あんころ
2026-04-15 00:16:28
2707文字
Public 伊奈スレ
 

次はオムレツ定食

伊奈帆とスレイン+韻子ちゃん。
断章の後5年前後経っている気がする世界のモブ視点です。
便宜上(?)伊奈スレかなと思っていますが、作中時点では愛(広義)な気がします。

「いらっしゃいませ、こんにちは!」
「こんにちは。今日も繁盛してるねえ」
「えへへ、おかげさまで」
 日替わり定食ひとつね、とすっかり口に馴染んだ注文を伝える。案内された席は一人でも居心地のいい壁際の席。有難く座って見渡すと、店内は今日も復興支援地区で働く人々で賑わっていた。
 私もそのうちの一人。戦火にほとんどのまれなかった私の地元と違い、出張で訪れたこの地区は隕石爆撃の直撃を受けていた。潰れた家、なにがあったのかも不明なほど窪んでできたクレーター、瓦礫の山、なにかが燃えた痕跡。それらからたった1本の道路を挟んだところで人が生活しているような世界。
 復興状況の調査のためにそんな街をあてどなく歩いて見つけたこのお店は、今ではすっかりお昼の定番だった。私と一周りくらい年の離れた娘さんとそのご両親が営む、どこか昔懐かしい気配のする定食屋さん。まだ戦争の気配が色濃い地区で、憩いの場のようになっていた。何よりどれを食べても美味しい。すっかり気に入って通ううち、常連みたいになっていた。

 出してもらった水で乾いた口を潤していると、背後の扉がカラカラ鳴って次の客の来訪を告げる。春らしいぼんやりとあたたかい外気が足元を駆けていった。
「いらっしゃいま……あれ、伊奈帆?」
「久しぶり。二人なんだけど、入れるかな」
 イナホ、というのはここの娘さん――韻子ちゃんの幼馴染の男の子だ。たまに来てはお弁当を買っていったり一人で黙々と食べる姿を目にするうち、なんとなく覚えてしまった常連仲間の一人だった。向こうも覚えているかは分からないけれど。

 記憶にある限り、眼帯をした物静かな青年はいつも一人だった。ふたりということは友達か、働いているなら同僚だろうか。常連仲間とはいえ話したことはないので、伊奈帆くんの人間関係なんてさっぱりわからない。多少申し訳なく思いながら、聞き耳をバッチリ立てる。出入り口が近い席の特権だ。韻子ちゃんの「珍しいね」という声。
「ふたりって、……え、」
 背後で何が起きているのかは分からない。けれど途切れた韻子ちゃんの声に次いで、店内にカランと軽いけれどよく響く音がこだまする。驚いてつい振り返ると、伊奈帆くんが床に落ちたお盆を拾い上げているところだった。韻子ちゃんが取り落としてしまったらしい。かがんだ彼の背後にちらりと、金色のような銀色のような、くすんだ色のふわふわの髪の毛が揺れている。
 伊奈帆くんが差し出したお盆を受け取ることなく、韻子ちゃんはぴしりと固まっているようだった。その顔は見えないので状況を正しく理解することはできないけれど、何か変だ、ということだけを察知して視線を前に戻す。何ができるわけでもないけれど、戦争が間近にあったこの街で、まだそれに苦しむ人を多く見てきた。不安が過る。

 しばらく、店内の穏やかなざわめきだけが響く。
「入れないなら、また今度来るよ」
 ややあって、伊奈帆くんが静かにそう言うのが聞こえる。いつも物静かな彼が、特別平坦で穏やかになるよう努めてだしたような慎重な声音だった。
……ううん、大丈夫! こちらどうぞ」
 お盆ありがと、と韻子ちゃんの声。伊奈帆くんの様子に応えるように、さっきまでよりもずっとはつらつとした調子の声だった。つまり空元気のような。……ただの常連客には推し量れない事情があるのだろう。やはりここだって、そして彼女たちだってきっと、戦火の中心にあったのだから。

「端っこでいいよね?」
「うん、ありがとう」
 韻子ちゃんが案内したのは出入り口のすぐそば、私の背後の二人席だ。
 ふたり分の椅子が動く音がしてようやく、詰めていた息を吐き出す。
 背後の二人は何も話さない。さっきの韻子ちゃんの様子を見る――聞くに、なにかしら事情があるのかもしれない。やがて水を持ってきた韻子ちゃんに伊奈帆くんが日替わり定食とオムレツ定食を注文して、それだけだった。



 しばらく、のんびりとした時間が流れる。緊張もすっかりどこかに溶けてしまっていた。
 店内に設置されたテレビを見上げてのんびり待っていると、韻子ちゃんが湯気を立てるどんぶりの乗ったお盆片手に厨房から出てくるのが目に入る。
「おまたせしましたぁ、日替わり定食です」
「はーい、いただきます」
 今日の日替わりは親子丼だった。ふわふわの卵と三つ葉の香りが食欲をそそって、忘れかけていた腹の虫が空腹を訴えてくる。
 さっそく一口目を頬張る。一口サイズの鶏肉にお出汁のきいた卵が絡んで美味しい。たまねぎの少ししゃくっとした食感と、三つ葉の香りがアクセントのようになっている。二口、三口と箸が進む。
 やがて背後の二人にもお盆が運ばれていった。もちろん真剣に親子丼に向き合っているけれど、席も近いので当然話し声は耳に入ってしまう。
「日替わり定食とオムレツ定食、お待ちどおさま」
「ありがとう」
……今日の小鉢の和え物は私が作ったの」
……? うん、ありがとう」
 韻子ちゃんの小さなため息……というか、半分笑いが混じっているような気がしなくもない吐息までバッチリ聞いてしまった。伊奈帆くんそれは、だから味わって食べてねとかそういうことだよ……
 韻子ちゃんは慣れっこのようで、「じゃあ!」と元気に厨房に戻っていってしまった。背後でため息が聞こえる。
……それ、どんな表情なの」
「なんでもありません」
 ちょっと低まった伊奈帆くんの声と、明らかな呆れをにじませる知らない声。同行者は男の子だったらしい。名も姿も知らぬ伊奈帆くんの同行者よ、今すぐ握手してほしい。どうやら彼の方は、伊奈帆くんのような鈍さはないみたいだった。
 背後から、いただきます、とふたつの声が重なって聞こえたので、私も改めて親子丼へとちゃんと向き合うことにした。
 


 親子丼と小鉢の和え物を平らげてデザートについていた果物も美味しくいただき、充足感に満ち溢れて手を合わせる。今日も美味しかった。きっと午後も頑張れるような気がしてくる。
 背後では先に食べ終えたらしい、例の二人がお会計を済ませたところだった。カラカラと扉が開く音と、ごちそうさま、と伊奈帆くんの落ち着いた声。
「あの、……美味しかったです」
 遠慮がちに小さく聞こえたのは、伊奈帆くんの同行者くんのものだろうか。緊張しているような、怯えているような、けれど決意を滲ませるような芯のあるかたい声。
――、よかった。また来てくださいね」
 じゃあまた、と聞こえた伊奈帆くんの声は、心なしか嬉しそうに弾んでいた。