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くこ
2026-04-16 12:45:14
1771文字
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テセウスの船(V3)
見切り発車オーディション軸
凡陰まで辿り着くかも不明
目を開けた。
ひんやりとした空気を頬に感じる。風が吹いているわけではない。室内全体が冷えているのだ。まつ毛が少し凍っている。ゆっくりと、まばたきをすると、張りついた繊維が剥がれた。
指を動かす。強く握り込めるほどの力は出ないが、軽く折り曲げることは出来た。五本とも、すべて動く。
すう、と、長く息を吸う。その分を、吐き出す。自身の胸のあたりが上下するのが、視界の端に映る。
かつ、と、硬質な音が響いた。ヒールが床を叩く音に似ている。
「お目覚めになりましたね」
体を起こそうと背中に力を入れたが、それは叶わなかった。首だけを横に向ける。長い黒髪を垂らした、眼鏡をかけた女が立っていた。先ほどの音は、この女性が履いているヒールが発したのに違いない。
その顔の造形は、記憶にある女性と非常によく似ていた。
「しろがね つむぎ?」
声が掠れている。
覚えている限りの自身の声より、少し低いように感じる。もっとも、自分の耳で聞いている自分の声など、正しく認識できるものでもないが。
問われた女性は、にこりと微笑んだ。
年齢は二十前後だろうか。もう少し上かもしれない。大人びた雰囲気を感じる。
「まずは、お疲れさまでした。体が疲れているでしょう? もう少し、ゆっくりしていって構いませんので」
言いながら、彼女は手元のスイッチをいじる。視線が上がった。背中が勝手に持ち上がった、のではない。寝ていたベッドが変形したのだ。15度程度、持ち上がったところで、動きが止まった。
「記憶は、まだ混濁していますかね」
女性が、瞳を覗き込んでくる。
記憶、とは?
「過去の事例で、記憶が戻らなかった話は聞いていませんが
……
もし、少しでも違和感があったら、隠さずに教えてくださいね」
柔和に微笑まれる。
彼女の言っていることが、うまく、飲み込めない。たしかに、記憶が混濁しているのかもしれなかった。なぜ、自分がここにいるのか。なぜ、こんなところで寝かされているのか。つい数秒前までの記憶と、現状が、結びつかない。
「契約の内容も、もしかしたらすぐに思い出せないかもしれませんから、お伝えしておきますね。療養と経過観察とを兼ねて、最低1か月は施設で過ごしていただきます。他の入居者との接触は自由ですが、トラブルを起こした場合には適切な処置が施されますので、ご注意ください」
契約。
自分は、彼女たちと、何らかの契約を交わしていた。目の奥でツキリとした刺激が走った。目を細めたのを、彼女は見逃さなかった。
「ごめんなさい。まだ起きたばかりですものね。お休みになりますか?」
「
……
」
労わる視線。居心地はあまり良くない。是とも否とも回答しづらく、彼女の目を見たままに唇を噛んだ。
途端、警報のような音が鳴り響いた。音量はサイレンほどではなかったが、条件反射的に身がすくむ。女性がぱっと扉を振り返った。自分ではない誰かに向けて、小声で会話をしたようだった。
「ちょっとショック療法的になっちゃう、かな
……
地味に心配だけど、受け入れないわけにはいかないから、ごめんね」
先ほどと一転、くだけた口調。それは記憶に残っている、白銀の口調とよく似ていた。目が合うと、にっこりと微笑まれる。
扉が開いた。カプセルのような、棺桶のような、長細い銀色の何かが入ってくる。サイズ感さえ合っていれば、料理でも中に入っていそうだ。自分が今いる位置と対角線上、室内で自分と一番遠い場所へ、それが置かれる。誰かが運んでいた様子は無い。勝手に扉を開けて、勝手にその場所へ収まった。
「ああ
……
そっか。彼は被害者側だから
……
緊急なんだ。うわぁ、手酷くやられたね
……
」
女性は、カプセルの方を眺めながら、ぼそぼそと独り言を言っている。自分には見えないが、彼女には何かの情報が見えているようだ。
くるりと振り返った彼女は、つとめて明るい声で、告げた。
「うん、でも、記憶が混濁しちゃっているなら、こっちの方が手っ取り早いかな。
……
彼の目が覚めるのは、もう少し先だと思いますが、治療が終わったら、彼のことを見に行きましょうか」
治療?
疑問符を浮かべると、彼女がまた、微笑む。
「まず、どこまで覚えているかを確認していいかな、赤松さん」
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