Feria quinta in coena Domini

準備稿読んでたらよぎった。
リッちゃんと話してた初恋の会話いいよね…。
兆しの話です。
24話で疎開とかの前にカヲルくんが来てたらみたいな妄想。準備稿の世界線を都合よくいじり倒しているよ。
でも準カヲじゃないんだ…わけわかんないね。
腐女子大好き洗足式

終礼を告げるチャイムと共に、一斉に教室から生徒が吐き出されていく。その人混みに混じって、シンジはカヲルと他愛もない話をしながら、昇降口へ向けて階段を降りていた。
すると、何やら慌てた様子の女生徒が下から猛烈な勢いで駆け上がってきて、すれ違いざまにシンジの肩と激しくぶつかった。
「あっ、危ない……!」
衝撃でバランスを崩し、階段を踏み外しそうになった彼女を庇おうと、シンジは反射的に手を伸ばして体勢を傾ける。しかし、隣にいたカヲルが咄嗟にシンジの腕を強く引き寄せた。
「おっと。大丈夫かい、シンジ君」
カヲルの素早い判断のおかげで、共倒れになって転落することだけは免れた。
「ありがとうカヲル君、僕は大丈夫。……君は怪我ない?」
「わ、私は全然……!」
シンジが心配そうに視線を向けると、彼女はバツの悪そうな顔で小さく答えた。
「よかった、気をつけてね」
安心したシンジが、行こうかとカヲルに促して一歩を踏み出した、その時だ。足元に鈍い痛みが走り、シンジは思わずその場にしゃがみ込んだ。どうやら、無理な体勢で踏ん張ったせいで、右の足首を捻ってしまったらしい。
「えっ、うそっ……ごめんね碇君! 大丈夫!?」
事の重大さに気づいた彼女が、慌てて踊り場に蹲るシンジの腕に手を伸ばそうとする。
けれど、その指先が袖に触れるより早く、カヲルが滑り込むようにして二人の間に体を入れた。
「いいよ。彼は僕が診るから、君はもう行きなよ。急いでいるんだろう?」
カヲルは穏やかに微笑みながらも、有無を言わせぬ空気で彼女を促す。その手は、いつの間にかシンジの肩を抱き寄せ、自分の体の方へと引き寄せていた。
「え、あ、でも……
「君に怪我がなくてよかった」
カヲルの言葉はどこまでも優しかったが、シンジの背に回されたその腕からは、言葉とは裏腹な冷たさが感じられた気がして、思わず彼の表情を窺う。
穏やかで、けれど底知れぬ何か。それは出会った頃からずっと、彼の奥底に潜んでいる気がしてならない。
……僕は大丈夫だから。気にしないで」
シンジはカヲルの気配に少し気圧されながらも、呆然と立ち尽くす彼女に言葉を添えた。
恐縮からか、それともカヲルの雰囲気に飲まれたのか、顔を赤く染めた彼女は、何度も頭を下げながら足早に去っていった。

遠ざかる足音を聞きながら、カヲルは抱き寄せた力を緩めないまま、耳元で小さく、独り言のようにつぶやいた。
……君は、自分を少し粗末に扱うきらいがあるね」
その声は、ひどく静かで、少しだけ責めるような響きを含んでいた。
……そんなこと、ないよ。ただ、危ないと思ったから……
咄嗟に返した言葉は、自分でも驚くほど弱々しかった。
自分の体より先に、目の前の誰かを守ろうとする。それはシンジにとってあまりに当然の反射だったけれど、カヲルの射抜くような視線に晒されると、自分のしたことがとても身勝手なことのように思えてくる。
言い訳を探そうとして視線を泳がせたが、肩に回された腕の力は緩まない。
「あの……怒ってる?」
「どうしてだい?」
カヲルは穏やかに問い返したが、その瞳の奥にある温度までは読み取れない。明確な言葉が見つからず、シンジはただ黙って俯いた。
「手当てをしよう。ひどくなるといけない」
逆らえない静かな強さに促され、シンジは引きずる右足を庇いながら、彼に体重を預けて歩き出した。
「無理に立たなくていいよ。ゆっくり行こう」
いつもの色を取り戻したその言葉に、ようやく肩の力が抜けた気がした。
頼るのが苦手なはずの自分が、彼の言葉ひとつで、こんなにも自然に寄りかかれてしまうのが、不思議だった。


保健室のドアを開けると、誰の気配もなかった。
薄曇りの午後。静けさだけが部屋を満たしており、ほんのりと、消毒液の匂いが漂っていた。
この匂い、どこかで……と、ぼんやり思い出す。
冷たくて、でも嫌じゃなくて、不思議と安心する匂い。
そうだ。
カヲルと初めて出会ったとき、彼のそばでふと感じた匂いに──少し、似ている気がした。
支えられて、窓際にあるベッドの縁へ慎重に腰を下ろす。
マットがわずかに沈み、浮かせきれなかった足首にじんわりと鈍い痛みが走った。
「少し、待っていて」
カヲルはそう言って、部屋の奥へと向かっていく。
次いで、戸棚の扉が開く音。何かを探す気配のあと、蛇口がひねられる。金属の器に水が注がれ、氷がぶつかり合う音が静かに響いた。それに続いて、引き出しを開ける音と、わずかな衣擦れ。
シンジは、自分の足元にある床の木目をじっと見つめていた。
不規則に並ぶ線の重なりを、意味もなく目で追いかける。
静まり返った部屋の中で、カヲルが立てる物音のひとつひとつが、やけに鮮明に耳に届いた。
自分のために、彼が動いている。
その事実が、じわじわと胸の奥を落ち着かなくさせた。
嬉しいとか、ありがたいと思うより先に、どうしようもない申し訳なさがこみ上げてくる。
(僕なんかのために、そんなに丁寧にしないでいいのに)
喉まで出かかったその言葉を飲み込み、シンジはただ、視線を床に縫い付けたまま彼を待った。

やがてカヲルが、洗面器とタオルを抱えて戻ってきた。
シンジの足元へ静かにしゃがみ込むと、
「脱がすよ」
ひと声だけ添えて、足先に手を伸ばす。上履きのかかとを恭しく持ち上げ、ゆっくりと抜き取る。続いて、注意深く、靴下を指先でずらしていった。
冷えた空気に晒された足首が、かすかにこわばる。
カヲルは氷水に浸したタオルを軽く絞ると、シンジの足首にそっとあてがった。
布越しに伝わるひんやりとした水気。そして、それを押さえる彼の体温。
張り詰めた皮膚が、じんわりと溶かされていくようだった。
「痛むかい?」
僅かに伏せたその横顔は、昼間の光の中でも月明かりのように淡く、どこか遠い。
ふと、居心地の悪さが胸をかすめた。彼の指先が、自分の足に触れている。それがたまらなく、いけないことのように思えた。
……もう、大丈夫」
やっとのことで返した声は、自分でもわかるほど上擦っていた。
おずおずと足を引こうとした瞬間、タオル越しにわずかな圧がかかる。引き戻されるほど強くはない。けれど、その柔らかな静止が「まだここにいていい」と伝えている気がして、シンジは思わず動きを止めた。
カヲルは、洗面器の縁へタオルを戻すと、傷を負った箇所にそっと手を触れた。
ひんやりとした掌が、空気を撫でるように患部にあてられ、やがて離れていく。
不思議と、さっきまで脈打つように疼いていた感覚が、すっと遠のいた。
魔法にでもかけられたような感覚に、思わず小さく息をつく。

「貼付剤を貼って、包帯を巻いたほうがいいね」
カヲルはふっと口元を緩めて立ち上がると、部屋の片隅にある使い込まれた薬棚の前まで歩いていった。
まだここへ来て間もないはずなのに、その動作には一切の澱みがない。それを目で追いながら、シンジは「不思議な人だな」と改めて思う。
どこか遠い世界から遣わされた、全く別の存在だと言われても、きっと今の自分なら信じてしまうだろう。
そんな取り留めのない思考を、扉が開くギィ、という軋みが細く切り裂いた。
少しだけ歪んだ薬棚のガラス越しに、部屋の景色が微かに揺れる。白いカーテンの隙間からこぼれる午後の光が、天使の梯子のように床板へ降りていた。
その光の粒を浴びながら、カヲルは棚の奥から薬剤と包帯を迷いなく取り出す。そして静かな足取りで、再びシンジのもとへ戻ってくると、当たり前のようにまたその場に跪き、手慣れた様子で指先を動かしていく。
丁寧に剥がされた薄いフィルムが、くしゃりとカヲルの指先でかすかな音を立てた。
そのまま躊躇のない手つきで、熱を持ったシンジの肌へと白いシートが運ばれる。
……っ」
湿布を貼られる瞬間、冷たさに思わず肩がすくむ。
「ごめん、冷たかった?」
「ううん、平気……
やわらかく笑いながら問いかけてくる声に、鼓動が少しだけ早くなるのを感じて、シンジはたまらず顔を背けた。
自分の動揺がカヲルに伝わってしまうのが怖くて、必死に視線を泳がせる。
けれどカヲルは、シンジのそんな様子を気にする素振りも見せなかった。
ただ淡々と、剥がれないようにと湿布の端を手のひらでそっと押さえる。
(どうして、こんなにドキドキしてるんだ。ただの手当てなのに……
カヲルの指先が、肌に触れる。その当たり前のような感触に、自分だけが過剰に反応しているのがたまらなく恥ずかしかった。彼にとっては何でもない、ただの親切なのだろう。そう自分に言い聞かせようとするほど、肌に伝わる彼の体温が、熱を持って胸の奥に居座る。

じわり、と体温が伝わり、冷たさと熱さが混ざり合う。
彼は傍らに置いた包帯を手に取り、すぐに巻く作業に移る。
手際の良さと慎重さが同居する、見惚れるほど綺麗な手つき。細く長い指先が、白い布を引いて、くるくると丁寧に脚を包んでいく。
「慣れてるんだね」
「訓練で、一通りのことは教わっているからね」
「そうなんだ……
確か、彼が来る前にリツコから聞いた。とても優秀なパイロットだと。きっと幼い時分から、徹底した教育を受けてきたのだろう――あのアスカと同じように。
病床に臥せる同居人の虚ろな顔が脳裏をよぎり、シンジは言葉を失ったまま、カヲルの白い指先をただじっと見つめていた。
……これで、よし」
カヲルは指先で結び目を押さえ、満足げに微笑んだ。
その笑顔があまりに無邪気で、それがかえって、シンジの胸の奥にある澱(おり)のようなものを、深く沈ませていく。
「本部へ戻ったら、きちんと医務室へお行きよ」
残った包帯をまとめ直しながら、カヲルは静かに言った。
……うん」
頷いた自分の声が、妙に頼りない。
それでも、肌に残された彼の温度だけは、たしかにそこにあった。
ただ、それがあまりにも自然で、やさしすぎて。
どうしようもなく、切なかった。
──他人の手に、こんなふうに優しく触れられたのは、初めてかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥に得体の知れない熱が広がった。
アスカに取って代わるように現れた彼への、複雑で、ひどく身勝手な感情。
それが、自分自身にさえ制御できないものかもしれないという予感に、シンジは静かに息を詰めた。