アレンは夜泣きがひどい。齢十何歳かの子どもにいう言葉ではないかもしれないが、そりゃもう赤子のようにわあわあ泣く。世の中の親というのはこんなのに耐えているのかと思うと尊敬するしかないくらい泣く。厄介なのが、アレンは夜泣きするとき金切り声をあげることだ。悪夢の内容はそれで大体わかる。悪夢でなかったとしても奇声をあげながら頭や顔や腕や足や要するに身体中をかきむしるので、寝る前には手袋をさせるのが普通になってしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい、と泣き叫びながらよく寝ていられるものだといっそ感心するほどなのだが、本人が苦しんでいるのは事実なので、俺は仕方なくアレンを揺り起こして(引っ叩いて起こしたらもっとひどくなったのでもうやっていない。ついでにマザーにも怒られた)ここは安全な場所だと泣き止むまで言い聞かせてやるしかない。暴れるちいさな体を押さえつけて、正気に戻るまで抱きしめてやるのが日課になってしまった。俺自身の睡眠時間が削られるのはかなり問題なのだが、さらに問題なのはアレン自身が夜泣きが酷すぎてほとんど眠れていないことだった。浅い眠りの中、小さな物音で目が覚める。うつらうつらしたら悪夢で目が覚める。ときおりソファや椅子でうたた寝していても足音がすれば目を覚まして飛び上がる。きれいな顔立ちをしているのに、その両目の下にはどす黒い隈が鎮座していて、けれどアレンは大丈夫だと言い張った。どこが大丈夫なんだアホ、と言っても大丈夫ですとしか言わないので、最近はもう「そうかよ寝ろ」としか言っていない。ティムキャンピーを与えてからアレンはティムをぎゅっと抱きしめて寝るようになって、これで夜泣きが減るかと思ったら別にそんなことはなく、ティムの記録映像にはぐすぐすと声をたてないようにしながら泣いているアレンがうつっているばかりだった。
いつ寝てるんだお前は。イライラを通り越してもはや諦念が勝った。どうしたらいいのか全くもってわからない。アレンが泣くのは自分が手をかけてしまったマナのことだけじゃない。サーカスにいたころのことも悪夢にみていると気がついてからは本気で頭を抱えた。俺はマナを見ていただけで、アレンがどんな扱いをされていたかなんて、想像はできるものの実際のところは何も知らない。本人も話したがらない。こうなると手のうちようがなかった。宿主であると気づけなかったとはいえ、一度断罪者を突きつけてしまったのだ。何が起こったのか混乱して怯えている小さな子どもに銃を向けた。幸か不幸かアレンはその時の相手が俺であることをすっかり覚えていなかった。記憶が混濁しているのか、あるいは別の原因か。それもわからない以上、下手に刺激してしまうのも躊躇われる。思い出されて最悪逃げられたら非常に困る。
「あんたはバカだね」
マザーがトランプを切りながら言った。夕食後のポーカーで、今のところマザーには一度も勝てたためしがない。
「うるせえ」
「情がうつったら面倒だろうに」
「……うつってねえよ」
「そうは見えないがね」
マザーがトランプを配る。ポーカーなんて大嫌いだ。手元に来たクソカードをげんなりと眺めながらため息をつく。
「たとえ情がうつったとしてもだ。宿主としての役目はきっちりやらせる」
「お前は消えろって本人に言うのかい」
「……それが俺の役目だからな」
「揃いも揃ってバカだねえ」
マザーは一瞬で手札を整えてロイヤルストレートフラッシュになっているカードを机に広げた。俺は手持ちを机に投げ捨てて降参の意味も込めて両手を上げた。
「イカサマババアめ」
「アレンにも教えてやろうかね。左手のリハビリにもなるだろうし、あの子はあんたと違って器用そうだ」
「俺が不器用ってか」
「手癖の悪さならこの世で一位だろうがトランプは向いてないよ。あんたはもう少しポーカーフェイスを勉強しな」
「はん、ご忠告どうも」
微かに声が聞こえた。振り返ってアレンの寝ている部屋を見やる。間違いなく音源はそこだ。黙って立ち上がるとマザーはすぐにトレーに乗せたままのグラスと水差しを押しやった。
「持ってきな」
「……クソめんどくせえガキ……」
「ああいう子は普通じゃ生きてけないからああなってるんだ。グラスは割らせないように。後片付けはあんたにやらせるからね」
「アレンが割ったらアレンにやらせろ」
「残念だがアレンが割ったら尚更あんたが片付けてやりな。自傷癖も落ち着いてない子がガラスの破片で何するかなんてわかりきってる」
舌打ちが漏れた。トレーを引っ掴んでアレンの部屋に向かう。ノックもせずにドアを開ければ、案の定ベッドにうずくまって泣いていた。時計を確認するまでもない。なんとか寝かしつけてからマザーにポーカーでボロ負けして、声が聞こえるまで二時間も経っていない。荒い呼吸をしながらアレンは手袋のまま髪をぐしゃぐしゃとかきまわして、唸り声をあげている。隣でティムが心配そうに寄り添っているが、アレンは気が回らないのか何度も枕に頭をぼすぼすとぶつけている。壁だの床だの硬いところで無くなっただけ大きな進歩だ。
「アレン」
呼べばアレンの体はわかりやすく硬直した。すぐにサイドテーブルにトレーを置いて、頭にはりついてかたまっている両手をはなしてやり、そのまま抱き寄せる。
「ここは安全だ、怖いやつはもういねえよ」
獣のような唸りがアレンの喉を震わせて、頭をぶんぶんと横に振る。アレンはまだ怖がっている。マナと旅をしていた時にはその兆候はほとんど見られなかったけれど、アレンはいまだにサーカスでの生活の記憶にひどく怯える。あざだらけの顔で、マナに連れられて大道芸をしていた時のことを思い出す。あれはありふれた不幸だった。サーカスに捨てられた子ども。奇怪な左腕がついていれば見せ物にされたって不思議ではない。どういうわけか下働きとしてこき使われていたが、そうなった経緯はどうでも良かった。アレンがただあのサーカスでの記憶を悪夢としていることだけが事実だ。
「アレン」
アレンは体を小さく小さく丸めて、ごめんなさい、とまた呟いた。何に謝っているのか俺にはさっぱりわからなかった。本当はサーカスにいたときの記憶ですらないかもしれない。マナを殺してしまったときの記憶か。でもそんな時はこんなふうに泣かない。もっと大きな声でごめんなさいとゆるしてマナを繰り返す。壊れてしまったオルゴールみたいに。
「大丈夫だ」
アレンの頭をそっと撫でる。なんだか板についてきた気がしてぞっとしたけれど、それは、まあいいことにしよう。自分がやるべきことは、その時がくるまでこの『アレン』を大切に生かしておくことだ。それ以外の目的も理由もいらない。ただ、腕の中の子どもがもう少し穏やかな眠りを得られれば良いのに、とは思った。
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