koto
10080文字
Public れめしし😈🦁
 

Are you kidding?

れめししお題企画への参加作
「撮影」「実験」「おふざけ」
2026.03.21.発表分のお題より

未成立友人関係の二人。叶の配信手伝いでとった迂闊な獅子神の行動で叶→獅子神になりかけちゃう話(ちょいコメディ風・軽め)

 


 位置情報を添えて呼び出されたとあるマンション。部屋番号に間違いがないかを確認しインターフォンを鳴らすと、ドアはすぐに開かれ叶が顔を覗かせた。

「ゴキゲンよう、実験助手の敬一君!」
「は?」

 開口一番の意味不明な挨拶に呆ける獅子神だが、叶は構わず玄関へと迎え入れる。

「というわけで、敬一君には今からいっしょに実験をしてもらうんだけど――
「おい待て。というわけで、じゃねぇ。どういうわけだよ」

 まだ靴も脱ぎきっていない獅子神相手に、話はどんどんと進んでいきそうでストップをかける。叶の突拍子も無い言動は今に始まったことでもないが、だからと言って無条件にすんなり受け入れるかは別だ。

「いやさ、最近ちょっと目に余るって言うか、放っておけないことが出てきちゃってさー」

 叶はそう言いながら、こっちこっちと廊下の奥へと先導し獅子神を手招く。
 用意されていた真新しいスリッパに足を入れながら、そもそも叶の自宅とは違うここは一体なんなのかという疑問が浮かぶ。別に自宅以外に物件の一つや二つ持っていてもなんら不思議ではない。が、問題はその用途だ。単なる別宅ならいいが、どうにも物騒な使用目的が獅子神の頭にチラつく。
 なんにせよ犯罪の片棒を担がされそうな気配があれば、さっさと帰ろうと獅子神は心に決めた。


 通された部屋は意外にもごくごく普通の内装で、目を引くのは大きな窓を背に幅をきかせているソファとローテーブルだ。そのどちらもなんとなく見覚えがある、というか、おそらくは獅子神の家にあるものと同じデザイナーズブランドのものだ。ソファの対面には撮影用のカメラが、更にその奥の壁面にはモニターが設置されている。

「まあ、とりあえず座ってよ」

 勧められるがままソファに腰掛けると、低くなった視界で小さめの冷蔵庫と観葉植物が置かれていることにも気付く。叶がたとえ植物だとしても生き物を育てているとは到底思えず、光触媒のフェイクグリーンかなにかなのだろうと結論づけた。室内をざっと見渡す限り、人一人入りそうなコンテナやクローゼット、もしくは隠しカメラといった不審なものは特に無さそうだ。

「興味津々だな」

 不躾にあちこち視線を巡らせる獅子神をからかいながら、叶は両手に持った飲料缶のうち片方を差し出してくる。渡されたものは獅子神が愛飲しているガス入りのミネラルウォーターだ。どういうわけか、ここにあるものは獅子神の自宅を思い起こさせるような馴染みのあるアイテムばかりが散りばめられている。初めての場所なのになんだかやたらと落ち着いてしまう。そんな不可思議な感覚に調子が狂う。

 「で、なんだよ今日は。人のこと呼び出して」



 敬一君、ちょっと手伝いにきてー。
 そんなメッセージが届き、のこのこと顔を出した獅子神だが予想外だったのは他の面々が居ないことだ。叶と二人きりというシチュエーションは実はあまり多くない。
 どさっと隣に座った叶が獅子神の質問に答えるより先にプルトップを引く。ゴクゴクと二、三口飲んだところで、話を続ける気になったようだ。

「んー、ちょっとね。あぶり出し実験でもしようかなーって思って」
「あぶり出し??」

 そう聞いて頭に浮かんだのは昨年末に柑橘果汁のあぶり出しアートをやりたいと言い出し、獅子神の家でボヤ未遂をおこした真経津の姿だ。だが、今回のあぶり出しはそれとは違うらしい。

「そ。名付けて、敬一君ガチ恋害悪リスナーあぶり出し実験!」
「なげぇな」

 告げられた実験名の長ったらしさにまず意識が向いたが、よくよく反芻すれば自分の名前と不穏な単語が組み合わされていることに気付く。

「ガチ恋?」
「害悪リスナー」
「なんだそれ」

 耳馴染みのない言葉に獅子神の形の良い眉が片側だけ上がる。

「なんか最近オレの観測者にゴミが混ざってきてんだよね」

 話題にするのも不快、というよりはそもそも時間を割くこと自体不愉快なのだろう。不満気な顔で叶が切り出した話によれば、視聴者層が以前と変わってきているらしい。
 以前はコラボどころか、他の配信者の名前を出しただけで即BANするのが通常運転だった叶。それがここ最近になり友達と称する男たちといっしょの配信がされるようになる。叶は友達と楽しげにはしゃぎ、視聴者がチャットで友達の話をしても怒られない。そんな様子に勘違いをしたのか、既存の叶だけを見ていた観測者に加えて、新たな視聴者層が出てきたそうだ。

「目立つのが箱推しっていうオレらみんなが好きで仲良く楽しくやってるのを喜ぶ奴ら。で、ちょっと方向違うのでオレと特定の誰かが仲良くしてるのが好きな奴らもいる。これはグラデーションっていうか濃度があって、実際にあったやり取りで騒ぐ奴らと、そこから妄想を膨らませてオレらを恋愛関係にして楽しむ奴らがいる」

 叶の説明に既にツッコミどころというか獅子神の理解の範疇を超える部分があるが、いちいち話を止めるのもなんなので、ひとまずは黙って耳を傾ける。

「まあ、ここまでは良いんだよ。みんなとのやり取りに注目するの、オレを見ることに繋がるし、結果的にオレへの解像度高める部分もあるし。形はどうであれオレを見てるから。問題なのはオレ以外を目的にしてる奴」

 そう言うと、叶はそれはそれは忌々しそうに顔をしかめる。

「オレ以外の単推しの奴は端から敬一君たちの情報提供の場としてしか見てない。そんなのはオレの世界から駆除しなきゃだろ?」

 叶を理解するためではなく、他の面子目当てで配信を楽しむ人間の存在は看過できないということらしい。

「まあ、なんつーか、オマエが言いてぇことは分かるけどよ。で、それとさっきのあぶり出しがどう繋がんだよ」 
「そうそう、それなんだよ。オレのことを見てない奴は見つけたら片っ端から追い出せばいいんだけど、なんか拗らせちゃってる奴がチラホラ潜んでて」
「それが害悪ってやつか?」
「そ。ガチ恋はオレ以外だと敬一君が圧倒的に多い。中でもワンチャン狙いっていうか敬一君と本気でどうにかなろうと凸ってきそうなのが居て敬一君の情報収集してるっぽいんだよね」

 直接会ったことも話したこともなく、モニター越しの映像で自分に好意を持ち身元を特定し関係を持とうとする人間がいる。にわかには信じられないが、叶が言うのならば存在するんだろう。

「ソイツら、どっかおかしいんじゃねーの?」
「残念ながらおかしい奴って敬一君が思っている以上にいっぱい普通の顔してその辺で生活してんだよ」

 賭場で会うイカレた野郎なら友人含めある程度見慣れているが、色恋執着方面でそこまで箍が外れた人間はお目にかかった記憶がない。

「オレの配信が元で敬一君に面倒かけるのも申し訳ないなーって。だから、特定してから駆除しようと⸺って、敬一君」

 この男でも良心の呵責を抱くことがあるのかと感心する獅子神に、叶はムスッとしてみせる。

「オレの世界にいる魅せる奴をその辺のどうでもいい奴と同じ扱いにするわけないだろ」
「あー……おう」

 心裡を見透かされた上、あまりに不意打ちな発言に、照れ隠しもあってついぶっきらぼうな返しをしてしまう。そんな獅子神の様子に気を良くしたのか、叶の機嫌は持ち直したようだ。

「今回見極めたいのは敬一君単推しとガチ恋のヤバい奴。前者はBAN、後者はプラスで身元も特定。それを今から敬一君と雑談配信やってあぶり出せるか実験してみようってわけだ」
「雑談配信……ってしゃべるだけか? そんなの見る奴いるのか?」
「ゲーム配信目当ての奴は見ないだろうけど、そこは今回触んなくていいとこだから。敬一君と二人っきりだから敬一君目当てが釣れる。あとはオレとの絡み目当ての奴との見極めなんだけど――

 計画に真面目に耳を傾ける獅子神に向けて、叶はニヤリと笑みを浮かべる。おおよそろくでもないことを考えているのだろう。ありありと伝わってくる。

「なにする気だよ」
「餌をばらまく」
「餌?」
「敬一君とだべってる最中に、スキンシップ挟んだり、意味深な発言すんの。で、その反応で振り分ける」

 絡みにあからさまに喜ぶ奴はシロ。叶目当てで見ている観測者も普段は見られないレイメイの一面が拝めるので、そこに反応する奴もシロ。

「できれば敬一君からもなんかアクションあったほうが反応分かりやすいんだけどさー。できそ?」
「アクションってなんだよ」
「観測者に向けてのリップサービスとか、サービスショットとか?」

 アイドルのような、いわゆる王子様然とした振る舞いなど自然にできる気がしなく眉間に皺を寄せる。

「あとからネタでしたーって言うから、恥ずかしいくらいやり過ぎでもいいんだけど……まあ、オレのほうで敬一君の反応を引き出すとするか」

 どうやら獅子神には荷が重いと判断されたらしい。たしかにできる気がしないが力不足のような扱いをされるのは少し癪に障る。

「カメラ目線が無理だったら、オレ相手に色目使ってくれてもいいぞ!」
「そっちのがハードル高ぇよ、ボケっ!」

 端からできるはずないと分かっておちょくる叶を一睨みする。が、叶は全く意に介さない。

「途中で仕込みだって気付かれたらボロ出さないかもだからがんばってくれよ? ちなみに配信は敬一君の家からって設定な」

 その言葉に獅子神はもう一度部屋の中を見回す。なるほど、部屋に入ったときの不思議な居心地の良さはそういうことだったのかと納得した。少しでも素に近い雰囲気を出させるためというなら芸が細かいというかなんというか。

「相手はギャンブラーじゃない一般人だけど、オレの観測者はけっこう鋭いヤツもいるから気合い入れてね」





 叶の思惑のもと突発で始まった雑談配信は獅子神の心配をよそにどんどんと同接数を増やしていく。あまりモニターは意識しないようにと叶に言われていたのもあり凝視はできないが、チャット欄には「ケイイチ君のお部屋こんな感じなんだー」とか、飲んでいるミネラルウォーターが普段から愛飲しているものだと叶が触れれば「同じの買ってくる!」なんてのが流れていた。
 ここまでは叶がインタビュアーのように話や質問を振り、それに獅子神が答えるという流れで進んできた。同接数がある程度安定し、チャットの内容も似たり寄ったりになってきたところで叶が不意に黙り込む。
 普段から叶の観測者として配信を視聴している面々は、なにかが叶の気に障ったのかと見守り、そうではない視聴者は気にせずに獅子神へ聞きたいことを好き勝手に言ってくる。
 なにもない一点をじっと見つめる猫のように、叶は真顔で獅子神の顔に視線を落としている。

……なんだよ」

 そう尋ねるのは配信上、間違いではないだろう。

「敬一君、顔にまつ毛ついてる」
「は?」

 あまりに脈絡がない内容になにを言っているのか理解が遅れる。そんな中で伸びてきた叶の指に、獅子神は反射的に顔をのけぞらせてしまう。

「取ってあげるから、ちょっと動かないで」

 そう言うと叶の手が顎に添えられ顔を固定される。思い当たったのは叶が言っていた餌という言葉だが、さすがにこれは露骨過ぎないかと半笑いしそうなのを堪える。視聴者の様子を窺おうとモニターを一瞥したものの、チャット欄は目まぐるしく流れていき一瞬では読み取れない。
 叶が獅子神の顔を覗き込む。座っている位置関係的に、叶の前髪のせいでカメラからは表情が分からなくなってしまっているようだ。

――レイくんのお顔見えなーい
――尊!!!
――ケイイチ君、固まっててかわいい
――保護すべき
――ヤダヤダ、私もやってほしー!
――なんか、いつものレイメイと違う。なにこれドッキリ?
――やばいやばいやばい
――レイメイめちゃアプローチしてんのにケイイチ君と温度差ありすぎてウケる

 配信前に叶が忠告していたとおり、生粋の観測者はなかなかに目敏いらしい。視界に入ったコメントのいくつかから、どうにも自分の対応がいまいちだと獅子神は察する。

「はい、取れた」

 覗き込んでいた顔を上げて叶の手が顔から離れていく。まつ毛を抓んでいるように見せた指先と一緒に叶は満足げに笑ってみせた。今度はカメラの角度を意識してるのか、その笑顔はしっかりとカメラに映り、再びとんでもない速さでチャットが流れていく。いわゆる叶の真の観測者はこれでふるいにかけられただろう。

「ケイイチ君、なに固まってんの? あ、顎掴まれるの、するのは慣れてるけど、されるのは慣れてなくてビックリしちゃった?」

 ニヤニヤと笑いながらいじってくるが、これも手の内だ。獅子神の女性経験を匂わせつつ、話を進めている。
 当たり前かもしれないがここまで全部が叶のペースで、どちらかといえば自分が足を引っ張ているような気もしている。どうにか、上手いこと立ち回れないか。
 考えを巡らせていた獅子神は、さっき見かけたチャット欄のコメントを思い出す。叶の顔が見えないと文句を言っていたコメントだ。


 すぐ横で煽るようにニヤけている叶に手を伸ばすと、獅子神は無言でフードの付け根を鷲掴みし握り込んだ。真顔での行動は今にも殴り掛かりそうに見えたのか、不穏さに観測者たちもざわめき始める。対して叶はといえば、驚いた顔をしながらもなにが起きるか胸躍らせているのが獅子神には分かった。

――え、ケイイチ君キレた?
――意外と沸点低い?
――怖い怖い
――やば。ケイイチ君のワンパン絶対重い
――ヤダヤダ、レイ君殴らないで!

 観測者たちの注目が最高潮に達したところで、獅子神は空いているほうの手でカメラ側のフードをグイっと引き寄せると、そこに顔を突っ込んだ。
 チャットは混乱のるつぼとなっているが、二人からは見えない。同じく、カメラからもフードの死角は窺えない状況だ。
 以前獅子神自身が着用したときにも感じたが、叶のフードはボリュームも余裕も十分にある。目の前にはさすがに意表を突かれたのか、目を丸くした叶の顔が至近距離で拝めている。

「ビビったか」

 内緒話をするみたいに囁いて、獅子神は勝ち誇った表情を浮かべる。一泡吹かせた手応えがあり楽しくて仕方ない。フードの中はなんだか狭い秘密基地みたいで、空気が隔たっているせいか叶のシャンプーか香水かなにかの匂いが普段より濃く香ってきた。
 頭の中でゆっくり五秒数える。そろそろ良いかとフードから顔を出そうとした、そのときだった。
 突然後頭部に掌の感触を覚えると、その手は鷲掴みで獅子神の頭を抑えつける。フードから顔を脱するのが阻まれたかと思えば、叶の匂いが一層濃くなった気がする。直後、丸くしていたはずの叶の目がいつの間にか獲物を狙い定めるように眇められていることに気付いた。



 観測者側からは叶のフードで隠れた二人の顔を見ることができない。だが、唐突に伸びてきた叶の手が獅子神の柔らかな金髪に埋められ後頭部を鷲掴んだこと。その次の瞬間には獅子神の肩が小さく跳ねてフードの首元を握り締めていた手が解かれたことは確認できてしまった。観測者が固唾を飲む中で、獅子神の顔がズルズルと下がり、後頭部に置かれた手が肩口に顔を埋めさせる。
 チャットが阿鼻叫喚となる中で、叶が頭を振り、フードが頭から落ちる。露になったそこには、カメラに向かい、ベぇっと舌を出す叶の顔があった。観測者がその意味を考えるより先に、叶の手がローテーブルに伏せられていたフリップを持ち上げ、カメラへと掲げる。そこには『ケイイチ君ガチ恋勢あぶり出し実験! 春の一斉BAN祭り』という文字が躍っていた。
 ざわめく観測者に叶は冷めた視線を向ける。

「一部の奴らはちゃんと気付いてたが、今日の雑談配信はオレとケイイチ君が仕組んだ実験企画だ。最近オレを見ずにケイイチ君目当てでオレの配信を見ていた奴ら……オマエだよオマエ。誤魔化せると思うなよ」

 叶はそう言うと、見定めた対象を次々に出禁にしていく。いつもどおりの叶の態度に弁えた観測者たちはキャッキャと沸き始めた。

「っと、こんなとこか。オレの友達が魅力的なのは当然だけど、勘違いすんなよ? オマエらがどうこうしていい相手じゃないし、そもそもオマエらが常に見るべきはオレだ。それじゃ、今日の配信はここまで。じゃあな」



 叶の指が配信を切り、モニターを消す。シンと静まり返った途端、獅子神が叶の手を振り切って顔を上げた。

「〰〰ッッ、なにしでかしてくれてんだテメーはよぉっ!!」

 さきほど掴んだフードの付け根を今度こそ力任せに握り、絞り上げる。怒声を上げる獅子神の顔は頭に血が上っているせいか真っ赤だ。

「ごめーん。なんかあのシチュエーションと距離で敬一君の顔見てたらその気になっちゃって……出来心でつい?」
「ついで舌まで入れてんじゃねぇーよ!ボケ!!」
「そんな、ちょっと先っぽだけじゃん」
「先っぽだろうが何だろうが、入れてんのは入れてんだろっ! っつーか、それ以前の問題だ!」

 一気に捲し立て、軽く息切れをする獅子神に対して、叶はなぜかそれ以上の申し開きをするでもなく、思案気な顔でじっと凝視してくる。

……おい。なんとか言えよ」

 さっきまでのヘラヘラとした様子は鳴りを潜めていた。行き過ぎた悪ふざけを笑いながら有耶無耶にして謝るのかと思いきや、一変した叶の様子に獅子神は訝しむ。

「敬一君」
「な、なんだよ」

 真顔で名前を呼ぶ叶に思わずたじろぐ。読めない表情に身構えていると、叶の口からは獅子神の想定の斜め上をいく発言が飛び出した。

「ちょっとさ、試しにもう一回やんない?」
「あ? さっきのあぶり出し実験てやつか?」
「違う違う。そっちじゃなくて。配信抜きでキスだけもう一回」
「ぇ、いや、オメー何言ってんの?」

 理解不能にも程がある。出来心だと謝って数分も経たないうちだ。今の今までそのことについて文句を言っていた獅子神に、どういう思考回路でいけばそんな要求を上乗せできるというのだろうか。人の話を聞いていないにもほどがあるだろうと、怒りを通り越して引いてしまう。
 そんな獅子神にお構いなしで叶はじりじりと迫りくる。掴みかかっていた手を思わず離してしまった獅子神もじりじり後退するものの、ソファの上では逃げ場なんて知れていた。

「いやいやいや、待て待て待て」

 本気なのか、からかっているのか。何を目的としているのかが全く読めない。

「あっ」

 そうこうしているうちに叶は一瞬の隙を突き、獅子神の上に覆いかぶさるとマウントポジションを取った。その気になればタコ殴りをできる体勢。好き勝手できる体勢だ。叶の狙いを探ろうとする好奇心が顔を覗かせ、結果、反応が遅れたのが原因だった。いざとなれば突き飛ばせるという驕りも判断を鈍らせたのかもしれない。


 肩口を両手で押さえつけられる。叶の顔がみるみる近付き、鼻先が触れるくらいの距離まできた。あがけば顔を背けることもできるのに、叶の瞳に視線を奪われて縫い付けられたように動けない。ごくりと生唾を飲み込みながらまっすぐに見据える。間近で見ると瞳の中のコンタクトの境までもが分かった。
 叶の吐息が肌に触れ、否が応でもさっきの唇の感触が蘇る。バクバクと心臓が高鳴るまま睨み合って数秒後、叶の顔が離れていった。

「?」

 なんだ、結局はおちょくられただけなのか。ほっとしたような、肩透かしを食らったような心地になっていると、叶が深々と溜息を吐き出した。

「その顔」
「あ?」
「敬一君さぁ、流されやすいにも程があるだろ。そのキス待ち顔は反則」
「はぁ〰??」

 なに言ってんだコイツ。
 この男の思考回路が全く分からずに頭を悩ませる。毒気を抜かれ、強張っていた体から力が抜けた途端、離れたはずの叶の顔が一気に距離を詰めた。

「っっ!」

 ピントが合わないくらいどアップで叶の顔が視界を遮る。鼻先が触れあったのを感じた直後、ぬるりと差し込まれた舌の感触に身体も思考も固まる。
 別にキスなんて初めてでもないのに、叶にリードされるキスは悔しいくらいに気持ち良かった。口の中を嬲ってくる舌の感触に、今さらキスの一つや二つくらい変わらないかと流されてしまいそうな獅子神がいた。配信中のさっきのキスなんておふざけみたいなものだったんだなと痛感する。
 暫くして気が済んだのか、ようやく叶の顔が離れていく。お互い少し息が上がりながら、自分を見下ろす叶から目を逸らせずにいる。目を逸らしたら今度こそなにをされるか分かったもんじゃないという気持ちと、叶の意図を探ろうという気持ちからだった。が、その行為はどうやら叶には別の効果をもたらしたらしい。

「ヤバ……
「あ?」
「キスされたあとの顔のが、よっぽどそそるんだけど。そんな顔されたら一回じゃ済まないじゃん。なんでそんな顔すんの? 煽ってんの?」
「オメーが勝手にやりたい放題やった挙句、言うに事欠いてそれか!」

 なにを言い出すかと思えば、あんまりにもふざけた言い草と責任転嫁に思わず声を荒げる。

「マジでオマエもう退けよ」

 どうにか叶の下から片脚を逃すと、獅子神は足の裏で叶の身体をグイグイと押しのける。

「ちょっと扱い雑じゃない!?」
「オメーに扱いをどうこう言われる筋合いはねぇよっ」

 攻防の末にどうにか叶の下から抜け出すと、獅子神はソファの上で居住まいを正す。距離を置こうとするが、叶も離れる気はないようですぐにぴったりと真横を陣取ってきた。

「実験だったか? それも終わったんだし、そろそろ帰らせろよ……
「えー」
「えー、じゃねぇよ。さっきのも犬に噛まれたと思って忘れてやるからお開きにしようぜ」

 このわけのわからない状況から抜け出したいというのが目下獅子神の願いだったが、どうやらそれはすんなりと聞き届けられないらしい。

「犬扱いって酷っ。 それに犬に噛まれたにしては気持ち良さそうにしてたじゃん」
「あー、うるせぇうるせぇ」
「ってかさ、オレが言うのもあれだけど敬一君流されやす過ぎでしょ。頼まれたからってなんでもやってあげちゃうの、どうかと思うぞ」

 本当にどの口がそれを言うんだと思うが怒鳴りつける気力もない。さっきのキスだって頼んではきたが獅子神は了承なんてしていない。

「でも拒否ってなかったし、興味あっただろ?」
「勝手に決めつけてんじゃねー。ったく、心配されなくても頼まれたからって誰彼かまわずこんなことしねぇよ」

 そもそも獅子神のパーソナルスペースは他人より広めで、親しくなければどうこうできるような距離に他人を置く真似などしない。

「え?」
「ん?」

 獅子神が己の失言に気付いたときには遅かった。

……待て。違う。違わないけどそういう意味じゃなくて」

 目の前の叶はまるで新しいおもちゃを与えられた子どもみたいに、その表情をキラキラと輝かさせている。獅子神はその顔に既視感を覚えた。
⸺なんだこの顔。見たこと……あ。
 記憶を巡らせて行き当たったのは、初対面のときに村雨を見つけ喜んでいたときの顔だった。

「オレ、待てができるほどお利口じゃないんだよね」
 そんなことは、さっきの一連のやり取りでイヤってほど理解している。前言撤回。犬のほうがよっぽど聞き分けがある。

「スイッチ入っちゃった」

 冗談めかしてはいるものの、本気で言っていることはその目が物語っている。それは完全に狩る側の目付きだ。

「今すぐぶん殴ればオフになるかそれ」
「暴力反対」

 迫りくる叶の顔面を掴んでどうにか距離を保とうとすれば、手首を握られ、直後に掌や指の間にべろりと舌を這わされる。

「うぉわっ?!?!」

 思わず手を離した結果、障害物が無くなった叶は再びジリジリと距離を詰めてくる。完全にこの状況を楽しんでいるのは明らかだった。なんだって、こんな羽目になるのか頭が痛くなってくる。目の前のこの男のほうがよっぽど害悪ってやつに思えてきた。



 頼むから、今からでもここまで全部おふざけでしたとネタ晴らしをしてほしい。
 そんなことを切実に願ってしまう。

 バカみたいにデカイ看板にドッキリと書かれたものを担いだいつもの三人が、そこのドアからふざけて現れるのを今か今かと心待ちにしている。だが、残念ながら一向にその気配は無く、獅子神はいよいよ現実を受け入れるしかなかった。






┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
マシュマロ
読後の一言などいただけたら大喜びです

投稿一覧はこちら
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈