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ねぶくろ
2026-04-04 11:40:19
4382文字
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毒を食らわば皿まで
仲間とファミレスで飯を食うだけのSSです
「はい、あーん」
匙を差し出せば、相対する男は恥ずかしげもなく「あ」と口を開いた。親鳥の口から餌をもらう雛のように何の疑いもなく、彼が差し向けられたスプーンを口に含む。彼は躊躇いなく平気な顔でグラタンを咀嚼して、嚥下した。飲み下したグラタンを、「確かにちょっと味が濃いな」と品評すると、彼はドリンクバーで汲んできたカフェオレで喉を湿した。一連の動作を眺めて、嘆息する。
世菅
よすが
晴
はる
は二口目のグラタンを掬い上げ、遠い夏の日を回想した。これを食ったら、と問いかけてきた彼の声を思い返して、目を瞑る。時間をかけてゆっくりと瞬きをした後で、晴は瞼を持ち上げた。まだ湯気の立つグラタンに、丁寧に息を吹きかける。
あーん、と彼に二口目を差し出せば、彼はやはり躊躇いなく口をあけた。ぱくり、と気持ち良いほど大きな一口で、晴の差し出したグラタンを頬張る。素直に具材を咀嚼する彼を眺めて、晴はテーブルに頬杖をついた。
この子は、僕の差し出すものなら何でも飲み込む。何もかもを喰らおうとする。──たとえそれが毒であると察していても。
途方に暮れたような心地になって、彼を見つめる。視線を受けても気に留めず、彼は警戒心の緩み切った無防備な仕草で手元の料理を食べていた。こちらに警戒を払うことなく、安心しきって油断を晒している。彼は今、晴が自分に危害を加えることなど、露ほども想像していないに違いない。
唇を噛んで視線を外す。二十三時のファミリーレストランは、どことなく水槽に似ていた。煌々と照らし出された店内には、息を潜めるような停滞感と朝を忌むような倦怠感が漂っている。疲れた大人や、朝を待つ若者ばかりの店内に、人の動く気配はほとんどない。水の淀んだ深海のような、手入れの行き届いていない水槽のような、水っぽくて、どことなく湿った空気感。奇妙な連帯感の漂う店内を漫然と眺めていれば、静かに食事をしていた彼が、思いついたように口を開いた。
「
……
自分で食べられるんだけど、それはこっちに寄越さないの?」
今更な抗弁に、薄い笑みを返す。晴は頬杖をついたまま、空っぽのスプーンをゆらりと揺らした。
「君が自分で食べたら、僕のやることがなくなっちゃうでしょ。我慢して。
……
量が足りなかったら、デザートを頼んでいいからね」
彼の手元に置かれた食べかけのサラダとスープに目を留めて言葉を重ねれば、人より体格に恵まれている彼は、素直に嬉しそうな顔をした。
彼が口に運んでいるシーザーサラダもコーンスープも、晴が頼んで、食べきれずに彼に押し付けたものだ。テーブル上には、ドリンクバーのカフェオレ以外、彼の望んだ食べ物は存在しない。それでも、彼は何の文句も言わず、ただ短く「ん」と了承の声を返した。
嬉しそうに頬を緩めたまま、彼が中途半端に残ったサラダを口に運ぶ。レタスも、トマトも、クルトンも、ひとまとめにフォークで突き刺して、彼は美味しそうにそれを平らげた。一連の動作を見届けて、スプーンで一口分のグラタンを掬い上げる。晴はそれに息を吹きかけながら、「前にも言ったけど、君って危機感ないよね」と口火を切った。
程よく熱の冷めたそれを差し出して、「こっちも食べて」と呼びかける。彼は相変わらず無警戒にそれを口に入れ、咀嚼して、飲み込んだ。一切の躊躇も、戸惑いもない。その無防備な表情に向けて、晴はスプーンを突きつけた。
「僕が毒を盛ったらどうしようとか、考えたことないでしょ」
断定すれば、彼は不思議そうに目を瞬いた。
「別に盛らないだろ」
「盛るかもしれないでしょ」
言下に断じるものだから、その信頼に笑いが零れる。晴が言い募れば、彼はまるで想像がつかないとばかりに眉根を寄せた。こちらの手元に置かれたグラタンの皿に目を向けて、そこに潜む悪意を見つけ出そうとするかのように、まだかすかに湯気の立つ料理をじっと観察する。しばしの間、異常を見逃すまいと眉間にしわを寄せていた彼は、諦めたように肩の力を緩めると、脱力してソファの背もたれに身を預けた。
「警戒したところで食べたら同じだし、考えるだけ無駄じゃね?」
投げやりな言葉に、苦笑が零れる。
「君はそもそも警戒してないでしょ」
指摘すれば、彼は嫌そうに顔をしかめて抗弁の言葉を探すように虚空を睨んだ。視界の端で、男性客がドリンクバーを汲みに立つ。誰かがセルフレジを操作する電子音と、店員の気だるげな「ありがとうございました」に紛れて、男性がコーラを注ぐ、鈍い機械音が耳朶を打った。深夜帯だからか、店内BGMは穏やかで緩急に乏しい。その平坦な音楽の奥に、誰かが作業をしているキータッチの音がスパイスのように振りかけられている。
彼はたっぷりの間をおいてから、「仲間のこと警戒するのも変な話だろ」と言い訳を口にした。その言葉に思わず笑みを深めて、彼を見つめる。晴のそれとは対照的な、赤っぽい光を返す双眸が不安げに揺れて、こちらを見返した。口角を持ち上げて、「そう?」とわざと意地の悪い返答をする。案の定、彼は一層強い不安に駆られたらしく、目を逸らした。
安易で安直。わかりやすくて、与しやすい。──その油断は、愛おしくて、だけど不安だ。
晴は手元のスプーンに目を落とすと、「例えば、」と言葉を重ねた。
「僕が君に恩を売りつけているとしたら?」
返答を待たず、先を続ける。
「たくさん優しくされて、恩を感じてないとは言い切れないでしょ? そうなったら、君はもう僕から逃げられない。
……
それだって、毒を盛られているようなものじゃない?」
意地悪く、困らせるつもりで問いかける。晴の言葉に怖気づいたのか、あるいは不安が増したのか、彼は心許なさそうに視線を惑わせた。ゆらゆらと惑いを映して揺れる眼差しが、晴の目から逃げてテーブルの天板へと落ちていく。返す言葉が思いつかないのか、彼は表情を曇らせると、「そんなこと言われても
……
」と尻すぼみに呟いた。
──一度だけ、彼に問われたことがある。これを食べたら自分は死ぬのか、と。
直截に、何の隠し立てもなく。何一つ、大切なことを知らないままで。
晴の思惑を知らぬまま、けれどそこに何か作為が働いていると知ったうえで、彼は〝毒〟の入ったタルトを食べた。自分に危害が及ぶとは思っていなかったのか、あるいは危害を及ぼされてもいいと覚悟していたのか。はたまた、晴の手で加えられる『危害』など取るに足らないと高を括っていたのだろうか。いずれにせよ、彼は疑いながらも躊躇うことなく、訝しみながらも戸惑うことなく、晴の用意したフォークを手に取り、〝毒〟の入ったタルトを掬って、それを腹に収めた。
本当に、馬鹿な男だと、そう思う。
彼は困ったように眉根を寄せて、「酷い言い方かもしれないんだけどさ、」と口を開いた。その目がこちらを向いて、申し訳なさそうに眉尻を下げる。彼は、かすかに笑って、小首を傾げた。
「俺、別にお前に対して恩とか、あんまり感じてないんだよね。
……
少なくとも、今お前から言われるまで、『恩を返さなきゃ申し訳ない』とか、考えたこともなかった」
だから大丈夫だろ、と彼が笑う。俺はいざとなったらお前に恩を返さずに逃げ切るよ、と何の根拠もない断言に、晴は呆れて息を吐いた。訝しむように彼を見ながら、「断言して大丈夫?」と問いかける。どうせ返答は分かり切っている、と晴が半ば諦めていれば、すっかり冷めたコーンスープを飲み干して、彼が頷いた。口元をおしぼりで拭って、彼が「つーか前から思ってたんだけどさ、」と言葉を重ねる。
「お前らみんな、俺の善性を信じすぎじゃね?」
問い返されて、目を瞬く。
「
……
君はむしろ、自分のことを疑い過ぎだと思うけど」
だって君は、と胸の内に言葉が膨れる。──疑わしいケーキを食べたんだ。僕が用意したという、それだけの理由で。
その事実は揺らがない。本人が何と言おうとも、彼自身がどれだけ自分の悪性を過信しようとも、彼は晴の用意した食べ物を躊躇いなく口にした。『食べれば死ぬかもしれない』という可能性を考えたうえで、それを選んだ。
それを選ぶほど僕を信じる理由は何? と、尋ねたら彼は何と答えるのだろう。やはり、安直な答えを返すのだろうか。カフェオレのカップを傾ける彼を眺める。少し眠たげな眼差しがこちらを見返して、「どした?」と水を向けられた。目を瞬いて、口を開く。
「君は、どうして僕を信じるの?」
ぽろりと、炭酸が弾けるような唐突さで問いが零れる。彼は目を瞬くと、さして考える間を置かずに「仲間だから」と応じた。それから、それだけでは足りないと感じたのか、あるいは晴の顔色から何かを読み取ったのか、軽く苦笑して言葉を重ねる。
「一度信じるって決めたら、最後まで信じる
性質
たち
なんだよ。乗り掛かった船、とか言うだろ」
「乗り掛かった船
……
」
一度始めた物事を、最後まで行う事。着手した以上、途中でやめるわけにはいかないことのたとえ。
そこまで考えて、
反駁
はんばく
したい気持ちが喉元に膨れる。君のそれはむしろ、──と、晴はテーブルの天板に視線を落として、言葉を返した。
「毒を食らわば皿まで、じゃなくて?」
一度『悪事』をやり出したからには、とことんまでやり通すこと。間違っていると分かっていても、完遂してしまうこと。──毒入りだと分かったうえでケーキを食べた君にとって、僕に対する信頼はきっと、これ以上ないほどに『悪事』だったはずだ。
視線を持ち上げて、彼を見る。赤く光を返す双眸がこちらを見返して、彼が行儀悪くテーブルに頬杖をついた。何かを考えるように視線を虚空に放り投げ、感情の薄い真顔のまま沈黙する。なだらかな店内BGMが終息し、少しの間をおいて幅広の川の流れに似たピアノの音が流れ始めた。彼は二、三度瞬きをしてから、その視線を持ち上げた。
「食べ終わるまで、それが毒かどうかはわかんなくね? 俺は別に、食べ始めた時点でそれが毒だと知ってたことはないし、後から気づいても食べることを決めたのは自分だから、気にしてない」
ほんの一瞬、逡巡するように彼が口を閉ざす。躊躇いを振り切るように息を継ぎ、彼が言葉を押し出した。
「それで死ぬとしても、お前を信じるって決めたのは俺だから、後悔はしない」
──蝉の声が蘇る。
真っ青な空。白く眩い入道雲。汗が噴き出すほどの蒸し暑さと、ようやく飛び込んだ日陰の心地。彼に毒を盛った。あの夏の日を思い出して、薄く、唇を噛む。
〝毒〟を口に入れてしまったのは、一体どちらなのだろう。
目を伏せて、世菅晴は嘆息した。手元の皿には、一口分のグラタンが残されていた。
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