高梨 來
2026-04-10 13:12:59
13118文字
Public ときメモGS2/小説
 

銀河系行きスターライトエクスプレス

一流大学1年生で順調交際中なふたり。春休みにミュージカルを見に遠征する事になったよ、と格くんに報告するお話。



 冷え切った指先を温かなミルクティーのカップの縁に押し当てれば、陶器伝いにじんわりとしたぬくもりが肌へと染み込んでいく。窓の外を彩る銀杏並木はすっかり葉を落とし、寒々しいその光景は、真冬の厳しさをひしひしと感じさせる。

 ……本当にいいのかな、伝えて。でも。

 ためらいを振り切るように小さく息をのみ、眼鏡のブリッジのあたりに視線を落としながらわたしは尋ねる。
「格くん、試験お疲れ様。大変だったでしょう? ほんとにご苦労様」
 校内でのすれ違いざま、ひどく真剣な目をして同じ学部の子たちと試験範囲について語り合う姿こそ見かけても、こうしてゆっくり顔を合わせることが出来たのは本当に久しぶりで――なのにいいのかな、わたしってば。
 ちくり、と鈍く胸が痛むのをごまかすようにぎこちなく笑うこちらを前に、晴れ晴れとした涼し気な笑顔で格くんは答える。
「あぁ、特に今回の恒星天体物理学の記述問題には随分手を焼かされたよ。それで思い出したんだけれど
「うん、なあに?」
 ぱちぱち、と瞬きで答えるこちらを前に、得意げに笑いながら格くんは答える。
「ほら、少し前に君が教えてくれた天文学者の漫画があったろう? あの作品には本当に刺激をもらったんだ。問題を解いている間にも自然と、作中での彼らのやり取りが浮かんできて」
 どこか気恥ずかしそうに肩をすくめながら、優しい言葉が続く。
「正直、コミックにはいままであまり触れてこなかったんだが……あんなふうに知的好奇心を揺さぶられるとは思わなかったよ。素晴らしい出会いを与えてくれて、本当にありがとう」
……あぁ、うん。こちらこそ」
 熱のこもった口調に少し気圧されながらも、胸の奥がじんわりと温かくなる。
 格くんが勉強している世界のことを少しでも知ってみたいそんな気持ちで何気なく読んだ漫画を思い切って格くんにも勧めてみたことが、彼の世界を思いがけず広げてくれた上に、試験の手助けにもなっていただなんて。これ以上ないほどの嬉しい出来事だ。

 格くんが漫画の楽しさを知ってくれた。……でも、それとこれとは話が別だ。
 史実に基づいた学術的な物語と、プリズムの煌めきに導かれた世界はまるで違う。その差を思うと、心の奥がぎこちなく波打つ。
 もどかしく揺れる胸の内をじっと見つめるこちらを前に、あたたかな言葉がそっと続く。
「おかげさまでこうして、君と過ごす時間を勝ち取ることができたよ。とても晴れ晴れしい気持ちだ。君の方こそ、試験疲れは出ていやしないかい、すこし顔色が優れないように見えるぞ? よければ、ブランケットをもう一枚取ってこようか?」
 レンズの奥の澄んだ瞳が、心配そうに私の顔を覗き込む。
 厳しい試験期間を乗り越え、ようやく訪れた春休み久しぶりに会う格くんの瞳には、澄んだ冬の空気のような凛とした凛々しさと、春の陽射しのようなやわらかなぬくもりのその両方がふわりと漂う。
「ううん、大丈夫! 格くんがまとめてくれた対策ノートもあったしね」
「そうか、それならよかった。それもこれも、君の努力のたまものだな。君も春休みには楽しみな予定があると言ってたろう? それがあるから頑張れた、だなんてところはあるんじゃないのかい?」
 答え終わるのと同時に、滑らかな指先がカップの持ち手に絡められ、温かな湯気を立てるアールグレイへと口をつける。まるで、こちらの伝えようとする言葉を優しく促してくれるかのように。
 どうしよう……すごく、言いづらい。うしろめたく思う必要なんてないはずなのに、胸の奥がいやにちくちく痛む。格くんが軌道寿命の計算に没頭している間も、わたしはスクリーンの中で放たれるスタァの煌めきに夢中だったなんて。
 意を決するようにぐっと指先に力を込め、わたしは答える。
「あのね、格くん……春休みの、予定なんだけど」
「うん?」
「その、二月の最終週にね、旅行に行く予定があるの」
 少し震えた声でそう告げれば、向かい側の格くんの表情はぱあっと明るくなる。
「へえ、そうなのかい? それは楽しみだな。小野田くんたちも一緒なのかい? もしかして、留学している水島くんに会いに行くとか?」
 思いも寄らない返答を前に、大げさに首を横に振ってわたしは答える。
「ああ、違うの! そんな、国内で、一泊で……ちよちゃんやはるひとは別だよ、またみんなで遊ぼうって話はしてるんだけどね。その、今回はみんなとは別行動で、国内で。あのね……見たいミュージカルのチケットが当選したの、それで」
 厳密にいえば、エリア4989という名前の異次元からロケットに搭乗して時空を超えた壮大な旅に出る予定ではあるのだけれど――。そこまで伝える必要はないはずだ、ひとまずは。
「へえ、そうなのか」
 顎にそっと手をあて、思案にふけるようなそぶりを見せながら格くんは答える。
「よければ、送り迎えをさせてもらっても構わないかい? 休日なら電車も混むだろうし、大荷物で移動するのも大変だろう?」
 思いがけず切り出された提案を前に、思わず恐縮しながら言葉をこぼす。
「えっ、そんなの悪いよ! 行きはお父さんのゴルフの日だからついでに送ってもらう予定だけど、帰りは新幹線の終電近くになっちゃうし……
 気持ちはうれしいけど、でも……ためらいを隠せないわたしを前に、いつものように涼しげな口ぶりで言葉は続く。
「それなら余計に心配だな。女の子がそんな夜遅くに大きな荷物を持って出歩くだなんて危ないぞ。ご両親にもご予定があるだろうし、駆けつけよう。それに、君がわざわざ県外に出向いてまで見に行く公演なんだろう? よかったら帰路の間にでもどんな舞台だったのかを聞かせてほしいんだ」
 あまりにも曇りのないまっすぐな瞳に打ち抜かれるような心地になりながら、思わずぐっと息をのむ
(あのね格くん、きっと格くんが想像してるような〝ミュージカル〟とは全然別物なの。コールとかペンライトとか銀テープとか腹筋とか、まぁその、色々で――それにその、ステージの上でプリズムの煌めきを放つ男の子たちは本当にかっこよくて、眩しいほどに煌めいていて……でも、その気持ちは、格くんのことが大好きな気持ちとは別物で)

 元はと言えば、彼氏にろくに事情も告げないまま県外に〝遠征〟するだなんて、それも、プリズムスタァの煌めきを浴びに行くだなんて――そんなの、なんだか格くんに不誠実な気がして、正直に話したほうがいい気がしたからだ。
 自分勝手な都合だといえばそうだ、でも――
 ピーチベージュを灯した爪先を指でそっとなぞりながら、おずおずと私は答える。
「あの、格くん――そのね、別に、興味を持ってほしいってわけじゃないんだよ? ただほら、ちゃんとね? 隠し事はないほうがいいよねっていうのを思って。それで……
 ちらりと、机の脇に置いた荷物かごに視線をやり、バッグの中からちょこんとはみ出したビニール袋をそっと取り出し、木目のテーブルの上に置く。折れ曲がり防止のために、と、厚手のファイルにわざわざ挟んでまで持ってきたのは、事前通販で手に入れていた今回の公演のパンフレッドだ。
 こぼれ落ちんばかりのプリズムの煌めきに満ちた表紙を飾るのは、あたかもアニメの世界からそのまま飛び出してきたかのような衣装とヘアメークを施されたプリズムスタァたちが一堂に介する姿だ。
(どうしよう、こんな公共の場で開くだなんてマナー違反だって言われちゃうのかな……でも、少しくらいなら)
 周囲のようすをきょろきょろと気にしながら、すっと格くんの側へとパンフレットを滑らせる。
「へえ、これは見事だな。見てもいいのかい?」
「あぁ、はい……どうぞ」
 ビニールカバー越しに表紙をそっと撫で、興味深げに瞼を細める格くんの姿を、わたしは緊張したままぼうっと眺める。
 格くん、お家ではニュース番組か教育テレビしかほとんど見ないっていうしさぞかし戸惑っているに違いない、こんな奇抜なものを突如見せられて。不安に揺れるこちらを前に、にこり、と口元に優しい笑みを浮かべながら格くんは囁く。
「うん、この大きな月と星空の背景がなんとも神秘的だ。月の光は古来より、神秘の力を呼び覚ますというしな。それに皆、なんとも個性的で魅力に溢れている。このヘアスタイルや衣装にも、それぞれのコンセプトがあるんだろう?」
「あぁ……、うん」
(えっとね、髪型やメイクが個性的なのは2.5次元ミュージカルっていうジャンルだからで。彼らは皆、アニメのキャラクターを再現していて……
 どこまで説明したらいいんだろう。いや、聞かれてからでいい? ぐるぐると心の中がフル回転し始めるのを感じながら、ひとまずは、とじいっとようすを伺っていれば、しげしげと表紙を眺めていた格くんの視線がふっと止まる。
「この真ん中の銀髪の女性、なんともミステリアスで美しいな――いや、男性か? 早合点はよくないな。美とは性別には囚われないものだ」
 格くんの視線がセンターに意味ありげに佇む銀髪の美少年、ルヰくんに興味深げに注がれるのを見た途端、どきりと胸の奥が跳ねる。
(あのね、格くん。その人は如月ルヰくんっていって、異世界からやってきた使者で――って、そこまで説明する必要ある?)
 視線を泳がせながら言葉に詰まっていれば、向かい側の格くんからは、にこりと促すような柔らかな会釈がこぼされる。
……ああ、そのね」
 こほん、と咳払いをこぼし、わたしは答える。
「その銀髪の人はね、ルヰくんって言って――男の子なんだけど、ちょっと中性的な人なの。で、隣の青いジャージの子はアヰくん。演じているのは女性の役者さんで――あ、違うの! 生まれた時は女の子だったんだけれど、どちらも選ばないっていう生き方を選んだ人で、すっごくカッコよくて……ねぇ、ちょっと竜子さんにも似てると思わない?」
 口に出してすぐさま、みるみるうちに気恥ずかしさが込み上げる。
どうしようわたし、どう考えてもおしゃべりにもほどがあるよね? だって、大好きなスタァに(社交辞令とは言え)格くんが興味を持ってくれたのがすっごくうれしくって、それで……、つい。

(あぁ、もうわたしのばかばかばか! また余計なことまで言ってる……

 しゅん、と肩を落とした瞬間、格くんからは「へぇ、」と感心したようすの相槌が洩らされる。
「そうなのか、それは良いことを聞かせてもらったな。ありがとう」
 えっと……? 
 思わず首を傾げるこちらを前に、にっこりとおだやかに笑いながら格くんは答える。
「なるほど、古くから歌舞伎の舞台などでは男性が女性を演じてきたものだがそこにあるのは、女性への抑圧の歴史だからな」
「あぁ、まぁ……
 今でも歌舞伎界に根付く〝女人禁止〟の厳しいルール。その起因となったのが当時の性風俗の乱れだったというのは、歴史の授業でも少し触れたことがあったけれど。
 迷いに揺れるこちらをまっすぐに見据えるようにしながら、格くんは続ける。
「時代は刻一刻と移り変わるものだ。いまだ固定概念や偏見は色濃いが、役者という表現者がこうして性別の枠をやすやすと超えてみせることも、役柄だけではなく、個人の生き方としてそれを選ぶことも、どちらもとても意義のある素晴らしいことだな。このアヰくんという役者さんは新しい時代を切り開く存在なんだな」
「格くん……
 咲月くんのこと、そんなふうに受け止めてくれるなんて。世界中の咲月くんのファンに、それに、咲月くん自身にも伝えたいな。「わたしの彼氏がこんなふうに言ってくれましたよ」って。
誇らしい気持ちでじいっとようすを伺っていれば、尚も興味深げに言葉は続く。
「ああ、このピンクの髪の人物――この役者さんは男性だよな? うむ、とても愛らしい。それにこの赤い髪の男性、彼はもしかしてだけれど、歌舞伎役者なのかい?」
「あぁ、そうなの。ピンクの子はレオくん。可愛いものが好きな男の子。それとね、赤い髪の子はユキ様。歌舞伎の家元の子で、パフォーマンスにも歌舞伎の演目が取り入れられてて
 このくらいならいいよね、たぶん。
 つい先ほどの反省をもとに極力控えめにそう答えれば、やわらかな会釈がそっと、こちらの言葉を受け止めてくれる。
「うむ、みな個性的な表現者ばかりだな。この彼らがステージに立つとは、さぞかし見応えのある舞台なんだろうな」
 うれしい気持ちと誇らしい気持ち、そして、ひと匙ばかりの気恥ずかしさ――色とりどりの想いがない交ぜになってくるのを感じながら、わたしはもじもじと視線を揺らがせる。
 神様、どうしてわたしの彼氏はこんなにも誠実で理解力に長けた人なんでしょうか?
 もどかしく言葉を探しながらスティックシュガーの空き袋を指でなぞるこちらを前に、少しだけ首をかしげ、にこり、と穏やかに笑いかけながら格くんは答える。
「なんだかうれしいよ。君が大切にしているものをこうして僕に教えてくれて。よかったら今度、彼らのパフォーマンスを僕にも見せてくれるかい?」
「あぁ、うん……勿論」
 どうしよう、あんまり真に受けないほうがいいんだろうけれどベステンなら見てもらっても大丈夫? ……あぁ、でもやっぱりちょっと恥ずかしいな。隣に格くんがいると思うと声援もかけられないし。それでも、ついうっかり口が滑っちゃったらどうしよう。格くんのこと、きっとびっくりさせちゃうよね?
 ぎこちなく口ごもりながら視線を泳がせるこちらを前に、何かを察したかのようにやわらかに口元を緩ませながら、格くんは答える。
「大事なものなんだろう? 門外漢の僕があまり遠慮なしに触ってしまうのはよくないよな。それにほら、うっかり汚してしまったりでもしたら一大事だ」
 丁重な手つきでファイルケースにパンフレットを戻し、格くんの言葉は続く。
「それで、聞いておきたいんだけれど君は、今回は一人で会場まで赴く予定なのかい? ほら、以前には確か、お母様と観劇に行ったと言っていただろう?」
 ……そこまで憶えてくださっていたとは、いやはや、なんとも恐れ入ります。
なぜかかしこまった口調になりながら、おそるおそるとわたしは答える。
「ああ、うん。今回はね、一人で行く予定なの。でもね、会場でお友達に会える予定でほら、前にも話したでしょう? 中学の時の友達。その子が誘ってくれたの」
 途端にこぼれ落ちるのは、感嘆の色を溶かしたやさしい吐息まじりの言葉だ。
「へぇ、それはいいことだな」
「その子ね、ミュージカルは初めてなんだって。でもね、今回は去年の夏にあった映画が元になってるっていうし、キャストも交代して六年ぶりの新作で……すごい人気だろうけど、せっかくならダメ元で申し込んでみない? って相談したらチケットが当たって、それで」
 弾んだ声で答えれば、やわらかに綻んだ笑顔はありのままにそれを受け止めてくれる。
「それならより一層楽しみだな、楽しんでくるといい。ただ、夜には随分冷えこむおそれもある、脱ぎ着しやすい服装で行くと安心だぞ」
「うん、気をつけるね」
「それと、さっきも言った通り、帰りは僕が迎えに行こう。今日の帰りにでも君のご両親にも伝えさせてもらうよ、それなら安心だろう?」
 ぱちり、とまばたきをこぼしながら告げられる言葉に、じわりと胸の奥が熱くなる。
 格くんのことは、両親も高校生の時から知ってくれている。帰りは格くんに送ってもらうことになったから――そう伝えれば、反対するどころか、むしろ逆に安心して送り出してくれるだろうなんてことは目に見えている。
 ハンカチを口元にそっと当て、こほん、とちいさく咳払いをこぼした後、私は答える。
「えっと……では。お願いします、遠慮なく」
 そう言葉にした途端、ふっと緊張の糸が緩むような感覚を味わう。
 向かい側からじっとこちらを見つめてくれる彼の瞳に宿される光もまた、どこかこちらのそれと似た、安堵の色がやわらかににじむ。
「ありがとう、光栄だよ」
 たおやかに会釈をこぼしながら告げられる言葉に、さぁっと心の内が静かに波打つ。

 あぁもう、ほんとうに。
 こうして目の前に居てくれる格くんは、間違いなくわたしだけのかけがえのない王子様なんだ。
 ステージの上のスタァが振りまいてくれる眩いほどのプリズムの煌めきとは違うけれど――わたしの世界にかけがえのない輝きを、優しくてあたたかな光をもたらしてくれるのはいつだって、格くんなんだ。
 迷惑をかけて申し訳ない、だなんて気まずい気持ちは勿論あるのだけれど――それ以上に胸の内はあたたかな気持ちに満たされている。
 ステージの上できらめく男の子たちに会うための小さな旅に出た帰りには、わたしだけの王子様がお迎えに来てくれるだなんて。

(帰りの新幹線に乗ってるうちにでも、ちゃんと切り替えられるかな? さすがにスタァのことで頭がいっぱいの状態で格くんに会うのは申し訳ないし……

 心ここにあらず、と言わんばかりに迷いに揺れるこちらを前に、どこか気恥ずかしそうにぽつりと控えめに格くんは答える。
「それにしたっていいことだな。僕はあまり、芸事には感心がないから……
 どこか申し訳なそうに告げられる言葉に、ちくりと胸の奥がにぶく痛む。
 きっぱりと首を横に振り、打ち消すように明るくわたしは答える。
「そんなことないよ。格くんにも、ちゃんとあるでしょう? 大切にしてるもの。こないだだって、天体物理学の先生の講演会に行ってたじゃない。わたしね、その先生が出てた教育テレビの番組、ちょっとだけ見たんだ」
 格くんの積み重ねてきた知識には、とても追いつけないけれど彼が幼いころから夢中で追い続けた世界の片鱗に触れられたようで、胸があたたかくなった。
 しどろもどろなわたしの言葉を前に、ぱあっと明るい口ぶりで格くんは答える。
「あぁ、そうなのかい? とてもうれしいよ。あの番組は確かに構成が素晴らしかった! 最新の研究資料の内容もきちんと反映されていたしな。それに何より、あのスーパーキロノバの現象を再現した映像は見ものだったな。僕も科学雑誌の誌上で、静止画なら目にしたことはあったけれど――
 途端に熱っぽく語り出す姿をにこにこと眺めていれば、向かい側の格くんからは、こほん、とかしこまった咳払いがこぼれる。
……済まないな、また一方的に僕ばかり話してしまった。まだ君の話題の途中だっていうのに」
「いいんだよ、そんなの」
 慌ててさぁっと首を横に振るこちらを前に、にこやかに笑いかけるようにしながら、格くんは尋ねる。
「それよりも君、この後はまだ時間はあるかい?」
「あぁ、うん」
 なにかほしい本でも思い出したのだろうか。
 こくり、と小さく首を縦に振っての相槌で答えれば、口元に軽やかな笑みを浮かべながら、優しい言葉が続く。
「折角の観劇の機会なんだ、君だってうんとおしゃれして行くつもりなんだろう? どこか覗いていきたいお店があればと思ってね。僕にはその……そういったセンスはないけれど」
 すこし肩をすくめ、弱気な口ぶりで答える格くんがなんだかかわいくって、胸の奥がふわりとあたたかになる。
「ありがとう、格くん。でもね、それなら大丈夫なの。お洋服はもう準備してあるから」
 クローゼットの奥では、憧れの大好きなモデルさんのプロデュースしてくれたとっておきのドレスがいまかいまかと出番を待ち構えている。
 格くんとのデートに着ていくのにはちょっと華やかすぎる気がして、きょうはお留守番してもらっているけれど――舞台の上から煌めきを振りまいてくれるスタァに会いに行ける日になら、きっとふさわしい気がするから。
「あぁ、そうなのか――それはよかったな、安心だ」
 途端にふわりと、広がるやわらかな笑顔をじいっと見つめながら、私は答える。
「あのね、格くん。よかったらだけれど、この後少し、文房具屋さんに寄ってもいい? お友達に渡すカードを探したいの」
 それと、憧れのスタァに渡すお手紙のための便箋を。心の中でだけ小さくそう囁きながら、胸元で光る鍵モチーフのネックレスのチャームをそっと握りしめる。
「あぁ、それはとてもいい考えだなそうだ、折角なら僕も便箋を探したいな。こないだ読んだ本の著者の先生にお手紙を送りたいんだ」
 得意げに優しく笑う顔に、ふっと心の奥がほどかれていくような温かさがこみ上げる。

 門限の時間までにはまだすこし余裕がある。あともう少しだけ、ふたりで過ごす時間を引き延ばそうと言い合えるうれしさに、ふつふつと温かな気持ちがこみ上げてくるのをわたしは感じる。
「見つかるといいね、ぴったりなの」
「あぁ、君もな」
 目を合わせて笑い合いながら、かすかにふつり、と胸の奥からは、沸き立つような思いがよぎる。
(よかったな、でも。格くんに「誰が君の一番応援しているスタァなんだい?」だなんて聞かれなくって)
アイドルを応援する気持ちと恋人を思う気持ちはそれぞれに別次元で、比べようもないかけがえのない宝物とは言え、少しも後ろめたくない、だなんて言えば嘘になってしまうから。
(待っててね、みんな。わたしからも愛をたくさん届けに行くから)
 心の中でそう誓った瞬間、ポケットの中で携帯電話が短く震える。
「ごめんね、ちょっと」
 画面に表示されたのは、一緒にプリズムツアーズへ出発するためのタイムマシンに搭乗する約束をした、大切な友達の名前だ。
 ちら、と目にしたそれをすぐさまカバンにしまうこちらを前に、遠慮がちに首を傾げるようにしながら格くん尋ねる。
「君、返事は良かったのかい?」
「ううんいいの、急用とかではないみたいだから」
(ごめんね、また後でね)
 格くんのくれるものとは違う〝煌めき〟に会いに行くまではあと少し。友達との作戦会議は、無事に家にたどり着くまで、しばしお預けだ。
「さて、そろそろ行こうか。そうだ、そのカードを書くためのペンも、良ければ新調するといいぞ。君の想いがより鮮明に綴れるような、書き味の良いものを僕が選ぼうか?」
 格くんらしい、としか言えない優しい提案に、思わずふわりと笑みが溢れる。
「うん、ありがとう。格くんの選んでくれるものなら、きっと素敵な手紙が書ける気がする」
 使い慣れたボールペンでもいいけれど――せっかくなら、少し背伸びをして万年筆を選んでみるのもいいかもしれない。メールでなんでも済んでしまうようになってしまった時代だからこそ、手で文字を綴る時間を大切にしたいし。


 会計を済ませて店の外に出れば、銀杏並木を吹き抜ける風はまだひんやりと冷たい。けれど、隣を歩く格くんと絡めあった指先を伝う温度と、胸の奥でふつふつと募るスタァへと焦がれる想いその両方が、体と心を静かに温めてくれる。
 二月末、私はきっと世界で一番幸せな女の子になる。
 大切な友達と共にプリズム空間の時空を旅するタイムマシンに乗って、大好きなスタァの煌めきと、世界で一番大切な彼氏のぬくもりを胸いっぱいに抱えて



「ではまた。なにかあれば連絡してくれたまえ。なあに、いまさら遠慮はいらないさ。おやすみ」
 湯上がりの素肌にほんのりと残るぬくもりの余韻を感じながらそっと目をつぶれば、途端に瞼の裏にありありと浮かんでくるのは、別れ際に目にした格くんの姿だ。
 しんと冷たい夜の空気をまとった冬風にコートの裾を翻しながら颯爽と去っていく背筋のピンと伸びた姿はどこか儚げで凛としていて。まるで、この目で見えるはずもない煌めきが、はらはらと雪の結晶のように格くんの周囲に舞い散るのが感じられるようで
〝恋は盲目〟だなんていう言葉はこんな時に使われるものなのだろうか。
 いやいや、そんなそんな。格くんがわたしの陳腐な言葉では表現しきれないほどのまばゆい煌めきに満ちた王子様なのは、周知の事実なので。
 もくもくと沸き立つかのような気恥ずかしい気持ちを掻き消すように大げさにかぶりを振り、お風呂上がりの洗い晒しの髪を丁寧にブラシでとかしながら、壁掛け時計にちらりと視線をやる。ああ、そろそろ約束の時間だ。あんまり待たせるのもよくないよね。
 学習机の隅に置いたままにしてあった二つ折りの携帯電話を開き、手慣れた手つきでリダイヤルを押す。数回のコール音のあとに続いて聞こえてきたのは、いまではすっかり懐かしく感じるようになってしまった、柔らかくて穏やかなおなじみの声だ。

『はいはーい、もしもーし』
 少し鼻にかかった人懐っこいその声を聞いた瞬間、胸の奥がふっと緩む。
「もしもし、みあちゃん? メールありがとう、遅くなっちゃってごめんね」
 すこし声をひそめるようにして遠慮がちに尋ねれば、包み込むようなやわらかな返答が、かぶせるようにそっと返される。
『別にいいよ、気にしないで。ゆっくり話せた方がうれしいしさ。もしかしてだけど、きょうって例の彼氏くんとのデートだったりしたの?』
 さすが、察しのいい彼女なだけある。ぎくり、とかすかに震えた指先でぎゅっと携帯電話を握りしめながらわたしは答える。
「あぁ、うん。そうなんだ。ちゃんと話したんだ、舞台のこと。帰りが遅くなるんなら迎えに行くから、楽しんでおいでって」
『えぇ~いいなぁ。さっすがだねえ格くん。ほんっと何もかも完璧でスマートな紳士って感じ。自慢の彼氏さんだね』
「うん……まあ」
 それはもう、わたしにはもったいないほどの。
 照れくささからそう言葉を濁せば、受話器越しにはぁ、とおおげさなため息が漏らされる。
『でもさぁ、聞けば聞くほどわかるな〜って感じ。格くんってちょっと聖さんみたいじゃない? 品が良くて優しくて真面目で、まっすぐすぎるくらいに真っ直ぐで誠実でさ、キラッキラの理想の王子様って感じ』
「そんな……
 スピーカー越しに届けられる言葉に、みるみるうちに耳まで熱くなる。
 凛として美しくて優しくて、真面目で誠実すぎるがゆえの不器用な脆さを併せ持った聖さんは、幼い頃の淡い初恋の相手だった。それでも、聖さんにはこれ以上ないほどにお似合いの運命の相手、ジュネ様が居て
 オーロラライジングを飛べないわたしのことを聖さんが選んでくれるはずなんてない。子供なりに失恋の痛みを感じながらテレビに夢中でかじりついていた記憶が、ありありと脳裏に蘇る。
『あ、図星なんだ? でもさ、好みってあるんだね。ほら、前に写真も見せてくれたでしょ? ちょ〜っとカケルくんぽい感じだよなぁっていうのも思ったんだよね。キリッと凛々しくてかっこよくてさ、眼鏡の似合う美形さんで。ちょっぴり心配症でお父さんみたいなとこはミナトっちみたいな感じもするよね。あ〜、もういいとこ取りじゃん! そっかぁ、あかりちゃんは二次元と三次元でタイプが同じなのか〜なるほどねえ」
「あぁ、まあ……うん。たぶん」
 気恥ずかしさに思わず口ごもりながら、みあちゃんが何度もうれしそうに語ってくれた話を思い返す。
「わたしはね、ちょっとヤンチャで不良っぽいけど、根は優しくて真面目で頑張り屋さんって感じの子が断然タイプなんだよね。ただし二次元限定でね」
 好みは正反対なのに、どうしてこんなにも気が合うんだろう? お互いに感性が違うからこそ、わかり合えることもあるそんなことを初めてわたしに教えてくれたのが、みあちゃんだった。
『あかりちゃんってばほんつと、隅におけないなぁ。いつの間にかリアルでも王子様に出会っちゃうなんてさぁ』
芝居がかった大きな息づかいに続いて、明るく弾んだ声が届けられる。
『いいなぁいいなぁ。わたしのとこにも早くエリア4989に招待してくれるプリチケが届かないかなぁ。神アイドルグランプリで優勝してタイガくんに逆プロポーズする準備ならいつでも万端なんですけど!? タイガくんとリンクでエンゲージするってナナチカでもう何回宣言したっけって話なんですけど!?』
 思わずくすくす笑いながら、本棚の方へとちらりと目線をやり、世界にたった二冊しかないのだというとっておきの〝宝物〟をうっとりと眺める。
 キラキラのラメ入りの紙に星のシールを散りばめた、まばゆく光輝くようなプリズムの煌めきに満ちた本の中身は、中学の頃からずっと、ノートにびっしり小説を書き溜めていたみあちゃんが生まれて初めて作ったのだという、タイガくんとみあちゃんが煌めくような恋に落ちる物語を綴った小説だ。
「すごいよね、みあちゃんは。わたしにはあんな本なんて作れないし、そもそもあんなにしっかりした長編のお話だって書けないもん」
 答えながら、あの分厚い封筒を開封した時の感激がみるみるうちに蘇る。
『えぇ~。そんなことないよぉ~!』
 言葉とは裏腹の明るく弾んだ声が、さわさわと心地よく耳朶をくすぐる。
 みあちゃんのこういうところ、本当に変わってないなぁ。なんだかうれしい気持ちになりながら、すぐさま〝追撃〟の言葉を被せるようにする。
「ほんとね、感動しちゃったもん。文章なのにその場の空気だったり、匂いまで全部感じられるの。ショーの緊張感とか、みんなの仕草とかがね、全部アニメで見てるみたいに目の前に浮かんできたの。さすがみあちゃんだなぁって思って」
 うっとりと語るわたしの言葉にうながされるように、受話器越しに上機嫌な声が響く。
『やぁだもう、あかりちゃんってば相変わらず褒めて伸ばすのがうまいなぁ。照れちゃうじゃん。……もっと言ってくれたまえよ?』
「まかせたまえ、きょうはみあ先生を褒めて褒めて褒めまくって進ぜよう!」
『ひゃ〜、ありがたき幸せ~! よおし、みあ先生ってば調子に乗って次回作も考えちゃうぞぉ~!』
 くすくすと笑い合う声がスピーカー越しにこだまし合い、みるみるうちに手に取るようなあたたかさを伝えあう。
 あの頃とは違って、お互いすぐには会えない距離にいるはずなのにどうしてだろう、こんなふうに話していると、まるで中学生だったあの頃の〝続き〟のように笑い合えるのは。
「まぁさ、プリチケはまだ届かないけど、タイムマシンの搭乗チケットなら無事に確保できたじゃない? お互いちゃんと気をつけてたどり着こうね」
『おっけー! ていうか新幹線止まるなよ~マジで!』
「だいじょぶだって、いざという時はオバレが迎えに来てくれるよ?」
『オバレなら終電後でも来てくれるし、ハリウッドにも送ってくれるから安心だなぁ~』
 くすくすと声を立てて笑い合いながら、ときめきという名の銀河系の向こう側へとそっと思いをはせる。
 
 わたしたちがスクリーン越しではなく、同じ次元の世界で、舞台の上から降り注がれる煌めきを全身で浴びられるまではあともう少し

(今月末にはみあちゃんと初めてのキンプリのミュージカル! 楽しみだなぁ!)
 
 みあちゃんと二人並んで、お揃いのペンライトを振ってわたしたちはついに、エリア4989の観客席で光輝く星のひとつになれるのだ。
 抑えようのない胸の高鳴りにそっと手をあてながら、 受話器越しに届けられるあたたかな笑い声に、そっと耳を澄ませる。
 恋のときめきも、友達のくれる安らぎも、ステージで光輝くスタァが振り撒くプリズムの煌めきもどれひとつとってもかけがえのない、わたしの人生を照らし出してくれる優しくてあたたかな光であることに変わりはないのだ。

(ねえ格くん。 帰ったらたくさん聞いてね、 楽しかったプリズムツアーズの思い出)
 
 わたしたちの旅は、もうこの瞬間から始まっている。
 銀河系行きスターライトエクスプレスがわたしたちを迎えに来てくれるまでは、あともう少し。




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お友達と同じ日にKING OF PRISMのミュージカルに当選したのでサプライズプレゼントに作ったコピー本。リアル夢小説・君と紡ぐ物語です。
時代背景などはゲームの時間軸そのままを想定しているので、時空がねじれていると思ってください。笑