二卵性
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築400年3LDK庭付き戸建てペット不可

ペット不可物件水龍(ヌヴィリオ) ネームドの犬がいます
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リオセスリは類稀な人間だ。
彼の傷、命、正義、思想、体温、感情――何もかもをヌヴィレットは龍の宝物として己のうちに得ようとした。代わりにヌヴィレットは、彼の望んだ何もかもを与える。代価はすでに得ているので、これは公正な取引である。貸しも借りも、言葉遊び以上には存在しない。
しかしその日、ヌヴィレットはリオセスリの「お願い」をすげなく却下した。
「駄目だ」
微塵も検討の余地がなく、即答だった。もはや反射である。リオセスリは二度瞬き、それから食い下がった。
「どうしても?」
「どうしても、許されない。すでに君に告げているはずだ」
「言ったっけ?」
「ペットを飼うなら、フォンテーヌ廷にて不動産を購入するといい、と。栄誉称号を持つ者は優遇を受けられる――まさか書類を読んでいなかったのかね」
「いや読んだよ、読んだけどさ。ここじゃ駄目とは言ってなかっただろ?」
「駄目だ。リオセスリ殿」
ヌヴィレットは明確に、疑いの余地なく、取りつく島もない言い方で断言した。
「この家でペットを飼育することは許可しない」
もちろん、ヌヴィレットはリオセスリの望む全てを与えてやりたいと思っている。
思っているが――この二人だけのための家に、ペットを住まわせることを承知できるかというと、全くできないのだった。

ヌヴィレットの愛娘、シグウィンは、人間を犬や猫に喩えることがある。その感覚はヌヴィレットにはない。二つの意味で、そうだった。
一つは人間を犬猫のように思わないこと。
もう一つは、犬猫をかわいいと思わないことである。
ヌヴィレットの興味のある生命体といえば眷属と水棲生物くらいなので、犬や猫に対しかわいらしいだとか愛でる感情を持ち得たことはない。法律の制定上で関わったのは、ペットにフリーナの名前をつけるのを違法としたときだろうか。今も昔もフォンテーヌ廷の貴族たちはペットを飼うのがステータスで、よく見かけるが、あくまで景色の一部である。
血統書付きの見目のいい犬や猫は価値が高く、そのせいか押し付けられそうになったことも両手で数え切れないくらいある。つまり賄賂なのだが、あいにくヌヴィレットは同様の価値観を持ち合わせていない。断るとヌヴィレットがペットが嫌いだと勘違いされたが、押し付けられるよりはマシだった。
ペットの金銭的な価値以外の面、例えば動物と触れ合って癒されたいだとか家族がほしいだとかいう目的であれば、ヌヴィレットにとっては――彼女たちを動物扱いする意図はないが――メリュジーヌたちが住まうメリュシー村に赴くほうがよっぽど意義がある。それか海に潜るか、どちらかだ。ただ一つの個体を選んで可愛がることはなかったし、そのように何かが目に留まることはなかった。
よってヌヴィレットがペットを飼う理由はない。この私邸でも、パレ・メルモニアの居室においてもそうだ。
一方で、リオセスリは、ナタから訪れた小さくて丸い竜に出会ってから、本気でペットを飼うことを検討し始めたらしい。もともと陽の届かない要塞でペットを飼うことをよしとしない男であるから、飼うなら水の上でということになる。
その水の上の居場所に、この家を選んでくれるというのは、かなり喜ばしく感じられる。ヌヴィレットの領域テリトリーに望んで足を踏み入れ、居心地よく過ごし、そしてついには帰る場所だと思ってくれているということだからだ。向こう数日雨を降らせないくらいには浮かれられる。
しかし。
ペットを飼うことを許可するとなると話が別である。
一応家主はヌヴィレットなので、伺いを立ててくれたのだろう。その点、リオセスリは律儀だ。となると決定権はヌヴィレットにあることになり、ペットを飼う選択は絶対にしない。
ただでさえ、多くて月に数度しかない逢瀬なのだ。共に過ごす時間に相手が自分以外を見ていることを許す理由などどこにあるのだろうか?
リオセスリがペットを飼いたいと言ったとき、フォンテーヌ廷で不動産を購入することを勧めたのには彼に爵位による恩恵を受けてほしい気持ちがあったからだが、そもそもこの家で飼うという可能性を一切考えなかったからでもある。
たとえば、ヌヴィレットはリオセスリが本を読んでいるのを眺めるのは好きだ。料理をするだとか、皿洗いなどの家事をしている姿も好ましいし、眠っているところを眺めるのは至福である。
だからペットと戯れている姿を眺めるのも、悪くはないのだろうという確信はある。むしろ見たいし、彼の望みは叶えられるべきである。
だが、それはこの家であってはならない。
絶対に。

「あんたがそんなにペットを飼いたくないとは知らなかったよ。まあ、ここの調度品は高そうだしな」
今までにないくらいの強い拒否に、リオセスリはやや面食らったようだった。しかしヌヴィレットがペットを飼わない理由は、断じて調度品を傷つけられるのが嫌だからではない。
「そのような理由ではない。君以外のものをこの場所に招くつもりはないからだ」
「へえ?でも昔はメリュジーヌを住まわせてたんだろう?」
「その必要はもうなくなった。最後に誰かを招いたのも七十年ほど前の話だ。今は君のためだけに設えてあるのだから、君のための家だ。もし好みがあれば改築しても構わないし、別の家を買ってもいい」
「お、おお……
捲し立てるヌヴィレットを見て、リオセスリはやや後ろに下がった。と言ってもソファはそう広くなく、ヌヴィレットが少し詰めれば先ほどと同じ距離感を保てる。
「君と二人きりで過ごす場所に、他の何かの介在は許されない」
……ペットでも?」
「ペットであればなおさら、君はそれに目を向け気を配るだろう」
「はは、嫉妬してるのかい?」
リオセスリは極めて軽い調子で、冗談として言ったのだろうが、ヌヴィレットにとってその表現は腑に落ちるものだった。
「なるほど、その通りだ。嫉妬するため許可しない」
……
「ゆえにペットを飼育するのであれば、別の物件を購入することを勧める。もしわからないこと、迷っていることがあるのならば、可能な限り助言をしよう。不動産購入の優遇措置についても、書面の記載内容で不明点があるのならば――
不意に言葉を途切れさせる。
リオセスリが俯いていることに気がついたからだ。
「リオセスリ殿?」
……あー、うん」
「どうかしただろうか」
「なんというか……
口元を手で覆っているため、リオセスリの声は少しくぐもっている。そのままリオセスリはもごもごと続けた。
「俺がフォンテーヌ廷でペットを飼ったら……この家に来る頻度が下がるとか、そういうのは考えないのかい?」
……?なぜ?」
「ほら、ペットがかわいくてあんたと会う時間がなくなるかもしれないだろ」
「ペットがかわいいことと私も会う時間を減らすことに関係があるのだろうか?そもそも君に私とペットを比較する理由がないうえ、あえて好意の比重を見るのならば、天秤がどちらに傾くかは明白だ」
犬や猫は数十年生きるが、今から飼った場合、リオセスリが要塞の管理者を辞めてからも存命の可能性はあるだろう。その場合、すぐにリオセスリをヌヴィレットの家に招くことはできなくなるが、数十年の命に対し張り合うつもりはない。それくらいは待っても構わない。
要するに、リオセスリはヌヴィレットのことのほうが好きなので、なんの問題もないのである。
なんの衒いもないヌヴィレットに、リオセスリは顔を背けてしまった。しかし髪の下から覗く耳は赤い。
「何か困惑する要因があっただろうか」
感情をひとつまみばかり感じ取り、ヌヴィレットはソファの背もたれを掴んでリオセスリの顔を覗き込もうとした。
「困惑させてるのわかってるなら放っておいて、こら、ヌヴィレットさん!」
まだ手のひらで覆われている顔をそのまま掴んでこちらに向けさせようとすると、リオセスリは慌てたように振り向いた。ぐっと顔を近づけて、手の甲に口付ける。バンテージが巻かれていない肌がびくんと反応した。
「ちょっと離れて……、」
「ん?」
「聞こえないふりしないでくれ、もう……
「君を放っておく理由がない」
キスだけではなく、舌でごつごつとした手の甲の骨を辿る。手の甲がてらてらと唾液で光るころに、リオセスリは諦めたように手を離した。やわらかい唇が、ようやくヌヴィレットに触れられる。
「まあ、わかった。ペットに関しては……、フォンテーヌ廷で飼おう」
「そうするといい」
「ヌヴィレットさんは犬と猫どっちが好き?」
唐突な質問にヌヴィレットは瞬いた。
「考えたことがない」
「そうかい?犬や猫と触れ合えば、最高審判官さんだって親しみやすくなると思うがね」
「ふむ……
そういうものだろうか。近頃ようやく自分が他所龍でないと認識したヌヴィレットとしては、フォンテーヌ廷に住まう人々との距離を厳密に保つ必要はないことは感じているが、親しみやすさとは。
フリーナに与えられた衣装は、最高審判官を演出するものであり、そこに親しみやすさという要素はまったく存在しなかった。この役割に不要なものであると認識していたのだが。人々から向けられる感情というのは数百年の間に変化しており、それに伴って演出するべき姿というのも変わるのかもしれない……
とはいえ、とヌヴィレットは口を開いた。
「君は、メロピデ要塞のことを知らないほうが理論上幸せに生きられると言うが。それは最高審判官にも当てはまるだろう」
審判されるような立場になること自体が不幸である。それに、歌劇場で消費されるエンターテインメントの当事者になることもだ。たとえメロピデ要塞に追放される判決が下されずとも、あの場に立つほとんどの人物がヌヴィレットに畏怖と恐慌のまなざしを向けるのだから。
しかし、恐怖のまなざしを向けることのなかったかつての少年は、気軽に肩を竦めて答えた。
「そうかい?俺はそうは思わなかったが。爵位ももらったことだし」
「ほう」
「あんたにお目見えするのは栄誉なのさ、ヌヴィレット様」
「名誉を生かしてから言いたまえ」
「生かしてる生かしてる。不動産も買う」
「ならいいが……
ヌヴィレットはひとまず留飲を下げた。


ところで、リオセスリというのは、ヌヴィレットの想定通りに動かない男でもある。
ビジネスの関係上において、彼は非常に有能だ。この場合の想定外というのは、たいてい想定以上と表現するのが正しい。そして自分が不利にならない立ち回りを熟知しているが、これに関してはビジネスに限った話ではない。
「法人名義で購入したのか」
とヌヴィレットが尋ねると、「買っただろ?不動産」と笑うような男だ。個人名義でなくば爵位の優遇措置を受けられないというのに、「爵位による優遇」と「不動産の購入」を結びつけるなんて言ってないという顔で。
確かに言っていないのである。こういうときに人間は歯噛みするのだろうと、ヌヴィレットはしみじみ思った。

さて、リオセスリが設立した法人とは、フォンテーヌ廷内の野良の犬猫を保護する活動を行い、そのような動物の譲渡の場としてカフェを運営する団体だった。これは商売ではなく、慈善事業らしい。
カフェの開業申請はヌヴィレットも目を通した。なので開業日も知っていたが、なんとなく、開業日に行くというのは憚られた。だがそうなると、今度はタイミングを逃したように思える。
というか、こういうのは本来リオセスリに誘われるものではないのか?と思っていたが、オープン以降、彼が話題に出すことはなかった。不動産を優遇措置で購入しなかったことにさんざん苦言を呈したのが悪かったのだろうか。
ヌヴィレットが些細なことに悩んでいる間に金髪の旅人が訪れて「公爵に割引券もらったんだ」と楽しそうに教えられた。
「ヌヴィレットもいる?」
「結構だ。割引券を使うほど困ってはいない」
「そういう問題じゃないだろ!お得だっていうのが重要なんだ!」
旅人の横から呆れた声が飛んでくるが、ヌヴィレットにとってそれよりも重要なことがあった。
「君たちはもう行ったのだろうか?」
「おう!いいところだったぞ。動物がいるっていっても清潔だったし、ご飯もうまかった!」
「ヌヴィレットも興味があるんだ?」
「うむ」
興味はある。とても。
「近々訪れるつもりだ」
「いいんじゃないか?最高審判官にも休みは必要だからな」
「かわいかったよ、犬も猫も。ヌヴィレットも気に入るんじゃないかな、特に犬で……
「犬?」
「ううん。行ってみたらわかるよ」
意味深な言葉を残し、二人は手を振って去っていった。ヌヴィレットは今日の午後の予定を思い出し、空いている時間があることを確認し、決めた。

「行くなら言ってくれればよかったのに」
そうリオセスリが言ったのは、ヌヴィレットがカフェ・メロピスを訪れた数日後だった。時間があるので水の上でお茶でもしようと誘われ、執務室に迎えに来たリオセスリはいつも通りの格好をしていた。完全に私用で来たというわけではないらしい。
「行くとは?」
「うちのカフェに」
「一般客としての来訪であれば、君に気を遣わせる理由がいないだろう」
「そうかい?俺はあんたを歓迎できた方が嬉しかったけどな」
あのカフェで犬や猫と戯れるリオセスリを見れるとするならば、確かに有意義である。ヌヴィレットは頷いた。
「それでは今日は君のカフェに行くのはどうだろうか?」
「まあ、近いところさ。ヌヴィレットさん」
連れ立って執務室を出て、ヌヴィレットは深くは聞かずにリオセスリの隣を歩いた。今はあまり気にしたふうもなく、隣を歩いてくれることを噛みしめるのに忙しかったせいもある。ただ、彼が選ぶ道はほとんど人通りがないか静かな道であるから、まったく気にしていないということはないのだろうが。
そうして裏道を通って、リオセスリが案内した先は彼が購入したアパートの裏だった。つまり、カフェの裏手でもある。迷いなく扉を開く背中に続くと、居住者専用らしい階段と通路があるのが見えた。
「ここは……
「俺も一部屋使ってるんでね。せっかくだから案内しようかと思ってさ」
「ほう」
「狭いところだが、そこは勘弁してくれ」
思えば、ヌヴィレットがリオセスリの私的な空間に案内されるというのは、初めてだった。
彼はメロピデ要塞内に私室を持っているようだが、ヌヴィレットが訪れたことはない。そもそも要塞を訪れることが少ないし、入ったとして執務室までである。なのでこうして招き入れられ、ヌヴィレットはかなり心躍っていた。
もちろんアパートの一室であるから、リオセスリの持つ公爵という地位に反してかなり質素な部屋だと言えた。キッチン、ダイニングルーム、そして小さな寝室。それだけの空間には薄くともリオセスリの匂いと気配があり、彼が幾夜かはここで過ごしていたことがうかがい知れた。
「ソファもなくってね。そこの椅子へどうぞ」
「ありがとう」
カフェの店内で使っているのと同じデザインの椅子だった。きちんとした布張りで、座り心地が悪くないのは知っている。テーブルも店と同じもので、合理主義の公爵らしい。
「ここが君の部屋か」
「まあ、こっちに来るときに気兼ねなく泊まれる場所があるってのは悪くない。犬も猫もいるしな」
「この部屋では飼っていないのだろうか?」
「そう頻繁に来るわけじゃないからな。ちょっと飲み物取ってくるから、ヌヴィレットさんは待っててくれ」
リオセスリはそう言い残し、部屋を出て行った。キッチンには貯蔵庫があるが、モノが収まっているわけではなさそうだ。飲食物は下のカフェで管理しているのだろう。
ヌヴィレットは寝室を覗くか迷ったが、ひとまず座って待つことにした。この小さなダイニングルームには窓があり、リオセスリが開けたので外の喧騒が聞こえてくる。目隠しのレースのカーテン越しに、風も吹きこんできた。繊細なレースを透かした光がちらちらと家の中を照らし、照明をつけなくとも十分に明るい。昼下がりの穏やかな空気が流れて、ヌヴィレットは茫然と目を見開いた。
「ヌヴィレットさん、お待たせ……、ヌヴィレットさん?」
すぐにリオセスリが戻ってきて、声をかけられ我に返る。
「どうかしたかい」
「いや。なんとも……む?」
どうやらリオセスリは一人で戻ってきたわけではなかったらしい。ハッ、ハッ、と短い呼吸音とともに、グローブに覆われた指に何かが押し付けられて、ヌヴィレットは視線を下げた。そこには黒い毛皮の犬がいて、薄水色の瞳でヌヴィレットを見ていた。
「この犬は……
「せっかくだから連れてきた」
な、ライオ、とリオセスリが声をかけると、黒い犬は今度はリオセスリに向きなおって尻尾を振った。手に持っていたボトルをテーブルに置いてしゃがみ込んだリオセスリが、犬をわしゃわしゃと撫でまわす。
「はは、いい子だな。ヌヴィレットさんに吠えるなよ。あと引っ張るのもダメ。よしよし」
なるほど……、とヌヴィレットは独り言ちた。
このライオという犬がそう名付けられたのは、リオセスリと似ているから、と店の責任者に説明された。そのときヌヴィレットにとってはまったく不可解であったのだが、確かに、こうして戯れている姿を似ていると言うのは間違いではない。
「おっと、水も出さずにすまないヌヴィレットさん」
「構わない。君が犬と戯れている姿を眺めるのはたいへん好ましい」
「ペット不可物件のくせに……
「それとこれとは話が別だ」
「はいはい」
ヌヴィレットがすました顔のまま言うと、リオセスリは肩を竦めた。キッチンからグラスを二脚取ってきて、ボトルの水を注ぐ。カフェのオーナーというより高級ホテルの給仕のような仕草で差し出された。
「こちら、旋流群島の水でございます」
「ほう、旅人からもらったのかね?」
「そういうこと。前にあそこに招待されてさ。あんたが噴水の水飲みたがってたって聞いたから」
「許可を得て飲んだが」
「飲んでたのかよ」
「だがこれは噴水とは違う水だ。ふむ……
グラスに口をつけてゆっくり味わうヌヴィレットの向かいに、リオセスリも腰を下ろした。
「この間はソベクオアシスの地下水を頼んだんだろ?どうだった?」
「初めて飲んだのだが、化石水というのは味わい深い。スメールの森林の水とも異なる複雑さがある……
「気に入ってくれたのなら何よりだ。仕入れは店長に任せているんだが、あんたと趣味が合うのかもな」
「ほう。天然水を喫するのが趣味の人間は多くないと思っていたが。確かにあの日のもう一つの天然水はエスス山麓の湧き水だったゆえ、オアシスの化石水と森林によって汲み上げられた湧き水と、正反対ともいえる環境下で熟成された天然水の対比だったということか。飲み比べなかったことが惜しく思えてきた」
ヌヴィレットは満足しながら頷いた。リオセスリは人を使う手腕が長けている。この事業を計画する際も、適切な人員を配置したということは想像に難くなかった。
「そういう観点はなかったな」
「あのような従業員は貴重だ。いささか緊張しすぎていたように見えたが」
「まあ、『公爵』の名でフォンテーヌ廷で展開する事業だからな。きちんと躾が行き届いているのを選んだのさ。最高審判官さん相手にも粗相なかったのなら、ちょっとの緊張は許してやってくれ」
「うむ。犬や猫も含めて、不快に思うことはなかった。そうだろう、ライオ」
今度はヌヴィレットがライオに声をかける番だった。リオセスリの足元でおとなしくしていた犬が、ピンと耳を立ててヌヴィレットを見る。
「彼が私を席に案内してくれたのだ」
「はは、……人間のスタッフより先に?」
「そうだ。犬にそのような働きができると思っていなかったゆえ、感心した。犬を従業員として扱うというのはこういうことなのだと」
「ちょっと違うかもしれないが、まあ、間違いではないかもな」
リオセスリはやや剣呑な雰囲気を漂わせて目を細めたが、ヌヴィレットはこの間のようにライオの眉間をくすぐるのに忙しかった。指を差し出すと擦りつけてくるのだから、気持ちがいいのかもしれない。
「ライオ以外の犬や猫には触ったのかい?」
「いや。他の動物は近づいてこなかった」
「そうか。まあ、こいつは肝が太いし責任感があるからな……
「そうなのか」
「もっとわしわし撫でてくれても構わないが」
「うむ……。だが、この程度で十分だ。私は犬を撫でたいわけではないのでな」
すっと指を引くとライオが一歩近づいてきたが、ヌヴィレットはテーブルの上に手をやってしまった。グローブを外し、改めてグラスを掴む。龍王の手はやすやすと与えられるようなものではないのだ。
「やっぱり犬は好きじゃないのか?」
「好悪ではない。ただ、私の目に留まるものではないというだけだ」
まだ冷たい水で喉を潤し、ヌヴィレットはじっとリオセスリを見た。龍の瞳孔を向けられた男がぐっと喉を鳴らす。
「ヌヴィレットさん、あんたまだ仕事あるんじゃないのかい」
「あるが、日付が変わるまでに済ませればいい」
「勤務時間中の行いとしてはよろしくないと思うが?」
「勤務時間中に家に連れ込んでおいて何を言っているのだ?」
「そういうつもりじゃない、断じて」
「ふむ。法廷でもよく聞く言い訳だ」
リオセスリが深々とため息をついた。半目になって睨みつけられる。
「なんであんたはそういうジョーク飛ばすの許されるんだよ、ズルいだろ」
「では君のジョークをどうぞ」
「パレ・メルモニアにバレて要塞送りになったらどうする?」
「要塞の君の部屋に興味がある」
「わざわざ歌劇場から正規ルートでいらっしゃらなくても、裏口からご案内させていただくよ」
リオセスリの指がヌヴィレットの手の甲をなぞる。すかさず捕まえて指を絡めると、性急なそれにリオセスリは仕方ないという顔で口角を上げた。
「キスまでだからな、ライオもいるし」
「彼にはお戻りいただくべきだ」
「なんだよ、俺とライオが戯れているのが見たいんじゃなかったのかい?」
「だから……ペットは許可しないと言ったのだ」
こうなるのがわかっていたからだ。
ヌヴィレットが鼻を鳴らし、立ち上がった。抱き上げられて騒ぐ主人に、賢い犬は目を瞑って見ないふりをしていた。