じべた:二次創作
2026-04-12 23:50:54
13700文字
Public ンズルカ
 

事後のンズルカが話してるだけ

 
タイトルの通り。題名が思いつかなかった…朝まで話してる二人。

 
 

ぼんやりとした微睡みから、ふと意識がはっきりと覚醒したのを感じてファルカは何度か瞬きを繰り返してからゆっくりと瞼を押し上げた。
歩んできた生き方故、体力も精力も人の何倍もあって当然だと信じていたはずだ。
しかし身体全体を覆う倦怠感はそれを易々と打ち砕いてくれる。
性交の疲労というものは事務仕事や戦闘などとはまったくの別物だということを、こんな年齢になってから知るとは。
それもまさか、抱かれる側という立場で実感するなんて。
遺跡守衛相手に腕を磨いていた若かりし頃の自分がこの現実を知ったら「そんなバカな」と大きな声で笑い飛ばすに違いない。
あぁそうだな、今の俺だってそう思う、とファルカは内心で苦笑する。
事実、ファルカ自身が今の立場に収まっていることが驚きなのだ。
そもそもにして、こんな傷だらけの身体でガタイも良い男を「抱きたい」という意思をもって愛する者が存在したことが驚きだ。
まして、その相手と想いを通わせているというのだから、これはもう奇跡に近しいだろう。
運命がどう転がるかなんて、本当にわからないものだとファルカは唇を弛め、笑う。
それは多分、きっと、幸せだなと感じたが故かもしれない。
ふと思い立ってベッドに投げ出されていた腕を映していた視線をゆっくりと部屋の中に向ける。
背中に温度は感じない。
目の前にもいないということは、同衾したはずの相手はベッドにいないということだ。
起きはしたものの、まだ半分微睡んでぼやけている視野で彼を探す。
瞬きを繰り返しながら薄暗い部屋の中眺めれば、一か所だけぼんやりとした暖色が揺れているところがあった。
そこに視点を固定し、少しずつ焦点を合わせていけば彼の夜を切り取ったようなグラデーションの髪がしっかりと認識できた。
それがいつもより少し乱れているのは自分を抱いたあとだからだろうか。
彼は蝋燭を二本ほど灯した仄かな明かりの中、机に向かって何かを書いているようだった。
書類仕事でもしているのだろうか。

――綺麗だなぁ。

ぼんやりと、真剣な顔つきを目にしてそんな風にファルカは思った。
眠さと覚醒の合間の思考回路はひどくシンプルだ。
明るいオレンジ色に揺れて浮かぶ彼の輪郭は彫刻のように整っていて、執筆の動きに合わせて腕に触れる長い髪がゆるく穏やかな波間のように揺れている。
自分とは真逆の、夜を体現したかのような色彩がファルカは好きだった。
彼は自分を「まるで太陽のようですね」とよく表現してくれる。
それにファルカは「じゃあお前は月夜だな」なんて笑って返していた。
夜色の髪と、自分を見つめる月光色の瞳。
世の理であれば共存の敵わない夜と共にいられるなんて、なんとも嬉しいじゃないか。
しばらくの間、紙を滑るペンの音を聞いているとふいに彼の視線がこちらに向いた。
ちらりとなんでもないように、いつものことのように自然に行われたその動きはファルカの顔を確認してからまた紙面に戻り――

……ファルカさん?」

ふいに手が止まると同時に、彼がもう一度ファルカを見つめた。
夜の色彩を纏う彼の目の色はまさに月のような黄金だ。
その光が自分を見つめているのを確認し、ファルカはゆっくりと身体を起こす。
あちこちが鈍い疲労を訴えている。
主に腰や足が。

「仕事か? 精が出るな」
「すみません。もしかして起こしてしまいましたか?」

明るすぎましたかね、と蝋燭を見つめる彼に「ちがう」と苦笑しながら告げる。

「なんとなく目が覚めたんだ。心配しなくていい」
「それならいいのですが……朝まではもう少し時間があります。寝ていてかまいませんよ?」

心配そうに腰を上げそうになった彼を手を挙げて制して、微笑む。

「俺は西風騎士団の大団長だぞ。寝ずに動くなんてよくあることだ」
「確かに。ですが抱いた後のあなたは随分とぐっすり眠るようなので疲れさせているんじゃないかと……

小首を傾げながらそう言われてしまい、ファルカはぐぅと少しばかり返答に詰まった。
あぁそうだ。
性交の疲労には慣れていない。
戦闘と違って一方的に与えられるばかりで、自分でコントロールが効くものではないせいかもしれない。
加えて、会議などとも違って脳みそがバカになってしまうかのように何も考えられなくなってしまう。
あの甘い感覚と痺れはファルカが自分で望んで得ているものではないので、許容範囲を超えてしまうのかもしれない。

「まぁ疲れはするな。お前、意外としつこいし」
「すみません。恋人の可愛い姿に我慢が効かないらしいです」

クスクスと、かすかに綻ぶその表情は彼がファルカにのみ見せる表情で。
ファルカはそれが嫌いじゃなかった。
その表情から、心底「あーこいつ俺が好きなんだな」と感じ取れるからだ。
そしてそれを嬉しいと思っている自分がいて、「あー俺はこいつが好きなんだな」と自覚もしてしまう。
こんな良い年になって、甘酸っぱい恋をするなんてと時折自嘲してしまうほどだ。

……何してたんだ?」
「報告書をまとめていました。なるべく早く出してください、とイルーガに小突かれてしまいましたので」

肩を落とし、やれやれと言った風な彼にくつくつと喉が震えて笑いが出そうになる。
が、散々声を出させられたせいか、それは少しばかりの咳に変わる。

「お水、いりますか?」
「ん……そうだな。少しもらう」
「わかりました。そこでお待ちください」
「いや、そっち行く」

長椅子から立ち上がろうとした彼が、ファルカの返事を聞いて停止した。
ファルカはと言えば、少し気怠い身体を起こして足を床につけ、シーツを体に巻き付けてから「よっ」と少しだけ声と気合を入れて立ち上がる。
下着だけは彼が履かせてくれていたが、それ以外は何も纏っていない。
彼の自室でもあるこの地下室で肌をさらけ出すのは、さすがのファルカにもほんの少しばかり肌寒いのだ。

「ここで待ってる」

そのまま彼が座っていた席の横を陣取り、ニンマリと笑う。

「おやおや、シーツのお化けさんの登場ですか?」
「おう。可愛いだろ?」

ばさりと頭にまでシーツを被ってみせれば、彼の唇からもくすっと微笑みが零れる。
己を『可愛い』などと、他者がいる前であればファルカの口からは出ることもないだろう。
だが、彼は事あるごとにファルカを『可愛い』と愛でてきた。
かっこいいの方が嬉しい、と告げても『かっこいいですし、可愛いです』と言われてしまうのだ。
こんな大柄で、歳もいったおっさん相手になにを……と幾度否定しても、彼はただ微笑み、愛おしそうな眼差しで頬に触れながら『愛らしい』『可愛い』と、ためらいなく言葉にしてしまう。
あまりにもそう言われ続けてしまったせいか、気が付けばファルカは二人きりの時にお道化られるようにまでなってしまった。
先ほどのように、己を『可愛いだろ?』などと言えるほどまでに。
それもこれも全部、目の前の男のせいだ。

「えぇ、とても可愛らしいですよ」

そんな原因の彼は笑顔を見せるファルカの頬に口づけを一つ落とし、席から立ち上がって水差しとコップを取りに行く。
頬に触れる手と、唇と、その仕草のなんと絵になることか。
本当に良い男だよなぁとぼんやりと思いながら、その一挙一動を見つめる。

「お待たせしました、どうぞ」
「ん、ありがとな」

水の入ったコップを受け取り、それをこくりこくりと飲み込んでいく。
冷たい水が喉から体に溶け込み、夜の余韻を冷ましていくようだ。
報告書から少し離れた場所に置かれた水差しを手に、もう一杯と自分で注いでいく。
二杯目を一口飲み込んでから、再び報告書の書き出しに戻った彼を見つめる。
かすかな蝋燭の明かりに灯された横顔はやはり綺麗だ。
美丈夫とは、こういう男に使う言葉なのだろうなとファルカは静かに思った。

「雰囲気もなく聞くが」
「なんでしょう」
「なんで今報告書をやってるんだ? イルーガにお小言食らったっていうのは分かるが」
「おや、隣におらず寂しがらせてしまいましたか? これは申し訳ない」
「いやそうじゃな……あ~まぁ嘘じゃないと言えばそうだが……
……おやおや……

僕としたことが気付かずに、と彼は再びファルカの頬に手を添えて軽く唇を重ねてきた。
それは舌を絡めるような濃厚なものではなく、触れ合わせてリップ音と共に離れていくような軽いものではあったがファルカはそれでも嬉しいと思った。

「実はですね。時折はこうして報告書を書いていたんですよ」
……俺を抱いた後、俺が寝ている最中に?」
「はい」
「なんで?」
…………

純粋な問いかけに、彼は人差し指を唇に押し当てて少しばかり思案しているようだった。
言ってはまずいことなのだろうか、聞いてはいけなかったかと首をかしげると、

「寝顔を見ると、落ち着くといいますか……

思いもしなかった言葉に、ファルカはさらに首を捩じる。

「あなたならお分かりになると思いますが、一人で書類を書き上げるのはしんどいでしょう? あぁ、まだこんなに残っている……もうめんどくさい、投げ出したい……そうお思いになるでしょう?」
「なるなる。残っているほどそう思う」

うんざりと言う彼にファルカはうんうんと首をぶんぶんと縦に振って同意する。
片や一国を取り仕切るに近い立場の大団長。
片や一自治区を自警する組織の中でも抜きんでた実力を持つライトキーパー。
出来ることが多いということは、報告しないといけないことも増えるということ。
双方、それらがとんでもなく苦手だというのに結果を残すが故にそれが増量してしまうのだ。

「理解があって嬉しいです。そんな報告書にげんなりとした時、僕はあなたの寝顔を見るんです」
……俺の?」
「はい、あなたの寝顔はとても心を癒してくれますから」
「そう、なのかぁ?」

寝顔でそんな……と頬を指でこりこりと掻く。
自分の寝顔にそんな効果があるのだろうかと明後日の暗い天井を見つめる。

「そうですよ。起きているときからは想像もできないぐらい、穏やかで静かな寝顔で……あぁ、あなたがここにいてくれるという安心感が僕を癒してくれるのでしょうね」
「んな大げさな」

コップをテーブルに置き、少しの気恥ずかしさから膝を抱えてシーツに包まり直してファルカは笑った。

「他にもありますよ。お酒を飲んだ後、テーブルで突っ伏しているかのように口を開けて涎を垂らしていることもありますし……
「マジ?」
「えぇ、とても幼子のようで愛らしくて……気付けばふと笑ってしまっているんです」
……笑われてるじゃねぇか。恥ずかしい」
「いえいえ。それだけあなたがここで心を許し、安らぎを得て眠ってくれているのだと思うと嬉しいんですよ」

ちゃんと涎は拭いてますから安心してくださいと言われたが、気になっているのはそこじゃないんだがなと内心で突っ込まずにはいられなかった。

「あとは……あぁ、そうです。この間、飛び切り嬉しいことがありまして」
「なんだ?」
「あなたが寝言を言っていたんです」
「え~、なんだよ。涎の次はなんだってんだ?」
……ふふ、名前ですよ」
「名前?」
「僕の名前です」
「え……

彼が告げた言葉の意味を理解して、ファルカは思わず頬に熱が昇るのを感じた。

「あなた、寝言で僕の名前を呼んでくれたんです。『フリンズ……フリンズ……』って、何度も」
「う、そだぁ~」
「本当です。あまりの嬉しさに思わずあなたの髪を撫でました。そうしたら嬉しそうに笑うじゃないですか。なんて愛らしいんだって思いましたね」
「や、やめてくれぇ~」

己の知らない自分が、いったい彼の前でどんな表情をしたのか。
羞恥のあまり、包まっていたシーツで顔を覆って身体を丸める。
二人掛けの長椅子だから多少は広いものの、それでもファルカが身体を丸めるには少しばかり窮屈ではあるが。
それでもファルカは必死になって頭を抱えた。
自覚のない夢の中でも、彼の名を呼んでいたなんて。
何も覚えていないし、夢を見たかも記憶にない。
それでもきっと、彼が言うのだから嘘ではないのだろう。

「恥ずかしがらないでください。僕は嬉しいのです。夢の中にまで僕を置いてくれていることが」
「知らん知らん。お前が勝手に俺の夢に入ってきたんだ、きっと」

恥ずかしさのまま手だけを出して、パタパタと彼の考えを否定する。

「なるほど。つまりあなたは僕が夢の中にまで出入りすることを許してくれるのですね?」
……はぁ、お前のその全肯定の前向きな捉え方には感服するよ。もうそれでいい、好きにしてくれ」
「えぇ、好きにします」

くだらない会話だ。
少しの恥ずかしさと少しの笑顔と。
それらが入り混じったこんなどうしようもないやり取りがファルカは好きだった。
それができる相手がいることが、嬉しかった。
ファルカの反応に満足したのか、彼はシーツの外に出ていた手をそっと握り、その甲に口づけをしてからまた報告書の作業に戻ったようだ。
顔まで覆っていたシーツをずらし、ペンの動く音だけが響く室内で再び彼の横顔を眺める。
伏し目に見える瞼にはその美貌を表すように長い睫毛が時折瞬きを教えてくれた。
視線はわずかに左右に揺れ、ペンが動く先を捉えているのが分かった。
ペンを滑らせる手は綺麗ではあるものの、長柄武器を振り回すだけの力を感じさせる男らしさと力強さも見て取れる。
唇は綺麗な形をしたまま閉じられているが、本当にたまに、時折、つまらなそうに尖ることがあった。
きっと報告書を書くのが嫌になっているのだ。
気持ちは分かる、ファルカだってどちらかといえばやりたくないのが書類仕事なのだから。
そんな彼の表情の変化に口元を緩ませながら、ふいに蝋燭の明かりに照らされた長い髪に手を伸ばし、そっと触れた。

「どうしました?」
「いやぁ、お前の髪って綺麗だなって」
「あなたに褒めていただけてとても嬉しいです、ありがとうございます」
「そういや、いい香りするな」

ふと一房を手のひらで救い上げ、顔に寄せる。
ミントほどではないものの、すんとした清涼感のあるさわやかさと清らかさを漂わせるその香りに、ファルカはふと視線をあげる。
思い当たる香りがあった。
恋人である彼が住まうこの地に多く咲く、水色と淡い紫を纏った花。

……これ、フロストランプか?」
「よくお分かりで」

見上げるかたちになったファルカの視線の先で、彼は目を細め、やわらかく微笑む。
もともとこの場所に住んでいることもあり、時折彼からはこの花の香りがした。
けれどそれは、風がひとたび吹けば、たやすく掻き消えてしまいそうなほどかすかなものだった。
それなのに今、彼の髪が纏う香りは強く主張するわけでもないのに、確かにそこにあると気づかせるだけの静かな存在感を帯びている。

「以前、あまり湯に浸かる習慣がないと話した際に、あなたが少し渋い顔をしたでしょう」
「そりゃそうだろ。いくらランプに戻れば色々リセットされるとはいえなぁ」
「えぇ。あれから反省しましてね。あなたが身体を清められる場所にもなると思って湯処を用意しました」
「あぁ……急に風呂ができててびびったぞ」
「僕もまぁ湯につかるのも悪くないなと思い始めたころ、花の香料を含んだ石鹸があることを知りまして」
「なるほど。それでフロストランプの香料入ったヤツ使ってるってことか」
「そうなんです。これが個人的にとても気に入りましてね、普段使いしているんです」

ペンを走らせながらそう説明する彼に頷きながら、ファルカはその夜色の髪の香りをスンスンと嗅いだ。

……うん、いいな。ここにたくさん咲いてるからってのもあるけど『お前の香り』って感じがして好きだ」
「嬉しいことを。それなら、次にあなたを洗うときは同じものを使いましょうかね」
「今まで使ってなかったのか?」
「えぇ。同じ匂いをさせるのは色々と周囲に察せられてしまうかもしれないと思って気を使っていたのですが?」

その必要はなさそうですね、と問われ、一瞬ぽかんとしたファルカは次の瞬間には顔を一気に赤くした。
他の人間が、とある二人が『同じ香りをしている』というのをどういう風に受け止めるのか。
可能性の中に「恋仲」があることは余裕で想像ができる。

「いや、まぁ……でもほら。ここに来るのなんて団員もよく知ってるわけでな。汚れたから借りたとかそんな、言い訳いくらでもできるし……
「なるほど。ではそういう言い訳を用意しておいて、あなたに同じ香りをつけるとしましょうか」
「え、あ、おう……まぁ別に、いいぞ……

ファルカの答えに、彼はクスリと笑って満足そうに頷いている。
少しの恥ずかしさはある。
だがそれよりも「彼と同じ香り」というものを身に着けてみたいとは思ってしまったのだ。
これが恋というものだろうか、我ながら恐ろしいなともう一人の自分がどこか遠くで笑っている気がした。
だがもう、別に気にしないことにした。
大柄で、傷らだけで、決して愛らしくもないこの身を「可愛い」と表現して愛してくれる男が出てきてしまったのだから。
それを素直に受け入れたっていいじゃないか。
自分だってあいつが好きなんだから。
そうファルカは遠くにいる自分に向かい、自信を胸に手を振り返す。

この恋は良いものだと、そう宣言するように。

再びペンを走らせ始めた彼の髪を弄びながら、一房、二房と手に取り分けながら指で梳いていく。
髪が揺れるたびに空気の中にフロストランプの香りが漂い、広がっていく。
その淡い香りを楽しみながら、ファルカは己の太く節の目立つ指を器用に動かしながら髪の毛の束を作っていく。

「なぁなぁ、ちょっといじっていいか?」
「かまいませんよ。急に切られたりしたら困りますが……
「んなことはしないって」

以前、長い髪は過去の世の身分慣習で伸ばしていると言っていた。
そんな風に大事にしているものを、ましてファルカ自身も好きだと思っているものを切ろうするはずがない。
櫛はこの部屋の隅にあることを把握している。
次に弄った髪を結えるものが欲しいなと思い、何かなかったかと記憶の中を漁る。
そうだ、自分の荷物の中にケガをした際の応急処置として使うための布の切れ端がある。
あれを使えばいいかと、ファルカは彼の髪から手を放してベッドのソファ近くに投げ捨てられていた自らの服の山を漁る。
コートの中から目当てのものを探し出し、ニンマリと一人頷く。
背後にいる彼はこちらの様子を気にしているようだが、自由にさせてくれる気配はある。
身体にまとったままのシーツを翻しながら、今度は彼の後ろを通り抜けて櫛を手にし、小さな丸椅子もついでに拝借して長椅子の後ろに置いた。
彼の背後を取り、そこに腰かけてからそっとその長い髪に手を伸ばす。

「触るぞ」
「どうぞ。ただ書類作業はしますので頭は上げられませんよ?」
「大丈夫だ。お前の髪、長いからな」

本人の許可も得て、ファルカは意気揚々とその髪に櫛を通す。
綺麗なグラデーションがかった彼の髪は、暗い夜から朝焼けを知らせるような薄い青色をしている。
月や陽の光を浴びて静かに、しかし鮮やかに揺れるその髪がファルカは好きだった。
なるべく彼の迷惑にならないよう、優しく何度か櫛を通してから指で束を作り上げていく。
騎士団の中には子どもがいる者もいる。
剣を手に、勇ましく自分に向かってくる子もいれば、当然ながらおしゃれを大事にする子もいる。
そんな中、自国に流れ、揺蕩う風に髪が弄ばれる子どもも少なくない。
母親にやってもらったのにと、紐が風に攫われて三つ編みが解けてしまったことに涙をこぼすような幼子もいた。
ぐすぐすと鼻を啜る子を膝に乗せ、「大丈夫だ、直してやるから」と頭を撫でながら髪を結うこともあった。
上手にできるの?、なんて聞いてくる他の子どもに「意外とうまいんだぞ」なんて胸を張ったことを思い出し、笑う。

「どうしました?」
「いや、昔のことだ。気にするな」
……そうですか」

自分の髪を結うことで、何か楽し気な記憶が蘇ったのだろうと理解し、彼も声色に穏やかさを滲ませる。

……騎士団連中のな、子どもの髪を結ったことがあるんだ」
「へぇ」
「俺はほら、ガタイに合わせて指も太い。細かいことができるのかって子どもには良く不思議がられたよ」
「確かに、そう思われるのも理解できますが」

でも、あなたは意外と器用ですよね。
そう零す彼にファルカは「だろ?」と嬉しそうに笑う。

「綺麗に三つ編みを編んでやったら、すごい!って絶賛された」
「それはそれは。ということは、もしかして……
「そう、お前の髪を三つ編みにしてる」
「おや」

まさか三つ編みにされるとは思っていなかったのか、彼はほんの少しだけ驚きを露にする。

「自分で縛ることもないので、どんな仕上がりになるのか気になりますね」
「まぁお前の髪は長いしふわっとしてるからな。そんな硬くは結わない」
「なるほど?」
「そうだなぁ……全体的にはゆったりとした感じにしようかなーって」

いくつか作った束を丁寧に、ゆっくりと、うまく交差させながら指を動かして髪を編んでいく。
ファルカは彼の髪が靡く様が好きだ。
ナド・クライの、少しだけ冷えた空気に揺れて映える紺碧が好きだった。
月の輝きの中でも目に留まるその色を目にするたびに、綺麗だなと思った。
だからその雰囲気が残るようにと、編み目を大きく、柔らかに、風を含めるように編んでいく。
その表情がとても楽し気なのは、きっとファルカ自身も気が付いていないのだろう。

しばらくの間、彼のペンが紙をひっかく音とファルカの鼻歌だけが室内に響き――

…………よし、できたぞ~」

最後に毛束を白い布切れでまとめて、それは完成した。
普段なら首元から腰にかけて緩やかに広がっている髪が、今は肩より少し下辺りから緩く優しく三つ編みへと結われている。
縛っている結い紐が布切れというのが味気なくて、ファルカは今度どこかで質のいいリボンでも探してこようかと考えた。
彼の髪に似合うのは何色だろうか、やはり月のような――彼の目の色に似た黄色が良いだろうか。

「出来栄えはいかがですか?」

こちらもまた、報告書が仕上がったのだろう。
紙の束をトントンと叩きながら彼が後ろを振り返る。
その動作に合わせて、ゆっくりと三つ編みが揺れる。
頭にかかる重みが少しばかり違うのだろう、彼は肩越しに自らの髪を眺め、そして腕を回してそれに触れた。

「ほう、綺麗にまとまるものですね」
「だろ? 上手だぞ~……っと、ここには鏡がないか……
「大丈夫ですよ、あなたの自信作なのでしょう。でしたら、問題ありません」

仕上がりを見せたいなと思ったものの、その手段がここにはなく。
気に入るか心配だったファルカであるが、彼にとってはそれは些末事らしい。
だって、遠目に三つ編みを眺める視線が嬉しそうだからだ。

「あなたがしてくれたのですから、今日はこのままにしておきます」
「いいけど……誰にしてもらったんだとか言われないか?」
「言われるでしょうね。ですが誤魔化すのなんてお手の物ですよ」
「そうだろうけど……ま、お前が良いならいいけどさ」

自分がやったというのが知られるのは少しだけ気恥ずかしさがあるが、だからといって困ることはない、はずだ。

「そのまま出るなら髪を縛るやつも良いやつにしたかったな。リボンとかでこう、さ」

ファルカがぼやくものの、彼は「いいんです」と目を細める。
そうして三つ編みを見つめる顔つきが、宝物でももらった幼子のように見えたから。
だからファルカは、彼が嬉しいのならいいかと受け止めることにした。

「さて……そろそろ朝ですね。結局あれから起きたままですが、大丈夫ですか?」
「おう。お前と色々話してたら楽しかったし。ばっちり目は冴えてるぞ」
「いえ、眠気の話ではなく。どちらかと言えば体の心配をしているのですが」
「それは……別に支障ないさ。怪我したわけでもないしな」

そっちかよ、と寝る前の情事を思い出し、ファルカは頬を赤くする。

「まぁほら。お前が綺麗にしてくれたんだろ? だから、大丈夫だ」

起きたときに身に着けていたのは下着一枚のみではあったが、身体は眠りにつく前の記憶とは違い、綺麗になっていた。
服で隠れる胸やら足やらには赤い痕は残されているものの、汗や精液なんかはさっぱりと洗い流されていた。
彼が疲れて眠った自分を風呂にまで運んで、洗ってくれたということだ。

「少しばかり無理をさせてしまった気がしましたので。責任を取りました」
「えらい。大事だぞ、そういう気遣い」

以前、興が乗ったのか情事に夢中になってしまったのか。
本気でもうイヤだやめてくれと言っても意識が飛ぶまで手や腰を止めてくれなかった、なんてこともあったなぁとファルカは思い起こす。
目を覚ました時には、自分を抱きしめて珍しく眠る彼が隣にいて。
そして自分も彼も、色々なものにまみれてべたべただったりと散々なことがあった。
まぁその時は一緒に湯船につかったので、それはそれで楽しかったとも思うのだが。

「責任の続きではありませんが……朝食も用意しましょう。着替えてきてください、上で準備しています」
「おう、ありがと」

それが当たり前のように、彼はファルカの傍に歩み寄って頬に唇を寄せる。
そのお返しにと、ファルカも当然のように彼の頬に唇を触れさせた。
普段なら肩にかかる彼の長い髪が、今日は三つ編みのまま揺れている。
その出来栄えに、ファルカはまた一人満足そうに心の中で頷く。
起きたときに軽く身支度は済ませていたのか、彼はシャツの襟元を軽く整えてからいつものコートを羽織り、肩にかけるケープを片手に階段を上っていく。
それを見送り、ファルカは伸びを一つして山になっていた服を手に取り着替え始める。
シャツに袖を通し、装備を身に着けて最後にコートを羽織り――
こうしてファルカは想い人に寄りそう恋人から騎士団の大団長へと戻っていく。
階段を上がれば、火にかけた鍋の様子を見ている彼がいた。
夜明かしの墓は朝であろうと昼であろうとほのかに薄暗い。
それでも地平の先、ピラミダなどがある大地は明るく朝を知らせている。
椅子に座るよう促され、素直に従えば温められたスープとパンが差し出される。
いただきます、と一言添えてパンを口にし、今日これからのことを語り交わす。

「ファルカさんはこのまま砦にお戻りに?」
「おう。でもピラミダの鍛冶屋にちっとばかし話がある。だからそっちに寄り道だな」
「そうでしたか。ではそこまでは一緒ですね」
「ん? クリフサイドにはいかないのか」
「イルーガもこちらに来ますので、そこで書類を渡すことになっています。ニキータ様も交えて少し話すこともありましてね」
「そっか。そんじゃピラミダで解散か」

ほんの少しばかり残念だなと思っていると、彼の指が伸びて唇の端をぬぐっていった。

「バターがついていました」
「お、おう……悪い」
「いいえ」

ペろ、とそのバターを舐め取り、彼が微笑む。

「寂しいですか?」
「あ? いや、まぁちっとはな」
「そうですか。実は……僕もです」

思いもよらなかった返答に、残りのパンを口に放り込もうとした手が止まった。
驚きのまま声の主に目をやれば、彼は眉尻を下げてほんのすこしだけ、確かに寂し気に微笑んでいた。

「落ち着いたらまたフラッグシップで飲みましょう。もちろん、ここでもかまいません」
……そうだな。また来る」
「えぇ、お待ちしていますよ」

そうして最後のひとかけのパンを口に放り込み、噛みしめてから飲み込む。
明るくはないが、穏やかな朝だった。
お互いに立場も忙しさもある身で。
だからこそ、こうして顔を合わせる一時が、ひどく愛おしく、離れがたかった。



+ + + + +



海を渡り、ピラミダに続く橋を越えてリフトで上昇していく。
ライトキーパー本部へと近づくほどに風は強まり、頬を撫でていった。
目に見えない流れが身体を煽るたび、彼が結ってくれた三つ編みが視界の端で靡き、フリンズの胸にかすかな喜びを灯してくれた。
彼が自分に触れてくれた確かな証拠が残っているのが嬉しかったのかもしれない。
リフトが到着する直前、人目につかないぎりぎりのタイミング。
彼はそっと顔を寄せ、フリンズの頬に口づけを落としてきた。
公共の場ではめずらしい別れの挨拶に驚き、青い瞳を見上げればその色の中に彼の寂しさが微かに滲んで見えた。
思わず彼に手を伸ばしかけたその瞬間、リフトは無情にも最上階へと到達してしまった。
カツンと硬い靴音を響かせ、二人は連れたってリフトから降り立ち顔を見合わせる。

「それじゃ、またな。フリンズ」
「えぇ、ファルカさん。また」

目当ての人物の元へと向かいながら手を振る彼に、同じように手を振り返しそれを見送る。
ほんの少しだけ、呼び止めてしまいたい衝動を押し込めながら。
ライトキーパーでもなく、著名とはいえ遥か遠い国の一騎士団の大団長というナド・クライに根付いた人間ではない彼ではあるが、その人柄とこの地で築いた功績と人脈のおかげだろう。
道を歩けば、誰もが声をかけ、気軽に挨拶を交わしていく。
本当に、他者の懐へいともたやすく入り込んでしまう人だと、我が恋人ながら感心せずにはいられない。
昨晩、あれほどまでにさらけ出された情欲の気配など微塵も感じさせない、さわやかで明るい笑顔。
多くの人に慕われる「西風騎士団の大団長・ファルカ」、その人の笑顔を見つめながら、フリンズはほんのわずかに口元を綻ばせる。

……次に会う時までに良いお酒を仕入れておきましょうか」

それがせめて、自分との時間を惜しんでくれた彼への最大の礼になるとそう信じて。
人ごみの中へ消えるまで彼の背を見送り、フリンズはその場から足を動かす。
本部への階段を上がり、部屋へと赴けばイルーガとニキータはすでに到着していたようだった。
書類を差し出すと、イルーガは苦笑しながらそれを受け取り、次はもう少し早くお願いしますね、としっかり一言を添えてくる。
そのまま、ワイルドハントの出現やら巡回についてなど――予定していた小さな会議のようなものがその場で開かれた。
時間をかけ、あらかたの情報交換やすり合わせを終わらせたのち、フリンズはさらなる今日の予定を済ませるために二人に会釈をして背を向ける。

……あれ、フリンズさん。それはどうしたんですか?」

踵を返したところで、イルーガが声を投げかけてきた。
それは純粋な疑問を含んだ声色で。

「それ、とは?」

フリンズが足を止めて振り返ると、イルーガは自分の髪を指差しながら微笑む。

「髪の毛ですよ。三つ編みにしてるじゃないですか」

その一言に、フリンズは「あぁ」と肩越しに髪に視線をやった。
部屋に入ってきたときは正面からだったので、身体に隠れて気付かれなかったのだろう。
問われることもなかったので、二人は分かっていながら何も言わないのだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
やはり普段は下ろしているぶん、こうして変化があれば目立つのだろうか。

「綺麗に編まれてますね。どなたにしてもらったんです?」

興味本位であろう、そう問いかけてくるイルーガにフリンズは少しだけ瞼を伏せる。
自分の目では確かめられていないが、普段なら大剣を力強く握るあの手が、あの指が――
イルーガの言うように「綺麗」と評される三つ編みを編んでくれたのだと思うと、胸の奥から愛おしさが溢れそうになる。

「そうですねぇ……


正直、誰が編んだかなど口にしたところで問題はないのだろう。
酔った勢いで、などと言い訳はいくらでも立つ。
それでも、なぜだろう。
フリンズは、その相手を明かしたくないと思った。
自分と彼だけの小さな秘密にしておきたくて。
唇に人差し指を当て、そっと笑みを浮かべる。

「あえて言うなら『妖精の恋人さん』でしょうかね」
「よう、せい……?」

そうおどけて見せれば、イルーガはきょとんとした顔で首を傾げているようだった。
奥にいるニキータは肩を竦めて苦笑しており、誰がやったのか察しているらしかったがあえて口にはしないようだった。
大人な対応をしてくれる長年の友人に、フリンズは心の中で感謝を述べる。

「ふふ。それでは、僕は所用を済ませてまいりますので。失礼いたしますね」

改めて二人に身体を向け、手を胸に当てて一礼をし。
それからゆっくりと、三つ編みを揺らしながら背を向けて部屋を後にする。

ふと意識を周囲へ向ければ、すれ違う人々の視線がときおり背に注がれるのを感じる。
その視線の先には彼が編んでくれた三つ編みが揺れている。
ほんの少しの違いでこんなにも目立つものなのかという驚きと同時に、胸に芽生える感情を抱きながらフリンズは歩みを進めた。

ねぇ、僕の恋人はとても器用でしょう。こんなにも僕を綺麗に仕立ててくれるんですから。

その足取りが軽いのも、表情に嬉しさが滲んでしまうのも。
すべては、愛しい愛しい、太陽のような恋人のおかげなのだろう。