はらす
2026-04-16 00:10:17
4172文字
Public 忘バ
 

20260415桐智 これも好きです

2026/04/15 桐智の方の要圭誕生日2026
20歳の誕生日ですので、大学2年生です。
同じ大学でバッテリーを組むつきあっていない桐智。20260124桐智 大人の階段 | Privatter+と同じ世界線。

要の瞼がぴくぴくと震えた。そのまま目を開けるのかと眺めていたが、薄い皮膚の下で眼球がきょろきょろと動くだけで、そこが開くことはなかった。代わりに乾いた唇がもぞもぞと動く。
「み……ず、みず……
ひとり言なのかお願いなのか判然としない小さな呟きに、そっと応える。
「要くん、かなめくん、いま、何時か分かる?」
「ぇ………………?」
「まあ、目ぇ閉じとるから分からへんかぁ……したら、俺のことは分かる?」
「きり、しま………………さん?」
「『さん』をつけるのが適当過ぎへん?まあええわ、正解のご褒美に水あげる」
ベッド脇の荷物の山からペットボトルを掴み、、蓋を開ける。肩を支えたまま、まだ力の入らない唇にボトルを軽く当てると、飲み込めない水が端からだらだらと零れていく。蛍光灯の光に照らされて濡れた唇が綺麗だと思った。大人の唇だ。
「ぶっ……はっぁっ……
弱弱しく開いた唇の隙間から、少しは水が入り込んだらしい。要は上手く飲み込めない水に小さく喘ぎながら、少しずつ喉を上下させた。
「きりしま、さん、それ、ぼとるごと、くら、さい」
まだ上手く動かない口をたどたどしく動かしながら、要はそろそろと腕を持ち上げる。普段からは考えられない、重く、もったりとした動き。俺の球を受け止めるために鍛えた筋肉も、今日はまだ一パーセントも力を発揮しない。
「お水が、欲しい?」
「ん……
だるそうにうなずく要は、またしてもよろよろとボトルに手を伸ばす。おもしろいので、ようやく口元に届きそうになったところで、ひょいとボトルを避けると「あ、」とかよわく情けない声を出して、腕を落とした。下ろす、というよりは、急に電源を抜いたロボットみたいだった。
「ほな、また、クイズしようか?」
「あ?」
「ここは、どこでしょうー?」
歌うようにふざけて言うと、要は眉間に皺を寄せた。イラついているのか、頭が痛いのか、両方なのか。
「ここ……?ふとん?」
「まあ、ベッドには違いないな」
ニアピン賞としてもうちょっと水あげる、そう言って要の唇にペットボトルを押しあてる。そっと、ゆっくり、唇のへこみを確認しながら。
「おいしい」
目が覚めてきたらしい。要はむせることなく落ち着いて水を飲み下した。まだ、目元はぼんやりとしているが、発声がはっきりとしてきた。声に輪郭がある。
「で?ここは、どこ?」
「きりしまさん、の、部屋?」
ぴんぽーん! 大きな声で正解を告げると、要は嫌そうに顔を顰めた。頭痛に響くんだろう。
正解したから、全部あげる。
ボトルを渡すと要はそれを両手で受け取り、横になったまま、ラッコみたいに抱えてこくこくと飲んだ。飲み切れない水が口元から垂れる。困ったように手の甲で拭うのも猫っぽい。二日酔いで弱ったこいつは面白い。
「要くんは、なんで、桐島さんの部屋で、桐島さんのベッドに裸で寝てるんやろうな?」
「なんで……?」
要は不思議そうに問い返した。質問に質問で答えるなよ。おかしくて笑いそうになるが、ここで笑ったら台無しや。
「覚えてへんの?ひどいわあ、もう桐島さんのことなんてどうでもええんや」
「いや、あの、おぼ……覚えてないです……
「酷い男やん。あんなに俺のことを好き好き言うてくれたのに」
「そう言われても」
「嘘やってこと?」
「覚えてないですから」
「ほーん、ほな、教えたろか」
「いりません」
「要くんな、昨日、二十歳の誕生日やったやん」
おめでとう、ぱちぱちぱち、とふざけて口だけで拍手したのに、要は真面目くさった声で「ありがとうございます」と返事した。ついでに、ちょっと、微笑んでいた。水に濡れた唇と口角がきゅっと上がる。可愛いやんけ。
「ほんで、君らの代で飲み会やった」
「はあ」
「覚えてへんの?」
「覚えてます」
「ふーん。俺のことは覚えてへんのに、同期のことは覚えてんの?」
拗ねた彼女みたいな声で聴き返せば、慌てて要は言い返す。
「そんなこと、言ってないじゃないですか」
ふふっと笑って「そうやな、そうは言うてへんな」と答えると要は嫌そうにぎゅっと瞼をつむった。
「で、その会の後に、俺と飲みに行こうって約束してて」
ありがとうございます、と要は消え入りそうな小さな声で呟いた。儚い声なのに、律義にお礼を言うところはこいつらしいし、面白い。
「同期飲みの時には酔ってなかったのに、俺とふたりになった途端へろへろになったやん?」
「そうですか?」
「ああ、やっぱり、酔って記憶なくしてるやん」
「なくしてるとか、そういうことじゃないです」
「ほんまに?」
「いや、その、予約の店まで辿り着かなかったのは、その、すみません」
待ち合わせの場所まで迎えに行った時、向こうから歩いてくる要の姿は背筋がぴんと伸びて、足元にも揺れはなく、どう見ても素面だった。こいつほんまに飲んできたんか?と思ったのは、ほんの数秒のことだった。
俺の前に立って「お疲れさまです」と口にした途端、操り人形の糸が切れたみたいに、要の背骨から芯が抜けた。
ふにゃ、と。
要は背中を丸め、おぼつかない足取りでよろめいた。顔はじわじわと赤くなり、瞼は重く垂れ、いつもは鋭い視線がとろりと溶けた。同期の前では意地でも崩れなかった分、俺とふたりになった途端にどっときたらしい。
予約していた店まであと五分の距離だったが、そこまでもたなかった。三十歩も歩かないうちに要は道端にうずくまり、膝を抱えてしゃがみ込んだ。「すぐ、もち直しますから」と呟く声はもう半分溶けていて、しゃがんだまま俺の裾を掴んで離さない。
「ほんで、俺の背中で好きです好きです投げてる桐島先輩格好いいって叫んでたやろ」
「それは違います!」
「なんや、覚えとるやんけ」
「覚えてない!」
「ほな、道端で愛の告白大絶叫だったことで、ええんやな」
「だから、それは違う!絶叫なんてしてない!」
「覚えてるやん……
ケラケラと腹を抱えて笑う。憮然とした顔を真っ赤にしている要は可愛い。もっと怒らせてみたくなる。ああしてみよかな、こうしてみよかな。
「俺が、会ってすぐに気持ち悪くなって飲みに行けなかったのは謝ります」
「お、謝罪会見始まったやん。それで?」
「道端にうずくまった俺を背負って連れて帰ってくれたのも感謝してます」
「そうそう、桐島さん優しいやろ?もっと崇めて讃えて感謝して?」
ありがとうございます、と小さな声で要はつぶやく。嬉しそうだが、恥ずかしそうだ。そりゃそうだろう。誕生日を祝って飲み行こうと言ってくれたバッテリー相手の先輩と顔を合わせた途端、酔いの醜態を晒して担がれる羽目になったんだから。
「それから?どうやったっけ?」
「桐島さんの部屋まで連れてきてくれた後で、寝かせてくれました。ありがとうございます」
照れ隠しなのか、自棄になったみたいに早口で言う。面白いなあ。
「それだけちゃうやん。それじゃ俺が勝手に要くんを脱がしたみたいやん」
……吐きたくないって呻く俺をトイレに抱えていって、口に手を突っ込んで吐かせてくれて、ついでに服も脱いでラクになれってつって脱がせてくれて」
「寝かしつけしてくれたんやろ?」
う、あ、はい、その、ありがとう、ございます。
要は恥ずかしそうに俯き、ぎゅっと目を閉じ背中を丸めた。
「あ、あたま、痛い」
震える声が可愛いうえにいたましい。本当に頭が痛いんだろう。あまりアルコールに強くない体質かもしれない。これから、気をつけないと。俺の腕にしがみつきながら涙目で吐く要はちょっと可愛かったけど、あんなん、ほかの誰にも見せられへんわ。
「二日酔いは水飲んで寝とき」
大人しくうなずいた要はペットボトルの水をこくこくと飲み干し、目を閉じた。
「なあ、かなめくん」
「はい」
瞼を上げず、小さな小さな声で返事する。
「好きって言って?」
「え?」
「昨日、いっぱい言っとったやん」
それには要は答えない。目をつむったまま、口も閉じたまま。
今日は雨。春の嵐は窓をぱちぱちと鳴らしている。
消えそうな声でちいさく、好きです、と唱え、要は俺の脇で丸まった。
昨晩、酔って俺の背中におぶられた要は、独り言のように囁き続けていた。俺がいかにいい投手か、戦略家か、面白い野球人かを延々と呟き、桐島さんみたいな性格の悪い野球が好きです好きです大好きですと、褒めているのかけなしているのか分からないことを、オタクの早口みたいな語り口で滔々と語り続けていた。肩越しに伝わる吐息は酔っ払いの熱いそれで、俺の耳が要の声を受けてじんわりと赤くなっていくのが分かった。
こいつは、練習中にも試合中にも、突然俺を褒めてくることがあるけれども、あれは俺をのせるための方便なのかと思っていた。投手を気持ちよく投げさせるのも捕手の能力だ。良い感じに乗せてくれるならお前の神輿に乗っかってやろうやんけ、ぐらいには思っていたけれど、昨日の語りは球場で聞くものよりずっと熱く、重みと奥行きがあった。その熱さに触れていると、重い球児を背負って夜道を歩いているのも気にならないくらい。
横たわる要を見下ろしながら、迷い、願う。
もう少し、思い出して、と言ってもよかっただろうか。思い出せ。思い出してもう一回、褒めてほしいと。
思い出してもう一回、好きと言ってほしいと。
静かな寝息をたてる要を見つめる。
好きってなんだろう。好きってなんだったんだろう。
疑問だけがぐるぐると胸に渦巻く。もっと聞けばよかっただろうか。もっと、話せばよかっただろうか。
だって、きのう寝る前にキスしたことを覚えているか、聞くことはできなかったし。
「これも好きです」
うっとりとそう言った台詞が、どういう意味だったのか聞けないのは、どうしてなんだろう。

雨はまだ窓を叩き続けている。明日は晴れだという予報だが、今日だけは、練習もランニングもなにもなく、雨音だけがする部屋にふたり籠っていることになる。何もせず、ただベッドに並んで横になる一日。
もう一度キスしたら、こいつは気づくんやろうか。気づかない振りをするんやろうか。それも、それでも、いいけれど。「要くん、好きやで。誕生日おめでとう」。