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2026-04-17 18:58:26
4257文字
Public れめしし
 

好奇心は狐をも殺す

不穏で不健康な友人関係を構築するふたり

 真経津晨に引き合わされた二人目の男、叶黎明の第一印象は『怪物』という実に簡潔なものだった。
 村雨礼二も怪物だが日常においては大学病院に勤務する外科医として一般社会に溶け込んでいる。男の神経質さが伺える風貌についても過密なスケジュールによるものと第三者は判断するもので、ある意味で擬態に成功していると言える。村雨とは逆に叶は一目瞭然で危険を知らせる姿形をしていた。
 本来の長さより短く整えられたスリット入りの眉、アイラインが引かれた目尻、白目の大部分を覆い隠すカラーコンタクト、唇から覗く鋭い犬歯。顔だけでもこれだけの特徴で溢れている。片目を隠す髪はパープルのグラデーション、日本人の平均を大きく上回る長身と長い手足。着ている白のパーカーは風変わりなマークが描かれフードの左右に二本の角、肘と胴の部分は太いラインの継ぎ接ぎ糸で縫われ鮮やかな赤い生地で切り替えしになっている。合わせたパンツは紫のアーガイルチェックで道化師を髣髴とする奇抜さに対し、足元を飾る靴はタッセル付きのローファーでカジュアルに締める。調和させる気など毛頭ない個性の塊、構成する要素が多すぎて注視すべき点に迷う在りようで敢えて気を引く箇所を挙げるなら、瞳だ。血を固めて作ったかのコンタクトレンズにはご機嫌な笑顔が貼りついている。恐らく鼻の部分が本来の瞳孔の位置だが、作られた笑顔が邪魔をして微妙に焦点がずれ、叶を見ているのかピエロの顔を見ているのか曖昧で奇妙な錯覚に陥る。
 警戒色に包まれた動植物の中でも叶黎明という生命体は群を抜いて危険だと本能は訴えているのに、どう獲物を追い詰めるのか狩りの仕方が知りたくて堪らない。偶然が齎した機会、貴重な体験への誘惑は抗い難い。開けてはいけない箱と同じ原理だ。中身を想像している内に好奇心は肥大化し、理性が蝕まれ蓋を開けば、待っているのは破滅。迂闊に触れるべきでないと理解していても、箱の底に『ピカピカ』が眠るなら手を伸ばさずにはいられなかった。

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 書斎での謎解きで醜態を晒す羽目になったものの、半ば押し切られる形で連絡先を交換した。叶は必ず一日に一度、個別でメッセージを送ってきた。知り合って間もない相手と親睦を深めるためだろうと好意的に解釈したら、そう間を置かず男は自宅に入り浸るようになった。遠慮という言葉が辞書に載っていないのか。これに関しては真経津晨と村雨礼二にも言えることだが。
 現時点で叶黎明の観察能力の高さは理解が及ばず参考にならないが、強さを掴むきっかけになればいい。正直、宝探しと称して家探しをするのはどうかと思うし黒歴史発掘と挑発するのも腹に据えかねるが、何かを得るには見合った対価を支払わないといけない。いけないのだが、ある点について譲歩するのを躊躇っている。

「なぁ、ケイイチ君。今度さ礼二君の家に一緒に行かないか?」
「敬一君じゃねぇよ、ボケ。手術に興味ねぇし、医療器具でメシ作らされるのはゴメンだ」
「身構えなくても大丈夫だって。手術はないし、飯だって敬一君の好きな店でテイクアウトする」
 軽い調子で紡がれる耳心地の良い緩急をつけた声、話す内容はともかく言葉面は柔らかく温厚な対応。現に、オレの粗暴な口振りと態度の悪さを歯牙にもかけず笑っている。
「だからっ、なんで」
「もしかして、自分の名前が嫌いだったりする?」
 遺伝子情報と獅子神敬一という名前、その二つが唯一親から与えられたものだ。成長と共に大きくなった体、食事制限とトレーニングで磨くことで外見に対しては自信もついた。ただ、苗字と違い名前は忌憚なく呼び合う人間が周囲に居なかったのもあって抵抗を覚える。
「付き合いが浅いヤツに気安く呼ばれる義理はねぇだけだ」
「だからだよ。オレは早く仲良くなりたいんだ」
 フレンドリーの皮を被った傲慢な意見は、人の話を全く聞く気が無いのか決定事項と言わんばかりの我の強さが滲んでいて、叶黎明が強者側の人間であるのを物語っている。

 それからも名前を呼ばれる度に拒否し獅子神と訂正したが、男は一向に呼び方を改めなかった。暖簾に腕押し状態が続く不毛な遣り取りに、先に折れたのは自分の方だった。その時の叶の顔と言ったら、瞳を眇め満足気に舌なめずりする獲物を前にした獰猛な獣と何ら変わりなかった。

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 独特な距離の詰め方に振り回されるのは腹立たしいが、残念なことにこれといった対処法は思いつかない。あしらってもどこ吹く風で叶黎明は自分がしたいように物事を進めるし、反抗的な態度を取っても落ち着いた声で宥め透かされると自身の矮小さが浮き彫りになり口を噤むしかなかった。

 例の如く、人の都合など考慮しない年下の男により自宅で食事会をする運びになり、最初に家に到着したのは叶だった。村雨は仕事、真経津も担当行員と所要を済ませてから、暫く家には二人だけ。その事実が妙に落ち着かなくさせる。
「一番乗りか。あ、これ食後のデザート」
 悪いと一言添えてから差し出されたパティスリーの紙袋を受け取る。中には瓶入りのフルーツゼリー。冷蔵庫で冷やすのに手にすると、差し入れを持ってきた男が無言で背後に立つ。不可解な行動に内心で首を傾げていると、長い腕が腰に巻き付き腹の上で組まれた。俄かに状況を噛み砕けず言葉を失う。それでも、なんとか振り絞った声は情けなく掠れていた。
「やめろ。手元が狂う」
「物の出し入れなんてヨソ見してても出来るだろ」
 縁がなかっただけで一般的な青春を謳歌していたなら男友達との間では、おふざけの一環でするコミュニケーションだろうと考え、自分が罠に嵌っていることに気付く。仲良くなりたいという理由を掲げ名前を呼び続け、押しの強さに根負けして許した。じゃあ、次はどう出るか。新たな手段を用いて更に一歩踏み込む。後悔したところで後の祭りだが、まだ間に合う。息を細く吸って吐き出し早鐘を打つ鼓動を宥めると動揺を覚られないよう、努めて声を低くし不機嫌を装う。
「二十六にもなってガキ扱いされて喜ぶ奴が居るか」
「二十八だけど、友達にハグされると嬉しいぞ」
……人によるだろ、そういうのって」
 他人の体温が苦手だ。自分と違う熱に触れる機会が少なかったから。拘束が緩むのを見計らって腕を振り解くと、オレの行動を予測していたのか手に握る瓶を攫って天板の上に置いた。
「研究データでハグやキスにストレス軽減の効果が確認されてる」
「対象が友人や恋人、家族。親しい間柄ってのが抜けてるぜ」
「試してみようよ、オレ達の仲が悪くないって分かるからさ」
「なにが悲しくてガタイのいい男同士で抱き合わなきゃいけねぇんだ」
「自分より大きい男に抱きしめられたことないの?」
 当たり前だ、声を張ろうとして寸前で呑み込んだ。発言は今のオレに宛てたものに聞こえるが、叶黎明の言葉は幾つかの意味が潜む。これまでの人生でという枕詞を省略したなら、意味するものはがらりと変わる。『父親』に抱きしめられた経験の有無だ。
 否定も肯定もしない。ただの友人同士のじゃれ合いの延長、そう自らに言い聞かせて振り向く。
「仕方ねぇな……いいぜ、好きにしろよ」
 我儘に付き合ってやるという姿勢を崩さず、寧ろ余裕さえ感じられるよう両腕を広げて正面から男を待ち受ける。逡巡もなく伸びてきた長い腕が腋の下を通って背中に回される。弱くも強くもない丁度いい力加減、自然な動きで肩口に顔を埋められる。肌で知る髪の感触は、さらりとして滑らかだ。
 意識して嗅いだことのない香水の匂いが、鼻腔から入り込み微弱な電流となって脳を痺れさせる。感じたことのない心地良さに息が漏れそうになるのを唇を噛んで堪えていると、内緒話をする大きさの声で思考を殴りつけられた。
「今は効果が薄くても、敬一君がもっとオレを好きになれば気持ち良くなる」
 首筋に当たる息の輪郭に背筋が震える。唇が微かに触れると火が点いたように熱を帯びて急速に血が巡るのに、恥も外聞もなく広い背を叩いて抱擁の終わりを訴えた。
「ほら、もう離れろ」
 顔を上げた男は流れるような動作で頬に口付けた。
 友人の域を逸脱した行為、友情を深めるなんて尤もらしい理由を盾にして悪質極まりない。これまで暴かれた秘密なんて目じゃない。あんなのは可愛いものだ、男の腕に抱かれるのを許した羞恥に比べれば。
「さぞ滑稽に映ったろうな、テメェの目には。狼狽えるサマが見れて楽しかったか、クソ野郎」
「二人しかいないんだ、そんな恥ずかしがらないでも」
「そういう問題じゃねぇだろうがっ!」
「最初に言ったろ、ハグとキスに効果があるって」
 交わした会話を思い返せば、確かに叶はそう言った。問いに意識を持っていかれたオレが勝手に抱擁と解釈し誤認した。こんな単純な思考誘導に引っ掛かる方が馬鹿だ。悔しくて頭がどうにかなりそうだが一時の感情で選択を誤ったのは自分の落ち度。腹に渦巻く怒りを抑えて、もう一度男の背を叩く。
「ゼリー……冷やすから退けろ」
 いつも通り、叶黎明に煽られて喧嘩腰に食ってかかるが最後は丸め込まれる獅子神敬一の図。この話は冗談として消化し、おしまいだ。口にしなくても筋書きが読める男は追及せずに受け入れる。此方の意図を汲み取る確認も兼ねて視線をやれば、瞳が蠱惑的な色を浮かべているのに息を呑む。
「次は敬一君の番だよ」
「まだこの悪趣味な遊びを続ける気なら叩き出される覚悟しとけ」
「ツレないな~今更拒むなんて」
 張り詰める空気を霧散させるよう、小首を傾げて軽妙な調子で編まれる言葉とは裏腹に瞳は今にも喉元に食いつきそうな野蛮な感情が躍っている。一瞬でも目を逸らせば瞬く間に骨も残さず喰われる、追い詰められた自身の状況に緊張は高まり喉が渇く。浅い呼吸を繰り返しながら、この場を切り抜ける打開策を考えるも目の前の男は黙って待ってくれるほど優しくはなかった。
「確かめさせてくれ、どれくらいの喜びをオレに与えてくれるのか」
 最後通牒となって落ちてきた言葉が思考を塗り潰す。無駄な足掻きはここまで、ゆるりと首に手が伸びてくる。首筋の血管を舐る指先の熱に促されるまま喜悦に染まる怪物の頬に唇を寄せた。

 一度開いた箱を閉じる方法はない。ピカピカに目が眩んで手を伸ばした代償はどれほどなのか。ひとつ分かるのは、頬にキスするだけでは済まないということだ。