kanaco
2026-04-12 19:13:39
6655文字
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【十二信】当たり前の距離

《十二信》未成立の十二信。かわいい触手と過保護と、いつも通りの距離だけど、もう少し近づきたいプインヤのお話。

 九龍城砦は広く高く複雑な構造しているがゆえに、迷宮だ。

 入り組んだ通路が複数あるし、知る人が限られる秘密部屋すら存在する。砦の構造を隅々まで把握しているのは、主である龍捲風とその右腕である藍信一くらいのものだろう。

 十二はその龍捲風や信一と過ごした少年時代に、城砦の構造をよくよく理解した。

 だから城砦へ遊びに来たのに信一の姿が見当たらず、誰に聞いても分からない場合でも、行方の”当て”の選択肢は多く、適確であった。

 いくつかの階段、いくつかの部屋、いくつかの通路。そうして辿りついた地下のとある部屋。
 
 鍵が開いている。
 誰かが、いるはず。

 十二はゆっくりとドアを開き、中に入る。閉めるのは素早くだ。

 ドアはバタン、と音を立てた。
 その時。
 
 
 グル…………

 
 低く湿った音が、部屋の奥から床を這うように広がった。動物か、何か。人が発するとは思えぬ音だった。喉からのものなのかさえ、判別がつかない。
 
 十二は鋭い眼光に厳しさを宿し、部屋の奥を射抜いた。蛍光灯が白く光って、部屋の奥さえも煌々と照らしている。だから、十二はハッキリと視界に映した。

 
 それは三メートルほどの高さを持ち、複雑に絡み合って束となる。


 巨大な触手であった。

 
 卵のような形をした球体が、壁の高い位置に浮いていた。蔓にも似た触手はその核から伸びた器官に見える。薄い緑色は一見植物のようだが、そう断定するには触手の太さはまばらだ。いくつも長く伸びて、奥壁を埋め尽くさん限りだった。

 
 そしてそこに──。
 
 信一はいた。

 あまりにも力なく、吊るされている。
 
 蔓が複数本、信一の細い腰や足、腕を捕えるように絡みついている。透明な粘液が髪から足元までベッタリとついており、明かりに照らされてテラテラと艶めいていた。閉じた瞼、頭はダラリと下がっており、十二には顔色が伺えない。ぐったりとした信一の頬を、細身の蔓が突くように撫であげていた。
 
 十二は激しい怒りを雷のように全身に走らせ、瞳孔を開いた。

 片手にある刀を、震えるほど強く握りしめる。次の一歩の構えを取るために、足を広げて踏んばった。
 
 大きく息を吸いこみ、腹に力を込める。
 
 そして。

 
「こらぁ────────────っ!!!」

 
 まるで城砦を揺るがすほどの、強烈な怒号。
 
 触手たちの先っぽが、一斉に十二の方を向く。それから信一の体ごと、十二に向かって素早く伸びてきた。

 十二は微動だにしない。十二の近くまでくると、蔓は一斉にピタリと動きを止めた。それから、おずおず……と言った風に、ドロドロになった信一が差し出される。腰に巻きついた触手の先っぽがフルフルと揺れた。ついでにキュイキュイと鳴いて、他の触手たちも呼応するように揺れ始めた。
 
 十二は怒りのまま、クワッと目を見開いた。

 
 「いや、信一が動かなくなっちゃった、どうしよう、じゃねぇんだよ!」

 お前ら、それ何回やったら懲りるわけ!?
 
 
 大の大人だって縮こまる気迫で怒鳴り散らし、ブン取るように信一を奪う。信一に絡みついていた触手が、十二のひったくるような勢いに合わせながら、うっかり床に落とさないよう恭しく背中を支えた。十二がしっかりと信一を抱きとめたのを見届けると、やっとシュルシュルと離れる。その後は、まるでオロオロするように信一と十二の周りに留まった。そのうちの一本が、十二のシャツの裾を、小さな子供がするようにクイクイと引っ張る。

「まぁまぁ」

 のんびりとした声を上げたのは、それまでくったりとしていた信一だった。気を失っていたわけではないらしい。十二に身を預けたまま、甘えるように顔を右肩へ擦りつける。十二が「げっ」と声をあげた。

「おい待て。人の服で顔を拭くんじゃねぇよ」
「だって顔がベタベタしてキモい」
「全然、理由になってない」
「そんな怒んなよ坊ちゃん。ロンロンだって不可抗力だったんだから」

 なぁ?と信一が小首を傾げる。ロンロン、と呼ばれたソレがしおしおと揺れた。籠籠─ロンロンは、不安そうに十二の服を引っ張っていた蔓を、信一の方へと移動させた。甘えるように信一の頬を撫でて、安心したようにキュ、と鳴く。信一が蔓を手に取ってやると、嬉しそうにクルクルと巻きついた。

「メシをやってたんだよ。本体の方に」

 信一が言うので、十二は本体……奥の方にある球体へ目を向けた。今は閉じているが、口はあの袋状のてっぺんにある。メシ、というのは子供のころから与えてる、すりおろしリンゴだろう。ロンロンが小さい頃にこぼれたアップルジュースを啜ってから、リンゴはロンロンの主食になった。信一と十二が初めてロンロンを見つけた時、球は手のひらサイズだった。今のあの大きさが、生来なのか栄養素が高すぎたのか判断しかねるところだ。

 しかし、である。

「何でだよ。蔓があるんだから自分で食えるだろ」
「食べさせて欲しい、って甘えるからさぁ。蔓に体を持ち上げて貰って、スプーンで口に放り込んでたんだけど……
 
 信一は肩を竦めた。十二が怪訝な顔する。
 
「なぁ、お前コイツのクシャミって見たことある?おれ10年目にして初めて見たんだけど。俺たちってコイツの口がさぁ、ジャムの蓋くらいの小さな口だと思ってたじゃん。マジ、違ったわ。突然、ヒクヒクしたと思ったら、上の部分にでっかい穴がポカリって開いて、そのままブシャンッって」
……は?え、なに。もしかしてこのドロドロ、アイツの鼻水と唾液?」
「最大瞬間風速みたいな風くるし、くしゃみ音でかいし、耳がキーンってなって意識がちょっと吹っ飛んだぜ」
「汚ねぇな!?」
 
 申し訳なさそうにしおしおとする蔓が、十二の左手にもシュルシュルと絡みついた。怒んないで、とでも言うように、柔らかくニギニギと腕を締める。

「一応は植物だから、唾っていうか保湿成分たっぷりのエキスじゃん?」
 
 一方で信一は悪びれもせずに「お肌、ツルツルになるかもよ」と、どうでもいいプチ情報を言うと、急に形の良い眉を八の字にした。

「なぁ、こいつ花粉症かも」
「ハァ?触手が花粉症?」
「そうだけど、季節柄」
「こいつ、植物じゃないの?アレルギーとか関係あるか?」
「やっぱ四仔に紹介して、薬とか飲ましてやった方がいいかな?」
「やめとけ、四仔ひっくり返ってストレスで爆発するぞ」
「うーん」
「さすがに、ぶっ飛びすぎだろ」

 そうだ、こんなモンスター、ぶっ飛びすぎだと十二も思う。でもそれを受け入れてしまうのが信一という人間だった。小さい頃に信一と一緒に九龍城砦を探検して、この触手を見つけた日のことを十二は忘れていない。
 

 部屋の隅っこで小さく丸まっていた、見たこともない、生物。

 
 なぁ、十二。この子、弱ってるかも。

 小さな緑の毬を包むように掬い上げた信一は「哥哥のところに連れていこう!」と十二を手を引っ張った。さらに「飼いたい」と言い始め、良い顔をしなかった龍兄貴を、純粋たる善意と輝く眼差し、愛らしさだけで説き伏せもした。

「ちゃんと僕と十二で面倒見るから、お願い」と、当然のように十二を巻き込んで。

 気になってしまえば、何だって拾ってくる。
 甲斐甲斐しく世話をやいて、愛情を与えて、それから。
 ……与えた以上の愛情を相手の内に育ませる。

 人であろうが、人外であろうが、同じこと。
 
 十二は嘆息をするとロンロンに近づいた。卵のカーブをペタペタと触ると、くすぐったそうに本体が揺れて、ぼう、と内側が光る。まるで体内に炎があるかの如く、透けてオレンジ色を放っている。

 これは喜んでいる時の反応だ、と十二は知っていた。十二に触ってもらって嬉しいのだ。理由は簡単。この不思議な生き物は信一を親だと思っているのと同様に、十二のことも親だと思っている。信一が言った通り、二人で面倒をみてきたから。

 これは、信一をママだと思っている。
 そして、十二をパパだと思っている。

 しかも。
 ママパパだと思っているが、二人がそういう関係ではないことを理解している。
 
 そして。
 十二は信一のことが好きだ、ということも。
 
 ロンロンがまだ中型犬ほどの大きさの頃、植物に擬態をさせて信一の部屋によく連れだしていた。だから10代半ばのある日、眠っている信一からファーストキスをこっそり奪おうとした現場を、ロンロンに目撃されたのは大誤算。本当にキスする3秒前。突き刺さるような視線を感じて顔を横に向ければ、ロンロンがピタリと動きを止めていた。無いはずの目と合う、気まずい妙な間。しかしその後すぐ、ロンロンは興奮したようにゴロンゴロンと転がり始めた。

 その音に信一が飛び起きて、十二の試みは失敗に終わったわけであるが、この時にいくつか分かったことがある。

 あまりにも興奮をするものだから、急いで地下部屋へ連れ帰った後、ロンロンは粘ついた液体をペッと吐き出した。その上を偶然二匹のネズミが歩いた。するとネズミたちは急に酔っぱらったようにふらつき始め、盛って交尾を始めたのだ。ロンロンの薄い腹が熱を発したように赤く光っていた。そのうちに、ロンロンはまっ最中のネズミ二匹を蔓で捕まえると、口をパックリと空けて球体の中に取り込んでしまった。

(食った!!)

 十二と信一はギョッとした後、ゆっくり顔を見合わせた。
 
「こいつ、もしかして雑食?」
「それもだけど、あの粘液、危ないんじゃ……
「雑貨屋の兄ちゃんが持ってた、エロ漫画みたいなヤツ?」
「催淫とか、なんとか?」
 
 しばし無言の末、信一は真面目腐った顔で言い放った。

「うちの子に性教育がいる」
「お、おう?……うちの子に性教育?」
 
 幸いなことに二人のロンロンは、無闇に人に絡みついてはいけない、粘液を浴びせてはいけない、食べるのもダメという教えを瞬く間に吸収した。十二と信一に懐いていたので、理解がしやすかったらしい。十二が見ている限りでは、あの怪しい粘液をロンロンが再び出したことはなかった。しかしその性質は名残も残した。

 恋愛好きの思考回路を持つ性格。

 つまりロンロンからすればこうだ。
 大好きなママと大好きなパパがくっつけば、とても幸せ。

 (可笑しなヤツばっかり……

 過去の出来事を思いを馳せていた十二は、いつの間にか寄ってきた信一に背中から抱き着かれて、現実に引き戻された。信一が十二の肩上に顔を出す。いつもであればパーマがフワリと耳にかかってくすぐったいが、あいにく今日は体液でペットリ湿っぽい。

「どう?」
「さすがに……花粉症はなくね?」
「そうかな」
「普通に、風邪とか?」
「もっと悪いじゃん」
 
 信一もロンロンに手をのばす。ますますオレンジの光が強くなった。

「え!ホントだ熱い」

 いや、それは熱があるんじゃなくて、俺とお前がひっついてるから萌えてるだけだけどな……という真実は伏せて、十二は無言を貫いた。信一が「なんてこった!」とロンロンを抱きしめると、大人しくしていた蔓たちがまた一斉に動き出す。

 十二に叱られて落ち込んでいたのを忘れたような、ご機嫌で軽やかな蔓のしなり。十二と信一の体をひとまとめにするように下半身へグルグル絡みつき、二人を軽々と空中へ抱き上げる。まるでダンスをするようにユラユラと揺らした後、愛しく抱きしめるように二人を自分の幹に圧しつけた。

 植物みたいな見た目なのに、体温が高い……変なヤツ、と考える十二の横で、信一がケラケラと楽しそうに笑った。信一の弾んだ笑い声に合わせて、上からポンポンと花びらが降ってきた。黄色と、青色。二色もあれば、場は華やかになる。ロンロンが口から花をポンポンと噴出していた。まるで紙吹雪のような散らかし方も、ロンロンが喜んでいる時の感情表現だった。ロンロンが相手を好きであればあるほど咲き乱れる花は、大盤振る舞いな調子である。

「なんか、ロンロンご機嫌だな」
「めちゃくちゃ元気じゃねーか」

 ロンロンが何やら訴えたそうに触手を走らせた。
 蔓がくるん、くるんと動き、二人の前に大きなマークを形作る。


 お前が大事、好き、愛してる。


 そういう概念を覚え込ませるために、信一がロンロンに教えたハートの形。空中に浮かんだ大きなハートに、信一が自分も両手でハートマークを作って返してやる。ロンロンが歓喜の一鳴きをあげた。信一と十二の熱心な教育の結果、基本的な意思の疎通はモンスターにも馴染んでいた。

 ただ、十二にはもう少し踏み込んだ感情が見える。

(信一は、子供が懐いてくるくらいに思ってるんだろうけど……

 空中に浮かんだハートは二つだった。
 それが重なって一つになっている。

 これは。

(パパとママが、好き)
 だけじゃなくて。

(パパとママ、仲良しだね)

 そういう歓喜だ。
 悲しいかな、信一にはあまり伝わっていないが。
 
「な、大好きだって」
 
 遠い目をしていた十二は、信一に顔をふいに向けられて、不意打ちをくらった。

 一緒に空中へ縛られているせいで、顔同士は至近距離。あまりにも無邪気で屈託のない笑顔。手ハートを自分に向けられて、十二は思わずゴクリと息を飲む。胸が高鳴り体温も急激に上がったが、表情は平静を装った。


(大好き、ね)


 信一が向ける『好き』は、十二に対するものもロンロンに対するものも変わりがない。いや、さすがに差はあるかもしれない。しかし恋愛感情が含まれていないという点では同等だ。

 この至近距離での片想いを、十二は長年続けている。
 諦めているわけじゃない。
 虎視眈々と、外堀を埋めて、逃げられないようにするのが、今は最適解。

……なぁ、お前もなんか顔が赤くない?」

 黙ったままの十二を、信一が不思議そうに見つめた。

「お前も具合が悪ぃの?」

 見当違いの心配症は、流れるようにコツン、と十二の額に自分の額をくっつけた。優しい熱が、触れ合う場所から伝わってくる。十二が首と顎の角度を少しでも傾ければ、あっという間にキスできてしまう距離で、信一は無防備かつ無頓着に十二を見つめてくる。

 ロンロンが甲高い声でキュウキュウと鳴いた。ほのかに甘く、しかしすっきりとした花の香が辺りを包む。祝福の花吹雪を降らすかの如く、もっとたくさんの花びらを散らした。まるでロマンティック・シーンを演出しているかの応援ぶりに、十二は正直(何だこれ……)と思いつつ。

 
 応援されるのは、悪い気分ではない。


「まさか。俺は健康そのものだし、ロンロンも病気ってわけじゃなさそうだ」
「そう?」
「さすがに元気だろ、これは。ずっとはしゃいでるじゃん」

 ロンロンがそっと二人を床に降ろした。触手からは解放されたものの、十二と信一の体の密着度も、顔の近さも、先ほどとちっとも変わらない。

(これが俺たちの、当たり前の距離感)

 ロンロンが期待するような進展は、そう遠くない未来に進むだろう。

 ……蔓のように相手を絡めとるのは、十二だって得意とするところだ。

 十二はスッと目を細めて、ニッコリと笑った。

 
「好きだ」
……
「って、ずっと言ってるだけだな、これは」
……クシャミが?」
「俺の、ってツバつけてんだろ」
……
「離す気が、ないってよ」


 信一は目を僅かに見開いて、まじまじと十二を見つめた。
 ほんの一瞬、何かを測るように瞳が揺れる。
 
 それから……十二と同じようにスッと目を細めた。

 信一の口元が、優美にニンマリと弧を描いていく。
 それは見惚れるような、美しい表情だった。

「そうか」
 
 フフン、ともの言いたげに妖しく笑った信一が言う。
 
 十二と信一の瞳が、挑発的なようにも、意味深長なようにも絡み合う。

 その二人を隠してしまうように、緑の蔓と葉が包み込んだ。
 
 
 ロンロンの中心の光が、うっとりするようなピンク色に変わり明滅を繰り返した。