ベッドのスプリングが揺れて目を覚ました。生命の危機は感じない。はっきりと覚醒するには遠く、薄ぼんやりとした意識で気配のみを探る。やがてその何かは中也の隣に滑り込むようにして身を横たえた。いくら危険を感じなくとも、そこまで好き勝手にする相手が気になって身を捩る。
「中也?」
名前を呼ぶ声でそれが太宰だと認識した途端、瞼の重量が増した。縋り付くように背中に体温が寄せられる。抱きしめたいと思ったが、身体は中也の言うことを碌にきかなかった。動けない中也を嘲笑うようにするりと手を取られ、指を絡ませられる。太宰の手を握り返して、今度こそ本当に意識を手放した。
中原中也は夢を見ない。だから当然あれは現実のことだと思っていたが、朝になって目覚めたベッドの上で、中也は1人だった。寝る時には1人だった。太宰は昨晩帰らないはずだった。だから1人であることは何もおかしくないはずだが、どうにも不可解だった。
あれは、夢だったのか?
それから、度々似たようなことが起きた。寝ている中也のベッドに太宰が潜り込んでくる。目を覚ましても太宰の気配も痕跡もない。決まって、太宰のいない夜だった。
これはきっと夢だ。その出来事が片手の指の数を超えた頃、ようやく中也はそう確信した。『中也は人間だ』と首領や太宰が何度主張しても証拠を見せられても心の奥底ではどうにも信じきれていなかったが、どうやら本当だったらしい。やはりこういったものは、疑念の原因を元から断つのが最も効果が高い。
中原中也も夢を見る。たったそれだけのことがどうしようもなく気分を高揚させた。今は似たような夢ばかりだが、そのうち異なる夢も見ることだろう。何せ中也は、夢初心者なのだ。
夢だとわかると、素直に自分の欲望を曝け出せるようになった。夢の中は身体が重くてなかなか自由に動くことはできないが、全く動けないわけではない。甘えて胸に顔を埋めたり、頸にキスを落としたり、腕を引いて強請ったら頭を撫でられたこともある。自分の夢なのになかなか思うようにいかずもどかしさも感じるが、夢の中の太宰は甘えた分だけ存分に甘やかしてくれる。
いい夢だった。
ある日、いつもと違う夢を見た。普段は寝ている中也の布団に太宰が潜り込んでくるところばかりだが、その日の太宰は中也の隣から出ていこうとしていた。ぽっかりと空いた隙間に冷気が入り込む。逃げ出すようなその背に慌てて手を伸ばした。
「中也?」
太宰が不思議そうに名前を呼ぶ。身体はあまり自由にならないが、太宰を引き止めるため、精一杯力を込める。
「私、もう行かなきゃ」
太宰は中也の手をやんわりと、だが確実に引き剥がそうとしている。夢の中の太宰はいくらでも甘やかしてくれるはずなのに、どうにもおかしい。引き剥がされないよう、より一層強く抱きしめる。
「中也、お願いだから離して」
太宰の懇願するような声がする。それがなんだかいつもより近い気がした。
「やだ」
頭の中でだけ返事をしたつもりだったが、中也の声帯がはっきりと音をなした。それが刺激になって、ぼやりとしていた脳が覚醒へと向かう。
そうして戻ってきた現実で、太宰は未だ腕の中に留まっていた。
「なんでいんの?」
太宰がいるのは夢の中だけ、現実では消えてしまうのがお約束だった。
「いちゃダメなの」
「ダメじゃねぇけど」
「じゃあいいでしょ。どいてくれる?」
太宰を抱きしめていた手が、今度は簡単に引っぺがされた。太宰はそそくさと部屋を出ていく。窓の外から淡く差し込む光が、夜が明けたことを告げていた。
取り残されたベッドの上、中也は状況を整理する。今日の太宰は夢じゃなかった。目を覚ましたのは途中からだったが、おそらく太宰がベッドから出ようとしていた時点で現実だったのだろう。そうなると太宰は中也の隣で寝ていたと考えるのが自然だが、中也が眠りに就いた時には間違いなく1人だった。つまりはいつだかの時点で太宰が忍び込んできたというわけだ。
ずっと夢だと思っていたあれらは、夢ではなく現実だったということか?
いまいち信じられなかったが、己の脳内から導き出された答えはそれしかなかった。部屋を出ると、身支度を整えた太宰が家を出ていこうとしている。
このまま行かせてはならないと思った。
「最近、よく夢を見るんだ」
玄関先で靴を履いていた太宰は、履き終えてもすぐには出ていかなかった。そしてこちらを向かないまま返事をする。
「夢は見ないんじゃなかったの?」
「俺もそう思ってたんだが、違ったらしい。それがなかなかいい夢でな」
「ふーん、どんな夢?」
「寝てると手前が布団に潜り込んでくんの」
「それ、いい夢なの?」
「ああ、かなりお気に入り。だから見られなくなったらがっかりする」
「そう」
話は終わりとばかりに太宰が扉に手を掛ける。けれど太宰はすぐに扉を開けることはしなかった。
「心配しなくても、たぶんこれからも見られるよ」
太宰はそれだけ言うと、今度こそ振り向くことなく玄関を出ていった。
中原中也は夢を見ない。けれど、夢よりもっといい現実は見ている。
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