桐子
2026-04-07 00:30:46
2677文字
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ルミナス⑭



指定された店につくと、大物俳優の藻部田だけが来ていた。
「悪いね。監督、来れなくなっちゃったって」
「ああ、そうですか」
内心がっかりしたが、顔には出さない。藻部田が「なんか飲む?」と聞いてきたので、水木はビールを注文した。
「いい店ですね」
Mと二人だけというのも珍しいので、きょろきょろと辺りを見回してしまう。メニューも豊富で、酒の種類も多い。料理の盛り付けにもセンスがあったし、客層もいい。
「そうでしょ?前にね、O監督に連れてきてもらったんだ」
「へえ」
O監督は藻部田のことがお気に入りだ。時代劇や大河ドラマでよく起用されており、プライベートでも二人で飲みに行くような仲らしい。
ビールと突き出しが運ばれてきたところで、藻部田はいつものように、いかに自分が若い頃苦労をしてここまできたかを語り始めた。まあいつものことなので、水木も適当に相槌を打って流す。食事がメインの店ではないらしく、出てくるのは酒のつまみになるものばかりだ。
「ね、水木くんさ」
しばらく飲んだところで、藻部田が聞いてきた。
「最近、やけに色っぽくなったじゃないか。彼氏でもできた?」
ハラスメントが取り沙汰されているこのご時世に、よくそんなことが言えるものだ。だが、大先輩に対して咎めるようなことも言えず、へらへら笑ってかわすことにした。
「なに言ってるんですか」
「わかるよ。演技も艶が出てきたし……この腰なんて、なかなかそそられるじゃないか」
肉厚な手が、腰を撫でる。その感触につい反応してしまった。ゲゲ郎にも撫でられたことを思い出したのだ。
「冗談がうまいですね」
水木は笑って、無遠慮な手を軽くはらった。トイレに行くふりをして、その場を逃れる。洗面所で手を洗い、ついでに顔も洗った。鏡の中の自分をじっと見つめる。びしゃびしゃに濡れているものの、映るのは見慣れた顔だ。
気分を切り替えて戻ると、藻部田は「悪いね、少し酔ったみたいだ」と朗らかに笑った。さきほどまでのセクハラおやじの顔は、きれいさっぱり消えている。ホッとして、飲みかけのビールを飲み干した。

酒には強い方だが、今日はどうしてか酔いが回る。途中で勧められるままに、ウイスキーやワインをちゃんぽんしてしまったのがよくなかったのもしれない。水木はふうっと息をついた。
「水木くん、大丈夫?」
「はい……
大丈夫と答えようとしたが、うまく頭が働かない。ぼんやりしているうちに、藻部田が素早く会計を済ませるのが視界にうつった。
「ありがとうございました」
覚束ない足取りで店の外に出る。タクシーを待たせておいてくれたようで、二人で乗り込んだ。どうして藻部田まで乗り込むのだろう、水木は自分のマンションへ帰るだけなのに。
「住んでるの、北の方だったよね。住所言える?」
「あ……はい、」
タクシーの運転手に自宅の場所を伝えると、すべるように車が動き出す。
「心配だから送っていくよ」
……そんな」
「いいよいいよ。遠慮しないで」
遠慮ではなく本当に嫌だったが、そんなやり取りをしている間も、頭がぐらぐら揺れていた。目を開けていられない。
「着くまで、寝てていいよ」
遠くから聞こえる声、眠りへの誘惑は抗いがたく、水木は目を閉じてしまった。あっという間に意識が闇の中に吸い込まれてしまう。何かおかしいと警鐘を鳴らす声もかき消され、水木は泥のような眠りに引きずり込まれていった。


「水木くん、ついたよ」
一瞬目を閉じただけなのに、もうマンションへ着いたようだ。財布を取り出そうとしたのに、指がうまく動かない。藻部田は運転手に札を何枚か渡して「釣りはいらない」と言い水木のことをタクシーから引っ張り出した。
「水木くん、ほら、しっかりして」
「ん……
肩を支えられながら、なんとか足を動かす。オートロックを開け、エレベーターに乗り込む。どうして藻部田がついてくるのか分からない。分からないが、強烈な眠気に抗えずにそのまま部屋まで来てしまった。
「ほら水木くん、鍵出して」
「かぎ……
もたもたとポケットを探ろうとしたが、うまくできない。藻部田が勝手に漁り、玄関を開けてくれた。そして、水木の体を部屋の中へと押しやった。
ガチャン、と硬い音を立ててオートロックが閉まった。藻部田はドアを背にして立っている。
「ベッドはどっち?」
「も……ここで、いいです」
「そうはいっても、心配なんだよ」
腕を引かれて、寝室まで連れていかれた。そのままベッドに押し倒される。藻部田がのしかかってきて初めて、とてつもなくまずい状況なのではないかと気が付いた。
「藻部田、さん?」
「いや、まいったね。こんなに簡単に男を家にあげるなんて、もしかして君もそのつもりだった?」
藻部田は水木のシャツの裾から手を滑り込ませ、体を撫で回した。一瞬で酔いが醒めた。
「ちょっと……やめてください!」
「さっきから誘ってたでしょ?あからさまな態度だったし。水木くんほど綺麗なら男でも大歓迎だよ」
「あんた酔ってるだろ!やめろ!」
藻部田の体をはね除けようとしたが、びくともしない。随分年上のはずだが、殺陣などの激しい動きを得意とする藻部田の体は筋肉質で、水木の抵抗などものともしなかった。
「ふざけ、るな!」
藻部田の手がベルトにかかった。カチャカチャという金属音が耳に刺さる。
「おとなしくしていれば、O監督に話をつけてあげるよ」
れろぉ、と首筋を舐めながら、藻部田が言った。水木は抵抗する手をぴたりと止めた。O監督の作品に出られる。喉から手が出るほど欲しくてたまらなかったものだった。映画どころかテレビにだってなかなか出られないのだ。O監督の映画に出ることができれば、あるいはこの状況が変えられるかもしれない。
「そう、いい子だ」
水木の抵抗がやんだことに気をよくした藻部田が、にんまりと笑った。手が下肢へ伸び、下着の上から撫でられて腰が震えた。こんな男にいいようにされるなんて絶対に嫌だと思う気持ちとは裏腹に、体は勝手に反応してしまう。
「ッ、ん」
「可愛いね、水木くん。初めてかい?」
藻部田の唇が耳を食み、厚い舌が耳の穴へ差し込まれた。たったの数時間我慢すれば、O監督の映画に出演できる。ほんの少し我慢するだけだ、大丈夫、大丈夫だ――――必死に自分にそう言い聞かせる水木の耳に、カタッという物音が届いた。そちらに視線を向ける。

目が、合った。

ゲゲ郎はドアノブに手を置いたまま、呆然とした顔をして立ちすくんでいた。