sentouryoku
2026-04-18 00:16:53
3338文字
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甘くない午後

バレンタイン貞2928←モブ女子社員の話になります。
※貞28が普通にサラリーマンやってる時空です。

2月14日、バレンタイン。
私はちょっと緊張していた。
理由は先日デパートで買ってしまったチョコレートが鞄の中に入っているせいだ。
自分の席から、ちらりと斜め上を覗く。
その視線の先にいる碇さんーーは、眉間に皺を寄せながらパソコンとにらめっこしていた。
多分、さっきの会議の議事録を頼まれたんだろう。
碇さんは数か月前に入社してきた中途採用の人だ。
前職は機械を動かす職業だったらしく、細かな確認を怠らず、中途組の中ではかなり伸びしろがあると課長が褒めていた。
ただ人と関わるのが苦手なのか、誰かにぐいぐい話しかけるタイプでもないらしい。

実は私も仕事以外では話したことがない。
それでも、どうしてこのデパートで一粒1000円もする超高級なチョコレートを買ってしまったかというと、碇さんに助けられた経験があるからだ。
先月の私は、残業をしながら頭を抱えていた。
会議で出した企画をかなりきつく絞られて、結構へこんでいたのだ。
何を言っても駄目出しを食らい、説明しても聞く耳を持ってもらえず、思い描いていたプランは砕かれて。
数か月かけて考えた企画なのに、いっそポシャったほうがいいんじゃないかと思うくらいには落ち込んでいた。
会社にはもう私を含めて数人しかいなくて、キーボードを無心で叩く音だけが響いていた。
そんな時、私の横を碇さんが通って、分厚いファイルを五冊、ドン、と置いていったのだ。
今まで話したこともない人から、急に仕事でも振られたのかと思って呆然としていたら、碇さんは言った。

「さっきの企画で言われてたところの資料、全部集めておいたから使ってください」

私はなおのこと呆然としていた。
だってこんなに早く、しかも今日初めて会議に参加していた中途のほとんど知らない人が、そんなことをするなんて思っていなかったから。

「あの言い方、僕もムカついたんで」

碇さんはそう言って去っていった。
資料は一つ一つ丁寧にまとめられていて、ところどころに几帳面そうな碇さんの手書き付箋が挟まっていた。
最後の頁の資料に貼られた付箋には、【これで鼻っ面折ってやれ!】って物騒なことが書いてあって、私は思わず笑ってしまった。
それがきっかけだった。
そこから少しずつ、碇さんを見る回数は増えていった。
ちなみに碇さんにもらった資料を使って一週間かけて再度まとめ上げた企画は、この間の会議を通過した。

(碇さん、チョコ渡しても大丈夫かな……

もしかして彼女とかいるのかな。聞いておけばよかった。
時計が13時を指し、私の休憩時間が回ってきたタイミングで席を立った。
緊張して眠れなかったせいでお弁当を用意できず、今日は久々に外でランチだ。
凝り固まった肩を回しながら会社の受付にたどり着いた時、目に飛び込んできた存在に思わず悲鳴を上げそうになった。
そこには、高そうなスーツに身を包んだ男性が立っていた。
まさに美丈夫と言っていい、すらりとした手足に小さな顔、海外のセレブかと思うような整った顔。一般男性がやれば難しいであろう、少し長めの髪を襟足あたりで一つに結んでいるのもよく似合っている。
こんな一目見れば一発で覚えられるような人を私は一度も見たことがないし、同じように受付で固まっている同期や先輩たちも知らないらしく、辺りを見回している。
一体誰が呼んだんだろう。
その恐ろしいほどの美丈夫は辺りを見回し、なぜか私に視線を合わせ、にっこりと微笑んだ。
(ひっ……!?)
まるで大型の肉食動物が獲物を見つけた――そんな感じ。
その一瞬で鳥肌が全身を駆け巡り、嫌な汗が額に滲む。
何だかとても嫌な気がする。目が笑っていない。
この人は、私に敵意を向けている。

「すいません」
「は、い」
「碇シンジさん、いらっしゃいますか?」

その名前を、なんでこの人が知っているんだ。

「渚……?」

後ろから、聞いたことのある少し高めの声がした。
振り返ると、碇さんがいた。
仕事の早い碇さんのことだ。きっと議事録が終わったから、休憩に出ようとしたんだろう。
お昼ご飯誘えばよかったかも。なんてちょっと考えていた私の背後からまた声がする。

「やっほ、シンジ君」
「あのなぁ、会社には来るなって言っただろ!」

初めて見る碇さんの砕けた態度に、私は思わず固まってしまう。
碇さん、こんなふうに声を張り上げられるんだ。そんな表情もするんだ。
仲が良さそうでよかった。お友達かな。
駆け足で来た碇さんは、私とその美丈夫を交互に見て、なぜだかとても心配そうな顔で私を覗き込んだ。

――さん、こいつ、失礼なことしてなかった? もししてたら遠慮なく言ってください。絞めておくので」
「えっ、いや……
「そーだよ。何もしてないって。碇シンジ君いますかって聞いただけだよ。ねぇ?」
「えぇ、はぁ……まあ……
「本当だろうな……まあいいか。何しに来たんだよ」

がさがさとその美丈夫さんは、恐らく本革で出来たであろう高級そうな鞄を漁る。

「君、今日お弁当忘れていっただろ? たまたまこっちに来る用事ができたから、お届けものだよ」

そこから出てきたのは本当にありきたりの、なんでもないお弁当箱だった。
会話の流れからして碇さんのお弁当らしい。
でもなんでこの人が持っているんだろう。

「あー、ありがとう。でも持って来なくてもよかったんだぞ。夕飯にすれば……
「いいの、いいの」

同居、してるのかな。
それだったらお弁当を持っているのにも納得がいくし、仲がいいのも頷ける。

「んじゃ、お礼いただくから」
「は?」

ぐい、とその美丈夫が碇さんを引っ張る。
碇さんがふらついて、足がもつれそうになる。
危ない。
咄嗟に支えようと一歩前に出た私の前で、その美丈夫の顔と、碇さんの顔が近づいて。

「んぐ!?」

碇さんの、男の人らしい薄い唇に、その美丈夫の唇が重なった。
碇さんが目を見開いて、私はただ口を開けて呆然としていた。
なんで、こんな。
その美丈夫が、赤い目を細めて私を見る。
そこからにじみ出るのは、多分、とてもネガティブな感情。
ああ、そっか。
この人は、このために来たのか。

「っ、この、!!!!」
「おっと」

碇さんがその美丈夫を無理やり押して、自分から引き剥がす。
そのまま拳を強く握りしめた碇さんが、その美しい顔めがけて殴りかかる。
けれどそうなると分かっていたのか、相手はふわりと躱して私と碇さんから距離を取った。

「じゃ、帰るね〜」
「待てこの馬鹿、渚!!!」
「ホームで待ってるよ、マイダーリン!」
「誰がダーリンだ!!」

唖然としている受付の人たちと顔を真っ赤にして怒っている碇さんを置いて、その美丈夫は風のように去っていった。
そのあとに待っていたのは、なんて声をかければいいのか分からない重い静寂だった。
多分、そういうことなのだ。
あの人と碇さんは、その、付き合っていて。
今日ここに顔を出したのは、牽制とかそういう類のもので。

……あの、大丈夫ですか」

恐る恐るそう声をかけると、碇さんは耳まで真っ赤にしたまま、深くため息をついた。

……すみません。見苦しいところを」
「い、いえ……

彼女がいるのかなんて、そんなことを気にしていた数十分前の自分が馬鹿みたいだ。
でも企画が通った時、自分のことみたいに少しだけ嬉しそうな顔をしてくれたことも、さっき、あの人から私を庇うみたいに覗き込んでくれたことも、きっと嘘じゃない。
それだけで十分だ、と言い聞かせる。

……ランチ、行ってきます」

俯いたまま踵を返した私に、碇さんが「行ってらっしゃい」と声をかけてくれる。
本当に優しい人だなぁ、と思う。きっと、そういうところが碇さんの良さなんだ。
もう食欲なんてないけれど、今日は豪華なランチにしよう。上司に頼んで午後休をもらおう。チョコレートもあとで自分で食べてしまおう。
どこまで平気な顔ができるか分からないけど、それでもやれるだけやってみよう。
鼻の奥がつんと痛み始めるのを無視しながら、私は会社を後にした。