夜景に背を向け、ベランダの柵に肘をのせた格好で、中天にかかった月を仰ぐ。雲はない。満ちた月から光の滴る、明るい夜だ。春の嵐、と報じられていた通り、今日は風が強いらしい。雲が見当たらないのは、上空に吹き荒ぶ嵐が露払いをしているからだ。時折思い出したように強風が吹きつけるのは、高層階にいることも原因の一つだろうか。紫煙を弄んで掻き消していく南風に髪を嬲られながら、烏戸良長はゆっくりと瞬きをした。
仲間の作った殺害者リストに、自分の名前が載っていた。──他の仲間を経由して聞かされたその事実について、リストを作った張本人を責めようという気は起きなかった。年単位で音信不通に陥ったのは、自分の落ち度だ。自分が逆の立場でも、きっと彼と同じことをしただろう。
けれど、と息を吐いて月光に目を細める。出力される結果が同じでも、そこに至る思考は異なる。彼と自分とでは、仲間を殺すことへの躊躇もモチベーションも、天と地ほどに異なるはずだ。
自分が彼を含む〝仲間〟を殺そうと思い立つのは、〝仲間〟の存在が他の仲間たちの害になると判じた時だ。自分や身内が脅かされるという時になって、自分は初めて銃を手に取り、この手を血に染める準備を始める。──しかし、彼の場合はそうではない。
自己都合、とでも形容すればよいのだろうか。良長はあたりに漂う香ばしさを吸い込んで、煙草の先を軽く揺らした。灰を落として、息を吐く。彼は、無責任だ。自分の手に負えない事態を引き起こして、その尻拭いを他人に任せる。過程で誰がどれだけ傷つこうと、大して気に留めることがない。
そして、最大の問題は、──と、彼の態度を思い返して表情が苦る。良長は眉根を寄せて、白く冴えた光を注ぐ満月を見上げた。
彼は、開き直っている。無責任で、そのくせ自分の意思を通す頑なさを譲らない。そんな厄介で面倒な性質を、彼自身が悪びれることなく開示している。居直り、当然尊重されるべきものとして他者にひけらかす。そうすれば、良長や他の仲間がため息交じりに彼のわがままを通すと、確信している。
仲間として付き合うには癖のある相手だ。それは認める。互いに個人として出会っていれば、おそらくは手を組むこともなかっただろう。それだってわかっている。
それでも、今の俺はあいつの仲間だ。結局はそこに帰結する自分の思考、──自分の甘さに苦笑を零して、視線を落とす。ベランダの床に目を向けて、そこに落ちた自分の影を踏みつけた。
どれだけ癖のある相手でも、どれだけわがままで傲慢な人間でも、一度手を組んだ以上は仲間だ。自己都合で切り捨てるような真似はしない。その厄介な特性ごとうまく使って、噛みあうように動こうと思っていたし、自分ならその程度の調整は容易に出来る。今だって、出来ているのだ。
エラーはない。昨日と今日とで状況が変わったわけでもないし、彼は変わらずに無責任で奔放だ。自身で引き入れた仲間の手綱を握ることもせず、そのくせ相手を身勝手に振り回し、それを『愛情』などと宣っている。その後始末をしているのは良長だ。彼がやらないのだから、誰かがやらなければならない。──悔しいことに、振り回されている側が手放すには惜しい人材なので、無視を決め込むにはデメリットが大きいのだ。
おそらく彼は、それすら織り込んで身勝手な振る舞いをしているのだろう。良長が始末をつけると知っているから、自分でケアをしようなどとは思わないのだ。呆れるほどに無責任で、清々しいほどに身勝手な男だと、心の底から軽蔑している。
煙草の煙を追いかけて目を上げる。不意に風向きが変わった。手元から離れるばかりだった苦い香りが、その矛先をこちらへと、身を翻して鼻先を掠める。
煙を避けるように顔を背けて、肩越しに覗いた夜景は今日も人の営みを映していた。──車道を走り去るテールランプ。勤労にいそしむオフィスビルのLED。工事現場を照らし出す作業灯に、街を浮かび上がらせる光の列柱。手元に燻る紙煙草の炎など、容易に霞んでしまうような、圧倒的な光量。それを目に留めて、ゆっくりと呼吸を重ねる。
頼りにしてるよ、と微笑んだ彼の声を思い返して、良長は目を細めた。すぐに霧散した煙の行方を追いかけるようにして、虚空に視線を彷徨わせる。月光に洗い出された高層階のベランダは、遮るものもなく、眩しいほどに明るかった。柵に体重を任せながら、息を吐いて思考する。
彼は、本気で自分を頼りにしているのだろうか。考えるまでもない、答えは否だ。
あの男は、自身が大切なものを守り抜くことができない人間だと知っている。守り抜けないのならば、手中に握ったはずのそれは、やがて零れ落ちて壊れてしまう。あるいは、繋ぎ止めることが出来ずに失うことになる。──彼は、それが嫌だから、良長に責任を転嫁しているに過ぎない。
手放す覚悟を持てないから、良長に奪われたことにして、納得したいのだろう。守り抜くことも、愛し抜くことも、──あるいは、愛されることも諦めているから、奪われる覚悟だけを決めている。いざとなったら良長一人を恨めば済むように取り計らって、自身の安寧を守っている。
身勝手な男だ。分かっている。分かったうえで、それを咎めようとは思わない。どうせ、言ったところで彼が聞く耳を持つはずはないのだ。それは、短くない付き合いで確信している。
俺は、と口に含んだ煙草を噛んで思考を回す。
いざとなったら仲間を殺すことを躊躇わない。けれど、それは彼の為ではない。
手を汚すことに抵抗はない。それでも、そのことに何も思わないわけではない。
そしてなによりも、良長に、彼のわがままに付き合う義理はない。
小石を積み上げるように思考を編んで、代わり映えのない月光に、冷えた眼差しを向ける。満ちて、夜闇を我が物顔で照らす光。その白を見返しながら、良長は懐から携帯灰皿を取り出した。短くなった煙草をぐしゃりと潰して、始末する。
愛することができないのなら、手放す覚悟をするべきだ。そう思う。そう思うけれど、ほんの少しだけ、──無責任な『愛』を全うする彼のことが、羨ましいと、そう思う。
首筋に入り込んだ冷ややかな温度に首を竦める。そろそろ部屋に戻ろうか。そんなことを考えて、携帯灰皿を片手に一歩を踏み出す。眼鏡を押し上げると、指先に残った苦さが香った。
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