狭い部屋に繋がれていたのはまだ十にもならないような子供だった。あかりは頭上高くにある小さな窓しかない中でも、子供の雪のように白い髪は目立っていた。白髪と聞いていたがどちらかといえば銀に近い。伸びた前髪の隙間から薄い灰色の瞳がこちらを見た。瞳の色の具合は見える限りは視力を失った者のそれだった。見えているのか、と内心驚いたが、ただ音のした方を向いただけかもしれない。
禍いを招く子供がいると聞いて訪ねたものの、この子供がそんな大それたことができるとは思えなかった。ただでさえこんな狭いところに閉じ込められ、足は意味もなく鎖で繋がれている。だというのに大仰な服を着せられ、白い手袋で覆われた両手は祈るように組まれていた。装飾の多いその服は、わずかでも動けばしゃりしゃりと音を立てる。重量もそれなりにあるはずだ。となればその服は飾り立てたり神聖な意味を持つものではない。これは檻だ。ここからこの子供を出さないための、逃げ出そうとすればすぐにわかるようにするための檻。禍いを見た目ばかりの信仰で覆い、封じ込めようとしている。土着の信仰も関係しているのかもしれない。人間ってやつは信じられないほどとんでもない過ちを犯すことがある。子供はゆらゆらしながらこちらに向き直り、それから頭を深く下げた。
「かみのごかごがありますように」
わずかに掠れた声がして、それが目の前の子供から発せられているとわかるのに時間がかかった。特有の掠れ声は変声期のものだ。クロスは自分の間違いに気づいて衝撃を受けた。
この子供は十にもなっていないんじゃない。年相応に成長できる栄養を摂れていないのだ。
「お前いくつだ」
人間ってやつはつくづく残酷なことを平気でやる。異端のものに対しては。
子供は頭を垂れたまままた呟いた。
「かみのごかごがありますように」
「名前は」
「かみのごかごがありますように」
「……俺の言ってる言葉はわかるか」
「……かみの……」
「くそ、わかった、イエスなら頭を下げろ。ノーなら動くな。いいな、俺の言葉がわかるか」
子供はわずかに頭を下げた。
「……よし、無理に声に出して返事はしなくていい。俺はお前を適当な理由をつけてここから出してやる。その後のことはお前が決めていい。ここから出たいか」
子供は動かなかった。本人に出るつもりがないなら手は打てない。クロスは頭をがしがしとかいた。神父なんてロクな仕事じゃねえ、と考えたところで、子供が頭をあげた。前髪がさらりと揺れた。髪だけは綺麗に手入れされているらしい。隙間から覗いた肌に刻まれた赤い傷跡とまだ新しいくっきりとした痣に、クロスは今すぐここから出ていって泣きついてきた村の人間を一人ずつぶん殴ってやりたくなった。やっていることが矛盾だらけだ。良くないものだと触れ回ってさっさと殺せばよかったのに、それすら出来ずにこんな醜悪なことをして、それで助けてくださいだと? 当時は幼い子どもだから躊躇ったのか、だとしてもこんな扱いをするくらいならばいっそ殺してやったほうが当人だって安らかだっただろう。
「……まな……」
「あ?……お前の名前か?」
「……し、にま、した」
「どういうことだ」
「……かみのごかごが……」
「ちゃんと話せるなら話せ。人払いはしてある。誰も聞きやしねえよ」
クロスは子どもの前にどかりと腰を下ろした。冬の冷たい石の感触に僅かに眉が寄る。子供はクロスの動きに合わせて顔を下げた。やはり見えている。子供は目が見えていないと聞いていたが、どうやら虹彩の色で勘違いされていただけのようだった。白目と境の曖昧な灰色の目では失明していると勘違いされても仕方ないだろう。
「……さーかす」
「サーカスにいたのか?」
「……まな、いっしょ、にげ、」
「マナって奴と逃げた?」
子供はゆっくりと頷いた。
「……まな、しんで、ここ、きた」
「マナが死んだからここにきた?……違うな、マナはここで死んだ?」
やはり頷く。マナという奴が子供を連れてここにきて死んだ。子供はその容姿を見られてそのまま閉じ込められた。だいたいそういうことだろう。
「……わるい、ぼく、わるい、ここ、ごめんなさい……」
何を言いたいのかわからなかったが、子供は深く項垂れてまたぶつぶつと呟きはじめる。神のご加護がありますように。言いつけられた言葉なのだろう。それ以外口にするなと言われたのか。二人でこの村に来た余所者ならなおさら追い出せば良かったのに、なぜ子供だけ閉じ込めているのか。意図はわからなかったが、とにかくこのままでは埒が明かない。クロスはまた子供に言った。
「名前は」
「……」
「ここから出たいか」
子供は固まって動かない。動けないのか。クロスは思い切って俯いた子供の顔に触れて上げさせた。子供はされるがままだった。前髪を払ってやって、子供が動かない理由を察した。怖気が走った。子供は虚ろな目をしていたけれど、とても……とても美しかったのだ。
手放さない誰かがいた。その誰かがおそらく死んだのだろう。もしかしたら複数いたかもしれない。今もいるかもしれない。境遇を不憫に思ったか、もしくはただ単に主人が死んで処遇に困っただけか。とにかくクロスに泣きついた。
禍いを招く子供。そう言えば人払いなど簡単にできる。人払いしなければならない理由があった。おぞましい理由が。
「……俺は絶対にお前に手は出さない、なんでもいい、お前が信じてるなにかに誓って手は出さない。いいか、もう一度聞く。……お前はここから出たいか」
子供は唇を震わせて、それから降る雪のように呟いた。
「……まな、に……あ、いたい……」
それが答えだった。
クロスは子供を背負って歩いていた。今は重たい檻のかわりにありったけの手持ちの服を着せて、コートで全身を覆っている。隠してやるのは容易かった。子供は軽かったし、ほとんど自分から動こうとしなかったからだ。悪魔は去ったので遺体はこちらで清めて焼くと言えば人は簡単に信じた。ほとんど死人に近い子供は演技する必要すらなかった。不幸中の幸いか、子供を手放したくなかった人間はもういないようだった。
雪深い道には馬車も走っていなかったが、クロスは人が止めるのも構わずに村を出た。こんなところもう二度と来るか、と村の外れで唾を吐いた。一刻も早く子供を医者に見せる必要がある。肩に担いだままだと雪道は危なかったので、背負ったら掴まれるかと問えば子供は頷いた。今は細い腕がクロスの肩に弱々しく回されている。村の近くでは強かった吹雪が、今は穏やかになっている。一息ついて、クロスは黙りこくっている子供を背負い直した。子供の呼吸は浅く、けれどもきちんと温度があった。
「お前、名前は」
子供は黙っていた。クロスも黙って歩いた。駅まではまだしばらくかかる。返事は期待していなかった。きちんと話せるようになるまで時間はかかるだろう。信頼できる孤児院に連れて行くか、それとも知り合いに預けるか。今後の処遇を考えていると、子供が何か言った。
「ん?」
クロスは立ち止まった。不意に、とても静かだと気づいた。雪はもうやみそうにちらついている。
あれん
子供の声が聞こえた。落ちた雪のように消えいったその言葉に、クロスはやっと僅かに頬をあげた。
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