[自覚をこいと言うならば、だが]
そうか、実際のところ私は、信じたいのだな。景光は、今も、本当にどこかで、
正義の味方として生きている、
…と。そんなことを、人に述べて今、遅れて解した。
景光のスマホを受け取った、あの時。届けられたその情報を、私は、推理した。客観的に、努めて。そのメッセージを受け取った、つもりだった。確実ではないにせよ、高い可能性を、想定したつもりだった。それが明瞭な事実とまでは結論づけなかったのは、単に、証拠不充分の推論に過ぎぬためだけだった、つもりだ。けれどその実、肉親としての直感なのだろう。私は、“それ”が可能性ではなく事実なのだろうと、ぼんやり、遠くも近いあの実感にて、思っていたようだ。だのにその実感は、思えば、未だその天幕を知らぬ状態だったのだろう。かつて弟に電話口述べた訓戒が、頭をよぎる。両親の事件について思い出したことがあると電話してきた弟にその早計を戒めたくせ、私は、あのスマホの傷に、そしてそれを私に届けた意図の推量に、たとえ事実としても短絡的に、それを結論づけていたのだ、感覚的に。おおよそ刑事らしくないそれは、そう、肉親としてのものだったのだ。
長野と群馬、県境の、ホテルでの事件。“ミッちゃんの家”、なる秘密基地。そこで山村警部に述べたは、慰めでも誤魔化しでも何らない、私がただそう心から今思った、事実だった。そうで在れば良い。そんな願いだ。そうで在ってくれ、という、祈りなのかも、しれない。弟は、今も生きている。どこかで、
正義の味方をしてくれちゃっているに違いない。ああ、わたしに、そんな遅れながらの実感を抱かせたこのひともまた、弟景光とともに正義の味方を志した
旧友なのだ。不思議なそれを、縁と呼ぶだろう。不思議なそれを、この、人の良さをやけに直感させる彼の、人柄と言うのだろう。彼は、私に、自然思わせたのだ。まるでそれが、かねてより私の内に在った願いなのだと、そして実際にそれがそうなのだと、すべて遅れながらも、解させたのだ。
――そうか、私は、景光に、いきていてほしいと、思っているのだな。肉親としての直感が、その推論早計づけた背景に、同じく肉親としての、当然じみた祈願を有していたのだな。ああ、すべて、当然だったのか。深海魚じみて海中潜めていた無意識を、ああ、陽の下に引き上げてなお呼吸をさせる、不思議な旧友を、お前は故郷に有していたのだな、景光よ。
山村警部に対する言葉の、感情滲んだゆらぎは、ああ、遅れながらの実感だったのだ。私の内に在った祈りを掬い上げ理解したその実感の、木洩れ日広がる、転回の刹那だったのだ。父や母、弟のことを気にせずのうのう暮らすことは、当然出来ない。けれど、この目でその死確認した両親も、推論の中その死を実感した弟も。私が彼らにそう願うと同じく、思うだろうか。わたしに、幸せで居てほしいと。願うろうか。弟について願うとき、自身もそうねがわれているような、錯覚に甘えることを、肉親としての感覚が、ゆるすよう思うは、あまえだろうか。
いつか、そんなことを、この山村警部相手に、こぼしてしまう気がする。私の胸中をすべて、吐露してしまう気がする。そして彼なら恐らく、それに是の首を振るように、思うのだ。それが、私を肯定づけるすべてに思えるのだろう。初めて逢ったばかりの相手に、幾ら弟の旧友とて私は、なにを、なにを思っているだろうか。けれどそれが確定づいた将来であることを、ああ、わたしはなぜか今、既に、自覚として知っているのだった。
“運命”と出逢い、請い願うそれを、ああ、こいあいと呼ぶのなら、このサプライズ・ボックスは、弟からのギフトなのかもしれない。両手にあふれてなお足りぬこの向日葵を、そのまばゆい笑みを、わたしはもう、手放せなくなっている気さえする。まったくもって軽佻浮薄にも、私はああ、とうに浮かれて久しくさえ思う。そうでなければいいと願うような推論と異なり、確定づいた喜色とは何故こうも、ああ、何故こうも、明瞭な根拠無く、そうであるという確信を、無責任にも抱かせるのだろう。肉親としての直感が認めたがらない本心同様に、一人の個としてのなにかが、そうさせるのだ。結局、私も単に、人間ということだ。ざっくばらんに言い切れば、すがすがしくさえあるのだった。晴れ間が、私に、一縷の光を施すとさえ思うのだ。すこしにがわらいしてなお、わたしに、ああ、ああ、私とて生きていていいのだと、どこか、涙ぐみたい心地にて、思わせるのだ。
ああ、わたしは今、既にそれを、自覚として知っているのだ。
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