その店がいつからそこにあるのか、近所の誰もよく知らない。気がついたらそこにあって、いつの間にかなじんでいた。そんなに大きくはない、今時珍しくなってきた個人経営の珈琲店。焙煎もしているため、その横を通りすがるといつもよい香りがする。
例えば地場の小さな企業が何らかの商談に使ったり、近所のマダムたちが日課の病院やちょっとしたスポーツの帰りに寄ったり、夕方には学生が自習をしていたり…。使い方は様々、だが、とにかく地域によくなじんだ店である。
名前は「ふしぎ珈琲店」。
ひらがななので、例えばオーナーが「伏木さん」である可能性もあるし、一番連想されやすい「不思議」である可能性もあり、どちらともいえない。だが、オーナーでありマスターでもある男性の名前が店名の由来ではないことは、早々にわかっていた。目と片耳に傷が残る、少々年をとっていても華やぎを顔立ちに残すその男性は、水木というそうだから。
さて、そのふしぎ珈琲、最近、月のうちの何日か、店の一部を菓子店とパン屋に貸し出すようになった。シェア店舗のようなものがあるが、それに近いのだろうか。昨今は店舗を持たずに通販のみ、催事中心、あるいは移動販売…のような経営方法をとるパターンもあるから、そういった相手に貸し出しているのだろう。
毎月奇数週の土日は焼き菓子中心の菓子店、偶数週はパン屋が、ふしぎ珈琲の一部、および、改装されたテイクアウト用の小さな外向きの窓のエリアを使ってそれぞれ菓子やパンを売る。なお、これらはふしぎ珈琲店内で飲み物と一緒に食べることもできた。
そして最近、上記二つの業態、何ならコーヒーとも縁遠い気がする、オリジナル文具のコーナーがレジ横にできた。なんでも、店主である水木の知り合いが作っているという、見たことのない柄のノートや便箋、それからマグネットだったりクリップだったり、そういった小物類が狭いスペースにきちんと並べられている。時々は、水彩だったり、何か独特な画材で描いていると思われるポストカードが売られていることもあった。
こんなに美味しいんだから、独立したお店があったら買いに行きたいのに、と常連客から問われても、水木は「そう伝えておきますね」というばかり。販売に訪れているすらりとした美少女(猫を思わせる少々つり目気味の)は菓子やパンの職人ではないらしく、水木いわく、息子の友達が手伝いに来てくれているとのことである。
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