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ねぶくろ
2026-04-06 20:23:00
3564文字
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毒を以て毒を制す
仲間に小言を言われるSSです
「飼い犬のしつけは飼い主の役割じゃないのか?」
問いかけられて、
世菅
よすが
晴
はる
は目を瞬いた。話しかけてきたのは、同じ組織に属する男だ。彼は、残り火にも似た橙色の瞳をこちらに向けつつ、疲れたようにネクタイを緩めた。断りもなく晴の居室のソファに腰を下ろして、足を組む。しばらくは居座る気なのだろう。彼は息を吐いて、背もたれに身を預けた。
「お前が引き入れたんだ。手綱くらいしっかり握っておけ」
小言を受けて、軽い笑みを返す。晴は膝の上に開いたノートパソコンの画面に視線を戻すと、キーを叩きながら「噛まれたの?」と揶揄うような声音で問いかけた。残っていた作業を手早く終わらせ、目線を持ち上げる。彼は、何か言いたげな顔でこちらを見ていた。パソコンを閉じて、小首を傾げる。
「仲が良くていいじゃない。あの子は君のこと慕ってるよ。じゃなきゃ、噛み付くようなじゃれ方はしない」
「仲がいい?」
不本意そうに片眉をあげて、彼が言う。「時々二人でご飯に行ってるんでしょ。聞いてるよ」と返せば、彼は眉間にしわを寄せて懐に手を突っ込んだ。内ポケットから煙草の箱を取り出して、慣れた仕草で箱の底を叩く。遠慮するそぶりも見せずに喫煙を始めた彼は、紫煙を一つ吐き出して、言葉を無造作に投げてよこした。
「俺があいつの面倒を見る義理はない。分かってるのか?」
咎めるような眼差しがこちらを睨む。その圧力を受け流すように笑みを深めて、晴は膝の上に乗せたパソコンの蓋へ視線を落とした。室内灯の光を返して銀色に輝くマシンの表面を撫でながら、思考を巡らせる。数秒の間をおいて、晴は彼へと言葉を返した。
「そう言う割に、面倒見がいいよね。君のそういうところは、素直に尊敬してるよ」
僕には真似できない、と呟けば、彼はその言葉を蹴り飛ばすような荒々しさで鼻を鳴らした。顔を上げれば、こちらを見据える残燭の色と視線が交わる。彼は煙草を手に、毒素を吐き出して悪態をついた。
「揃いも揃って、無責任な野郎どもだな」
俺を何だと思ってるんだ、という言葉を微笑と共に受け流す。ひどい言い方、とわざとらしく零せば、彼が煩わしそうに目を細めた。彼は面倒見の良い男だが、晴に対しては時に酷く辛辣で、意図的に干渉を避けている節がある。──どうせ言っても聞かない、と思われているのだろう。その通りなので、晴からもその対応に何かを言うことはしない。
晴は立ち上がってノートパソコンを仕舞い、お茶を淹れるために電気ケトルに水を注いだ。スイッチを入れて、立ったまま彼を振り返る。
「僕が無責任だなんて、今更じゃない? それに、それで君に迷惑をかけた覚えはないけど」
嘯いた言葉に、舌打ちが返る。彼はテーブルの上の灰皿を手元に引き寄せて灰を落とすと、足を組み直した。家主に一切の遠慮をしない、──どころか、自身が家主であるとでも言うかのような堂々たる振る舞いに、苦笑が零れる。こちらの呆れなど歯牙にもかけず、彼は紫煙を吐き出し、言葉を紡いだ。
「お前は誰かに迷惑をかけても、知らぬ存ぜぬを押し通すだろ。俺に面倒を押し付けて、傍観を決め込む」
じ、と彼がその双眸をこちらに向けた。蝋燭に似て明るい眼差しが晴を映して、彼が言う。
「
……
言っておくが、俺はお前のやり方を容認したことは一度もない。ただ、自分の身に火の粉が降りかからないように払っているだけだ。それは分かってるのか?」
幼い子供に言い聞かせるような物言いに、思わず笑みが零れた。カップを用意し、ティーバッグの封を開ける。カチリと音を立てた電気ケトルを手に取って、カップに沸いたばかりの熱湯を注ぎながら、晴は「分かってるよ」と言葉を返した。煙草の重さが支配する室内に、煎茶の香りが立つ。湯気と共に立ち上るほろ苦さに目を細め、晴は彼を見ないまま言葉を重ねた。
「口ではそう言っても、君がいざという時にあの子を切り捨てられないこともね」
返答はない。その事実に小気味よさを感じながら、彼を振り返る。図星をつかれて動揺したのか、それとも単に、晴の言葉を否定できるだけの材料がないことが不本意なのか、彼はその視線を灰皿の縁へと向けていた。
不貞腐れたような態度は、晴の目からすれば可愛げだ。彼は組織の中でも韜晦している方だが、それでも生来持ち合わせている気立ての良さを隠しきれてはいない。──だからあの子も慕うんだろうな、と小さく笑う。
晴は空になった電気ケトルを台座に戻すと、煎茶の入ったカップを手に席へと戻った。彼と相対する位置でゆったりと足を組み、湯気の立つ水面に息を吹きかけながら問いかける。
「君だってあの子のことは評価してるんでしょう? 危機管理能力はともかく、ハッキングの腕は一流だからね。代わりを見つけるのは骨が折れる。君が文句を言いつつあの子の面倒を見ているのは、ただの慈善事業じゃない。それくらいわかってるよ」
執り成しの意も含めて伝えれば、彼はため息を吐いた。短くなった煙草を灰皿に押し付けてもみ消し、軽く舌を打つ。苛立っているというよりは、気の重さや億劫さを感じているといった様子で、彼は二本目の煙草をくわえた。──晴の体調を気遣う素振りを見せないのは、わざとだろう。
ライターに火を灯し、彼が息を吸い込む。ジリ、と煙草の先が灰へと変わり、室内に立ち込めている煙の苦さが密度を増した。彼の呼吸に合わせて、視界が煙る。こほ、と一つ咳をして、晴は目の前の空間を手で仰いだ。反射的に、体が清涼な空気を求めて息を継ぐ。途端に肺に突き刺さるような痛みを感じて、晴は彼を睨みつけた。悪びれる様子もなく、彼は紫煙と言葉を吐き出した。
「それならお前は、俺があいつを殺す可能性も承知してるんだな?」
彼が、試すようにこちらの目を覗き込む。
感情の見えないまっさらな表情。魔除けの火を思わせる澄んだ双眸。揺らぐことも、逸らされることもない視線を受けて、晴は丁寧に口角を持ち上げた。手にしたカップを両の手で包んで、余裕ありげに小首を傾げる。ゆっくりとした動作と共に、晴は怯むことなく彼の目を見返した。見つめ合い、──相手が一歩も引かないことを確かめてから、口を開く。
「頼りにしてるよ」
予想外の言葉だったのか、彼が訝しげに眉根を寄せる。その反応に、晴は愉快な気持ちを隠すこともせずに笑みを深めた。焦らすように、カップの中のお茶を飲む。頬に流れた髪の毛を耳に掛けて、晴はゆっくりと言葉を重ねた。
「僕じゃ、あの子に敵わないもの。いざというときは君がトドメを刺してね。
……
僕にはそれが出来ないし、やりたくもないんだ」
「開き直るなよ」
顔をしかめて、彼が息を吐く。呆れか、嫌悪か、はたまたそれ以外の感情か、彼は目を伏せると煙草を口元に運んだ。少し汚れた灰皿の上へと視線を向けて、背もたれに体重を預ける。晴は、自嘲するような笑みと共に言葉を重ねた。
「幽霊なんて、そこにいるだけで役に立たないものだよ、それに引き換え、君は悪魔だ。人の魂を地獄へ運ぶのは悪魔の領分でしょう?」
信じてるからね、と言い募れば、彼は目を細めて煙草の灰を灰皿の上へと落とした。抵抗のつもりか、その目がこちらを向くことはない。──俎上に載せられた『犬』と似た仕草に、思わず笑みが零れる。なんだかんだ言って、彼らは仲が良い。飼い主の役は、自分よりもむしろ彼の方が似合いだろう。その内、顔立ちや思考までも似ていくのかもしれない。
他人事のように考えていれば、彼は疲れたように息を吐いて、目を上げた。尖った光がこちらを射抜いて、刺すような声が耳朶を打つ。
「約束を破るのも悪魔の領分だ。
……
お前が何を言おうが、望もうが、俺は俺のやりたいようにしかしないぞ」
その言葉に、やっぱり似ているな、と自制よりも先に唇が弧を描くのを感じた。彼とあの子はよく似ている。──わざわざ「自分を信じるな」と釘を刺すのは、彼らが、晴にはないある種の優しさを持っているからだろう。そういうところが、愛おしくて、好ましい。
愉快な心地で目を細め、晴は「ほらね」と、揶揄うような声音で彼へと笑いかけた。
「君はそうやって念を押す。
……
わざわざ言葉にする必要なんてないはずなのに」
約束を破ることを告知するなんて『悪魔』らしからぬ誠実さじゃない? とつついてみれば、彼は心底煩わしそうに眉根を寄せた。それから、嫌がらせのように紫煙を吐き出す。空気を汚した煙の重さに咳をしてから、晴は負けじと言葉を重ねた。
「絶対を保証しないのは、優しさだと思うよ。だからあの子も君に懐いたんだろうね」
笑って告げれば彼は舌を打ち、やや乱暴に吸い殻を灰皿へと押し付けた。
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