ri___hako
2026-04-12 11:57:11
7832文字
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webオンリー展示

ドラマチックロマンスナンバー7!の展示です。

「なあ、髪切ってくれよ」

 すらりと伸びた背にそう声をかけると、奴のしっぽのような髪がふわりと揺れた。こちらへと向けられる、血色の悪い肌。そこに浮かべられた表情は、こいつは何を言っているんだと言わんばかりで。想像していた通りの反応に、少し笑みが込み上げる。

「この前切ったでしょ」
「また切りたい気分なんだよ」

 なにそれ、と呟く奴の声にも笑みが滲んでいて。よしよしこれは聞いてもらえそうだぞと内心ほくそ笑む。コントローラーを巧みに扱う指が止まってしまえば、もう勝ちは確定だ。

「まあ、いいけどね。暇だったし」

 用意するから待ってて。そう言って再び背を向ける奴に、おう、とだけ言葉を返す。予備室へと消えていく背をしっかり見送ってから、つけられたままのテレビへと視線を移した。
 メニュー画面のまま動かないゲーム。昨日、やっと手に入れたのだとはしゃいでいた姿が蘇る。
 暇だと? うそつきめ。昼ふかししてでも今日クリアするぞと息巻いていたじゃねえか。
 リモコンを手に取り、奴の瞳に似たボタンを押し込む。プツンと暗転した画面に映ったのは、優越感にまみれた男の顔だった。

 *

 ドラルクが俺の事務所に押し入ってきてからだいたい三十年、同居人という肩書きが消え去ったのは、果たしていつだっただろうか。
 じゃあこれからは恋人ということで、となって。だからと言って大してなにかが変わることもないだろうとたかを括っていた俺の予想は、見事に外れることになる。
 
 なんというかもう、とんでもなく甘かったのだ。ドラルクが俺に向けてくる空気も、言葉も。
 ソファに座っていたら、ふとももがくっつきそうなほど近くに座られて。えっと驚いて視線を向ければ、赤い瞳に射抜かれドキリと心臓が跳ねる。甘い空気を纏わせたそれに、いちごジャムみたいだなと思ったことを、今でもまだ覚えている。

 変わったことと言えばもう一つ、ドラルクは俺に関わることを管理したがるようになった。いや、元々そんなところはあったが、より顕著になったと言うべきか。
 その最たるものが散髪だ。君の一部が知らないところで損なわれているなんて耐えられない、なんて歯の浮くようなセリフを聞いたときは、さすがにコイツ頭がどうかしてしまったんじゃと思った。
 「吸血鬼の執着を甘く見たな」と鷹揚に笑う奴に、ああ本当に厄介な男を捕まえてしまったものだとようやく自覚した。
 まあ、それを知っていたとしても、俺がドラルクを好きになることに変わりはなかったのだろうけれど。

 そんなこんなであっという間にハサミだのなんだのを揃えてしまったドラルクに、俺は数か月に一度自身の頭を捧げる事態になってしまったのだった。

「おまたせー」

 ぼんやりと回顧しているうちに準備が終わっていたらしい。見ると、ダイニングテーブルにケープや道具やらが用意されていた。少し引き出された椅子の下には、隙間なく新聞紙が敷かれている。
 
「悪いな」
「いいよ、君の望みなら」

 歯の浮くようなセリフとともに、ふわりと頭に手のひらが乗せられる。もう、撫でられるような歳でもないんだけどな。

「ではこちらへどうぞ、お客様?」

 すらりと細長い指が、まるで対照的な俺のそれを掬いあげる。客というよりかは、まるでこれからダンスでもするのかというような恭しさだ。それとも、高級サロンとかではこういう接客を受けるのだろうか。
 俺には一生縁のないものの内情をつらつらと考えながら、ドラルクに導かれるがままに椅子に腰を下ろす。肌触りのいいケープが、ふわりと首に巻きつく。

「それで、今回はどうする? いつも通り?」
「いや……

 ドラルクの言葉に否定を返しつつ振り返る。常にない俺の行動に少し驚いたのか、奴の瞳がコンマ数秒だけまぶたの裏に隠された。数回繰り返されたのち、ゆっくりとその大きな口に弧を描く。ふわりとした微笑みはどこまでも柔らかく、わたあめのような甘さを孕んでいる。
 胸が高鳴る。だがそれは、ドラルクが笑っているからでも、当然だが散髪を受けるからでもない。

「ばっさりで」
「え?」

 柔らかな笑みがピタリと固まる。まるで時が止まったかのようなそれに、今度は俺の方が笑みを深くする。
 ああ、その顔が見たかったのだ。
 最近のドラルクときたら、なんというか、大人の余裕というものを持ってしまったように思える。昔はもっとぎゃあぎゃあ喧しかったというのに、すっかりしおらしくなりやがって。
 だから、引っぺがしてやりたかったのだ。その余裕も、何もかもを。そしてその作戦は、見事大成功を果たそうとしていた。

「え、ばっさり、って? なに、坊主にでもなる気かい、君」
「ああ、それもいいな」
「嫌だが!?」

 悲鳴のような声が耳に突き刺さる。昔ならばうるせえとひと殺ししていただろうが、今はその声すらも楽しく、愛おしい。

「私が丹精込めて育て続けたこの美しい髪を、坊主!? もはや我が子とも言えるそれを殺せと!?」
「俺の髪はお前の子どもじゃねえんだが」
「子も同然だ! よって育児放棄ルド君に口を出す権利はない!」
「あるわ馬鹿」

 前髪をぐいと引っ張ると、やめんかと叱責が飛んでくる。今までが育児放棄というならば、これは虐待にあたるのだろうか。そんな訳ないか。

「え、本気で言ってる? そうだとしたら私はこれから三日三晩かけて君を説得する用意をしなきゃいけないんだけど」
「さすがに本気じゃねえよ」
「あっだよね、よかった……
「ばっさり切るのは本当だが」
「本気で言ってるんじゃん!」

 ほっと胸を撫で下ろした顔から急転直下、ドラルクの悲痛な喚き声が部屋に響く。エーンと涙を流しながら俺の肩を揺さぶるそのさまは、まるで駄々をこねる子どものようで。
 いや、そこまで?
 本当に坊主にすると言ったら本気で三日三晩説得し続けるつもりだったんだろうか。さすがに言葉の綾と思いたい。
 大人の余裕を剥がしてやろうと意気込んではいたが、まさかここまで上手くいくとは思わなかった。正直、上手くいきすぎて軽く引いてすらいる。
 コイツ、本当に俺の髪好きだな……

「ああもう、わかったよ」
「本当? じゃあ片付けるね。はあ、全く仕方のないゴリラだ」
「バリカンを用意しろ」
「ヤダーッ!」

 春の気候のごとく乱高下するドラルクのテンションを笑い飛ばしながら、切らせまいと俺の頭を抱き込む奴に言葉を投げかけた。

「まあそれは嘘だとして。でも俺も歳だし、もうちょっとこざっぱりさせたいんだよ」
「まだ若いでしょ」

 ああ言えばこう言う。
 吸血鬼基準でものを考えやがって。こっちはただの人間、もう人生の折り返しなんて過ぎているというのに。
 だがそれを口に出すことはない。いや前に出したことあるからなんだけど。めちゃくちゃキレられながら泣かれたからなんだけど。
 ふう、とひとつ息を吐く。自分の体が崩れるのも厭わずに、眉を吊り上げながらドラルクは涙を溢した。そんなこと二度と言うな、と怒鳴るその声は、怒りの中に懇願のようなものが滲んでいたように思う。
 そんな顔をさせたい訳ではなかった。そんな涙を流してほしくなどなかった。
 それでも、いつかは言わなければならなかったことだ。俺は人間で、どうあがいても百かそこらまでしか生きられない。それを、ドラルクには理解してもらわなきゃいけなかった。

「なあ、いいだろ髪くらい」
「嫌だ」
「なんでだよ」

 未だ俺の頭を抱き込むドラルクに納得を促すも、くぐもった声は否と唱えてくる。ううん、どうしたものか。奴を説得する言葉を考えていると、「君が」と常よりもずっと細い声が耳に届いた。
 
「君が、少しでも減ってしまうのは嫌だ」
「は、」

 ほたほたと落ちる雪のような声で紡がれる言葉。思わず、目を瞬かせる。何も返さない俺に焦れたのか、ドラルクがこちらを覗き込む。煮詰めたイチゴジャムのような瞳が、俺を射抜く。

「べ、つに、髪なんて、すぐ伸びるだろ」

 気圧されつつも言うと、ドラルクがすうと目を眇めた。はあ、と大きなため息が頬をくすぐる。

「一回切ったらもう伸ばさないだろ、君」
「それは、まあ」
「ほらあ!」

 君のことはなんでもわかるんだから、と熱烈なことを言ってくれるドラルク。だが議題は髪を切るだの切らないだのという、正直くだらないとも思えるようなことなのだが。
 俺が減るのは嫌だ、か。なんともまあ、とんでもない殺し文句を言ってくれたものだ。
 くだらなくなんて、ないのだ。少なくとも、ドラルクにとっては。
 昔は知らないところで俺が減るのが嫌だ、なんて言っていたのに、今では俺が減ることそのものが嫌だなどと宣う。吸血鬼の執着。俺はそれをまた、甘く見積もっていたのかもしれない。

「お前さ、」
「なに?」
……いや」

 なんでもない、と呟くと「なによ」とドラルクが唇を尖らせた。
 こんなこと、聞けるわけがない。せっかくの恋人との緩やかな時間、こんなことで台無しにする気なんてさらさらないのだ。
 俺が死んだらどうなるんだ、なんて。

「ねえ、諦めついた?」

 俺が何を考えているかなどまるで知らないドラルクが無邪気に語りかけてくる。期待を滲ませる真っ赤な瞳に、俺は口端を吊り上げた。

「んなわけねえだろ、さっさと切れ」
「ええ……

 途端にへにょ、と垂れ下がる眉。情けなさを体現したような顔に、ふは、と息が漏れる。
 しかしこれでは堂々巡りだ。
 ドラルクの昔のような姿が見られればと思って案じた一計、正直なところそこについては十分と言えるほどに目に焼き付けられた。ならばこれで終わりにしてもいいのだが。
 なんか、ここまできたら本当にばっさりいくのもいいかもな、なんて。

「なあ、切ってくれよ」
……

 返事はないがしかばねでもない。ぐるりと巻きつく長い腕は、いつしか頭から首へと変わっていて、首輪のように俺を戒める。
 いつまでこうしているつもりなんだろうか。……いや、コイツのことだ。恐らく俺に仕事が入るなり朝日が昇るなりして、時間切れになるのを待つつもりなのだろう。長期戦はこちらが不利。ならば、なにか打開策が必要になってくる。
 でも打開策、って言ったってなあ……

「ううん……
「若造の貧弱ボキャブラリーで私を説得しようなど千年早いわ。さっさと諦めてバナナでも食べるといい」
「殺すわ」

 小憎たらしく歪んだ眉間を指で弾くと、瞬きの間にその顔が形をなくした。首に巻きついたままの腕も一緒にザラリと崩れ落ちる。うわ、服に砂入った。
 砂山が再び形作られていくのを眺めながら、はあ、と大きくため息を吐く。

「なんなの、どうしたら切ってくれんの?」
「ええ、本当に嫌なんだけど。……うーん、まあ何かご褒美でもくれるなら、考えてもいいかな」

 ご褒美ってなんだよ。俺からあげられるものなんて、全然ないのに。強いて言うなら、チューとかえっちとか? あとは俺の血とかだろうか。
 そうして思いついたものたちを、瞬時に却下していく。こんなもの、ご褒美にもなりやしない。だってそうだろう、チューもえっちも血をくれてやることだって、果たしてこの三十年ほどで一体何度行ってきたことだろうか。なんなら今日既に一回したしな、チューは。

「ねえねえ、どんなご褒美をくれるの?」

 ニヤニヤと楽しそうに笑うドラルク。うわうぜえ、と思ってしまうのは、きっと仕方のないことだろう。だってこの男、ちゃんとわかっているのだ。俺に渡せるものなどまるでないということに。
 わかった上でこんな提案をして、俺が諦めるのを待っている。そうはいくか、と思うものの、いい案が浮かばないのも事実。

「あー、じゃあ切った髪やるよ」
 
 五十超えたオッサンに無茶振りすんじゃねえよ、と少し苛立ちながら、やけっぱちのように言葉を投げつける。
 いらんわそんなもん、と却下されることを想定した上で言ったそのご褒美に返ってきたのは、思いもよらない一言だった。

「えっ」
「え?」
「いいの?」

 え?
 いいのって、何が?
 いやわかってる、提案したのは俺だ。でもまさか、そんな反応が返ってくるなんて。

「お前、俺の髪欲しいのか?」
「欲しくないなんて言うと思うか?」
「うお……

 これも吸血鬼の執着というやつなんだろうか。なんというか、嬉しいような、ちょっと気持ち悪いような。
 いやだって、保存されてても嫌だし、かといって何かに使われてても……
 何かに使われるって、何にだ。

「ねえ、くれるの? くれないの?」
「お前、髪なんて貰ってどうするつもりだよ」
…………
「なんか言えよお!」

 用途を尋ねた途端、すとんと黙り込むドラルク。なにこれ、サイコホラー映画の導入だったりする? 怖いんだが。

……別に、何もしないよ。保管するだけ」
「そう、か? まあ、それなら……
「切った日ごとにケースに入れて並べていくだけだから」
「こえーよ!」

 家にサイコパス殺人鬼の一角を作ろうとするな。

「というかこれから毎回保管すんのかよ!?」
「それくらいしないと割に合わない」
「ええ……

 まあ、毎回捨ててるものだからいいけども。……いや、やっぱりちょっと気持ち悪いか? でもここまできて止めるって言うのも、少し癪に障る。

「どうする? ロナルド君」

 ご褒美が提示されて少し前向きになったのか、ドラルクが決断を俺に委ねてくる。
 俺は少しだけ逡巡したのち、その首を縦に振った。

 *

 シャキシャキと、小気味いい音が鼓膜を揺らす。ドラルクの細い指が髪を梳き、時に撫でながらハサミを入れていく。
 ドラルクの俺への執着から始まったこの時間が、実のところ俺自身もそこそこ気に入っていた。
 三十年経ち、出会ったころから大きく変化した関係性をもってしても変わらなかった殺し殺される時間。それが当たり前の日常に組み込まれている生活において、数少ない穏やかなだけのひと時。
 言葉すらも数少なで、リズミカルに鳴らされるハサミの音だけが部屋にこだまする――

「ん?」

 そんな空間に明らかに異質な音が混じる。振動というか、駆動音のような何か。思わず振り向くと、ドラルクが手に何かを握っている。いつものハサミではない、なにか、黒い……

「え、バリカン?」
「君が言ったんでしょ、用意しろって」

 言ったけれども。本当に出してくるとは思わなかった。あるんだ、家に。バリカン。
 あれ、もしかして本当に刈られる? 髪蒐集のために坊主にされちゃったりするのか?

「ちょ、ちょっと待って」
「はい行きまーす」
「オワーッ!」

 引き止めも虚しく、バリバリというけたたましい音が俺の後頭部から響いてくる。ぞりぞりと刃になぞられる感触に背筋が冷える。
 えっ、本当にやったよこのおじさん。俺もおじさんだけど。ちょっとした冗談のつもりだったのに、まさか本当に刈り始めるなんて。
 坊主になったロナルド様にファンはついてきてくれるだろうか、とか、とうとうフクマさんにちんちん切られちゃう案件が来てしまったのでは、とかつらつらと頭に浮かんでは消えていく。ふざけんなよお前、もしちんちん切られたらお前の頭のしっぽちょん切った上でバリカンで刈り上げてやる。

「できたよ」
「あ?」

 坊主になったドラルクを妄想している間も絶え間なく動いていたらしい奴の手が、とうとう止まる。いや、おかしい。バリカンでなぞられたのは後ろの方だけ、だと思う。現に、頭に触れると短いながらもしっかりと髪の感触が感じられた。
 あれ、もしかして、大分面白い感じの髪型にされたとか……
 俺の心などまるで知らないドラルクが「はいどーぞ」と鏡を渡してくる。恐る恐る、そこに映る自身へと目を向けて。

……お?」
「ふふ、なかなかいいでしょ」

 全体的に短く整えられた髪型は、まさに「こざっぱり」をしたようなそれで。すっきりと清潔感すら感じられる銀髪は、「おお」と感嘆の息を漏らすほどのものだった。

「さすが器用だな」
「ふふん、もっと褒め称えたまえ」
「恋人の髪につられた変態おじさん」
「いきなり貶すな!」

 風評被害だなんだと喚くドラルク。純然たる事実だろうが。まず風評にもなってねえし。
 面倒だし言いたいだけ言わせておくか、とそのまま無視をしていると、首元にちくんと小さな痛みが走った。なんだ、とそちらに目を向け。

「ッオイ、ちょ……

 さすがに肉眼では何が起こっているのかほとんど確認することはできなかったが、目の前の鏡に全てが映し出されていた。
 牙だ。ドラルクの剥き出しになった牙が、今にも皮膚を突き破らんとしている。鏡越しに、ドラルクと目が合う。
 ぞくり、とした。イチゴジャムみたいだと思っていた赤い瞳は、今や血のようにどろりと濃く、そこには明らかな欲が滲んでいた。
 まるで見せつけるようなその姿は、正しく俺に見せるために行なっているのだろう。吸血鬼は鏡には映らない。映るものもあるにはあるが、これはその辺で買った安物だ。
 この男、俺にこれを見せつけるためだけに尻に力を入れ続けているのだ。何やってんだよ馬鹿。

「ッ、」

 俺が何の反応も示さなかったのが気に入らないのか、奴の牙が少しだけ食い込む。ぷつ、と皮膚が破れる感触がした。
 血が、ぷくりと玉を作る。長い舌が、それを舐めとる。ねっとりとしたその行為は、常の情事を思い起こさせるには十分すぎるもので。

「んん……っ」
「かわいい声」
「おい、何して」
「無視したお詫びに、追加のご褒美が欲しいんだけど」

 また血が出てきたのか、ドラルクの舌が再び首筋を這う。ぴくり、と自分の意思に反して体が震えた。

「は、あ? 何を……
「チューと、えっちと」
「え、」
「あと吸血だっけ」

 それは、初めに浮かんだご褒美たち。いや、でも、おかしい。なんでそれを、こいつが知ってるんだ。
 
「は、なに、なんで」
「全部声に出てたよ。五十になってもマヌケルド君」
「あえっ」

 心の中だけで呟いていたつもりのそれは、しっかりと俺自身の手でドラルクへと伝えられていたらしい。

「ねえ、いいでしょ?」

 細くひんやりとした指が、俺の顎を捉える。そのまま、鏡から奴へと視線を移すように誘導される。決して強くないその力に逆らうすべを、俺は知らない。

「うんと、気持ちよく抱いてあげるよ。ハニー?」
……っ」

 いつか言われた呼び名が、再び耳朶をくすぐる。
 それだけで、もう十分だった。情欲に満ち満ちた奴の瞳に笑いかける。そんな俺の顔も、きっとドラルクと変わらないほどの欲を孕んでいるのだろう。

「いいぜ、最高に気持ちよくしてくれよ。ダーリン」

 そう言葉を返した唇へと、ゆっくりとドラルクのそれが落ちてくる。
 絡めた舌は、少しだけ血の味がした。