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裏波
2026-04-15 17:56:16
2794文字
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『満ちる前に欠けたもの』
CoC6版「私立花ヶ丘高校秘密俱楽部」※ネタバレ注意
HO8芒に月 幼少期の初恋の話
最初にそれを受け取ったのは、四歳のときだった。
門の前に座っていた。誰かを待っていたのか、ただ家に入りたくなかったのか。
理由はもう、思い出せない。
それは状況として存在していたが、問題としては認識していなかった。
ただ、そこに自分がいただけ。
「どうしたの?」
声をかけられて、顔を上げる。
知らない人だった。
けれど、近所に住んでいるらしいという程度の距離感はあった。
「
……
ううん」
答えになっていない返事をすると、彼女は少しだけ困った顔をして、それから笑った。
「そっか。じゃあ、一緒に待とうか」
彼女は隣に座る。
合理性はない。だが、ここから立ち去る理由もない。
しばらくして、彼女から紙袋を差し出された。なんだろうか?と首をかしげる。
「おやつ。内緒ね」
甘い匂いがした。まだちいさな八芒はそれを受け取る。
本来であれば、受け取らない。受け取ってはいけない。
他人から渡されたものは口にしない。そう教えられていた。
まだ幼い体に、毒をならすのに時間がかかるためだ。
けれど、このときは違った。
理由はない。
ただ、受け取って、食べた。
「おいしいでしょ」
そういって微笑む彼女の顔は、太陽の光でよく見えなかった。
◆
「みつきくん」と、名前を呼ばれる。
彼女は最近よくやってきては、他愛のない話をしていた。
八芒があまり話さないからか、今日のごはんのことや、学校のこと
――
そんな話ばかりだった。
別に、耳障りではなかった。
ただ、聞いていた。
声が心地よかったからかもしれない。
「静かだね」
ふと、彼女はそう言って、そのまま頭を撫でた。
意味のない接触。効率的ではない。
だが、拒否はしなかった。する必要を、感じなかった。
拒否する理由を、見つけられなかった。
それが何だったのかは、定義されていない。
定義されないまま、残っている。
残っているだけの、はずだった。
◆
十四歳。
依頼は、いつも通りの形で来た。
喫茶店。決まったメニュー。伝票に記された情報。
名前。
所属。
関係。
——
政治家の秘書。
それが今夜の対象であることは明白だった。
対象の行動は単純だった。
帰宅時間は一定。経路も固定。寄り道は、たまにする程度。
ならば、対象の帰宅途中に古い歩道橋がある。
照明の一部が切れており、手すりは低く、足場は傾いている場所だった。
その場所なら、“事故”として成立する。
準備にさほど時間はかからない。意識されない違和感を配置するのが仕事だ。
誰かに違和感を持たれた時点でこれは“事故”ではなくなり、“事件”になるからだ。
あとは、環境が処理するだけの細工を、丁寧に、丁寧に、施していく。
足音が近づく。軽く、規則的な足音。それが対象だというのは、すぐに理解した。
対象は、いつも通り、橋に入る。
対象の後ろ姿は、肩にかかる髪が、わずかに揺れる。
女性。条件と一致している。
一歩。
二歩。
躓く。
女性の体勢が崩れる。人は躓けば、とっさにどこかへ手を伸ばす。
そう。だから、その女性も手すりへと手を伸ばす。
だが、その手は届かない。
それは“偶然”として処理される、不幸な出来事だ。
あぁ、落ちる。
やがて聞こえる鈍い音。人が地面に叩きつけられる音。
数秒待つ。動きはない。橋の下へ回り、確認する。
頭部からの出血。姿勢も不自然ではない。
問題ない。“事故”として成立している。
依頼は完了。あとは立ち去るだけだ。
それで終わり。
――
そう、それで終わりのはずだった。
「
……
み、つきくん」
背後から、声がした。
かすれた音。呼吸に混じるような、弱い声。
足が止まる。
その声に、反応してはいけない。本来、その必要はない。
それでも、
――
振り返ってしまった。
視線が合う。
彼女の目は、ほとんど閉じている。
それでも、こちらを見ている。
——
認識している。
記憶が、接続される。
門の前。
夕方。
紙袋。
甘い匂い。
口にした感触。
本来なら拒否するはずだった行為。
それを、例外として受け入れた瞬間。
「みつきくん」
名前を呼ぶ声。この呼びかたは当時、母と、もう一人だけだ。
そのもう一人が、目の前の人物と、重なる。
輪郭。
声。
距離感。
——
近所のお姉さん。
定義が確定する。
同時に、もう一つ。
定義されていなかったものが、形を持つ。
理由のなかった例外。
説明できなかった選択。
それが何か、理解する。
理解してしまう。
理解してしまった。
そんな思考をよそに、彼女の唇が動く。
だが、それは言葉にはならない。命が尽きようとしているのだ。
言葉にならなくていい。
結果は変わらないのだから。
その様子を見ても、八芒は何も言わない。
言う必要がないからだ。
これは仕事で、対象は処理された。
それだけのこと。
ポケットの中に触れる。
いつから入っていたのか分からない感触。
ざらつき。
輪郭。
記憶と一致するそれ。
理由が揃う。
なぜ受け取ったのか。
なぜ拒否しなかったのか。
なぜ覚えていたのか。
説明がつく。
ついてしまう。
だから、定義しない。
これは仕事だ。
事故だ。
関係はない。
振り返る必要は、もうない。
それでも一度だけ、視線を戻す。
彼女はもう、動かない。
◆
四歳のとき、甘いものを食べた。
他人から手渡された、甘いお菓子。
十四歳の今はもう、それを無条件で食べるような真似はしない。
そう結論づけて、八芒はその場を離れた。
ポケットの中の感触だけが、やけに残っていた。
――
甘い匂いがした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あとがき・補足
スプレッドシートの「初恋は?」の項目に記載していた、
幼少期の頃の話です。
面倒を見てくれていた近所のお姉さん
――
ですが、
暗殺の依頼で初めて手にかけた相手でもあります。
その設定をもとに、過去の出来事として書き起こしました。
初恋の相手は、十五歳年上をイメージしています。
初めて出会ったときは、満月が四歳、彼女が十九歳です。
それが“初恋”であったことは理解している。
けれど、それをあえて定義しないのが、
八芒という人物なのかなと思っています。
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