三学期が始まって間もない、ある日の放課後。宗真は、部活が休みだったヨツダを自宅に招いていた。冬休み明けの実力テストに向けた勉強会
――という名目ではあるが、宗真にとっては、ただヨツダと遊ぶための口実にすぎない。
「なー、勉強なんてもういいから、ゲームやろうぜっ」
そう言って、わざとらしくヨツダの方へ倒れ込む。すでに交際している二人にとって、この程度のスキンシップは珍しいものではなく、ヨツダも今さら動揺することはなかった。
――それが、宗真には少しだけ面白くない。
「いや、集中力切れるの早すぎだろ
……あれ」
ふと、道場の方から竹刀を振る音や足音が聞こえてくる。
「お姉さん、今稽古中?」
「多分そう。ごめんな、響姉がうるさくて
……」
「いや、気にしないけど。ていうかお前に至っては勉強してないし。ただ、ちょっと懐かしいなと思って」
「あー。お前、一瞬だけうちで剣道習ってたよな」
――それは、二人が小学四年生の頃。仲良くなって、半年ほどが経った頃のこと。
当時のヨツダは、今よりも前髪が長く、どこか内気な性格をしていた。
「宗真って、運動会できていいな
……」
「まあ、稽古で鍛えられてるからな」
「稽古って
……剣道の? おれも、強くなれるかな」
「
……やめといた方がいいぞ? 父ちゃんの稽古、ほんとキツいし、誰か入ってもすぐやめちゃうし
……」
それでもヨツダは、少しだけ勇気を振り絞るように言った。
「でも、やってみたいかも。一緒に稽古したら、放課後も宗真といられるし」
当時の宗真は、次期当主として父・宗二から放課後や休日の稽古を課されており、誰かと遊ぶ時間はなかった。
――たとえ、それが唯一の友達であるヨツダであっても。
「そ
……そっか! じゃあ帰ったら父ちゃんに頼んでみる!」
「うん、約束だよ!」
「ああ、約束!」
そうして二人は、小さく笑い合いながら指切りを交わした。
翌日の放課後、道場にて。
「宗真から聞いたぞ。吉田くん
……だったね。君も月城流に興味があるなんて嬉しいよ。じゃあ、始めようか」
「はいっ!」
そうして宗二による稽古が始まった
――のだが。
「な、なにこれ
……しんど
……」
わずか三十分も経たないうちに、ヨツダはその場に倒れ込んだ。
「大丈夫かっ!? おい父ちゃん、初日から飛ばしてんじゃねえよ!」
「す、すまんすまん
……!門下生が増えたのが嬉しくて、つい
……!」
「お、おれは大丈夫なんで
……」
「いやもう大丈夫に見えねえよ! いいから休んでろ
……あとさ」
「?」
「前から思ってたけど、お前、前髪長くね?」
宗真が何気なく手を伸ばし、その前髪に触れる。突然のことに、ヨツダはわずかに目を見開いた。
「な、なんだよいきなり
……」
当時のヨツダは大人しく、少しいじめられがちなところがあった。宗真と一緒にいるようになってからは落ち着いていたものの、人と目を合わせるのは苦手なままだった。前髪が長ければ、その視線を避けることができる
――だから、ずっと伸ばしたままにしていたのだ。
「
……本気で稽古すんなら、切った方がいいかもな」
「おい宗真、何サボってるんだ。早く準備しなさい」
「わ、わかったよっ!」
その日の夜。ヨツダはタブレットで動画を見ていた。検索したのは「前髪 切り方 セルフカット」。表示された動画を頼りに、見よう見まねで前髪にハサミを入れる。
だが使っているのは工作用のハサミ。しかも手先が不器用な樹少年の仕上がりだ。結果は
――言うまでもない。
翌朝、案の定、ヨツダは母親からこっぴどく叱られた。整える時間もないまま家を飛び出し、通学路では帽子で必死に隠していたのだが
――
「おはよっ!
……あれ、なんで帽子被って
……?」
宗真に後ろから声をかけられ、思わず振り返る。
「あ! 前髪スッキリしたじゃん!」
「いや、でも失敗して
……お母さんにも怒られたし
……!」
「あ、ほんとだ。よく見たら変だわ! あははっ」
「変、だよね
……早く伸びないかな
……」
肩を落とすヨツダに、宗真は少し考えるようにしてから言った。
「でもオレは、前髪短い方がいいかなー」
「稽古の邪魔、だから
…?」
「それもあるけど。お前の顔、よく見えた方がよくね? 前髪長いとさ、セサミストリートに出てくる犬みたいで、何考えてるか分かんないし」
思わず、ヨツダは吹き出した。
「ぷっ! 犬って
……」
「今度は床屋とかでちゃんとやってもらえよ」
「
……うん、そうする。でも、ごめん。稽古はちょっと辛かったから、昨日限りにするよ」
その言葉に、宗真は一瞬だけ寂しそうな顔を見せた。けれど、ヨツダはそれに気づかない。
「
……だよな。あれは人間がやることじゃないわ。いや、オレ人間だけどな?」
(でも、いつかは宗真と一緒に稽古できるように。少し体力つけようかな。前髪も、見栄え良くして
……)
それからというもの
――ヨツダは改めて前髪を整え、度の強い眼鏡もコンタクトに変えた。おどおどとした話し方も少しずつ改めていく。二学期にはあえてクラス委員に立候補し、人前で話す機会を増やしながら、少しずつ自信を身につけていった。
舐められないようにと意識して変えた口調は、いつしかやや無愛想な印象を与えるものになってしまったが
――それでも。
一緒に稽古をすることは叶わなかったけれど、宗真の友達として恥ずかしくないように。
吉田樹は、少しずつ変わっていったのだった。
――そして現在。
「稽古はすぐやめちゃったけど、そういえばあの後、結構イメチェンしてたよなー、お前」
「今のお前ほどじゃないだろ
……」
「や、女になったのは呪いのせいだから! イメチェンじゃねえから」
(でも
……昔みたく舐められなくなったのは、こいつのお陰なんだよな)
「
……ありがとな」
「な、なんだよ急に! なんか下心か?
……あ、もしかしてオレのムネ触りたいとかか!? まあお前はカレシだしいいけど
……」
「
……そういうんじゃなくて。俺
……お前のお陰で変われたみたいなとこ、あるからさ」
宗真は一瞬きょとんとして、それからいつもの調子で笑った。
「あ、可愛いオレと並んでも恥ずかしくないように垢抜けたってことか? いやー、可愛くてごめんな?」
「
……ほんと、おめでたい奴だな。まあ、そういう事にしとくわ」
「なんだよー!」
あの日の小さな約束は、形を変えて、今も二人を繋いでいる。
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