[天狗二体のあい立つ地にて]
大切な人達に、先立たれている。皆を差し置き、僕一人だけが、幸せを得るなど。然様なことは、到底、看過し得ないのだ。僕一人だけが、幸せになど。なることを、僕は、自身に到底、赦し得ぬのだ。ずっと、そう思ってきた。この生果てるまでそう在るだろうと、貫徹すべきものとして、思ってきた。
「
……、
…ねえ、諸伏警部
…僕、あなたとこうして出逢うことが出来て、ほんとうにもう、うれしくなっちゃってうれしくなっちゃって、幸せで幸せで、ほんとうに、仕方がないんです」
ああ、弟の幼馴染みよ。向日葵畑で笑むきみよ。県境の事件で出逢った僕に、そのきっとぬくい体温を、きみは、移しゆくのだろう。誰もに郷愁じみたなにかに、ぼくの
縁を、じわりと融解しゆくのだろう。到底、僕自身に赦し得ぬはずの、僥倖を。暁光として、ああ、ぼくの生に、ああ
…誰もを涙ぐませるほどの心地で、ああ、きっと、結い付け、織り込んでゆくのだろう。たとえば誰もがいつか覚えた童謡の、きっと、いつでもそうさせるように、ああ。
直ちにはことばを返せなかったのが、言い淀んだでなく、そのなにかを、かみしめ、自身にゆるすことを受け入れるための、転回の結び目であることを。僕は、即時的に理解していた。転回の為の、プロセスなのだと理解していた。彼程赦せなかったはずのものを、ああ、僕は自然、受け止める方角に、向いているのだ。それは、学者が天動説から鞍替えする時のそれではないように思えた。歴史という視座で鳥瞰したときの、世の中の変化を、流れとして解するそれに近く思えた。
ぼくは、山村警部に、ようやく言葉を返す。感情よ、先刻から僕の自我を離れ、端々に滲んでいるようだが、ぼくは、それに他人事で居て己を赦し得るというのだな。
「
………、
……そう
…、
…ですか
…… ……私も
…、
…ええ、他でもない、貴方と
…、こうして、
…出逢えたこと
……、
……心より、
…嬉しく、思いますよ
……」
「わぁ
…!
…えへへ、ほんとですかぁ~、やったぁ」
くちもと、ややにこりと笑んで、目元はそのあかつきに、細まるのだ。堰よ、せめてどうか、切れてくれるな。ほわほわ笑む目の前の年下よ、ぼくをこの郷愁で、きみはきっと塗り替えて、しまうのだろう。
***
ドライブを兼ねたそれが、一般にデートと言えるものになりつつある、頃のことだ。
「
……、
…ねえ、たかあきさん
……」
どきりと、心臓、警戒ぶるくせ、僕も随分貪欲になったもので、彼の言葉を遮りはしなかった。
こいびと同士と言うには浅く、然れど、仕事の付き合いでも到底なく。単なる弟の幼馴染みとしてでもない交流が、僕は、きらいではなかった。助手席を彼のリザーブにしてもいいと、思う程度にはそれを楽しみとしていた。
続く言葉を、車窓に流れる
星夜景のなか、静かに聴く。愛車のエキゾーストノートより馴染んだ錯覚さえするなにかを、光と感じながら、傾聴するのだ。彼にすっかりとほぐされた“高明”の輪郭は、随分と、ああ、もう随分と、変わったものだなあ。
「
…えへへ、
…ボク、あなたと、こうして、過ごせて
……すっごく、
…幸せ、なんです。きっと、このほしぞらの下で、同着はいっぱい居るでしょうけど
…、一等賞を、ヨユウのダントツで、勝ち取れちゃうくらいに」
ああ、耳はアンバランスに、その
幸音に時差で満たされゆくのだ。それを余韻と感じるほどに、僕は、それに甘んじている。
「
……っ
……、
…そう、ですね
……きみ
…と
……、
……きっと、
…景光も
……、
…同着だと、いいのですが」
「むむぅ。それは、モチのロンでそーですケド
…ぼくとしましては、あなたにも、同着で、居てほしい所存でしてね
…だから、
…ええ~っと、そのォ
……」
ああ、その一縷よ、ぼくはそれが救済の糸と承知で、それを自ら切りはしないのだ。
「
……コホン!
…うん、ぼくは、たかあきさんにも、世っ界一、いや、宇宙一! 幸せで、居て、ほしいんです。同着は、い~っぱい居て、構いませんから
…あなたにも、一等賞の幸せで、居てほしいんです。
……だから、その
…、
……ボクと、居ることが
……あなたにも、その助けで、あったらいいな~、なんて
……、おもっちゃったり、
…なんかしてェ~
…えへへ
…」
ああ、ぼくは、ああ、その決定打を、いよいよ、受け止める。
「
…っ
……、
………
………きみ
…、が
……、
…ぼく、の
……、
…そう、で、
…在る、
…ことで
……、
…もし、も
……」
ああ、横殴りの煌めきよ、ぼくをあえて遮らぬそれに、甘えてもいいのだね。
「
……っ
……、
……もし、も
……ぼく、が
…、
……そう
…で
…、
…在る
……、こと、で
………きみ、も、そう、
…あれる、なら
………、
…っ
…」
ああ、堰は、言い切るだけ赦さぬ横着者だ。彼はその水流すべて汲み上げ、決壊をまもるのだ。
「っ、モッチロン、あなたが一等賞の幸せならっ、それが僕にとっても、だれより一等賞の幸せですっ! あっ、もちろんあなたとは、同着ですけど
…おんなじ、幸せの位置に
…これからも、
…もしも、
…一緒に、居られたら
……、僕、だれより有頂天で、天狗より羽衣の天女よりずうっとずうっと高く、昇ってっちゃうと思います」
――ああ、そうか。そうだったんだ。
僕は、彼と逢うまでずっと、自身に幸せなど、赦せず居た。景光のスマホを見た際も、それが死を暗示すると解するが妥当と判断したが、それは、肉親としての情や祈念を潜在さえ禁じるための自戒だった。かつて友について信じたそれとはまた、ケースが違うのだ。それは、刑事として在るべき客観に、等しく身を置くと言うよりも。厳しく、情に判断揺るがされぬよう、戒めていたのだろう。信頼とはまた、別の事柄なのだ。祈りなど、表層化してはいけぬのだ。自分だけが、幸せでなど居てはいけないのだ。そう、思っていたようだ。それは、弟の幸せや生存を祈念することそのものとは全く別の事物だった。あのスマホの状況から、そして届けられた意図について、妥当性の高い推論をした時。そこに生存の可能性を信じることは、即ち自分だけが幸せであることだった。弟の生存を無闇に願っては、いけないのだ。その禁戒は、弟への祈りそのものを対象としたのでなく、それが自身への救済となってしまうがためのものだったのだと、僕は遅れながらようやく知覚する。弟の生存を祈念することで、自分だけが救われていてはならない。そう、思っていたのだなあ。けれど。
僕が、しあわせで在ることで。たとえば想定上の景光だけでなく、今、真傍に居るこの、ミサオさんさえも。あるいは、きっと両親さえも。ぼくがしあわせで居ることで、ほかの誰かも、しあわせで、居てくれるなら
……ぼくは、そのひとのためにも、そう在って、構わないのかも、しれない。ぼくは、だれものしあわせを、奪いたくはないから
…、だから、だれかのためでも、自分に、赦しても、いいのかも、しれない。今は、そう思う。このそばびとは、いずれはきっと、僕を、僕自身のためにさえしあわせで居させ得るほど、その染料で僕を、塗り替えてゆくことだろう。境は、
清澄な水をとぷりたたえた筆により、互い滲み合い、馴染み進むのだ。
あの、県境の事件の日。ミサオさんと接し、彼の言葉を受け、景光について自ずと出てきた言葉は、断じて、彼へのうそではなかった。それは、僕自身が内から願う本心の、多重の鎖で縛り込んだそれの、至極自然な、表面化だったのだ。枷をいくつか放つ救済だったのだ。それの享受を自身に自然、いくらかゆるせたことそのものが、救済だったのだ。弟の、生存を。誰でもない弟自身のために、祈ることを、僕が、自分にゆるせるほどに。ぼくのこさえてきた
縁を、彼は、ゆるり融かしたのだ。たとえば友についてそう信じるように、肉親の、生存を祈る。そんな感情的な姿で在るときも、あっても、いいのだと。それを、彼はそう述べたでなく自然発生的に、僕の内に、至極、呼応し合い海面へといざない出したのだ。ああ、そうか、僕はその願いを抱いていたのか、と、極々自然に、受け止めさせ、受け入れさせてくれたのだ。表層化してくれたのだ。あの刹那陽の射したが、ぼくの気が見せた幻覚でないことを、ああ、あまりにも暁光の事実として、ああ、このくち滲む感情がまま、解させたのだ。
ぼくは、彼と、幸せの
とびっくらを、天狗じみてさえ地に足つき昇り詰めることだろう。能動的に、そうで在りたいと。自然思える彼を僕は、ああ、伴侶とするのだろう。
そういえば。天狗と言うと山伏を連想するが、山村と諸伏が合わされば“山伏”に成るなあ。そんなままごとさえさせるのが、喜色で頬をくすぐるのだから、つくづくこのひとは氷塊を融解したものだ。ふわり緩んだぼくの口端に、助手席の彼が木の実の眼を向けた。真相の芽を得るまで、到底、幾ばくもない
――
ああ、願わくば、この
かけっこの地にて、待ち人の朗報あらんことを。ずいぶんかさを知って久しい欲が、二体分、帰着を待つ。僕は、このいとしびとに弟について持つ情報を開示することを、決意した。
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