やまだ
2026-04-16 19:55:59
2653文字
Public アークナイツ
 

No title

聖山降臨後くらいの銀博


 カランド貿易が申し出た破格の支援の見返りということなのか、ロドス内部をエンシオディスは比較的自由に歩き回ることができる。ケルシー医師は立入禁止区域と重度の感染者が収容される区画以外への移動をエンシオディスに許した。もしエンシオディスが望めば、ロドスは武器庫の扉すら開け放つだろう。ケルシーは武器庫への侵入を禁じていない。
 もっとも、エンシオディスがロドスで向かう場所といえばごく限られているため、与えられた特権を行使したことはまだ一度もないのだった。ただし毎回訪れる小部屋のセキュリティレベルは著しく高い。
 この部屋にアポイントメントもなく立ち入る権利こそが、エンシオディスにとって替えるものなき対価だ。
「やあエンシオディス。どうやら無事のようだ」
 デスクで読んでいた新聞から顔を上げ、ひらりと薄い手を振る。エンシオディスへさも親しげに笑いかけるこの男こそが動機のすべてだった。フードを背中へ落とし、チェアに埋もれるような痩身は、最後に会ったときよりもまたほっそりしたように見える。
「互いにな、我が盟友よ。……よく死なずに済んでいる」
「そうだな。互いに」
 伏し目で笑いつつエンシオディスの盟友——ロドス・アイランド製薬のドクターが折りたたむ新聞はヴィクトリア語だった。無言でそれを見守るエンシオディスに気づいた彼は、イェラグを訪れる観光客のようにオーバーな仕草で薄い肩を竦めてみせる。
「女王が友人なんだ。近況報告代わりに新聞が送られてきてね。……棒つきキャンディーとショートブレッドもあるが、君はどちらがいい?」
「では、キャンディーを」
 おやっ、と言いたげに目をまるくする様子が愉快だった。エンシオディスに椅子を勧めもしない男へくっくと笑い、勝手に来客用とおぼしきソファーを使う。小さなテーブルにはどす黒いコーヒーがへばりついたマグカップとビタミン剤の小瓶が複数、そしてヴィクトリアの冬の祭事をプリントしたポストカードが放置されていた。
……懐かしい景色だ」
 山から切り出した針葉樹を教会へ運び、モールや輪飾りを巻きつけ、聖人のマスコット人形を飾る。ミサへやって来る人々は前もって教会にカードとプレゼントを預けているから、それらもツリーをきらびやかに彩るのだ。ミサが終わるとシスターたちがカードの宛名を呼び、ひとりひとりにプレゼントを渡してやる。
 もちろんエンシオディス少年の名が教会で呼ばれたことなど一度もない。
「イェラグでも、暖炉に靴下を吊るすものなのか?」
「ここ十年ほどはそうだな。エンシアなど、ヤーカの腕が肘まで入りそうな靴下を吊り下げていたものだ」
……どうやらロドスでも見覚えがあるようだぞ、それを」
 ふ、と笑った唇に棒つきキャンディーが押しつけられた。軽薄なピンク色をして、べったりと甘い。ヴィクトリアならばフランチャイズのマーケットで容易に買える、ひと袋いくらの大容量品だった。
「これが女王陛下の嗜好品であられると?」
「そう」
 自らも不健康そうなグリーンのキャンディーを頬張るドクターが優しげに目を細めた。
「彼女はもうこの安物のキャンディーを買いに行けるような立場じゃない。ありふれたマーケットが、彼女にとってはどこよりも敷居が高い店になってしまった。ありがたい下賜品だよ、これは」
 エンシオディスが黙ってさし出したポストカードを、向かいあって座るドクターはジャケットのポケットにしまいこんだ。無造作な仕草はエンシオディスの視線を奪う。
「エンシオディス」
 キャンディーで頬を膨らませながら、さて、と彼は両手の指先をこすり合わせる。
「エーデルワイス新会長からはすでに連絡を受けている。カランド貿易は我が社へ変わらない支援を約束してくれた」
 エンシオディスの頬にもキャンディーがある。棒をつまんでころころ回しながら、ソファーへゆっくりと体を沈める。
「もはや私の預かるところではないが……それでもあえて答えるならば、当然のことだ。むしろこれまで通りでは不足だろう。知っての通り、イェラグの感染者は爆発的に増加してしまった」
「それも含めて問題ないと言っている。何しろ前会長と契約した当時の条件がおかしかった。ケルシーが唖然とするところなど初めて見たからな」
 そう言って、たどり着けないほど彼方にいる人影を見送るような顔をする。エンシオディスは相槌にケルシー医師の近況を訊ねるという選択肢を胸の内で握り潰した。
……おまえの大度に感謝しよう盟友。イェラグの民のひとりとして」
「いつか後悔させてくれるんだろう? エンシオディス」
 にっこりと笑うドクターの舌の上で、応えて微笑み返すエンシオディスの口内で、ヴィクトリア産のキャンディーがじわじわと溶けている。ドクターとエンシオディスでは同じ行為に対する意味が異なるのだと、無論彼は理解しているに違いなかった。
 牙を立てたキャンディーはあっけなく粉々になる。
 エンシオディスに必要なのはもっとするどい牙だ。それを支える力強い顎だ。
 牙を突き立てるタイミングを決して過たない頭脳だ。
「おまえが……
 砂糖のかけらが喉にざらつきながら甘い。口角が僅かに震えてしまったのは不覚だった。きっと牙が覗いてしまっただろう。
 キャンディーを舐めてにこにこ笑う痩せぎすの男の喉笛に、深く深く沈めてみたくてたまらない牙が。
「おまえが私をこのまま失望させずにいるのなら。私が周囲を振り切って走りだす日が来るのなら、あるいはいつか。おまえのその期待に応えてやることができるだろう」
「エンシオディス」
 聖夜のミサの終わりにプレゼントを抱えた修道女が信徒を呼ばわるような声だった。
「キャンディーのおかわりは?」
「頼もうか。……ヴァイスに言ってこの部屋へチェスボードを用意させるのも悪くないな」
「ここは仕事場だぞ」
 棒つきキャンディーの大袋を探りに行く背中を見る。飴のこびりついた持ち手を指先で転がすエンシオディスは、その薄っぺらなくせに不思議なほど大きく見える後ろ姿へ礼儀正しく微笑んだ。
「それではおまえの私室へ持ちこむことにしよう。ああ、安心してくれ盟友。カランド貿易とロドス・アイランドの関係が以前となんら変わらないのであれば、私もまた変わらない権限を有したままなのだからな」
 緩む口元にドクターなりの強い力で押しこまれたキャンディーは、今度は蛍光色のイエローだった。