宗真が一組を立ち去った後。ちなつやゆきと机をくっつけ、給食を食べていたが
――ゆきが、机の上に置かれたままのクレープの包みに気づいた。
「宗真、それどうしたの?渡せなかった?」
「
……なんか、お腹減ってなかったみたいでさ。返されちゃった」
無理やり、笑顔を作る。
「シャクだけど、嵐士のやつに教えてもらったおかげでうまくできたし
……三人で食おうぜ」
「
……ほんとに、いいの?」
「うん。ていうか、早く目の前からなくしたいんだよな、これ。さっさと食べてもらった方が助かる」
ゆきとちなつは、一瞬だけ顔を見合わせる。それでも何も言わず、フォークで三等分し、食べ始めた。
「ほんとだ
……生地、もちもちで美味しい!」
「焼き加減もいい感じだね〜!」
分かっている。これは気休めにしかならないと。それでも
――少しでも気持ちが軽くなればと、やや無理やりにでも褒めちぎる。
そして、宗真も一口。
「
……美味いことは美味いけど
……なんか、しょっぱいっていうか
……あ、そっか。泣いてるからか」
気づかないうちに、涙が溢れていた。
それを隠すように、ちなつとゆきがそっと立ち上がる。
「何があったかは聞かないけど
……さ」
「泣きたい時は、泣いた方がすっきりするよ」
「
……うん。ありがと」
声になったかどうかも怪しい。少しだけ呼吸が乱れながら
――
それでも。二人の優しさに触れたことが、かえって、さらに涙を溢れさせた。
その三人を、少し離れた場所から見つめる視線があった。
――新倉つむぎだ。
かつて宗真が、“男の自分として”本気で好きだった相手。結局、宗真はヨツダを選び、新倉と結ばれることはなかった。また、新倉も宗真を異性として意識はしていなかった。
けれど
――だからといって、彼女の中から宗真の存在が消えたわけではない。新倉は、教室の隅で俯く宗真の横顔を見つめる。
(
……月城、泣いてる
……?)
胸の奥が、わずかにざわついた。
放課後。
宗真は、今日はまっすぐ帰ることにした。これ以上、誰かと話していると、また余計なことまで口にしてしまいそうだった。
ゆきと校門で別れ、一人で歩き出した、その時
――
「月城っ!」
「え
……新倉さん?」
聞き慣れた声に振り返ると、少し息を弾ませた新倉が立っていた。
「なんで
……?家、こっちじゃないよね?」
「なんでかな?部活休みでヒマだったし、たまには寄り道してみようかなーって思ってたら、月城がいたから」
そう言って、いつものように軽く笑う。
(
……って、わざとらしかったかな)
「そ
……そうなんだ?」
少し首を傾げる宗真に、新倉は一歩近づいた。
「一緒に帰ってもいい?」
「う、うん
……」
断る理由なんて、あるはずもなかった。
(新倉さんと帰れるなんて、ラッキーだな
……!
……でも、なんでわざわざ?)
並んで歩き始める。しばらくは、夕方の風と足音だけが続いた。やがて、新倉がぽつりと口を開く。
「月城。さっき、泣いてた?」
宗真の肩が、ぴくりと揺れた。
「
……新倉さんには、バレてたか」
少しだけ困ったように笑って、視線を前に向ける。
「うん。なんか、ちょっとしんどいことあって。でも、もう大丈夫!」
無理に明るく言ったその声は、どこか空々しかった。新倉は、そんな宗真の横顔をじっと見つめる。
「
……大丈夫じゃなさそうだよ?」
その言葉は、責めるでもなく、問い詰めるでもなく。ただ、まっすぐ宗真の心の奥に触れるような、やさしい声音だった。
二人は、帰り道の途中にあるミニストップに入った。イートインの小さなテーブルで、ベルギーチョコソフトをつつきながら向かい合う。
店内には夕方のやわらかなざわめきが流れていて、学校とも家とも違う、少しだけ特別な空気があった。
「こういうの、ちょっと憧れてたんだ」
「そうなの?新倉さん、友達多いし、よくやってるもんだと思ってた」
新倉は、スプーンでソフトをひとすくいしてから、小さく肩をすくめる。
「うち、親が厳しいんだ。こういう寄り道とか、買い食いとか、ダメって言われてて
……」
「えっ!?そしたら今日、どっちも
……オレのせいで
……」
「大丈夫。月城は関係ないよ。私が勝手にそうしただけ」
そう言って、新倉は少し悪戯っぽく笑った。
「今日だけ、ちょっとした反抗期ってことでさ。
……ね?」
「う、うん
……」
(いいのかな
……?)
少しだけ落ち着かない気持ちを抱えたまま、宗真はスプーンを口に運ぶ。ひんやりと甘いチョコの味が、張りつめていた心を少しだけほどいていく。
「月城は、こういうとこよく来るの?」
「うん。最近もフォンダンショコラ食べたけど、美味かったよ」
「いいなぁ
……」
宗真は、新倉の横顔をそっと盗み見る。
(オレんち、ずっと“跡取り”がどうとか言って、変な家だと思ってたけど
……新倉さんちは、新倉さんちで大変だったりするのかな)
ふと、新倉がじっと宗真を見つめた。
「そういえば月城、今日の髪型かわいいね」
「え、そうかな?」
思わず前髪に触れる。少し照れくさくて、でも嬉しくて、頬が緩む。
「
……ありがとう。いつもは姉ちゃんにやってもらうんだけど、今日はちょっと自分で頑張ってみたんだ。だから、そう言ってもらえるの嬉しいな」
「そっか」
新倉は、ふっと柔らかく笑う。
「じゃあ、もっと褒めようかな。
……なんて、ね」
「新倉さんは
……どうしてオレにそんなに優しくしてくれるの?」
「え?」
「
……やっぱり、前に言ってた
……『昔飼ってたネコに似てるから』?」
その瞬間。
「っ、ぷ
……あははっ」
新倉は、思わず吹き出した。
「え、オレなんかおかしいこと言った?」
「違う違う。そういえば、そんな話もしたなって、懐かしくなっちゃって」
笑いながら、少しだけ目を細める。
「それ、宿泊学習の時だっけ?」
「うん」
宗真も、つられるように少しだけ笑った。ほんの少しだけ、胸の苦しさが和らいだ気がした。
「そのネコって、写真あったりする?」
「うん。『しらたま』っていうんだけどね。真っ白で、ほんとに可愛かったんだ」
(しらたま
……?)
新倉はスマホを取り出し、慣れた手つきでアルバムを開く。そして、写真や動画をいくつか宗真に見せた。
画面の中にいたのは、真っ白なアメリカンショートヘア。丸い目に、ふわりとした毛並み。元気そうに駆け回る姿が、たしかに愛らしい。
「これが、オレに似てる『しらたま』ちゃん?
……あ、もしかしてオスか? これ」
「うん。男の子」
新倉の声が、少しだけやわらかくなる。
「私が生まれてすぐに、うちに来てね。私にはすごく懐いてて
……」
動画の中で、しらたまはソファの背もたれから勢いよく飛び降りる。着地したあと、得意げに尻尾を揺らしていた。
「結構、高いとこから飛び降りたりして。元気で、活発で
……」
そこで、新倉は小さく笑う。
「でも、意外とビビりなとこもあってね。ちょっとした物音で、すぐ私の後ろに隠れたりとか。
……なんだか、ほっとけなかったんだ」
「へえ
……」
新倉の口ぶりから、しらたまがどれだけ大事な存在だったのかが伝わってくる。宗真は、もう一度画面をのぞき込んだ。
「色が白いとことかも、ちょっと月城っぽくない?」
「えっ!?」
思わず声が裏返る。
「そ、そうかな
……?」
自分の髪をひと房つまんでから、頬を触ってみる。たしかに色素は薄い方だが、猫と比べられるとは思わなかった。
「
……でも、可愛いネコだね」
そう言って笑う宗真を見て、新倉もまた、ふっと笑った。
「でしょ?だから月城見てると、たまに思い出すんだよね」
その言葉は冗談めいていたけれど、どこか少しだけ、本音が混じっているようにも聞こえた。
(やっぱり、新倉さんといると
……辛いこととか、忘れられるし。なんだか、ほっとするな)
気づけば、さっきまで胸の奥に張りついていた苦しさが、少しだけ薄れていた。ソフトの甘さのせいだけじゃない。たぶん、それ以上に
――目の前の相手が、新倉だからだ。
宗真は、スプーンを置いて小さく息をついた。
「
……新倉さん。今日はありがとう」
「えー?」
不意を突かれたように、新倉が目を丸くする。
「どうしたの、急に」
「だって
……」
宗真は少し照れくさそうに笑って、それでもまっすぐ新倉を見た。
「方向逆なのに、オレのこと心配してくれてさ。寄り道だって、怒られるかもしれないのに
……」
言葉を探すように、一瞬だけ視線を落とす。
「なんか、すごい元気出た!」
その言葉に、新倉は一瞬だけ黙った。けれどすぐに、やわらかな笑みを浮かべる。
「
……そっか」
その笑顔は、どこか少しだけ切なかった。宗真は、それに気づかないまま、勢いよく身を乗り出した。
「もし新倉さんが今日のことでお父さんやお母さんに怒られるようなことがあったら、言って?」
「え?」
「オレが代わりに怒られるから!」
胸を張って言い切る宗真に、新倉は一瞬ぽかんとして
――
「あははっ」
堪えきれず、声を上げて笑った。
「いきなり月城が出てくるの、なんかおかしいね」
「えー、オレ本気だよ!」
むっとしたように頬をふくらませる宗真。その表情があまりにも真剣で、あまりにも可笑しくて。新倉は笑いながら、でも胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じていた。
――こういうところだ。
自分の傷はうまく隠せないくせに、誰かのためなら、まっすぐ手を伸ばそうとする。だから、放っておけない。
新倉は、溶けかけたソフトをひとさじすくって口に運ぶ。甘いはずなのに、少しだけ胸が苦しかった。
二人はイートインを出た。
夕方の空気はすっかり冷えていて、店先の明かりがやけにあたたかく見える。さっきまでの張りつめた気持ちが、少しだけほどけていた。
「新倉さん、今日はほんとありがとう」
店の前で立ち止まり、宗真はぺこりと頭を下げる。
「
……暗いけど、帰れる?オレ、ついてこうか?」
新倉は一瞬きょとんとして、それからくすっと笑った。
「うん。うち、学校から割と近いし、大丈夫だよ」
そう言ってから、少しだけ首を傾げる。
「それに、月城だって私を送ったら、一人で帰ることになるじゃない。私より小柄な女の子とか、むしろそっちが心配なんだけど?」
「あ
……」
思わず、自分の体を見下ろす。
「
……そっか。オレ、女だった
……」
ぽつりと漏れたその言葉に、新倉は吹き出しそうになるのをこらえた。
(なんでだろ。新倉さんの前だと、男のつもりで話しちゃってるかも)
昔、好きだった相手。今でも、どこかで“守りたい”と思ってしまう相手。
その感覚だけは、呪いなんかじゃ変わらないのかもしれない
――そんなことを、ぼんやりと思う。
新倉は、そんな宗真の様子を見て、ふっと笑った。
「でも、確かにさっきより元気そうだね」
その声は、どこまでも優しかった。
「よかった。
……じゃあ、また明日ね」
「うん。また明日
……!」
宗真の声は、さっきよりずっと明るかった。二人は手を振って別れる。新倉の後ろ姿が、少しずつ夕暮れに溶けていく。
宗真は、その背中が見えなくなるまで、しばらく立ち尽くしていた。
(あーあ
……)
胸の奥に、ふと苦いものが広がる。
(なんで新倉さんじゃなくて、あんなヤツを選んじまったんだ。去年のオレのバカ
……!)
もちろん、それは本気の後悔なんかじゃない。ヨツダを好きな気持ちが消えたわけでもない。
……多分。
それでも
――。今日みたいに苦しい日に、まっすぐ優しくしてくれる誰かの存在が、こんなにも救いになるのだと知ってしまったから。
宗真は、少しだけ困ったように笑って、冷えた指先をポケットに押し込む。そして、小さく息を吐いてから、家路についた。
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