ten_matoi
2026-04-09 18:52:54
5549文字
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あたらの夢

クリレオ



対バイオテロ組織に属すると言っても、合衆国のエージェントには変わらない。人手不足の時は要人警護にも駆り出されれば、上院議員の令嬢の護衛にだって駆り出される。倒す対象がBOWではないだけで、レオンのやることは変わらない。ただその警護対象を守るために敵に備え、必要ならその敵を撃破する――それだけだ。
しかし、本日はどうにもタイミングが悪い。レオンが警護を担当する令嬢が、以前のSPからの引き継ぎによると失踪癖があるらしい。警護の目を盗んで消える……難儀な令嬢であった。
今日も今日とてバディで担当する予定だったSPであるジムが、令嬢を見失ってしまう。一瞬目を離した隙に逃げ出したらしく、駐車場から忽然と姿を消していた。
真っ青になっているジムを鬱陶しく思ってしまうのは仕方ないことだ。この男は以前からレオンを冷遇してきた人物であり、今回も同じ護衛に就くことを嫌がっていた――と聞いている。
シャーロットという令嬢も心底面倒だと思うけれど、この男も難儀なものだ。レオンは「ここで待機していろ」と言って、周辺を調査することにした。
令嬢――シャーロットはお転婆というよりはもう問題児に近い。未確認情報だとしても、学校では素行不良な異性との付き合い、ドラッグ、酒、挙げ句の果てには乱交パーティにまで参加していたなんて報告まであるくらいである。あまり言いたくはないが、レオンだって近づきたくない相手だった。
今回の逃走だって想定の範囲内であり、まさか学校の駐車場内でやられるとは思わなかったが、レオンは周囲をそのブルーの目で見渡した。
すると、建物の角をブルネットの長髪が揺れて消えたのをレオンは見た。シャーロットはブルネットであるし、今日の服装は確かブルーのカーディガンを着ていた筈だ。服装も合致する。
レオンは溜息をつき、なるべく音を立てないように歩み寄る。煙草のにおいがして、建物の陰から無邪気な笑い声が響いていた。
レオンが姿を現せば、数人の学生が煙草を吸っているのが見えた。その中にシャーロットが紛れ込んでいる。げ、と顔を顰めた彼女に更に吐息したレオンが「帰るぞ」と声をかけた。
――刹那。
どうして気づけなかったのか。単なる煙草だと思い込んでしまったのが〝油断〟だったのかも知れない。レオンは一瞬だけ香った甘いにおいに焦って背後を振り返るが、もう遅かった。
奇妙な笑みを貼り付けた男子学生が、手を前に突き出している。受け身を取る間もなく、抱きつくようにしてぶつかってきた学生のその突き出している手に握られたナイフが、レオンの腹部に突き刺さった。後ろから悲鳴が上がったが、レオンは冷静にそのナイフをはたき落として男子学生と距離を取る。
焼けつくような感覚が持続しているうちに、また襲いかかってきたその学生を蹴り飛ばし、悲鳴を上げて蜘蛛の子散らすように逃げ出した他の学生たちの行方を見る。じくじく、徐々に痛みが出てきた。動けなくなる前に、なんとかシャーロットの腕を掴んだ。
「やだ! 離して!」
怯えている彼女には悪いが、ジムが来るまではレオンに捕まっていてくれないと困る。スラックスが血まみれだ。そしてついに靴下までじっとりと濡れた感覚がして、ああ……このスーツと着用しているもの一式はお釈迦だと憂鬱になった。
ようやくレオンの緊急通信にジムが駆けつけてくる。レオンの様子を見てさっとSPの顔になった彼に安堵して、救急車を呼んでいるジムの代わりにひたすら泣いているシャーロットの腕を掴んでいた。


二人で暮らしている部屋にレオンが戻って来なくなって三日。任務が忙しいのだろうが、彼から端末へメッセージも何もない三日というのはひどく珍しい。
クリスが休暇だと知っていて無視を決め込んでいるのか、それともまたハプニングに巻き込まれているのか判断がつかない。クリスは重ねてメッセージを送るのも憚られて、ぽつねんとソファに座って彼と一緒に見ているテレビドラマの続きを漫ろ見ていた。が、一向に集中できない。内容が脳裡を滑っていって、漫ろ見にもなっていなかった。
休暇の過ごし方は随分と忘れてしまっている。すれ違っていても、レオンがいる痕跡が部屋にあったからこそ穏やかな時間を過ごせていた。それが、何故かどうしても心が安まらない。レオンからの連絡がないからなのは明らかであったし、彼がこの部屋で過ごした痕跡が数週間前から止まっていることも要因のひとつだろう。
例えば、冷蔵庫が空っぽであること。例えば、彼が買ってきたらしい新聞の日付が二週間前だったこと。例えば、シンクに洗ったままのマグカップが一人分残されていること。
レオンがしばらくこの部屋に戻っていないことを示している。クリスは彼の痕跡を追ってしまう自分が情けなくなるけれど、レオンが恋しい自覚があるのでやめられない。
無意識にレオンのことばかり考えてしまう為、とりあえずコーヒーでも淹れて落ち着こう――とソファから立ち上がってキッチンへ行こうとしたクリスは、インターホンが鳴ったことで動きを止めた。……この部屋に訪ねてくる者など少数で、クリスが把握しているその面子は少なくともいまアメリカにいる者は少なかった。
抽出に入れていた拳銃を取り出し、玄関へとゆっくり移動する。足音を立てずにドア前に陣取ったクリスは、ドアスコープを斜めから覗き込んで……急いでドアを開けた。
「レオン?」
驚きすぎて怪訝な声が出てしまう。ドアを開いたすぐそこへ立っていたのは、クリスが考えてやまないパートナーだった。
四十も後半にはなっているが、褪せない色香を持っている男。アッシュブロンドの髪とブルーグレーの瞳を持つ彼が稀有な容姿の持ち主なのは言わずもがなだったが、クリスはレオンの心身ともに惚れ込んでいる自覚があった。
ラクーンシティの一件からもう随分経つが、症候群の症状も再発することなくここまで来ている。健康そのものの数値を叩き出している彼だったが、どうしてそのパートナーが……
「レオン、お前……鍵とセルフォンはどうした」
インターホンを鳴らすこと自体、不自然だ。彼は鍵を持っている筈であり、簡単にここへ出入りできる存在なのだ。それに彼はセルフォンまで持っていない状態らしい。それに……どこか落ち着きがない。そわそわ……と視線を泳がせているレオンは「ただいま」と言ったけれど、どこか上の空だった。
「おい、レ……オン……?」
クリスの鼻腔を突く、消毒液のにおい。あとうっすらとする血の臭いに、ぞっとした。刹那、レオンが一歩後ずさって「悪い」と顔を顰めた。
「あんたが休暇だって聞いたから……その、仕事抜けて顔だけ見に来た……だけだ」
手を伸ばせば伸ばすほど、レオンは一歩後ずさる。まるで触れられたくないと言うような仕草に、クリスは苛立ってついにレオンの手首を掴んだ。
……っ、う」
びくっと、レオンの肩が揺れて顔が苦痛に歪む。クリスは少しだけ怯むが、ここで逃がせば後悔すると勘が告げている。手首を引っ張って引き寄せて、レオンをしっかりと見下ろした。
「お前、どこか――
触れているレオンの手首がどうにも熱い。それどころか全身熱っぽく、燃えるようなのが気になった。
クリスは確信する。そして、彼の苦痛に構っていられないとばかりにレオンの体を抱き上げてしまった。レオンは息を詰めているが、抵抗はしない。乱暴にドアを施錠し、とりあえずソファに彼を寝かせた。
は、は、と荒い呼吸が熱い。発熱している体を検分していれば、やはり血の臭いがした。レオンの着ているパーカーは真新しく、誰かが彼に買い与えたらしいと分かる。そのパーカーの裾を少し捲ってみれば、ガーゼが貼られた患部から血が滲んでいるのが見えた。
「こんな体で……
眉間に皺を寄せてレオンを見る。高熱で意識が朦朧としているらしい彼に怒ったところで、仕方ないことだった。ただ、彼が病院嫌いなことは知っているので怒るに怒れない――というのもある。
テーブルに放り出していたセルフォンを取り、素早く通話アプリを立ち上げる。数コールで相手は応答して、クリスだと知っている上で開口一番「レオンは平気?」とだけ訊ねてきた。
「ああ。だが、患部から出血している。あと発熱していて、意識が怪しいな」
「あー……もう。ほんとに強情なんだから……今朝、入院している病院から連絡があったんだけど、荷物一式置いたまま脱走したって」
シェリーが通話口で溜息をつく。クリスは苦笑して「荷物はあとで俺が取りに行く」と言った。
「だから俺が面倒を見てもいいだろうか」
このまま帰してしまえば、レオンはまた病院から脱走するかもしれない。なら、クリスが面倒を見ればいいことである。衛生の知識もあるので、患部の消毒くらいはできるからだ。
シェリーが少し悩んでから「分かった」と言ってくれる。
「私が病院へ連絡しておく」
「ありがとう」
「クリス、レオンをお願いね」
「ああ、絶対に無理はさせない」
何があったかは分からないが、大事な伴侶が大怪我を負っている。それだけは分かる。分かるからこそ、手元に置いておきたい。
シェリーとの通話を終えたクリスは、荒い呼気を繰り返しているレオンの汗ばんだ額を撫でて、人知れず溜息をついた。


熱い――とにかく、熱い。
痛み止めが切れた患部もじくじく痛い。十針縫った傷口から血が滲んでいるのが分かるのは、血の臭いに敏感な鼻腔がその臭いを捉えているからだった。
レオンは朦朧とした意識で、自分の家を目指したのは覚えている。返事はできていないけれど、その家にはクリスが――レオンのパートナーが、久しぶりに帰宅していることを知っていたからだった。
こんな無機質な場所にいたくない。クリスに会いたいと、思ってしまったのは必然である。何故って、久しぶりに帰ってきた伴侶に会いたいと覆わない男はいないだろう。特に、命に別状はないとはいえ大怪我を負ったあとなのだから。
ナイフが刺さった患部は内臓を避けていたらしく、手術も軽くで済んだ。しかし、二週間は絶対安静と言われてしまったので、レオンはそのまま強制的に二週間と少しの休暇となった。
まったく、お転婆通り越してクレイジーな令嬢のせいで不本意な休暇となってしまった。
例のシャーロットはレオンの血まみれの姿がよほどトラウマだったらしく、二日目くらいに発熱して朦朧としているレオンに謝りにきたくらいだ。ごめんなさい、などと言われてもこちらとしては許すしかない。「友達は選べよ」とアドバイスを贈るくらいしか、レオンにはできなかった。
三日目で、ついに我慢の限界がきてレオンは着替えて病院を抜け出した。シェリーが念のために買ってきてくれていたパーカーとズボンを履き、下はスリッパのままでふらふらと歩き出す。幸いなことに、病院から家まで歩ける距離だった。
発熱している体で歩いたからか、更に悪化していることを自覚しつつ――レオンは玄関ドアの前に立つ。そしてインターホンを押してからの記憶がない。
「目が覚めたか?」
……ごめ、ん」
掠れた声で謝る。すぐさまストローが刺さったコップが差し出され、レオンは水を無理矢理飲み込んだ。発熱した舌が水さえ変な味にしてくるので、つい眉間に皺が寄る。
見知った天井だ。ベッドに寝かされていると気づき、頭に乗った凍らせたタオルの存在と、クリスの心配そうな表情にレオンは苦く笑った。
「迷惑、かけた……
「そんなことはどうでもいい。……ったく、帰りたいなら俺にちゃんと連絡しろ。一人で勝手に病院を抜け出すな」
心配した――と切ない声音で言われて、レオンはくしゃっと顔を歪める。手を伸ばせばクリスがしっかりと握ってくれて、レオンはようやくほっと安堵した。
ここへ帰ってきたかった。無機質な病室ではなく、クリスのいるこの家へ。
「あんたに会いたいしか……考えられなくて」
レオンの掛け値なしの本音だ。人間相手だと、学生相手だと油断した馬鹿な自分が招いた事態だが、情けなくて涙が出る。
死ぬような怪我ではなくても、クリスが傍にいてくれるのならば……と考えてしまった。家にいる彼に会いたいと、朦朧とした帰巣本能が発動したらしい。
「お前が……お前が無事で良かった」
レオンの手を握っているクリスの手が震えている。こちらを見下ろしている彼の瞳も、泣きそうにたわんでいた。
「人間相手にも、油断しないようにする……とくにジャンキー……には……
ぼやくように言ったレオンに、クリスの眉間の皺が深くなった。「なんだと?」と格段に低くなった声が怒っている。
「学生だ……ほんの、子どもだよ……
……BOWなら撃ち殺してやったのに」
物騒なことを言うクリスに苦笑して、レオンは目を閉じて「死ぬならここがいい」と言った。
「あんたがいる場所が……いい……
クリスが言葉を詰まらせている。握られた手が痛いほどだったけれど、レオンは自分の言ったことの面倒臭さに自覚があるので、痛いという抗議はしなかった。
「もう寝ろ……人は弱っていると、碌なことを言わない。お前もそうだ、レオン」
「ん、そうだ、な……
――頼むから、俺と一緒に生きると言え」
クリスの掛け値なしの本音が漏れたらしい。レオンは微笑んで、朦朧とした意識で頷いた。
「生きる……足掻くさ、何度でも……
唇にキスが落ちてきて、レオンはその心地よさに意識をも落っことした。
次に起きる時にはきっと熱は下がっている。その時には、クリスの特製のチキンスープを飲ませてもらおうと心に決めて。