蒼翠
2026-04-04 11:23:36
5611文字
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🌿🌅挨拶(仮)

ページを書き足していきます。更新は🦋とXでお知らせ。ある程度まとまったら支部にアップします。

榊旭。超克後、旭の悩みを聞いた榊が善意(?)から旭を連れて各地を共に行動している設定。

P1:まだお互い恋愛感情なし、付き合ってない。
欧州滞在時、旭が寝ぼけて取った行動に振り回される榊。(2026/4/1)

 空になったグラスの氷が音を立てた。手元の資料から視線を上げ、いつの間にか日付が変わっていたことを知る。
 欧州での長期滞在時に、いつも利用するアパートメントの一室。今朝入国し、手続きと荷解き、部屋を整えるだけで日が暮れた。遅い夕食を軽くすませ、後は寝るだけ。その前に一息つきたくて、近くの店で買ってきたボトルの封を切った。
 この一ヶ月、打合せとその他諸々の予定で日本と世界各地を渡り歩き、ホテル住まいを続けている。この国での予定は、今から数週間はかかる。だからいつものこの建物に滞在することにした。
 部屋からの眺めと、近くに好みのパン屋とカフェがあるのも気に入っている。
 慣れた建物、慣れた土地。
 いつもと違うのは、今回の旅には同行者がいること。だから、部屋数が一つ多い部屋を契約した。

 同行者——アークランドの依頼を受け榊が審査員を務めたコンテストで、自らが率いた団体が最優秀賞を得るという栄誉を手にしたにも関わらず、発表後に浮かない顔で劇場に残っていた青年、玄武旭。元から彼に注目していたせいもあるが、期間途中に『どうも様子がおかしい、何かを抱えていそうだ』と気が付いた。最終日の異変に見かね、こちらから声をかけて相談に乗った。

 見目にも才能にも恵まれた人気俳優で、映像分野での活躍により世間での認知度は高い。何より彼の主戦場である演劇というジャンルにおいて、国内若手最高峰の劇団、TCTの看板役者でもある。
 誰もが羨むであろう順風満帆なキャリアでありながら、迷い子のような顔で俺に悩みを打ち明けてきた。

 満たされない思い、滲む孤独と焦り。
 ——なるほどね、と思いつつ黙って話を聞いた。

 一見、好印象の優等生に見える言動。けれど彼は、良い人の仮面をつけて本音を隠し、無意識に人に境界線を引いている。
 奢りか、諦めか、臆病な自己防衛か。
 自ら壁を作っておきながら、メンバーと本音でぶつかれないことを寂しがり、共に歩む仲間を欲している。己の壁に阻まれ、成長の限界を作り出してしまっている。

 突破するには、そのことに自分で気づき、自分で殻を破るしかない。

 遅かれ早かれ、彼を自分の舞台に使ってみたいと思っていた。育てるにも、手懐ける・・・・にも丁度いい、と、仕事に帯同させることにした。
 事務所とアークランドの劇団幹部に了承を得ての休団。結果次第で俺が引き抜く可能性——そのリスクを、アークランド側が理解していないはずもなく、裏では若干揉めた。無用のトラブルを避けるため、玄武には不用意に行動を明かさないよう釘を刺してある。

 ともかく脱出は成功し、既に一ヶ月、こうやって彼を自分の仕事に連れ回している。名だたる劇団の現場を見せ、場合によっては稽古に飛び入り参加させ、オフの日には各地の舞台を観たり食事や名所巡りをすることで、視野視座と人脈を広げてやっている。
 見聞を広めるに連れて、焦りや迷いが薄らいでくると共に、同行する俺への警戒心も解けてきたようだ。当初に比べると随分遠慮がないというか、奔放で年相応の、無邪気で可愛らしい性格を見せてくれるようになった。
 壁が、薄く低くなっていればいいのだが。

 カチャと軽い金属の音がして、洗面所に繋がるドアが開いた。寝る前の手入れと歯磨きを終えた玄武が、眠くて限界なのか覚束おぼつかない足取りでリビングに戻ってくる。
 そうか。これまでのホテル生活では別室だったから、こんな日常の姿を見る機会はなかった。到着直後のはしゃぎ振りとはうって変わり、今にも瞼がつきそうな様子でフラフラしている。時差ボケか疲れか、その両方か。
 自室に向かい玄武がリビングを横切る。
「おつかれさん、おやすみ」
「んー」
 生返事に、幼い子供みたいだなと苦笑する。俺も寝るかと手元に視線を戻した、その時。

 頬に柔らかい感触。
……おやすみなさい」

 え、今の。
 慌てて振り向く。

 見えたのは自室のドアを開ける後ろ姿。ぽかんと見送り、ドアが閉まる音で我に返った。
 ……何が起きた。唇の感触が残る位置を、無意識に指で触れる。そんなに懐かれた覚えはないんだが。触れた指先をじっと見つめる。——いや。いやいや、距離感おかしいだろ。いくら警戒が薄れたと言っても限度が……眠いだけ、寝ぼけていたに違いない。

 息を吐く。
 俺も寝ろということだ。考えるのはよそう。



 ささやかながら欠かせない楽しみがある。
 焼きたてのバゲットとバターの甘い香りがするパリパリのクロワッサン。海外のそれはサイズが大きくて、ひとつでもかなり満足感がある。それから、近くのカフェのコーヒー。朝に提供される唯一のメニューで、これが美味い。近所の住民に混ざり買い求める。今日はテイクアウトが二つ。持ち帰りに少し苦戦した。
 
 アパートに戻り、それらをテーブルに置く。あとはハムでもあれば立派な朝食だ。まだほんのり暖かいクロワッサンの紙袋を手にして、湿気がこもらないよう袋の口を広く開ける。

「あー、美味そう」
 普段ならこのまま齧り付く。場合によっては店を出てすぐ、齧りながら帰ってくる。でも今朝は。
 まだ起きてこないもう一室の住人を招待してやらねば。部屋の前まで足を進め、ドアをノックする。
「玄武くーん、起きてるー?」
 返事がない。さてどうするか……まあ、男同士だし。勝手に入るよ、と心で呟いてそっとドアを開け、室内に踏み入った。

 規則正しい寝息が聞こえる。
 顎先まですっぽり布団を被り、少し丸まった体勢ですやすやとよく眠っている。やはり昨夜は旅の疲れが出ていたか。
 その寝顔に、ふと悪戯心が湧いた。昨夜向こうからおやすみのキスをされたのなら、俺からのお返しにおはようの挨拶をしてもいいんじゃないか。一方的に驚かされたというのも癪だし、こっそりやり返しておくか?
 ホテルより自宅感のある暖かい雰囲気の部屋。自然と口元が緩む。

……

 ベッドに片手を付き身を屈めた。親しい身内への感覚で、頬に目覚めの唇を寄せる。

 ふに。

 眠る相手へのキス、一瞬だけ触れた肌。唇に残る頼りない柔らかさに、思わず眉が下がる。
 …………いい歳して、何やってんだ。
 甘ったるい。雰囲気に流されたとはいえ、自分の行為に呆れて息を吐いた。
 無かったことにしよう。身を起こすため掌に力をこめた途端——
 伸びてきた腕に抱き寄せられた。

「!?」

 二の腕を掴む手と、背中に回る腕。反応する間もなくグイと引かれ、バランスが崩れる。支えていた手がずれて、重心が一気に前に傾いた。
「わ、あぶなっ……
 押し潰さないようシーツの空いたところを咄嗟に探し、両手と膝をつく。全身がベッドに乗り上げ、見事に覆いかぶさる形になった。

(オイオイ……
 至近距離、目の前には寝ぼけた男の顔。ぽやぽやと曖昧な視線は俺を見ておらず、おそらくまだ夢に浸っている。巻きついた腕はしっとり絡め直され、ん、と小さく甘える音が聞こえる。その様子は可愛いけれど……すまないね、相手はオジサン——人違いだよ。

 それにしても。
 自分の体勢はどう見ても『今から君の寝起きを襲います』の構図だ。色々良くない。離れたいのだけれど、思いのほかしっかり抱きつかれている。
 どうしたものか考えていたら、突然玄武の動きが止まった。瞼が持ち上がり、焦点が収束してピタリと俺に合う。
 しばしの品定めにより、目の前にいるのが『人違い』だと認識したらしい。

 見開かれていく大きな目。
 頬と耳がみるみる赤く染まっていく。

 えーと、あー……

 この子睫毛長いな。
 眼は大きくて形も良い。
 瞳は青から藍のグラデーション。
 うんうん、綺麗だねぇ。

 数秒の空白。

 玄武の唇がわなわなと震えて、スーッと息を吸い込む。
——〜〜〜〜っ!」
 拙い! 反射的に手が動いて口を塞ぐ。
「待て! 待て待てまてまて」
「んむーーっ!!」
「違う、違うから!!」
 玄武は両手で俺の肩を押し、必死で抵抗してくる。これは絶対勘違いされている!
「んーっ、んんんッッッ!!」
「誤解! 抱きついてきたのは君の方!! 俺が、巻き込まれた側!」
「!?」
 あ、止まった。
「手を離すから。叫ばないでよ? いいね?」
 不審そうにしながらも大人しくなった。そろりと掌を外す。よし。
「俺は、起こしに来ただけ。勝手に部屋に入ったのは悪かったよ。でも、抱きついて俺をベッドに引っ張りあげたのは、君」
 丸い瞳がぽかんと俺を見上げる。退くタイミングを逃した。押し倒した体勢で言っても全く信憑性がない。抱きつける距離にいたのも怪しすぎる。
 バツの悪そうな顔で玄武が口を開いた。
……すみません」
「いや、うん、こっちこそごめん」
 距離の事は訊かれずに済んだ、助かった。

「あの」
「ん?」
 まだ何かあるのか。そろそろ離れていいか?

「榊さん、いい匂いがします」

 !? えっ!?

「何の匂いだろう……?」
 そう言いつつ、シャツの胸元に手をかけ、引き寄せながら鼻先を近づけてくる。

 〜〜〜ッ、嗅ぐな!! 近い!!

「ちょっと、君、っ、なに」
「あ」

 今度はなんだ!?

「パンの匂いだ」

 あ———、ああああああ。
 忘れてた。起こしに来た理由。

……さっき買ってきたんだ。焼きたて」
 パァッと満面の笑みが広がる。
「わぁ! 食べたい」
 ……こいつは。まあいいか。
「コーヒーもあるよ。冷めちゃったかもしれないけど」
 よいしょ、と玄武の上から退く。Tシャツにスウェット、寝癖付きの男が起き上がる。
 やれやれ。とんだ朝だ。

……おはよう」
……おはようございます」




「美味しい!」
「でしょ」
 目を輝かせた玄武が大きな口を開け、再びクロワッサンの三日月にかぶりつく。小気味良い音を立てて割れていく香ばしい層が、紙袋に収まらずテーブルの上にバラバラと散らばり落ちた。
 子供みたいだねえ。
 自分が気に入っているものを褒めてもらえるというのは、無条件に嬉しいものだ。夢中で食べ進める姿をつい眺めてしまう。
 ……それなりに大きなサイズなのに、あっという間に完食されてしまった。名残惜しそうに空の紙袋を見つめている様子が、萎れた耳と尻尾が見えるようで可愛らしい。
「明日は二つ買ってくるよ。ほら、まだバゲットもあるから。こっちも美味いよ」
 パテとオリーブオイル、それからハム。好きなだけ食べていいよと言ったら、嬉しそうに次々と手を伸ばし、気持ちいい食べっぷりを見せてくれている。その勢いに彼がまだ食べ盛りの十代だと思い出す。若いねえ。
 ……にしては、ベッドでの俺に対する絡み方に、妙な慣れと色気があった。誰と間違えた? 恋人か。まあモテるだろうし。意外だったのは甘える側に思えたことくらい。それも無防備に慕う油断だらけの仕草で。
 好奇心が鎌首をもたげる。聞いてみるか。

「玄武くん、さっき誰と間違えてたの」
「?」
 口いっぱいに頬張って、それでも落ちない咀嚼ペース。顎強いな。きょとんと丸い瞳がこちらを向く。
「俺を引き込んだ後、しばらく寝ぼけて抱きついてきたでしょ? 無防備で隙だらけだったから気になってね」
……!」
 あ、固まった。パッと頬が色づく。面白くなってきたから、言葉を付け足す。
「ずいぶん可愛く甘えてくれたからさー……彼女?」
「っ……!!」
 高速咀嚼を再開しつつ、首を横に振る。器用だねえ、そんなに必死で否定しなくても。この業界、しかも人気俳優なんて立場なら彼女の一人や二人いたところで驚きやしないのに。
「あの、そうじゃなくて」
 飲み込んだ勢いのまま弁明が始まる。
「歳上?」
「だから違いますっ」
「へぇ?」
 言葉を探しているのか、視線が少し虚空を彷徨う。
「子供の頃を、思い出して」
「子供?」
「はい。幼い頃、親の都合で海外暮らしをしていて。この部屋の雰囲気が、ある時期の記憶の一室に似てたから……到着した時、真っ先に懐かしいって思いました」
「じゃあ間違えたのって……
「誰かが起こしに来てくれたということ、それから……夢で勘違いだったらすみません。頬に、その、感触があって、それで」

 あぁーーーー。

「いや……悪い、うん」
「あ、やっぱり。だから、母かと」
 なんてこった。よりによって俺を母親と勘違いした男に抱きつかれて面白がってたのか。
 くそ、俺のワクワクを返してくれ。

「あの、榊さんこそ……何で俺に、そんな起こし方を?」
…………君、昨夜のことは覚えてる?」
 数度の瞬き、無垢な瞳が俺を見る。横に振られる首。はぁ、そこから説明か。
「寝る間際に、俺におやすみのキスをして去って行ったのは君の方だよ」
「えっ」
「突然で、何が起きたかと思った」
「えっ、あの、うわスミマセン……
「なるほどね、その時点で寝ぼけてたんだ。ここが家族と過ごした家に思えて」
「はい……多分……
 申し訳なさそうにシュンとする様子に苦笑する。

 ——自分が気に入っているものを褒めてもらえるというのは、無条件に嬉しいものだ。

 パンも、コーヒーも、それからこの部屋も。

「気にしてないよ。むしろ、ここを気に入ってくれてよかった」
 微笑いかけると眉が下がった。一喜一憂、くるくる変わる表情が俺の目を惹く。
「さ、天気が良いうちに出掛けるよ。今日も予定が詰まってるからね」

 残りのバゲットを向かいに押しやって、手元のクロワッサンに齧り付いた。

 やっぱり美味いな、この店のは。