2026-04-06 20:07:27
3552文字
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こいするふたりですることぜんぶ

至って普通のデートをする二人/堀鐔

 断りもなしに人の自室へ持ち込んだビーズクッションとやらに座り、我が物顔で寛いでいた化学教師が意を決したようににじり寄ってくる。
「ねぇねぇ、黒たん先生」
……なんだ」
 夕食後から何やらそわそわしていると思ったが、今度は一体何を企んでいるのか。気乗りしないと思っているのは事実なのに、それでもこの硝子玉のような目で見つめられるとつい聞き返してしまうのが常だった。
「これ! これ見て!」
「近すぎて見えねぇよ!」
 ずいと勢いよく鼻先に突き付けられたのはファイの携帯だ。細い腕を掴み画面を遠ざけ、改めて内容を確認する。映っているのは、ここからそう遠くない場所にある複合商業施設で行われているという展示の案内だった。
……『宇宙を巡る写真展』」
「すっごく面白そうじゃない? 最新の設備で宇宙旅行体験もできるんだって! 黒様先生も一応教員なわけだし、専門外とはいえ勉強になると思うなー、一緒に行きたいなー」
「一応は余計だ」
 吸い込まれそうな濃紺に数多の光が散った、いかにも「宇宙」といった写真が目に入る。学びがあるのは確かだろう。だが黒鋼が個人的に興味を持てるかと聞かれれば、答えは明確に否だった。そもそもこの複合施設にしたって、併設されている競技場へスポーツ観戦に行った覚えしかない。
「弟と一緒に行けばいいじゃねぇか。あっちもそういうの好きなんだろ」
 そう返しながらも目的地までの交通手段について一瞬思考を巡らせたのは、ほとんど条件反射のようなものだった。画面から視線を上げると、遮るもののない硝子玉がじっとこちらを見ている。
……オレは黒るんを誘ってるのに?」
 その一言に即座に答えられなかった時点で、己の負けは決定的だったのだろう。

 渋々頷いた黒鋼に、ファイが大げさなほど喜びを露わにする。満更でもない気持ちが湧き上がるのと同時に、自分自身に呆れを覚えた。惚れた弱みなんて言葉は使いたくないが、これに甘すぎる自覚はある。
「車出すか」
 頷いてしまったものは仕方がない。近場とはいえ車の方が色々と便利だろうと提案したが、予想に反して科学教師は首を横に振った。
「実はもう一つ、とっておきの情報があるんだよねぇ」
「碌なことじゃなさそうだな」
「あー、黒様先生ってばそんなこと言っていいのかなー?」
 したり顔で再びこちらに向けられた画面に目を遣る。そこには同じ敷地内で開催されるという、日本酒を中心とした試飲イベントの詳細が記されていた。なかなかの規模らしく、黒鋼の地元にある蔵元を含め普段滅多にお目にかかれないような銘柄が並んでいる。
「なっ……
「黒ぴっぴ先生がどうしても禁酒して、安全運転でオレを連れていきたいっていうならそれに従うけど……
「なんで最初にこっちで言わねぇんだ、まどろっこしい真似しやがって」
「だってそれじゃ黒たんがオレとのデートに頷いてくれたのか、ただお酒に釣られたのかわかんないじゃん」
……
 咄嗟に反論の言葉が出ず、黒鋼は押し黙った。
「ほらねー。でもまぁ写真展にも付き合ってくれるつもりだったから、今回は許してあげる」
 ファイは携帯を机に置くと、上目遣いで黒鋼の顔を覗き込んだ。
「ね、せっかくのデートだから、駅で待ち合わせしようよ」
「待ち合わせも何も出発地点がほぼ同じじゃねぇか」
「時間は十時でいいかな? 駅前のうしゃぎさん像の前に集合で」
「話を聞け」
「当日のオレは残念ながらやむを得ない事情により諸々のトラブルが起きます。そして慌てて十時十五分に到着します」
「事前に遅刻の予告をするな」
「そしたらオレが『ごめん、待たせちゃった?』って聞くから、黒たん先生は優しくそれでいて包容力たっぷりに『いや、今来たところだ』って言ってね」
「こっちも遅れてんじゃねぇか」
「お決まりのセリフなんだから細かいこと言わない!」
 散々無茶を言いつつも機嫌の良さそうなファイを見つつ、黒鋼は大きく息を吐いた。



 約束の日、待ち合わせを受け入れる代わりに遅刻はするなと伝えた甲斐あって、化学教師はいつも通り定刻の少し前に現れた。ただでさえ危なっかしい相手に要らぬ心配をかけられることもなくほっとする。小奇麗な私服に身を包んだファイは黒鋼の元に来ると、いたずらっぽく微笑んで「待った?」と尋ねた。誘導されたようで癪だが事実ではあったので、素気なく「今来たところだ」と答える。蒼い瞳が一層嬉しそうに細められ、細身の身体が黒鋼の隣に納まった。肌が触れるほど近づかないとわからない程度に、休日だけつけているという香水の匂いがわずかに鼻を掠める。
 初めに足を運んだ写真展は、率直なところ思いのほか面白かった。時々横から簡潔な解説を付け加える化学教師の影響があったことは否定しない。当の本人も目を輝かせ楽しそうに展示を見て回っていた。普段は理事長と結託し騒動ばかり起こしているが、最大限好意的に解釈するなら、あの小さな頭には常識にとらわれない発想が詰まっているとも言えなくもない。
 人目を惹く蒼い双眸を通した世界がどんなものであるか、気にならないと言えば嘘になる。とはいえ黙っていれば悪くない見た目の、実際に動き出すとあまりにもいい加減で手がかかって仕方のない中身をひっくるめたのが、ファイという人間だった。本人の視界を得るなどぞっとしない。こうして隣で見ているくらいがちょうどいいのだろう。展示スペースの最後に配置された売店で、真剣に商品を吟味している後ろ姿を見ながら、黒鋼はそんなことを思った。

 軽く昼食を済ませたのち、いよいよイベント会場へと向かう。ドーム状の建物内部は多くの人で賑わっており、この人混みにおいてただでさえふらふらとしている化学教師を連れ歩くのは不安しかなかった。最終的に迷子のアナウンスを依頼する羽目になるよりはマシだ。黒鋼は早々に腹を括って、連れの手首を掴んだまま進むことにした。
 案の定ファイは気になるものを見つけて立ち止まったり売り子の呼びかけに応じたりと、こちらとはぐれる才能でもあるのかと言いたくなる状態だった。それを思えば正しい選択であったことは間違いない。
 いくら日本語が流暢でも相手は一応他国の出身だ。写真展の礼というわけではないが、黒鋼の知る範囲で日本各地の特徴について説明しながら会場を回る。試飲を重ねお互いの好みに合った酒を購入しつつ、思う存分場を満喫した。車であればもう少し荷物を増やせたが、さすがにこれ以上の贅沢は言うまい。



 行きよりも随分重くなった荷を手に駅まで戻る道すがら、ファイが妙に改まった態度で切り出した。
……さて黒様、名残惜しくも今日のデートもそろそろ終わりの時間が近づいてきましたが」
「帰る場所はほぼ一緒で、そもそもおまえ俺の家で夕飯食ってく気満々だっただろうが」
「まぁねー、でも最後に帰る部屋は別でしょ?」
「当たり前だ」
「はぁ、恥ずかしくてとても口には出せないけど、まだ黒たんと一緒に居たいなぁ。寂しいなぁ……
「思いっきり口に出してるじゃねぇか」
「あーあ……
…………
 ファイは頬に揃えた指先を当て、物憂げにため息をついている。伏せられた睫毛がまばたきと共に動いた。中身を知らないままこの黙った姿を見れば、思わず声をかけたくなる雰囲気が出ていなくもない。ただ実際はわざとらしい演技であり、もう片方の手には酒瓶の入った袋を手にしているうえに、持ち切れなかった分はこちらに持たせた挙句、大層馬鹿らしいことを言い出している黒鋼の同僚兼恋人である。

…………
…………おい」
「なぁに?」
「このあとうちに来い。それから、今日は帰らねぇって弟にも連絡しとけ」
「わ、黒たんってば大胆……!」
「言ってろ」
「えへへ、冗談だよー。ユゥイにちゃんと連絡しとくね」
 あっという間に片手で携帯を操作し終えたファイは、上機嫌で黒鋼の腕に飛びついた。そのまま擦り寄ってくるのを引きはがさなかったのは、戦利品で既に手が塞がっているせいであって、何も他意はない。
 家主を差し置いて冷蔵庫の中身を事細かに思い出すファイが、今晩の献立について案を練っている。黒鋼は適当に相槌を打ちながら、ベッド脇にある引き出しの中の在庫を思い返していた。
 酒精のせいか、朝よりも体温に馴染んだファイの香りがする。変わり者のこいつと、それに付き合う変わり者かもしれない己だろうと、恋人同士の行き着く先は、まぁいつの時代も大して変わりがないのだった。 

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「デートをする堀鐔黒φ」
リクエストありがとうございました!