたくなったが、彼等がこれ以上変な事を言わないか心配になったため苦渋の思いで話を聞く。

「とっ、とりあえず記憶を失ってからのサンダルフォン、いつもどこか緊張していて落ち着きがなかったからまずはリラックスしてもらうのが一番かなーって思います。リラックスっていうと温泉とかですかね」
「リラックス……か。流石は団長。君に相談して良かった。では、帰ろうか」
……
「サンダルフォン、どうした?そんなに縮こまって」

貴方のせいで今、リラックスとは程遠い状態にあるのです。と言ってやりたかったのだが、ルシフェル様の笑顔を見るとどうしても絆されてしまう自分がいた。仕方なく、ルシフェル様から顔を背けつつ退室する。室外に出たルシフェル様は意気揚々とこう述べた。

「君がリラックスする方法を他にも検討する為に書物を調べようと思うのだが、君も付いてくるか?」
……俺は部屋で休ませて頂きます」
「そうか、ゆっくり休むと良い。ではまた」

そう言ってスタスタと立ち去ってしまう。自室に帰った俺はベッドの上でのたうち回る事しかできなかった。

* * *

 ルシフェル様から新手の拷問を受けてからニ週間後。俺達はアロハスの温泉に来ていた。ルシフェル様が俺がリラックスできるように旅行を企画されたのだ。ここには羽で飛んで来た。スピードはまだ充分に出せないが飛行可能なレベルには天司の機能が回復してきている。正確には、コアそのものは完全に回復しているのだが、一度甚大なダメージを受けたからか上手く動かせないのだ。記憶が戻ってコアの使い方を思い出せれば状況はすぐ改善するのかもしれないが……。生憎、記憶を取り戻す気は一切ない。記憶がない状態でも天司の機能を完全にできるようになるには当分時間が掛かりそうだった。

 温泉に浸かりながら辺りを伺う。俺は今全くリラックスできていなかった。温泉に来ている客の殆どがルシフェル様の美しいお身体に見惚れてしまっているのだ。気持ちは分かる。俺だって人目が無ければ何時間でも見ていたいからな。だから三秒までは許す事にした。人間、反射的に美しいものを見つめてしまう事もあるだろう。だが、三秒以上は許さない。いつまでもルシフェル様のお身体を盗み見るものがいたらこちらから鋭い視線を送って牽制してやった。ひたすら牽制に夢中になっていた俺は気付かなかった。ルシフェル様が俺の険しい表情を見て憂いていた事を。

 温泉の近くにあるホテルでも俺はリラックスできなかった。ルシフェル様はシングルベッド二つの部屋を予約されていたのだが、ホテルの手違いでダブルベッドの部屋になってしまったのだ。俺はソファーで寝ますと伝えたがルシフェル様がそれでは君がリラックスできないからダメだと一点張りで俺が折れるしかなかった。だから仕方なく二人でダブルベッドで寝る事にしたのだ。俺はルシフェル様になるべく接近しないよう端っこに縮こまる。ルシフェル様はそんな俺をただ黙って見ていた。

* * *

 翌朝、朝食を終えた俺達は早々に部屋の片付けを行なった。今はルシフェル様がチェックアウトの手続きをしているのを待合用の椅子から眺めているところである。今日も俺はストレスフルな状態だった。なぜなら、昨日のベッドに入ってからというもののルシフェル様と殆ど会話が発生しない状態だからだ。気まずいにも程がある。遂にルシフェル様に愛想を尽かされてしまったのかもしれない。なら、良いではないか。俺はルシフェル様からずっと離れたかったのだから。そう思っているはずなのに気分が晴れなかった。

「サンダルフォン。待たせたな。では、帰ろうか」
「えっ、もう帰られるのですか?」

予定ではこの後はアウギュステに行って海を満喫するはずだった。

「この旅行は君にリラックスしてもらう為に企画したものだ。だが、今君は全くリラックスできていないだろう。ならば早期に帰宅するのが君にとって最も良いはずだ」
……そうかもしれませんね」

沈黙が再び訪れた。暫くしてルシフェル様が恐々と話しかける。

「サンダルフォン」
「はい」
「どうしてもアウギュステの海が見たいのだ。折角の旅行だから最後に海を少し見たいと思っているのだが、付き合ってくれるだろうか」
「はい。問題ありません」
「ありがとう」

ルシフェル様は寂しそうに笑う。そのようなお顔をさせる事しかできない自分が嫌になってきた。

* * *

アウギュステの上空から海を見下ろす。ほのかに潮の香りが漂ってくる。砂浜や海が光を反射しており、キラキラと輝いて見えた。

「観光客で賑わっているな」
「そうですね」
……

沈黙からか、遠くにいる観光客達の笑い声が微かに聞こえた。ルシフェル様の目線は海に向けられたままだ。

「ルシフェル様」
「何だろうか」
「どうして、俺と海を見たかったのですか?貴方は海を見た事は何回でもあるのでは?」
「ああ。海を見た事は数多くある。だが、君と一緒に見た事は一度もなかった」

海を見ていたルシフェル様がこちらを向く。とても穏やかな表情をしていた。

「君と、約束していたのだ」
「約束……ですか?」
「ああ。君が言ってくれたのだ。役割を見つけて自由に外出できる身になったら共に海を見たいと。海だけではない。この空に浮かぶ様々な景色を一緒に見たい……と」
……そう、だったのですか」
「ああ。だから、君と一緒に見れて嬉しかった。では、帰ろうか」
笑顔でそうおっしゃるルシフェル様。どこかぎこちなさを感じる。そのお姿に胸が痛む。俺は一体どうしたいのだろう。自分が分からなくなってきた。

* * *

 グランサイファーの甲板に到着した俺達。そこでルシフェル様は俺にこう告げた。

「サンダルフォン。私は今日を持ってこの団を脱退する事にした」

思わず息を呑む。

「実は団長には予め相談してあってね、この旅行が成功しなければ私は抜けると伝えてあったのだ。もうテレパシーで団長には連絡済みだ」
……あまりに急だから驚いてしまいました」
「そうだな、すまない。部屋に荷物は置いたままで問題ないと団長のお墨付きを貰っている。その厚意に甘えさせてもらう事にしたので、荷物は置いておくよ。何かあればまた立ち寄らせてもらう」

そう言ってあっという間に上空へと飛び去ってしまわれた。ルシフェル様が見えなくなった空をいつまでも見ているわけにはいかなかったため、自室に戻る。二人部屋がとても広く感じた。あれほど願った一人きりの生活が漸く叶ったのに、気分は沈んだままだ。ぼんやりと部屋を眺める。視界に入るもの全てがルシフェル様との思い出に溢れていた。飾り棚に入っている二客の珈琲カップ。そのカップに珈琲を入れて差し上げたらとても喜ばれた。部屋の隅にある珈琲の木。成長したら豆を挽ける程の量になるだろうかと楽しみにされていた。だか、ルシフェル様はもういない。ルシフェル様がそばに居る事が当たり前だったから、ルシフェル様が居ない空間がこんなにも寂しいなんて気付かなかった。居なくなってしまってから気付くなど、愚かにも程がある。もう、過去の自分を思い出すのが怖いという気持ちはどうでもよくなっていた。ただあの御方を追いかけて謝りたい気持ちでいっぱいだった。その為には天司の力を取り戻す必要がある。それができる可能性が最も高い方法に賭けるため、俺は歩き出した。

 引き出しに閉まっておいた赤い箱を乱暴に取り出す。それから棚にしまっていた鍵を掴む。そうして一ヶ月ぶりに鍵を解除する。そして、ゆっくりと赤い箱を開けた。そこに入っていたのは……

「手帳?」

そこには手帳が何冊も入っていた。何が書かれているのだろう。手帳を開いて中身を確かめる。

「これは、ポエムか?」

手帳に書かれていたポエムをひたすら読み漁った。ポエムにはルシフェル様への愛憎の想いが込められており、作者の喜びや苦悩が手に取るように分かった。美しい言の葉で綴られるルシフェル様への想い。どれも最高傑作と称しても過言ではない作品ばかりである。あまりの素晴らしさに、この世に発表したいと思うほどだった。ルシフェル様を知っている人物がこれを見たらすぐに気付かれてしまうだろうから思い留まったが……。何はともあれ、ポエムを読んだ事で過去の記憶を思い出す事ができた。これで、ルシフェル様を追える……

* * *

 俺は今、凄まじいスピードで空を移動していた。一分、一秒でもいいからルシフェル様に追いつきたかったからだ。やろうと思えばテレパシーでルシフェル様に声をかける事はできるのだが、この想いは直接伝えたかったので使わなかった。全速力で空を飛び進む。

 暫く飛行を続けるとルシフェル様の気配を感知できるようになった。どうやらルシフェル様もこちらに引き返しているようだった。そうして……

「ルシフェル様!」

思いっきりルシフェル様に抱きついた。勢い余ってルシフェル様を数百メートル後退させてしまう。

「サンダルフォン!力が戻ったのか?」

良かった。ルシフェル様がいつものように笑っていらっしゃる。

「はい!記憶もほぼ戻りました!」
「ほぼ?」
「貴方を取り戻そうとした時に儀式を行ったはずなのですがその時の記憶が僅かに戻っておりません。いずれその記憶も戻ると思いますが」
「そうか。君の記憶が回復して本当に良かった」
「ルシフェル様……。今まで貴方に酷い態度をしてしまって申し訳ございません。こんな俺に愛想がつきていなければどうか戻ってきてくれますか?烏滸がましいとは思いますが」
「気にしていないよ。むしろ君に戻ってきて欲しいと言ってもらえてとても嬉しい。私を受け入れてくれてありがとう」

そう言って、ルシフェル様と抱擁を交わした。
暫くした後、グランサイファーに帰るため羽を動かした。
行きと違ってゆっくりと二人並んで進んで行く。道中、ふと気付いた事があったためルシフェル様に尋ねる。

「そういえば、幾ら俺が全速力で飛んだとはいえルシフェル様に追いつけたのは妙じゃないですか?」
……

ルシフェル様は罰が悪そうに俺から目を逸らしている。これはもしかして……

「ルシフェル様。もしかしてわざとゆっくり飛行していました?俺が追いつけるように」
「そっ、そんな事はないよ」

ルシフェル様。瞬きの回数が増えてますよ……。嘘をついているのが丸わかりじゃないですか。ジトリと睨みつけるとルシフェル様は白状した。テレパシーで団長から俺の様子を伝えてもらっていたらしい。しかし、何かおかしいぞ。団長からはテレパシーはできない。つまり、ルシフェル様から行っている事になるのだが……

「ルシフェル様。もしかして、俺が記憶を取り戻したいと思わせるために脱退するとか言い出したのですか」
「そっ、そんな事はないよ」
……ルシフェル様。先程と台詞と行動が全く同じです」

またもや瞬きの回数が増えていた。嘘が下手なこの御方が何だかとても可愛らしく見えてきた。

ルシフェル様は暫く沈黙した後、観念して白状した。

「恋愛指南書に書いてあったのだ。押してダメなら引いてみろ、と。」
「はい?」
「この書物には色々と有益な情報が書かれていてね。とても勉強になった」

ルシフェル様が顕現させた本を俺に手渡す。本の上部には付箋が幾つもはみ出ていて、ルシフェル様が読み込んでいる様子が見てとれた。その本の題名は……

「『気になるあの人と親密になれる方法100選』?!」

本の帯には、これを実践したら憧れの人と恋人になれました!と購入者の感想が書かれていた。

「この恋愛指南書を参考に、君との関係が進展するよう試みていたのだ。」
……

ダメだ。耐えるんだ。笑いそうになるのを何とか耐える。でも、バレてしまったようだ。ルシフェル様が訝しげな目つきをしている。

「サンダルフォン。私を滑稽だと思っていないだろうね?」
「ちっ、違います。貴方とその俗物的な本の組み合わせがあまりに不釣り合いで……。それ程までに俺との仲を考えてくれてたと思うと……ぷっ」

真剣にあの本を読み込むルシフェル様を想像する。荘厳なお姿を見せていた天司長の頃とのギャップが酷い。過去の俺には全く想像できなかったお姿だ。それがとても嬉しかった。そして、あまりの可愛らしさに笑顔が抑えられなかった。

「サンダルフォン!私は真剣だったのだよ!」
「ごめんなさ……ぷっ」
……

ルシフェル様は不機嫌な様子を隠さず、いきなり俺のポケットに手を入れた。

「あっ」
「ポケットが膨らんでいたのが気になっていてね。これは何だ?」

ルシフェル様が持っているのは、俺のポエム手帳だ!

「返してください!」
「嫌だ」

あのポエム達をルシフェル様に見られるのだけは御免蒙りたかった。だから、必死に手を伸ばしたのだが元々の身長差もあり手帳に手が届かない。

「何々……白き羽──」
「ルシフェル」
「何だろうか」
「覚悟してくださいね?」

そう言ってルシフェル様にキスという名の奥義を喰らわせる。静かで穏やかな空には不釣り合いな水音が鳴り響いた。無防備だったルシフェル様はあっという間に陥落してしまう。お陰で手帳はすぐに取り戻す事ができた。名残惜しかったが、ルシフェル様を解放して差し上げる。ルシフェル様は顔を真っ赤にさせつつもとても嬉しそうに微笑まれていた。そのお姿に、俺は胸が熱くなった。思い出したからだ。俺が死を予見した際に切望したのはルシフェル様の笑顔だった。彼の笑顔に触れる度、気持ちが安らぐのはこのためだったのだと俺は漸く理解できたのである。

──この笑顔を二度と絶やさせない──

 蒼く澄んだ空に固く誓った。


終わり